南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: いつまで愚だ愚だ言ってるんだ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/10 12:20 投稿番号: [12200 / 41162]
>もう一度言う。
>30万人虐殺を証明してみろ!


30万人虐殺の証明はもちろん無理ですが、1人虐殺の証明も無理です。

日本軍が虐殺した無辜の南京市民は、0人です。

宣戦布告なき戦争の犯罪性は追及できず

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/10 12:13 投稿番号: [12199 / 41162]
「ウィートンの国際法」第七版において、B・キース博士は宣戦布告をしないことは、その戦争を非合法なものとしない、と結論している。…(略)…西暦1700年より1872年にかけて起こった約百二十の戦争のうち、正式の宣戦布告が敵対行為開始に先立ってなされたのは、わずかに十にも満たないほどであった。しかしながら十九世紀後期に於いては、交戦状態の存在及び敵対行為開始の動機を公表する布告を、戦を宣する側の国家の領土内において発表するのが慣習となった。おそらくかような発表は、交戦国の国民と敵との交通につき、また国際法が正式な戦争に付与する一定の効果に関して交戦国の国民を指示指導するために必要とみなされたのであろう。キース博士はさらに次のように指摘している。すなわち、実際の慣行から引き出される結論を除いては、法律学者や、国際法学者の間の意見は決して一致したものではないと。概して欧州大陸側の著作家は事前宣告の必要を主張した。英国人の見解はこれに反していた。ストーウエル卿によれば、事前告知がなくても戦争は正当に存在しうるのであり、告知は事実の形式的証左にすぎないと。
  ついでキース博士は、1870年から、1904年にわたる期間から実例をあげ、正式の宣戦布告は、ある場合は行われ、他の場合は行われなかったことを示している。行われなかった場合としては、・・・・・
…(略)…
  右の指摘したように、一般的布告を公表する慣行ができたとはいえ、この慣行は確立したものではなく、法律上の義務というよりは、むしろ儀礼の問題にすぎなかった。キース博士はいわく、本問題がかように不満足な状態にあったことに鑑みて、1907年のヘーグ会議はこの問題を取りあげ、ヘーグ条約第3号中に明確な規定を規定した。しかして本条約第3号は現在交戦諸国を拘束するものであると。

  この条約は題して「敵対行為の開始に関する条約」といい、八箇条から成っている。そのうち、われわれの現在の目的と関連性のあるものは、第1条、第2条、第3条及び第7条である。
  第1条は次のように規定している。「条約国は理由を付したる開戦宣言の形式又は条件付開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告なくして其の相互間に戦争を開始すべからざることを承認す」
  第2条は、戦争状態の存在は遅滞なく中立国に通知されるべきことを要求し、
  第3条は、本条約第1条は締約国中の2国または数国間の戦争の場合に効力を有するものであるとのべ、
  第7条は、いずれの締約国も本条約を廃棄し得るものとし、かつその廃棄し得るものとしかつその廃棄の方法を定めている。

  これらの条文を注意して読んでみれば、同条約は単に契約上の義務を設定するに止まり、国際制度になんら新しい法の規則を導入したものではないことがわかるであろう。
ウェストレークは、本条約によって本問題に関する既往の法律が重大な影響を被ったことはないと考えている。ピットコペットによれば「締約国は、事前に宣戦を布告することなしに敵対行為にはいることはないと絶対的に誓約をなしたものではなく、単に交戦国間における場合と同様、敵対行為は明白な警告を事前に与えることなしに始めるべきでない旨を認めているに止まる」
ペロットは、敵対行為の開始には、慣習並びに条約によって制限が付されているにかかわらず、それは主に戦略の問題とおもわれる、と考えている。
  キース博士も、同条約によって設定された規則は、宣戦布告のない戦争を非合法であると指摘しているのでは全然ないと結論している。同規則から見ると、宣戦布告と実際の対敵作戦の開始との間に、一定の時間の経過を認めることは必要でないように見える。同会議の席上では、戦闘の開始は二十四時間後に行われるべきことが提唱されたが、これは可決されず、所要の予告期間は、遂に規定されなかったのである。法廷証第231号すなわち敵対行為開始に関する第2回委員会から会議への報告を参照されたい。今次大戦の場合には、最後通牒は英国からドイツにあてて9月2日午前9時に手交され、同日午前11時に期限が切れるものとなっていた。フランスも同様の最後通牒を手交し、これは同日午後5時に期限が切れた。ロシアは1939年正式の通告なしにフィンランドを攻撃した。この条約「以外に」宣戦布告のない戦争を非合法とする法律は存しなかったのである。

パール判事:日本無罪論

Re: 残留邦人を見殺しは、関東軍だぜ、通り

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/10 12:11 投稿番号: [12198 / 41162]
あれ?
#12185はスルーか?

(再掲)
――――――――
Re: 残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、 2006/ 9/ 9 11:02 [ No.12185

投稿者 :
deliciousicecoffee


>日本国政府は戦時賠償としてシベリア抑留を認め、署名までしてるんだよ。

では、その署名した文書を提示してくれないか。


これは メッセージ 12181 yominokuni56 さんに対する返信です
――――――――

よろしく!




さて。


>なにを寝ぼけたことかいてるのだか?
>ソ連軍参戦の三ヶ月前に日本領事、佐藤は日ソ不可侵条約を破棄され、ソ連から帰国してるよ(笑)


オマエは先日「2ヶ月前」と言ってけど「3ヶ月前」だったのか?
で、そのことを示す資料とかないのかなー?

俺が#12186で貼った「増田俊男の時事直言!」で述べてあることは真っ赤な嘘なの?
でも、それなら、そうと何らかの根拠を示してくれよ。

(再掲)
――――――
増田俊男の時事直言!

