南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 映画「ラストエンペラー」2

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/01/07 20:27 投稿番号: [21451 / 29399]
>山口淑子は 『李香蘭   私の半生』 で、譚玉齢の死に関して溥儀は誤解しているといっていますが、 私はこれは誤解ではなく、『故意』 だと思っています。


満州帝国の陰の権力者である甘粕正彦は満州映画協会会長であり、山口淑子の上司でもあったわけです。

客観的な見方ができるかどうか疑問です。

Re: 映画「ラストエンペラー」1

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/01/07 20:08 投稿番号: [21450 / 29399]
>さてどちらが真実なのか、今になっては知るすべはありません。


溥儀が、満州国皇帝に自らすすんでなったのか、それとも日本軍に無理やりならされたのか?

どちらも本当だと思います。

人間の心理は単純ではなく多層的な構造をしていますから。

やりたい気持ちもあるが、やらされてるという感じもしていたのでしょう。

最初、溥儀が皇帝として主体的に振舞おうとするのに反し、甘粕がその権限をだんだん奪っていきます。

そのへんの心理描写がこの映画の見どころです。

Re: 映画「ラストエンペラー」2

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2010/01/04 19:50 投稿番号: [21449 / 29399]
>日本人の一部は、日本軍の残虐性を描けば、すぐに反日だと大騒ぎするが、それは心の貧しいことだと思いますね。

まずその残虐行為が史実でなければ話になりません。

>『わが半生』 と 『流転の王妃の昭和史』 を読めばすぐわかることですが、どちらの本にも関東軍、中でも吉岡安直の横暴ぶり、傲慢無礼さが目立っています。
それは特に溥儀の3番目の妻、譚玉齢の急死のところなのですが、溥儀は東京裁判で譚玉齢は吉岡安直に殺された、とはっきり証言しています。また『わが半生』 では表現が微妙に変わってきていますが、やはり吉岡に殺されたと解釈できるような記述なのです。東京裁判で溥儀はこう証言しています。貴人とは譚玉齢のことです。

私の妻は・・私の貴人は、非常に私との仲がよかったのであります。年は若くて23でありました。あるとき私の貴人は病気になりました。彼女は中国を愛し、即ち中国の国家を愛する人間でありました。そうして貴人は常に私に向って今はやむをえないから、できるだけ忍耐しましょう。そうして将来時が来たならば、失った満州国の地を中国にとり返すように致しましょう、と語っておりました。しかしながら、私の貴人は日本人に殺されたのであります。(この部分はその後翻訳が訂正されて、毒殺された、となりました)
殺したのは誰かと申しますと、その下手人は吉岡中将であります。
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/yosioka.htm

ところが事実はその正反対のようですね。

>ところがこれらの証言や記述とはまったく違うことが 『李香蘭   私の半生』 と、『貴妃は毒殺されたか』 には書いてあるのです。
山口淑子は 『李香蘭   私の半生』 で、譚玉齢の死に関して溥儀は誤解しているといっていますが、 私はこれは誤解ではなく、『故意』 だと思っています。
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/yosioka.htm

>「ラストエンペラー」はアカデミー賞作品賞を受賞していますが、ベトナム戦争での米兵の残虐性を描いた「プラトーン」も作品賞受賞作品です。

ホロコーストであれ、南京であれ、ベトナムであれ、とにかく軍国主義や独裁主義や戦争の残虐性やを強調する作品は史実などおかまいなく麗しい人道主義、平和主義の立場から賞賛するのです。ばか者どもは。

それに乗じるのがシナのプロパガンダ映画、「紅いコーリャン」、「鬼が来た!」などです。

Re: 映画「ラストエンペラー」1

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2010/01/04 19:03 投稿番号: [21448 / 29399]
>ベルナルド・ベルトルッチの芸術を無教養とおっしゃる貴方は、どのような教養をお持ちですか?

