続: 腐れは、毎度知りもしない話を持ち出す
投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/10/04 22:30 投稿番号: [23517 / 29399]
「まるでソ連が参戦してきて満州の日本人を見捨てた関東軍のように。」というのは、戦後に当時の状況も実際も知らない者が、反体制反権力を言い募る延長で戦前の軍から自分達民衆を切り離すために妄想した虚実ですね。
関東軍の主力部隊は、ソ連参戦の遥か以前に南方戦線の支援に向かわせるため本国の参謀本部から命が下って南下したのだね。
主力部隊が満洲から転進するにあたって、関東軍は現地日本人を徴兵召集して満洲国の国境守備隊を増員補給したのだよ。
この守備隊は、ソ連軍が参戦してきた以降も民間人が逃げるための盾となって多くが犠牲や捕虜となり、捕虜はシベリア抑留者や中国で抑留再教育或いは中国の軍律裁判で処刑されたというのが事実。
満洲に遠征或いは転出していた軍属の多くは、ソ連参戦以前にソ連戦線の懸念に因って本国よりの撤収要請を受けて、鉄道によっていち早く帰国の途についていたわけだが、それは主に文官や軍属の家族などであって赴任中の軍人は一応司令部任務を継続している。
敵の動向に対して司令部が後方待機を維持するために移動するという近代軍の常識に漏れず、司令部は満洲からソ連軍の動きに応じて転々と移っていったのだ。
一方で、日本人民間人と国境守備に当たっていた関東軍の部隊は、現地の支那人らを介して国境周辺の状況を知らされ、ソ連の戦車部隊が侵攻を始めたの報を受けて引揚を開始している。
多くの在満邦人は、引き上げの準備を事前にしたくすることが出来たのだね。
現地の支那民衆と在留邦人の関係は、一部を除いて分けは立てなかった故であり、引揚の際も多くの日本人が現地の支那民衆に我が事として助けられながら帰路を急いだのだよ。
そして、幼子を連れていける状況を失した邦人らに託された多くの邦人の幼子を支那民衆はは引き受けてもくれたのだよ。
而して「ソ連が参戦してきて満州の日本人を見捨てた関東軍」などというのは存在しなかった。
当時、主力部隊の留守を護るために現地召集されて国境守備隊と捨て構成されていた兵士の中で、終戦と同時に無事引き揚げてきた多くの兵士もいる。
彼らは、家族などを含む民間邦人と引き揚げてきたわけではない。
多くの将兵が、居留地で支那の民衆と共に生活していた邦人民衆であったから、現地支那の民衆が特別な手立てを尽くして日本まで逃がしてくれたのだ。
政府官僚と軍属の一部が、ソ連の不穏な動きを懸念する本国筋から要請で早々に撤収したのと、現地邦人を見捨てたかどうかは別の話なのです。
これは メッセージ 23516 (maximirion さん)への返信です.
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