もう一つの忘れてはならない8月9日

広島に原爆が投下された1945年8月6日から2日経った8月8日、駐モスクワ佐藤大使はモロトフ外相(ソ連)に呼ばれ「ソ連は明日(8月9日)から日本に対して戦争状態に入る」と宣戦布告を受けた。当時日本はソ連と「日ソ不可侵条約」(1941年4月13日モスクワにて署名、4月25日両国批准)を結んでいた。同条約を抜粋すると、第一条「両締結国は両国間に平和および友好の関係を維持し相互に他方締約国の領土の保全及び不可侵を尊重すべきことを約す」。第二条「締約国の一方か、一または二以上の第三国より軍事行動の対象なる場合には他方締約国は該紛争の全期間中中立を守るべし」。第三条ではこの条約の有効期間が批准の日から五年間であること決め、期間満了の一年前に破棄を申し出なければ自動延長することが決められている。満了日は1946年4月25日だから満了の一年前は1945年4月25日である。

ソ連は1945年4月5日に「日ソ中立条約は明年4月期限満了後延長せざる意向なり」と日本に通告している。従って日ソ不可侵条約は1946年4月25日から無効になるが、1945年8月8日、ソ連が対日宣戦布告をした時点では有効であった。日本はこの条約を守り、ソ連がドイツとの激戦中ドイツの強い要請にもかかわらず、決して背後からソ連を攻めることをしなかった。ソ連軍は、一方的に条約に違反し、1945年8月9日午前零時十分、満州に突入した。ソ連軍による日本人抑留者40万人虐殺等、ソ連は日本人に残虐の極みを行った。日本人に対するソ連の残虐行為の真実は前野徹氏と私の共著「目覚めよ、日本」を参考にしてください。歴史の真実を知ればいかに日本が法を守り、約束を遵守してきたかが分る。

それに引きかえアメリカもロシアも中国も、「条約は破るためにあるもの」である。
――――――


>真珠湾を奇襲攻撃(闇討ち)したことは忘れてるんだね(笑)
>南京爆撃も宣戦布告も警告もなく、国際戦争法規を批准してる国として、違反してるぜ、国際条約破りじゃないのかい?(笑)これも闇討ちだぜ。


宣戦布告なしの奇襲は、全く国際戦争法規違反じゃないぜ。



>仏院侵攻も闇討ちだったぜ、   武士道なんて、、日本軍にあったのかい?(笑)通り魔的軍隊だったんだね、、今の日本の現状と同じかい?


またまた得意の「ランソン」か?

#9951や#9962などで既に結論済み。

Re: 虐殺嘘6日本軍兵士はボランティアだっ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/10 11:29 投稿番号: [12197 / 41162]
>ばからしい、、軍票がどれほどの貨幣価値があっと思ってるんだろうか?
>ただ同然で印刷された紙切れだよ、その裏付けは軍隊の鉄砲じゃないか?


それは、鉄砲や銃剣を「食券」(カネの代わり)にしたのは支那軍だ。

●支那軍(不逞支那人)は鉄砲や銃剣を振り回して略奪した
――――――
  したがって軍が動くという噂が流れると、苦力でごった返していた通りがガランとなる。捕まったらどうなるか。過酷な仕事をやらされる。食事はもらえるかどうかわからない。兵の装備がまたお粗末なもので、街中で見かける宣伝用の兵隊は別にして、食糧はほとんど支給されない。したがって、行く先々で食券代わりに銃剣を振り回して糧秣を略奪する。
P63

  もちろん、三百万人もの人間が戦えば、多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず、「友軍」に奪われるからである。
P203

  住民を守るべき軍が逆に食糧を取り上げ、飢え死にさせ、あるいは焼き討ちにする。
P204

  実績のある軍に入ったらどんな良い目ができるだろうか。殺し文句はこうである。「一つ町を手に入れたら、略奪は思いのまま、女も思いのまま」。これが中国人が考える「ロメオとジュリエット」である。これを目当てに新兵さんは鉄砲を担ぐ。鉄砲が「食券」だ。
P211

  国民の大多数は、盗賊、軍閥、海賊、略奪集団の言いなりで、あろうことか、ちゃんとした政府役人までそうである。このようなことは世界史上他のどこにもない。予備知識が多少あっても、略奪の規模、残酷さには度肝を抜かれる。全土に独立した軍閥が私兵を養い、縄張りを巡らし、自前の武器を製造し、外国の軍事顧問を雇う者までいる。こういう盗賊集団が来ない地域は安全かというとそうではない。盗賊に代わって村人が襲ってくるのである。
P212

  旅は命懸けである。わずか十五、六キロでも危険だ。出かける時に、お馴染みの盗賊に有り金ほとんどを差し出す。出かけたかと思うと、新たな盗賊が現れ「金を出せ」とくる。「出かける前に出しました」と言っても何にもならない。「何もありません」等と言うものなら、銃剣の錆にされかねない。ある盗賊団が縄張りを広げ、前からいた盗賊を追い出したとする。そうなると前からいた盗賊にスッカラカンにされようがされまいが、新たに「カネを出せ」とくる。だから、いつも外部からの襲撃にビクビクしている。政府軍も同じである。領民がやせ衰えれば衰えるほど、取立ては苛酷になる。軍隊か盗賊にたかられる。少なくとも九割は双方からたかられている。
P212

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)
――――――



>戦中日本から大量に印刷された、軍票の山が中国大陸を始めアジア全般に配布され、アジア諸国の経済を枯渇   破綻させたのがこの軍票だよ。
>インフレを促進し、モノによっては数百倍まで高騰させている、あげくは国の経済を破壊、人的   経済的大打撃を与え、敗戦後は工場その他、民活用、軍需用施設を破壊して逃げ去ったのが日本軍だよ(笑)


さー、知らんな。
もう少し具体的に分かり易く教えてくれよ。



>ばかだね〜〜日本軍占領地だけの紙切れだよ、、それは命の代償だぜ、中国人に取ってみればね、、要らんといえば、殺されただろうからね(笑)
>何もないよりはマシだろうと受け取ってただけだ(笑)


だからさー。
オマエの脳内妄想は要らないから、それが事実だとする根拠を示してくれよ。
俺は、様々な資料や、当時日本軍占領下に居た人の証言を明示しているんだから、オマエも少しは頑張れよ。

Re: 虐殺は嘘67 笑える大嘘つき、、(笑

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/10 11:15 投稿番号: [12196 / 41162]
>ほんと、この人、想像力に欠ける人だと   思うよ。(笑)
>日本円、あるいは日本軍の軍票が   どの程度の価値あるものか?   当時の中国人に理解できたと思うのかい?


オマエのように妄想力に満ち溢れた奴は滅多に居ないよ。
俺は、様々な資料を示して状況を説明してるんだがなー。
オマエは、いつまで脳内妄想だけで言い張り続ける気だ?