別にたいした教養はありませんが、ベルトルッチが浅薄なバカヤロウであることぐらいはわかります。以下参照。

>ホテルで待つこと3ヵ月。
ようやく溥儀の元を訪れた板垣征四郎は、関東軍のプランを溥儀に伝えました。
板垣の説明をいらいらしながら聞いていた溥儀は、板垣がカバンの中から満蒙人民宣言書と五色の満州国国旗を取り出したのを見て、『怒りで胸もはりさけそうに』なったのです。
ふるえる手でそれを押しのけた溥儀は、それが大清帝国だとでもいうのか、と板垣に詰問します。

すると板垣は 『こちろんこれは大清帝国の復辟ではありません。一つの新しい国です。東北行政委員会が決議し、一致して閣下を新国家の元首、すなわち執政に推戴しております』 と答えるのです。この答えに溥儀は怒り心頭に達します。陛下ではなく、閣下と呼ばれたのは生まれて初めてのことでした。

溥儀 名正からざれば、言、したわず。言したがわざれば、事、成らずです(論語より)。満州の人心の向うところは私個人ではなくて、大清の皇帝なのです。もしこの呼称を取り消せば、満州の人心は必ず失われます。この問題は関東軍に再考慮してもらわなければなりません。
板垣 満州の人民は閣下を新国家の元首に推戴しております。それが人心の帰趨であり、また、関東軍の同意するところであります。
溥儀 だが日本も天皇制の帝国ではありませんか。なぜ関東軍は共和制の建設に同意するのですか
板垣 もし閣下が共和制が妥当でないとお考えなら共和という文字は用いません。これは共和制ではなくて、執政制なのです。
溥儀 他のことはともかく、この執政制だけは受け入れるわけにはいきません。皇帝の呼称は私の祖宗が残したものです。もし私がそれを取り消したならば不忠不幸です。
板垣 宣統帝が大清帝国の皇帝であられることは、明らかなことです。将来、議会が成立いたしましてから、かならず帝制回復の憲法を可決するものと信じます。
したがいまして現在の執政はあくまで過渡期の便法にすぎません。
溥儀 皇帝の称号はそもそも議会などから受けるものではありません

(1)東北行政委員とは、満州国建国プロジェクトです。
(2)宣統帝とは、清王朝を退位した溥儀のことです。

日本の感情を害してはならない・・・周囲の諌言もあって、結局溥儀は、1年たっても帝制ができなかったら退位するという条件で、執政の座につくことを承諾したのです。関東軍にとって帝政にこだわり、清王朝復興を夢見る溥儀は笑止なことだったでしょう。

この時溥儀は26歳。この若さですでに彼は過去の遺物だったのです。これを書きながら、私は織田信長に祭り上げられた室町時代最後の将軍、足利義昭を思い浮かべています。ところが児島襄の『東京裁判』 にはまったく違うことが書いてあるのです。

皇帝溥儀は、板垣関東軍高級参謀の「脅迫」によって満州国執政に就任したというが、「脅迫」をうけたのは、むしろ、板垣参謀のほうであった。
皇帝溥儀は、帝位につくのでなければ出馬せぬ、と首肯した。日本側としては、溥儀皇帝の出現は、中国の清朝復活という印象を与え、反清朝意識の強い大部分の現地民を離反させる恐れがあると考えたが、他に適当な人物がいないため、やがて帝政を施行する約束で皇帝溥儀と妥協したのである。


さてどちらが真実なのか、今になっては知るすべはありません。
上記の板垣と溥儀の会話は、『わが半生]』 からの引用ですが、少なくとも、『わが半生』 が溥儀の自伝であり、背後に中国共産党が控えている以上、溥儀にとって、あるいは中国共産党にとって不利なことは書かないでしょうね。

後の東京裁判で証人として出廷した溥儀は、何かと言えば 『強要された』 、『恐ろしかった』 、『そんなことは知らない』 を繰り返しましたが、溥儀は脅されたどころか、自ら積極的に満州へ行き、 『1年後には皇帝になれる』 と大満悦だったのです。
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/karyu.htm

ベルトルッチが調べたのはせいぜい溥儀の自伝とかジョンソンの紫禁城とか東京裁判の記録とかくらいでしょう。それ以前にすでに、連合国によってでっちあげられたプロパガンダイメージ、当時の日本は、ナチまがいの一方的な侵略的軍国主義、世界制覇の野望の国家みたいな先入観をもっていたのでしょう。(つづく)

Re: 児玉誉士夫の証言

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2010/01/04 10:03 投稿番号: [21447 / 29399]
>(略)そのとき河相氏が数枚の写真を見せて「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。(略)
人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも戦場では若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。(略)
  自分は戦場を旅し、大陸における実状を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。

まあ、略奪暴行強姦はあったろう。だが即侵略と言い切ってしまうのはどうか。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。児玉には経験はあったかもしれないが俯瞰的歴史観はなかったのではないだろうか。

>「1948年末、釈放された児玉はCIAに協力するようになった」と後にアメリカでも報道された。2007年3月12日にアメリカの公文書館保管のCIA対日工作機密文書が機密解除されて公開されたが、それによると、児玉のことを「プロのうそつきで悪党、ペテン師、大どろぼうである。情報工作できるような能力は全くなく金儲け以外に関心がない」と評している。

>第二次世界大戦の終結後に上海から持ち帰った資金(現在の時価にして3750億円)を海軍に返還しようとしたというが、この資金は、調べられれば、汚れた金であることがわかってしまう。それで、戦時犯罪の疑いをかけられたくなかった海軍は、児玉に処分を依頼。旧海軍の資産のためアメリカも没収せずに、宙に浮いた。児玉は、巣鴨拘置所に共にいた右翼でヤクザの親分でもある辻嘉六に勧められて、この資金の一部を鳩山ブランドの日本民主党 (鳩山民主党)の結党資金として提供した。

> 韓国との癒着 [編集]

児玉は1965年の日韓国交回復にも積極的な役割を果たした。国交回復が実現し、5億ドルの対日賠償資金が供与されると、韓国には日本企業が進出し、利権が渦巻いていた。児玉誉士夫もこの頃からしばしば訪韓して朴政権要人と会い、日本企業やヤクザのフィクサーとして利益を得た。(略)
児玉誉士夫、町井久之ともに芸能界とのつながりも深く、特に三田佳子と親しい。なお、児玉の実姉が韓国に嫁いでいる。

以上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%AA%89%E5%A3%AB%E5%A4%AB

より。

こういう男が言っていることだ。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。児玉は経験豊富な愚者だったのではないだろうか。

憎悪の狂人fukagawatoheiがまた現れた

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2010/01/04 09:25 投稿番号: [21446 / 29399]
日本人に対する根拠の無い憎悪に凝り固まった狂人が、

またコピペを始めた。

なぜこれほど日本人を憎悪するのだろう?

日本でしか生きていけないくせに。

Re: 児玉誉士夫の証言 - 児玉機関

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2010/01/04 08:46 投稿番号: [21445 / 29399]
「児玉機関
1938年に日中戦争が始まった。翌1939年、外務省情報部の懇意の笹川良一の紹介で採用され、海軍航空本部の嘱託となった。

1941年真珠湾攻撃の直前、海軍航空本部独自の物資調達の為に笹川良一が酒巻宗孝少将に紹介、その後任者が大西瀧治郎少将(当時)で、後に大西中将が自決する日まで、親しい間柄となる。(大西中将が自決に使った刀は児玉が贈った物といわれる。)

それにより上海に「児玉機関」と呼ばれる店を出した。これは、タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍航空本部に納入する独占契約をもらっていた。当初、現地で商事会社東光公司を経営していた水田光義の水田機関を通じて物資を調達していたが、水田機関のピンハネが余りにひどいことに気づき、これを排除。1943年、水田が暗殺される。これは児玉機関の仕業とされる。