>侵略してから僅か2ヶ月足らずで日本軍、御用達のデパートが出来ると思うかい?(笑)


10月の閣議で軍票の発行が決まり、11月の第十軍杭州湾上陸から、軍票支払いに切り替わったんだ。



>この時の日本円、日本軍票は   屹度   中国人農民の命の代償となるだけの価値があったのだろうことは容易に判断できる筈だがね(笑)
>徴発とは略奪   強奪、抵抗すれば、射殺とされていたのが日本軍の暗黙の了解だぜ(笑)


はいはい、妄想妄想、根拠は黄泉の脳内だから便利だな。



>しかも、貰った給料から、買い物するなんて、なんて、お人好しの兵隊さんだったんでしょうかね(笑)


いやいや。
個人の給料で食糧などを買うこともあっただろうが、「食糧調達」といった時には基本的に軍のカネだ。

――――――
「七、徴発について困ったことは、上海から南京に至る迄、占領地の多くは、其の部落には一般住民も行政上の責任者も残留して居なかったことであります。即ち交渉の相手となすべき者が存在しなかったので、結局、不在所有者の現実の承諾のない状態の儘、之を軍需に用ひなければならなかったことが屡々とありました。
  然しその様な場合には、如何なる物を如何程徴発したかを明記し、所有者に判明する様、貼紙をして、司令部ヘ代金を取りに来る様に記して置くのを例としました。
  私が現実にその様な措置を講じであった事実を目撃したのは、無錫に於ける米の倉庫に於てでありました。」
(極東軍事法廷   速記録第三一○号   弁護側証人   榊原主計証言)
――――――



>だから、奇襲攻撃と言えば聞こえは良いけど、闇討ちなんだな、敵の後ろから不意に襲うって作戦やら、細菌、毒ガス弾を投下したり、やったんだな。


またまた妄想・・・
細菌戦や違法毒ガス使用を行なったのは支那軍であり、日本軍は細菌戦もやってないし違法毒ガスを使用したこともない。
日本軍が使用したのは1925年のジュネーブ議定書で禁止されなかったくしゃみ剤や催涙ガスなど、現在支那の警察が人民に対して使用している暴動鎮圧剤だけ。

Re: いつまで愚だ愚だ言ってるんだ

投稿者: hawaiiandream2010 投稿日時: 2006/09/10 07:56 投稿番号: [12195 / 41162]
>おかしな奴だな、、30万人日本軍が虐殺した、、と言われて、なにか   お前に不利益でもあったのか?(笑)

話を摩り替えるなよ、この馬鹿!
不利益どうこうじゃなく、30万人という嘘を撤回し謝罪しろと言ってるんだ。30万人虐殺が嘘で証明できないから話を摩り替えるしかないんだろう。

もう一度言う。
30万人虐殺を証明してみろ!

Re: いつまで愚だ愚だ言ってるんだ

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/10 07:49 投稿番号: [12194 / 41162]
>絶対に許せないのは、南京事件で日本軍が30万人を虐殺した、という捏造についてだ。
とにかく「虐殺30万人」という証拠がなければ、撤回し日本に早く捏造について謝罪しろ!
今のところ虐殺30万人の証拠はゼロだ!

おかしな奴だな、、30万人日本軍が虐殺した、、と言われて、なにか   お前に不利益でもあったのか?(笑)

お前ら日本人?の一部が騒いでるだけで、、国際社会ではすでに日本軍の残虐行為、虐殺の事実は歴史上の事実として、海外の幼児まで知ってることだよ(笑)
歴史認識に疎いのは日本人の偏狭な島国根性がさせていることだと思うけどね(笑)

お前のじいさんは南京で民衆を虐殺してたんだよ。

いつまで愚だ愚だ、、ほざいてんの(笑)

残留邦人を見殺しは、関東軍だぜ、通り魔だ

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/10 07:44 投稿番号: [12193 / 41162]
なにを寝ぼけたことかいてるのだか?

ソ連軍参戦の三ヶ月前に日本領事、佐藤は日ソ不可侵条約を破棄され、ソ連から帰国してるよ(笑)

真珠湾を奇襲攻撃(闇討ち)したことは忘れてるんだね(笑)

南京爆撃も宣戦布告も警告もなく、国際戦争法規を批准してる国として、違反してるぜ、国際条約破りじゃないのかい?(笑)これも闇討ちだぜ。

仏院侵攻も闇討ちだったぜ、   武士道なんて、、日本軍にあったのかい?(笑)通り魔的軍隊だったんだね、、今の日本の現状と同じかい?

ジュネーブ協定にも違反してるぜ、、国際連盟も脱退して、世界を相手に無法の限りを尽くしたんじゃなかったか?(笑)

翼賛会選挙も惨憺たる独裁国家国民投票だったな、国民を騙しに騙した選挙だったな、
それでも日本国民の2割は戦争に反対してたようだぜ(笑)

虐殺嘘6日本軍兵士はボランティアだった?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/10 07:35 投稿番号: [12192 / 41162]
>日本人経営の千代洋行で、最新型のライカカメラを軍票820円で買った。わしは付き添って行き、うらやましかったから、よくおぼえている。当時日本国内では1000円以上した。

ばからしい、、軍票がどれほどの貨幣価値があっと思ってるんだろうか?
ただ同然で印刷された紙切れだよ、その裏付けは軍隊の鉄砲じゃないか?

日本軍占領地以外での使用は不可能だし、国際通貨でもないぜ(笑)
本件の3割程度の価値しかないモノを、等価値だなんてこと、思わせちゃいけんよね(笑)
しかも日本軍指定店でしか通用はしない、、当たり前の事だけどね。

戦中日本から大量に印刷された、軍票の山が中国大陸を始めアジア全般に配布され、アジア諸国の経済を枯渇   破綻させたのがこの軍票だよ。

インフレを促進し、モノによっては数百倍まで高騰させている、あげくは国の経済を破壊、人的   経済的大打撃を与え、敗戦後は工場その他、民活用、軍需用施設を破壊して逃げ去ったのが日本軍だよ(笑)

>軍票は昭和19年(18年かも知れない。記憶不正確)まで上海、南京での標準通貨だった。

ばかだね〜〜日本軍占領地だけの紙切れだよ、、それは命の代償だぜ、中国人に取ってみればね、、要らんといえば、殺されただろうからね(笑)
何もないよりはマシだろうと受け取ってただけだ(笑)

戦後   日本政府は日本軍の軍票を国際通貨に取り替え、民衆に賠償したか?
金権交換賠償もしていないのに、、偉そうにほざくなよ(笑)

Re: 虐殺は嘘67 笑える大嘘つき、、(笑

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/10 07:22 投稿番号: [12191 / 41162]
ほんと、この人、想像力に欠ける人だと   思うよ。(笑)

日本円、あるいは日本軍の軍票が   どの程度の価値あるものか?   当時の中国人に理解できたと思うのかい?

侵略してから僅か2ヶ月足らずで日本軍、御用達のデパートが出来ると思うかい?(笑)
どこの銀行で、日本円を換金出来たんでしょうかね?