右翼団体・大化会の村岡健次(後の暴力団北星会会長・岡村吾一)らが児玉機関で働いていた。中国人や満州人を銃で脅し、恐ろしく安い値で物資を獲得したため略奪と呼ばれた。

他の部下には副機関長となった吉田彦太郎や岩田幸雄、藤吉男、許斐氏利ら右翼の無法者がそろった。

この商社のような仕事はすでに三井、三菱などの大企業が入っていたが即決主義で集めたため現地では重宝された。

よく、児玉はこの仕事でダイヤモンドやプラチナなど1億7500万ドル相当の資金を有するにいたったと言われている。

アメリカ陸軍情報局の報告では、児玉機関は鉄と塩およびモリブデン鉱山を管轄下におさめ、農場や養魚場、秘密兵器工場も運営。ヘロインの取引の仲介もやっていたという。

この類の「○○機関」は当時大陸において非常に多く、前述の表の仕事と比して裏の仕事として中国側へのスパイ活動、抗日スパイの検挙や殲滅等を請け負っていた。

一説には児玉が大陸で獲得したとされる膨大な資金はこれらの非合法な取締り(直接的には強盗殺害)によるものとされている。」

Re: 児玉誉士夫の証言

投稿者: yozparaida 投稿日時: 2010/01/03 18:19 投稿番号: [21444 / 29399]
これ、アンポンタン
時代は常に進んでいるのだよ。
もっと前向き思考になれんかね。
そんな頭では何時までも他国と
仲良くなれんぜよ。
其れとも、日本に対してだけ
有ること無いこと針小棒大
にネチネチ嫌がらせかい。
あんたのやっている事は
アナーキスト、やたら日本国内に
混乱を起こそうとしている。

Re: 児玉誉士夫の証言

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2010/01/03 17:33 投稿番号: [21443 / 29399]
シナ人が、日本兵を残虐に扱った以上、その恨みかねぇ〜。

ま、シナ人は古代より民衆なんぞ塵芥の扱い〜。天安門事件見ても虐殺はシナ人の歴史そのもの〜。

で、児玉誉士夫がどれほどシナ人の性を知っていたのだろうかね〜。

児玉誉士夫の証言

投稿者: autumnleavesjp1 投稿日時: 2010/01/03 17:27 投稿番号: [21442 / 29399]
  自分は日本を発つ前に外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅する必要な援助と注意を受けたが、そのとき河相氏が数枚の写真を見せて「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。
  当時大同では、「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。また占領地の寺や廟に行ってみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁に「何年何月何部隊占領」などと落書きしてあった。人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも戦場では若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。
(略)
  要するに宣戦の詔勅なき戦争、名分の明らかならざる戦い、日支事変は畢竟、王師ではなく、驕兵であったかもしれぬ。自分は戦場を旅し、大陸における実状を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。しかし国民のなかの多数の者がそれを自覚し得えたとしても、すでに軍国主義の怒涛が逆巻き、もはや何人の力をもってしてもそれを阻止することは不可能であった。

児玉誉士夫『われかく戦えり』広済堂出版 p.79-80
(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』p.136-137)
昭和十二年の秋ごろ、さきに盧溝橋事件に端を発した日支事変は燎原の火のごとく全面的に拡大されつつあった。そんなある日、笠木先生の使いで、河相先生を外務省の情報部長室にお訪ねしたのであった。若輩の自分は、一人前の国士気取りで、大いに天下国家を論じた次第だが、その折、河相先生が自分に『児玉君、聖戦とはなにを意味するものか! 皇軍とはいかにあるべきであるかを知っているか!』と言われ、数枚の写真を自分に示され、『これが皇軍の姿か! このまま行けば、皇軍どころか、日本軍は崩壊するぞ!』と言われた。その写真は現地から送られたもので、日本軍が良民を虐殺している場面や、中国の婦女子を暴行しているといった、見るに堪えないものであった。

児玉誉士夫『われかく戦えり』広済堂出版 p.321
(洞『南京大虐殺――「まぼろし」化工作批判』p.137-138)