命と換金できただけじゃないの(笑)

>軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)
>「2月6日(晴後曇、時々小雪)   分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)

この時の日本円、日本軍票は   屹度   中国人農民の命の代償となるだけの価値があったのだろうことは容易に判断できる筈だがね(笑)

徴発とは略奪   強奪、抵抗すれば、射殺とされていたのが日本軍の暗黙の了解だぜ(笑)

そもそも、軍隊に属していながら、戦闘中に、食糧を自分たち兵隊が調達しなきゃ〜ならんってこと事態がおかしな事で、こんな軍隊世界中探しても、ありゃ〜せんよ(笑)漫画チックな軍隊でんな、それとも、余裕の軍隊か?
殺し合いやってる最中に買い物にいかなきゃ〜ならん軍隊ってのも、おもろいで〜ぇ

しかも、貰った給料から、買い物するなんて、なんて、お人好しの兵隊さんだったんでしょうかね(笑)

日本の軍隊は手弁当で、戦争やってたんでしょうかね(笑)
戦争もボランティアでしたか?   勝てる訳ないぜ(笑)

だから、奇襲攻撃と言えば聞こえは良いけど、闇討ちなんだな、敵の後ろから不意に襲うって作戦やら、細菌、毒ガス弾を投下したり、やったんだな。

しかもこの作戦のあほらしさが、、敵の村を発見するや、夜陰に紛れて、毒ガスを流す、そして敵を殲滅したあと、すぐに侵攻するものだから、日本軍兵士に被害が増大しちゃったんだな。そして、なお、残った食糧に手を出して、病死する日本兵が増大し、この作戦は失敗の連続で、作戦変更を余儀無くされちゃうウンだよ。

それで、作戦変更して、敵の村を奇襲し、一時敵を追い払い、その隙に毒ガスや、最近爆弾を仕掛け、退却し、再び戻ってきた敵を、殺すという、馬鹿げた作戦をやってたんだよ、、それでも日本兵が自分のしかけた罠にはまるという、失態を演じ、、作戦は失敗続きのまま、やめちゃったのよ(笑)

虐殺は嘘69 支那軍による虐殺9 毒ガス

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/09 23:58 投稿番号: [12190 / 41162]
●暴虐支那軍が違法毒ガスを使用し住民諸共殺害


昭和13年6月21日の同盟ニュース
「山西の敗敵、妄動しきり   暴虐毒ガスを使用して挑戦」
皇軍が黄河以南作戦のため一部兵力を移動している隙に乗じ、山西の敵大部隊は気勢を挙げ、徐州敗戦の汚辱を一挙に雪ぐべく、手段を選ばざる挑戦に出で、暴戻にも毒ガスを使用し、付近の無辜の民は、この惨禍を蒙るもの多く、正に人道上許し難し・・・



昭和13年7月22日の同盟ニュース
「暴虐支那軍又も不法   イベリット糜爛性毒ガス使用」
我が森本部隊の息をもつかせぬ猛攻撃に敗退一路を辿る支那軍は、張杏鎮において、又もや不法にも、猛烈爆発式撒毒管によるイベリット糜爛性毒ガスを使用、我が急追をはばまんと・・・



(参考)

1930年(昭和5年)、9月11日、国民党軍は、共産党の長沙暴動に対し、飛行機から毒ガス攻撃を行った。
――――――
糟谷領事の報告によれば、
「12日(省政府秘書)、楊宜誠ガ極秘トシテ語ル処ニヨレバ、11日、ニハ飛行機ヲ以テ毒瓦斯ヲ使用シ共匪軍ニ相当ノ打撃ヲ与エタルガ・・・」

9月14日、閻錫山は、「蒋介石が毒ガス弾を使用して、地方人民を惨害しているので、人民を救うため下野して戦争を休止する」と、電報を発し下野。

『日中戦争』児島襄著
――――――



敵毒ガスで逆襲
1937年12月
十日夜半より早暁にかけて、光華の伊藤部隊正面に大逆襲し来った敵は、城壁を奪回せんと、必死の勢い物凄く手榴弾、機関銃の他、催涙弾を雨注し来たり、我が将兵は直ちに防毒面をつけて応戦、一時は非常な苦戦に陥ったが、肉弾戦を以て之を撃退したのである。
『支那事変戦跡の栞   中巻』 陸軍画報社編   国書刊行会刊   P174   南京攻略の部分より抜粋




  支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた【敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査】(内藤裕史編・解説『毒ガス戦教育関係資料』所収)によれば、
昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
  右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧表で記録している。
  例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌 を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
  また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。

  また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた【支那軍の化学組織系統の概要】(昭和十六年六月二十六日付、前掲『毒ガス戦教育関係資料』所収)によれば、
中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
  日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。

『細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった』信夫淳平博士

【昭和史研究會報】中村粲/第39、40より




昭和12年9月2日
中国軍は化学兵器弾を上海派遣軍司令部近くに撃ち込んでいた。
司令官の松井自身、「石鹸水泡のようなものが広がった」のを見ている。
『将軍の真実   南京事件   松井石根人物伝』早瀬利之



「張發奎の戦死説   自軍毒ガスで大被害」
最近広東軍を中心とする支那軍中毒ガスを使用せんとして却って自軍を痛め顔面手足等を廃爛させ戦闘に堪えなくなったもの1万2千の多きを算するに至ったと伝えられてゐる。尚広東軍首脳者たる張發奎の南京における戦死説、…(等々人名傷病状態略)…何れも去る九日広東に輸送され相当重傷であるといはれこれに加ふるに余カンボウと呉鉄城の内訌が盛んに流布され広東方面では漸く動揺の色が濃厚となってきた。
昭和十二年十二月十三日朝日新聞



「敗敵毒ガス作戦   山西で防毒面多数押収」
ベルギ−製250支那製1万その他約2万の防毒面をわが方において押収せるが支那軍がかかる大量の防毒面をそなへていることは卑劣にも毒ガスによりわが精鋭無敵の皇軍に抗せんとする意図を明白にしてをり、さきにわが進撃を阻むため黄河を決壊せしめ数十万の自国良民の生命財産を奪った敵はここにまた毒ガス使用の戦術を持ちふるに至った(後略)
昭和十三年六月二十九日大阪毎日新聞夕刊

Re: いつまで愚だ愚だ言ってるんだ

投稿者: hawaiiandream2010 投稿日時: 2006/09/09 14:36 投稿番号: [12189 / 41162]
それから「抗日記念館」の偽写真についても謝罪を要求する。


しかし、中国人は絶対に謝罪しない国民だから、人間としての常識を中国人に求めることは無理だろうがね。

いつまで愚だ愚だ言ってるんだ

投稿者: hawaiiandream2010 投稿日時: 2006/09/09 14:30 投稿番号: [12188 / 41162]
中国が便衣兵を利用してゲリラ戦にした以上、戦争が残虐になるのは仕方ないではないか!
便衣兵自体が国際法違反だ。
多少の残虐行為は自然の成り行きだ。

絶対に許せないのは、南京事件で日本軍が30万人を虐殺した、という捏造についてだ。

とにかく「虐殺30万人」という証拠がなければ、撤回し日本に早く捏造について謝罪しろ!
今のところ虐殺30万人の証拠はゼロだ!
これからも出てこないだろう。
なぜなら「捏造」なんだから。

虐殺は嘘68 支那軍による虐殺8 黄河

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/09 11:40 投稿番号: [12187 / 41162]
●支那軍による黄河堤防決壊で死者約32万人
【悪逆、暴虐、その極に達す】


『抗日戦回想録』郭沫若自伝より
――――――
敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。
――――――


1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。


第一報では行方不明者約12万人だったが、最終的な調査で死亡者は約32万人だったた。


蒋介石の「以水代兵」黄河決壊事件の人的被害
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000189.html
(抜粋)
被害状況についての第一報は、6月21日に日本軍の占領下にある開封の治安維持会と商務会が発表している。それによると、罹災者約100万人、うち行方不明者約12万人、浸水部落約3500、うち水底に没したもの約2000、倒壊浸水家屋約30万戸、被害面積約200平方キロという(大阪朝日6月21日)。

死者数については、終戦後の1945年12月に国民政府が河南省で行った「河南省戦時損失調査報告」がある。それによると、1944年末の段階で、洪水による死者約32万人、離郷者数約63万人という数値を提示している。



ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。


16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」


このように、支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝した。


事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。

6月23日同盟ニュースは、濁流渦巻く水禍の中、ボートで救助作業をしている日本兵の姿を写している。
國史図書刊行会編『支那事変』にその時の写真が掲載されている。



その後支那軍は揚子江の堤防も決壊した。


6月26日同盟ニュース
『悪逆、暴虐、その極に達す   敵、揚子江堤防を決壊』
悪逆の限り、黄河決壊の暴挙を敢えてなし、無辜の民幾十万かを絶望の淵にたたき込んだ蒋介石は、なんたる無謀か、皇軍を怖るあまり、又しても進撃を阻まんとして、太湖南方揚子江両岸の馬華堤を破壊し、付近一帯の住民は濁流渦巻く大水害に見舞われんとし、怨嗟憤怒は地に満ちている


更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。


支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた。



関連資料

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一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍よりも彼等自身の軍隊をさらに一層憎んだ。穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった。日本軍の進撃を鈍らせて鄭州の町を守るために、政府は1938年に黄河の堰を開いた。すると、黄河は1世紀近く前から打ち捨てられたままになっていた古い河道を再び流れた。「思い切った」決定であったが、このために、河南省東部の数十万の農民が命を失った。彼等は水に溺れ、或は飢えて死んだのである。
『中国革命の起源』ルシアン・ビアンコ著
――――――



蒋介石の大量破壊兵器
http://zhuangyuan.exblog.jp/3063481/

Re: 残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/09 11:17 投稿番号: [12186 / 41162]
>おまえな、、こんな事実も知らずに   大層なウソ並べてんのか(笑)
>ロシア駐在の佐藤領事は、日ソ不可侵条約の破棄を告げられて、ロシア滞在中のロシアの待遇を感謝し、感謝状まで渡して、帰国してるよ(笑)


それって、もしかして、1945年4月5日にソ連が、「日ソ中立条約は明年4月期限満了(1946年4月25日)後延長せざる意向なり」と日本に通告したことを言ってないか?

だとしたら、歪曲も甚だしい。

いい加減にしろ。


増田俊男の時事直言!
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h14/jiji020809_166.htm

もう一つの忘れてはならない8月9日

広島に原爆が投下された1945年8月6日から2日経った8月8日、駐モスクワ佐藤大使はモロトフ外相(ソ連)に呼ばれ「ソ連は明日(8月9日)から日本に対して戦争状態に入る」と宣戦布告を受けた。当時日本はソ連と「日ソ不可侵条約」(1941年4月13日モスクワにて署名、4月25日両国批准)を結んでいた。同条約を抜粋すると、第一条「両締結国は両国間に平和および友好の関係を維持し相互に他方締約国の領土の保全及び不可侵を尊重すべきことを約す」。第二条「締約国の一方か、一または二以上の第三国より軍事行動の対象なる場合には他方締約国は該紛争の全期間中中立を守るべし」。第三条ではこの条約の有効期間が批准の日から五年間であること決め、期間満了の一年前に破棄を申し出なければ自動延長することが決められている。満了日は1946年4月25日だから満了の一年前は1945年4月25日である。

ソ連は1945年4月5日に「日ソ中立条約は明年4月期限満了後延長せざる意向なり」と日本に通告している。従って日ソ不可侵条約は1946年4月25日から無効になるが、1945年8月8日、ソ連が対日宣戦布告をした時点では有効であった。日本はこの条約を守り、ソ連がドイツとの激戦中ドイツの強い要請にもかかわらず、決して背後からソ連を攻めることをしなかった。ソ連軍は、一方的に条約に違反し、1945年8月9日午前零時十分、満州に突入した。ソ連軍による日本人抑留者40万人虐殺等、ソ連は日本人に残虐の極みを行った。日本人に対するソ連の残虐行為の真実は前野徹氏と私の共著「目覚めよ、日本」を参考にしてください。歴史の真実を知ればいかに日本が法を守り、約束を遵守してきたかが分る。

それに引きかえアメリカもロシアも中国も、「条約は破るためにあるもの」である。

Re: 残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/09 11:02 投稿番号: [12185 / 41162]
>日本国政府は戦時賠償としてシベリア抑留を認め、署名までしてるんだよ。

では、その署名した文書を提示してくれないか。

Re: 虐殺は嘘67 笑える大嘘つき、、(笑

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/09 11:01 投稿番号: [12184 / 41162]
>日本円貰って、何処で買い物すんだろうかね(笑)


良く読めよ。

――――――
「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)