銀座で腕時計3億円盗難

投稿者: yozparaida 投稿日時: 2010/01/03 06:33 投稿番号: [21441 / 29399]
中国系「爆窃団」か?*2009/6月に神戸でも同じ被害!ここ数年全国で相次いでいる、との事。
これはポコペンの仕業だよ、ポコペンは中国本土から一歩も出るなョ。

今年は民国99年です

投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/01/02 23:51 投稿番号: [21440 / 29399]
>2010年   平成22年   民國98年。<

  ×民國98年
  ○民国99年

Re: anthony_749 さん

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/01/02 19:12 投稿番号: [21439 / 29399]
unhooさん、

こちらこそ、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします <(_ _)>

anthony_749 さん

投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/01/02 12:56 投稿番号: [21438 / 29399]
遅ればせながら謹賀新年。   2010年   平成22年   民國98年。

寒いですが・・

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/12/31 21:41 投稿番号: [21437 / 29399]
みなさま   楽しいお正月を!


http://blogs.yahoo.co.jp/okinawablog/folder/1360804.html

映画「ラストエンペラー」 - 横にて失礼

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/27 08:50 投稿番号: [21436 / 29399]
>ラストエンペラーという映画をわしは見たが、記憶によればイタリヤ製の映画で、北京で撮った場面が多い。日本軍はほんのちょっと点景的に出現しただけだ。日本軍の残虐性を表現したシーンがあったかな?   なかったと思う。>

「日本での劇場公開に際しては、溥儀が「南京虐殺」の映像を見せられるシーンを、配給元がベルトルッチ監督に無断でカットし、そのためベルトルッチ監督から抗議されている。」

Re: 孫子の言葉

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/12/27 03:38 投稿番号: [21435 / 29399]
もし松井大将が上海で国民党軍の包囲を突破できずに、蒋介石の計画通りに在留日本居留民を皆殺しにされたら、松井は切腹するまでもなく戦死しただろう。

1932年の第一次上海事変以後、蒋介石はドイツ軍事顧問団の指導の下に上海包囲陣地を構築して、1937年には陣地は完成していたから、蒋介石の目には上海の日本人居留民数万と2000の日本海軍陸戦隊は袋の鼠だった。

松井は上海に派遣されて、日本軍に多数の死傷(わしの記憶では死傷2万)を出したが、ついに蒋の包囲陣を突破した。包囲陣が突破されそうになったとき、ドイツ軍事顧問団員は責任を感じて銃を取って前線で日本軍と戦ったという。

国民党軍がついに潰走したとき、松井は駄目押しとして南京を攻略することにした。攻略は成功した。南京攻略後松井は解任されて帰国した。松井は何も失敗していない。

第一次上海事変(1932)では司令官の白川大将は上海の包囲を解いただけで停戦したから、勝っても勝った効果がなく、反って第二次上海事変の導因になった。松井が命令違反の罪を問われなかったのは、第一次上海事変で勝利が勝利の効果を発揮しなかったことが日本軍の記憶にあったからだ。

君命を拒絶した結果敗戦に至った場合は、もちろん抗命の罪を問われる。孫子の「將在軍、君命有所不受」に荘厳な調子が感じられる理由は、言葉の裏に強い責任感がこもっているからである。

Re: 百人ぎり?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/12/27 02:21 投稿番号: [21434 / 29399]
>いいえ、彼は靖国神社専属で「靖国刀」という日本軍でも上層部の人たちが使う刀を作っていたので、売り込む必要はないんですよ。<

それならば「あれは百人斬りできます」と言うのがのが造り手のサービスであって、真偽はどうでもよいのである。「あれは5人斬るのがせいぜいです」と言ったら買い手ががっかりしてしまう。だからあの刀匠の言ったことは何の参考にもならぬ。

Re: 映画「ラストエンペラー」

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/12/27 02:08 投稿番号: [21433 / 29399]
ラストエンペラーという映画をわしは見たが、記憶によればイタリヤ製の映画で、北京で撮った場面が多い。日本軍はほんのちょっと点景的に出現しただけだ。日本軍の残虐性を表現したシーンがあったかな?   なかったと思う。

unhooさん

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/26 23:57 投稿番号: [21432 / 29399]
今年はいろいろとご指導していただき、ありがとうございました。

<(_ _)>   来年もよろしくお願いいたします。

ではまた!

どうぞよい年をお迎えください! (^^)/

Re: 百人ぎり?

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/26 19:19 投稿番号: [21431 / 29399]
>そう言ったほうが刀が売れるだろう。しかし彼はサムライ映画のように、覆面して辻斬りをやって試したのかね。


いいえ、彼は靖国神社専属で「靖国刀」という日本軍でも上層部の人たちが使う刀を作っていたので、売り込む必要はないんですよ。

辻斬りはやってないでしょう(笑)

竹を芯にして濡らした藁を束ねたものが、人間の首の感覚に近いものがあって、練習につかわれたようです。

Re: 映画「ラストエンペラー」

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/26 18:43 投稿番号: [21430 / 29399]
>「ラストエンペラー」卑劣で無教養なイ〇公監督の反日プロパガンダ映画。シナと英国(シンガポールで日本に恨みがある)が後押し。



ベルナルド・ベルトルッチの芸術を無教養とおっしゃる貴方は、どのような教養をお持ちですか?

たしかにこの映画は日本軍を批判的に描いてはいます、しかし中国共産党に対しても批判的であるのです。

映画がプロパガンダではなく、また娯楽を超越した芸術として、主観的な単なる好き嫌いのレベルを超えた普遍性を持つためには、現実世界に内在する本質を良い面も悪い面も含めて描く必要があります。

どこの国であれ、軍隊というものが綺麗なものでいられるはずがないのが現実。

暴力や残虐性の世界と対比させることで、人間のドラマを美しく描くのは映画のテクニックでもあります。

日本人の一部は、日本軍の残虐性を描けば、すぐに反日だと大騒ぎするが、それは心の貧しいことだと思いますね。

「ラストエンペラー」はアカデミー賞作品賞を受賞していますが、ベトナム戦争での米兵の残虐性を描いた「プラトーン」も作品賞受賞作品です。

ハリウッド映画には、米国人の残虐性を平気で描く懐の深さがあります。

Re: 孫子の言葉

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/26 18:34 投稿番号: [21429 / 29399]
>日本の軍隊が勅命でなければ行動できないという原則は、日本だけの原則ではない。どこの国でも元首の命令でなければ軍隊を動かせないという原則がある。日本だけの特有ではないのだが、日本人だけが日本特有だと教えられてそう信じていただけです。


unhooさんのおっしゃることはよくわかります。

君主は戦場の現場を知らないのだから、司令官が臨機応変に動くことのほうが望ましいというのは、そのとおりでしょう。

ただし君命に背いてまでも行動するならば、その行動が失敗したときの責任は非常に重いものになって当然です。

松井石根は切腹すべきでした。

ところが松井をはじめ、盧溝橋事件で日中戦争のきっかけをつくった牟田口廉也、この人物はインパール作戦を指揮した者としても有名ですが、なぜこれらの人物が切腹していないのでしょうか?

これらの無責任な上官たちのせいで、多くの日本兵が無駄に死んでいったのです。

憎悪の狂人fukagawatoheiがまた現れた

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/26 17:52 投稿番号: [21428 / 29399]
日本人に対する根拠も理由も無い憎悪に狂う狂人fukagawatoheiが、

今日もまた狂った投稿を始めた。

なぜ日本人を日本人であるというだけで狂うほどに憎むのだろう?