「2月6日(晴後曇、時々小雪)   分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)
――――――

農村で買い物できるんだから、街でも買い物できるんだろ。



>そもそも、日本軍の軍票成る紙切れは、使える店は限定されてるんだがね(笑)
>日本政府   日本軍指定の店でなきゃ〜〜使用できない紙切れなんだよ(笑)


こんな証言がある。


トップ > 政治 > 軍事 > 南京虐殺はでっち上げと確信している
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軍票の購買力 2005/11/25 4:40 [ No.34946

投稿者 :
unhoo


昭和16年の春、わしの年上の友人で、上海の日本人の会社の社員であった人が、当時上海で最も有名なカメラ店、日本人経営の千代洋行で、最新型のライカカメラを軍票820円で買った。わしは付き添って行き、うらやましかったから、よくおぼえている。当時日本国内では1000円以上した。

わしは昭和16年の春、上海に一ヶ月ほど滞在し、いったん台湾へ帰って(わしは台湾人で、ライカを買った友人も台湾人)、昭和17年の春にまた上海に行き、そのまま終戦後の1946年まで上海に滞在していた。軍票は昭和19年(18年かも知れない。記憶不正確)まで上海、南京での標準通貨だった。中支以外の日本軍占領区でもそうだったはずだと思うが、見て来たのでないから、断言は差し控える。昭和19年ごろ、日本軍と汪精衛政府との協定で、軍票の流通を廃止することになり、軍票1円が汪清衛政府の中央儲備銀行券2元に交換されて、軍票は市面から姿を消した。軍票は発行されてから廃止されるまでの6、7年間、確実な購買力があった。日米戦争が始まってからは、物の欠乏で、物価がどんどん上昇したが、軍票が儲備銀行券に交換されるまで、物を売る人が軍票による支払いを拒絶したことはなかった。
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あらら

投稿者: hitachinosono 投稿日時: 2006/09/08 07:34 投稿番号: [12183 / 41162]
ヨミリンみたいな朝鮮人がさ、南京関連のトピで大騒ぎしてっけど、

あまりにも情けない朝鮮併合や、朝鮮人強制連行なんて同情しないよ

中国のケツにのっかればちっとは偉くなれたと勘違いしてるけど、甘い

在留邦人もなにも

投稿者: chon_pesimist 投稿日時: 2006/09/08 07:03 投稿番号: [12182 / 41162]
日本でも、支那でもロシアでもアメリカでもおまえ等の事を人間と認めて扱ってくれた国など1つもない

もう、朝鮮人と言う前提だけで、全て終わりだろ?

人権などないのだよ

Re: 残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/08 06:51 投稿番号: [12181 / 41162]
>前にも言ったが、日本政府がシベリア抑留を承諾したことなどないだろ?

日本国政府は戦時賠償としてシベリア抑留を認め、署名までしてるんだよ。

Re: 残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/08 06:48 投稿番号: [12180 / 41162]
>>しかも、敗戦2ヶ月も前に、日本政府は日ソ不可侵条約の破棄を告げられているにも関わらず、それを連絡もせず、放置したままだったことを知るべきだろ(笑)
>ハァ?
初めて聞く話だ。
後学のために、「日本政府が敗戦2ヶ月前に日ソ不可侵条約の破棄を告げられていた」事実について詳しく教えて頂けないだろうか?


おまえな、、こんな事実も知らずに   大層なウソ並べてんのか(笑)

ロシア駐在の佐藤領事は、日ソ不可侵条約の破棄を告げられて、ロシア滞在中のロシアの待遇を感謝し、感謝状まで渡して、帰国してるよ(笑)
どこまでも、おめでたい国だったちゅう、、なさけない話しくらい、知っておけよ(笑)ロシアの外交文書で明らかとなってるよ。

虐殺は嘘67 笑える大嘘つき、、(笑)

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/08 06:44 投稿番号: [12179 / 41162]
>■日本軍は金を払った
「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)

笑わしてくれますね、、、

日本円貰って、何処で買い物すんだろうかね(笑)
そもそも、日本軍の軍票成る紙切れは、使える店は限定されてるんだがね(笑)
日本政府   日本軍指定の店でなきゃ〜〜使用できない紙切れなんだよ(笑)

南京に攻め込んだのが12月だ、、その時すでに日本政府御用達のデパートでも南京にあったのかい?

指定の店   教えてあげたんだろうな、、上海まで買い出しに行かなきゃ成らんぞ、、と、、ん(笑)日本じゃ使えん紙切れだからね、、軍票は、、(笑)
しかも、南京の農民が日本円や軍票を知ってたとでも言うのかい?
そうだとすれば、大した情報力を持ってたんだ、、日本軍の情報力より格段に進歩した、情報網と言わなければならないだろうな(笑)

勝てる訳ないよな、、日本軍が、、、

徴発、、とは、金も払わず、、強奪することを言う言葉だぜ(笑)

虐殺は嘘67 支那軍による虐殺7

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/08 00:04 投稿番号: [12178 / 41162]
●支那軍(不逞支那人)による南京郊外・農村部での食糧掠奪と殺害

日本軍の南京占領後も、支那の盗賊は、南京の郊外や農村で食糧などを強奪し、殺人までも行なった。
日本軍はちゃんとカネを払って調達したが、支那軍・不逞支那人はカネを払わず、殺して食糧等を奪った。



■日本軍は金を払った


「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)

「2月6日(晴後曇、時々小雪)   分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)

「4月5日(晴)   きょうは勤務はない。昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。またわれわれのためにすこし備蓄しておいてくれるらしい。」(72頁)

長谷川秋広上等兵の私家版『戦火の揚子江を行く』より引用


Ω   Ω   Ω   Ω


■支那軍(不逞支那人)は略奪した


私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)

以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。

  「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)


  大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。

  「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。

  農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁〜350頁)

『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用




(参考)

【#11668】

#11668の【虐殺は嘘40   食糧の補給と調達】に、日本軍の「食糧などの補給と調達」、「輸送の問題」、「補給が不如意に陥った場合への備え」などについての説明がある。

日本軍は、将兵が飢えのあまり掠奪を行うような状態にはなかったが、何万人にも及ぶ大量の支那軍便衣兵などを優しく養うほどの余裕もなかった。

Re: 残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/07 21:08 投稿番号: [12177 / 41162]
>>悪いのは日ソ不可侵条約を破って侵攻して来たソ連だ。

>互いの国同士の約束事は、その時の状況により破棄されることもある、、ってことね。(笑)

それが、オマエの歴史観、外交観かね?
最初から国同士の約束事なんかするなと言いたいのか?