百人斬り

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/26 15:20 投稿番号: [21427 / 29399]
>靖国神社の最後の日本刀職人の刈谷さんは可能だとしている。<

>そう言ったほうが刀が売れるだろう。しかし彼はサムライ映画のように、覆面して辻斬りをやって試したのかね。>

剣豪宮本武蔵は五輪書の中で、二、三人たたっ切れば、後は何十人
かかってこようが怖くは無い、というような意味の言葉を残している。

これは、自分の二本の刀で数十人の敵と戦えるという確信が
なければ、でない言葉である。

向井、野田両少尉が宮本武蔵ほどの剣豪であったとはとても
考えられない。
100人斬りはあくまで、新聞記者にのせられたほら話であろう。

しかし、100人程度の無抵抗の捕虜を数本の刀を取り替えながら、切り殺すことは不可能とは言えない。

いずれにしても、百人斬り競争は南京大虐殺の象徴的な出来事として
未来永劫に語り継がれるのは間違いない。

彼らは日中友好と将来の不戦を願って、処刑された。
その意味では、彼らが果たした役割は大きい。

Re: 百人ぎり?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/12/26 10:37 投稿番号: [21426 / 29399]
>靖国神社の最後の日本刀職人の刈谷さんは可能だとしている。<

そう言ったほうが刀が売れるだろう。しかし彼はサムライ映画のように、覆面して辻斬りをやって試したのかね。

Re: 孫子の言葉

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/12/26 10:24 投稿番号: [21425 / 29399]
>お言葉ではございますが、日本軍は天皇の軍隊であり、天皇の奉勅命令なしで動くことは軍紀違反だったのです。 <

「将(司令官)が軍を指揮している時は君命でもお受けしないことがある」というのである。この言葉は荘厳な響きを持っている。孫子がどんな場合にこの言葉を発したかと調べてみると、どうも非人道な話で不愉快である。しかし作り話でなく、史実だったという。長ったらしい話だからここには書かない。

日本の軍隊が勅命でなければ行動できないという原則は、日本だけの原則ではない。どこの国でも元首の命令でなければ軍隊を動かせないという原則がある。日本だけの特有ではないのだが、日本人だけが日本特有だと教えられてそう信じていただけです。

軍人勅諭に「上官の命令はすなわち朕の命令と心得よ」という文句があるがこれは軍人勅諭の起草者山県有朋の勝手な言い分で、明治天皇がそう言ったのではない。外国の軍隊でも上官の命令が絶対であることは変わりがない。

Re: 映画「ラストエンペラー」

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2009/12/26 09:05 投稿番号: [21424 / 29399]
「ラストエンペラー」
卑劣で無教養なイ〇公監督の反日プロパガンダ映画。シナと英国(シンガポールで日本に恨みがある)が後押し。

「太陽の帝国」、「紅いコーリャン」、「鬼が来た!」なども「エンペラー」同様低劣な反日プロパガンダ映画。

Re: 孫子の言葉

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/26 08:36 投稿番号: [21423 / 29399]
>『孫子』という本に書いてあるのでなく、孫子と呼ばれている人物が言ったして伝えられて言葉に「将の軍に在るや君命も受けざるところあり」というのがある。この言葉を伝えた『史記』という史書によると原文は「將在軍,君命有所不受」とある。「司令官は戦争の最中には君王の命令でもお受けできない場合がある」という意味である。


unhooさん、おはようございます。

お言葉ではございますが、日本軍は天皇の軍隊であり、天皇の奉勅命令なしで動くことは軍紀違反だったのです。

Re: 百人ぎり?

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/26 08:30 投稿番号: [21422 / 29399]
>日本刀で百人切りは不可能だよ!


靖国神社の最後の日本刀職人の刈谷さんは可能だとしている。

百人ぎり?

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2009/12/26 03:11 投稿番号: [21421 / 29399]
百人切りを信じているの?

日本刀で百人切りは不可能だよ!

孫子の言葉

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/12/26 00:58 投稿番号: [21420 / 29399]
>しかし元はといえば、松井石根が参謀本部の統制を無視して、もともと上海派遣軍の作戦計画に無かった南京攻略を勝手にやってしまったことが悪いといえるだろう。<

『孫子』という本に書いてあるのでなく、孫子と呼ばれている人物が言ったして伝えられて言葉に「将の軍に在るや君命も受けざるところあり」というのがある。この言葉を伝えた『史記』という史書によると原文は「將在軍,君命有所不受」とある。「司令官は戦争の最中には君王の命令でもお受けできない場合がある」という意味である。

松井大将が独断で潰走する蒋介石軍を追撃することに決めたのは、孫子の言うような場合だったのであろう。

マッカーサーが退役後に書いた自叙伝でも、第一次大戦で中佐として部隊を指揮したとき、退却する敵兵を、上官の停止命令を振り切って徹底的に追撃し、大戦果を挙げたことを鼻高々と書いている。日本語リーダーズダイジェストで読んだのだが「追激戦が大成功して司令部に戻って報告した。報告しながら疲労のためにだんだん気が遠くなっていったが、わたしの耳に将軍が、この男に勲章を与えねばなるまいと言ったのが聞こえた」なんて書いてあった。このあつかましい自慢話が本当だったら、アメリカやヨーロッパの軍隊でも孫子の言い分のようなことがが容認される場合があることになる。

「革命的鴉片戦争」

投稿者: sugotyon 投稿日時: 2009/12/26 00:48 投稿番号: [21419 / 29399]
里見甫に販売。

OSS,M6,蒋介石、毛沢東、維新政府、満州国、里見甫

Re: 映画「ラストエンペラー」

投稿者: sugotyon 投稿日時: 2009/12/26 00:25 投稿番号: [21418 / 29399]
里見甫ーアイゼンベルグー恵生ー江青

映画「ラストエンペラー」

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/25 21:28 投稿番号: [21417 / 29399]
ただいまBSで上映中。

満州国建国の黒幕は、

満州映画協会理事長、甘粕 正彦。

民間人A級戦犯第一号、阿片王といわれた里見 甫。

東洋のマハタリこと女スパイ、川島芳子。

南京大虐殺はなぜ起きたのか5

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/25 19:08 投稿番号: [21416 / 29399]
南京大虐殺の要因の一つとしては、予想に反して、あまりにも多くの中国兵が投降してきて捕虜の扱いにとまどい、それで殺害してしまったこと。

長勇(ちょういさむ)中将が、「やっちまえ!」と煽ったことは有名。

南京大虐殺はなぜ起きたのか5

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/25 18:40 投稿番号: [21415 / 29399]
南京大虐殺の要因の一つとしては、予想に反して、あまりにも多くの中国兵が投降してきて捕虜の扱いにとまどい、それで殺害してしまった。

長勇(ちょういさむ)中将が、「やっちまえ!」と煽ったことは有名。

南京大虐殺はなぜ起きたのか4

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/25 18:28 投稿番号: [21414 / 29399]
たしかに司令官の松井石根も、兵隊たちを叱ってはいる。

「おまえたちは、せっかく皇威を輝かしたのに、一部の兵の暴行によって、一挙ににして皇威を堕してしまった」   (1937年12月18日   慰霊祭)

しかし元はといえば、松井石根が参謀本部の統制を無視して、もともと上海派遣軍の作戦計画に無かった南京攻略を勝手にやってしまったことが悪いといえるだろう。

南京大虐殺はなぜ起きたのか3

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/25 18:16 投稿番号: [21413 / 29399]
もちろん、旧日本軍にも優しい兵士はいた。

例えば、初年兵訓練で捕虜を銃剣で突く訓練があったのだが、

心の優しい兵士はそれができなくて、上官に死ぬほど殴られた。

戦争が、優しい人間を残忍な人間に変えてしまったことは大きな原因だろう。

南京大虐殺はなぜ起きたのか2

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2009/12/25 18:09 投稿番号: [21412 / 29399]
南京市は世界最大級の城壁に囲まれた都市であり、また四方のうち、北と西を揚子江という大河に囲まれていたことも、市民が逃げ遅れた一つの要因といわれている。
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