>しかも、敗戦2ヶ月も前に、日本政府は日ソ不可侵条約の破棄を告げられているにも関わらず、それを連絡もせず、放置したままだったことを知るべきだろ(笑)

ハァ?
初めて聞く話だ。
後学のために、「日本政府が敗戦2ヶ月前に日ソ不可侵条約の破棄を告げられていた」事実について詳しく教えて頂けないだろうか?


>ソ連も降伏した後も攻め込んだことは、許されることではないが、停戦ラインの確定が無かったこと、日本兵の反撃、、彼らは終戦を連絡されたなかった為、戦闘を続けたのだから、、一概にソ連の終戦後の侵攻を咎めることもできないだろうね(笑)

日本にはやたらと厳しいが、ソ連には随分と甘々だな。


>とにかく、在留邦人を最後まで守り抜いた日本軍の主力部隊は存在しなかった、邦人を見殺しにして、逃走した関東軍は罪を償う必要があるぜ(笑)
>日本人が日本人を騙した、、これほどの悲劇は無いぜ(笑)

――――――
東部方面(第1方面軍)の戦闘
第126、第135師団主力とともに15日夕までソ連軍の侵攻を阻止し、
この間に牡丹江在留邦人約6万人の後退を完了することができた。
牡丹江東側陣地の防御が限界に達した第5軍は、17日までに60キロ西方に後退、そこで停戦命令を受けた。

虎頭陣地の戦闘
完全包囲下の中で守備隊は主として夜間斬り込み、肉薄攻撃を反復敢行、
8月26日に至り避難民を含めほとんど全員が壮烈なる戦死を遂げた。
陣地にあった約1900名(含居留民)中、内地に帰還し得た者、わずかに53名であった。

北及び北西方面(第4軍)の戦闘
第119師団は停戦するまでソ連軍の突破を阻止し、その結果邦人主力のハイラル在住者は
ソ連軍に後方を遮断される前に後退することができたのである。

Ω   Ω   Ω   Ω

  八路軍の鉄道襲撃は執拗だった。周囲の山から居留民を満載した無蓋汽車に銃を撃ちかけてくる。北京から急遽、救援にかけつけた第118師団の将兵も、防戦に駆けずり回った。
  8月21日、張家口から約40キロ東南の宣化の駅では、広い駅構内の何本もある引き込み線に引き揚げ者を満載した列車20本ほどが一時停車していた。物資輸送のために山本義一軍曹と部下20人がそこを通りかかった時、八路軍が襲撃してきた。
  山本軍曹は「こりゃ、エライこっちゃ。どうせ死ぬなら、日本人のために死のう」と部下たちに呼びかけ、応戦。やがて3百メートルほど離れた川岸まで撃退した。
  しかし、八路軍は何度も襲撃してくる。撃ち合って二日目、疲れ果てて、もう持ちこたえられん、とあきらめかけた時、5、6歳のイガグリ頭の男の子が、大きなカバンをひきずるようにして小走りに走ってきた。その子を目標にして、八路軍の追撃砲弾が周囲に炸裂する。山本軍曹は思わず、その子を横抱きにして窪地に飛び込んだ。
「兵隊さん、これ食べて頑張って下さい」と、男の子はカバンの中からいくつもの焼きお握りを取り出した。山本軍曹の顔は泥と涙で、目の下が真っ黒になっていた。男の子の励ましに疲れも吹き飛んで、まもなく八路軍を撃退させた。

  20日夕刻から始まった張家口からの4万人脱出は駐蒙軍と鉄道関係者の必死の努力で、21日夕刻にはあらかた完了した。
――――――



>日本政府は日本兵を騙し、在留邦人までも捨ててしまったのだよ。その最大の罪はシベリア抑留を承諾したことだ。

前にも言ったが、日本政府がシベリア抑留を承諾したことなどないだろ?
ただ、日本政府がシベリア抑留(拉致、強制連行、強制労働、殺人)問題や北方領土問題を蔑ろにしてソ連と国交を正常化してしまった罪は大きいと思う。
責任は鳩山一郎にあり、万死に値すると思う。


>原爆の投下   シベリア抑留   残留孤児を生んだ罪は   日本政府の優柔不断な姿勢にあったということだよ(笑)

では、どうすれば良かったんだ?
日本政府は降伏することを決断していたが、アメリカが原爆を投下したかったために日本政府の降伏を受け付けなかったんだ。
#7175、#7176、#7177、#7178、#11659を読め。

残留邦人を見殺しにした、関東軍だぜ、、

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/07 06:28 投稿番号: [12176 / 41162]
>悪いのは日ソ不可侵条約を破って侵攻して来たソ連だ。


互いの国同士の約束事は、その時の状況により破棄されることもある、、ってことね。(笑)
しかも、敗戦2ヶ月も前に、日本政府は日ソ不可侵条約の破棄を告げられているにも関わらず、それを連絡もせず、放置したままだったことを知るべきだろ(笑)
ソ連も降伏した後も攻め込んだことは、許されることではないが、停戦ラインの確定が無かったこと、日本兵の反撃、、彼らは終戦を連絡されたなかった為、戦闘を続けたのだから、、一概にソ連の終戦後の侵攻を咎めることもできないだろうね(笑)

現在の北朝鮮と中国の同盟関係さえ、おかしくなってるじゃないかい?
血で繋がれた同盟関係も、一方的な北朝鮮の抵抗に中国も業をいらだたせてるぜ、、いずれ破棄すんじゃないの?(笑)
よく、似てると思わないかい?   日ソ不可侵条約も、、同じだろう、、!!

とにかく、在留邦人を最後まで守り抜いた日本軍の主力部隊は存在しなかった、邦人を見殺しにして、逃走した関東軍は罪を償う必要があるぜ(笑)
日本人が日本人を騙した、、これほどの悲劇は無いぜ(笑)

日本政府は日本兵を騙し、在留邦人までも捨ててしまったのだよ。その最大の罪はシベリア抑留を承諾したことだ。

原爆の投下   シベリア抑留   残留孤児を生んだ罪は   日本政府の優柔不断な姿勢にあったということだよ(笑)

侵略戦争を反省し、謝罪する前に、日本国民を騙したことを謝罪し、反省すべきじゃないかい?    あんたも少しは反省したらどう?   まともな日本人になれるんじゃないかい(笑)

虐殺は嘘66 支那軍による虐殺6

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/07 02:52 投稿番号: [12175 / 41162]
●南京における支那軍による虐殺

支那軍が支那人を虐殺するのは日常的だが、南京では意外と少ない。



十二月七日、中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。中国軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。

上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」
『南京戦史』二七三頁

Ω   Ω   Ω

「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」
南京アメリカ大使館通信、エスピー報告、三八年一月二十五日『南京事件資料集 第一巻』二三八頁。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-3




ミニー・ヴォートリンの日記
12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。




12月13日、光華門城壁を占領   城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長   大内義秀氏(要約)



12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長   大杉浩氏




●南京における支那人による【反日撹乱工作】


1938.1.4   NYタイムス

元支那軍将校が避難民の中に   大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに

南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
  この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
  この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。



1938.2.17   大阪朝日
皇軍の名を騙り   南京で掠奪暴行   不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。

Re: 虐殺は嘘63 支那軍による虐殺3

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/07 02:36 投稿番号: [12174 / 41162]
>>日本軍が、南京で何十万人もの民間人をレイプ、虐殺した根拠となる資料とか証拠とか全然ないんですけど・・・

>証拠なら、事実トピでドラワサビさんが提示しているから、見てみなよ


          ∧_∧   ミ    プハハハハハ・・・・・・・ハライテー!!!!
      o/⌒(. ;´∀`)つ    「ドラワサビさん」だってよ!
     と_)__つノ

Re: 虐殺は嘘63 支那軍による虐殺3

投稿者: japaneseboy02 投稿日時: 2006/09/07 00:20 投稿番号: [12173 / 41162]


    ○ -ーー ,,_    ゜。。゜
    r'"        `ヽ,__
   ヽ       ∩/ ̄ ̄ ヽつ
  ノ ̄ヽ   "ヽ/ "    ノ    ヽi    すいませんでした―――――――!!
  |   \_)\ .\   lll ●   ●|\
  \ ~ )     \ .\_    ( _●_)\_つ
    ̄       \_つ-ー''''


素直に謝ることができる人間なら、君はまだ救いがある
もっと広い視野で見て考えることができるようになれば、いつか君にも南京大虐殺が事実であることがわかる時がくると思うぜ


>日本軍が、南京で何十万人もの民間人をレイプ、虐殺した根拠となる資料とか証拠とか全然ないんですけど・・・

証拠なら、事実トピでドラワサビさんが提示しているから、見てみなよ

Re: 虐殺は嘘63 支那軍による虐殺3

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/07 00:07 投稿番号: [12172 / 41162]
>オマエ、頭おかしいな



    ○ -ーー ,,_    ゜。。゜
    r'"        `ヽ,__
   ヽ       ∩/ ̄ ̄ ヽつ
  ノ ̄ヽ   "ヽ/ "    ノ    ヽi    すいませんでした―――――――!!
  |   \_)\ .\   lll ●   ●|\
  \ ~ )     \ .\_    ( _●_)\_つ
    ̄       \_つ-ー''''



>そして、いかに戦争中であったとしても、
>日本軍が、南京で何十万人もの民間人をレイプ、虐殺したことは許されることではないんだ


あの〜。
日本軍が、南京で何十万人もの民間人をレイプ、虐殺した根拠となる資料とか証拠とか全然ないんですけど・・・
嘘吐きは支那人・朝鮮人の始まりだよ。
本当に、日本軍が、南京で何十万人もの民間人をレイプ、虐殺したなら、その根拠を提示しなさいね。


   ∩___∩
   | ノ       ヽ/⌒)   日本軍の残虐さに証拠はいらない!
  /⌒) (゜)     (゜)   |   .|   我輩の脳内の証拠だけで無問題!
  /   /     ( _●_)   ミ/      ∩―−、
.(    ヽ    |∪|    /     /   (゜)   、_ `ヽ
  \     ヽノ   /       /    (   ●   (゜) |つ
  /        /        |   /(入__ノ   ミ   さすが党首!
  |        /        、   (_/     ノ 金さんも裸足で逃走ですな!
  |    /\   \        \___   ノ゛ ─ー
  |   /     )   )         \        _
  ∪     (   \          \党員       \
       \_)
  ↑japaneseboy02党首

Re: 虐殺は嘘38 嘘吐き婆夏淑琴とマギー

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/07 00:01 投稿番号: [12171 / 41162]
nmwgipさん。

代わりに回答と反論して下さいましてありがとうございました。
非常に助かりました。
m(._.)m

Re: 虐殺は嘘37 嘘吐き婆夏淑琴とマギー

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/06 23:55 投稿番号: [12170 / 41162]
>>家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。

>相手は戸を開けると、いきなり撃ち殺す凶悪犯ですから、どんどんどん、と力まかせに戸を叩いたと思われます。この、戸を叩く行為は戸を開けろ、というメッセージと誰もが思います。


理論派論客として著名な「タラリ」は、そう思うのか。
12月13日の朝に誰が何の用で来たのか確かめもせず戸を開ける馬鹿はいきなり撃ち殺されてもしょうがないよな。



>>馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。

>懇願の言葉と「どうして夫を殺したのか」という言葉は夏さんが聞いた言葉を書いただけですから、これを持って会話が成立したと断定することはできません。


それだけではなく、【馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。】と解説書には述べられているよ。
言葉が理解できる相手だよ。
いきなり撃ち殺している連中相手にそんなことを懇願するのもマヌケだけどね。



>南京防衛軍の指揮系統が崩壊した12月13日においては中国兵は城内から逃げるのに必死で、中国人の家で殺人、強姦をする余裕はありません。

俺の主張は、12月13日ではないという前提なのだ。



>現場には中国兵はいない時間です。

俺の主張は、12月13日ではないという前提なのだ。



>南京では
>殺害後に膣に異物を押し込んだ日本兵の犯罪は無数にあります。

そのような犯行の事実は1件も確認されていない。



>「12月13日9〜10時」という下りはお示しになった文章にございませんが。

その文章にはないが、そうらしいよ。
「軍事」カテの「日中戦争は侵略なのか?」トピの#9022などでゆうが言っていた。



>デリ君のお子さんは14日もたつとデリ君が死んだことも忘れるのでしょうね(^O^)。

死んだこと自体は忘れないだろうが、わざわざ日時を記憶し続ける必要はないかならね。



>>事件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、

>これも原文にございませんが。捏造しないと否定できないませんか。

夏淑琴の証言にあるんだよ。



>今度来た日本兵は盗人に精を出して、幼児に関心がなかったのでしょう。
>4才の子でも死の恐怖を味わうと泣き出すことさえしませんからね。

理論派論客として著名な「タラリ」が、そう信じたければ信じなさい。



>「このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した」とありますから、見つける人がいないのですよ。


仮に12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。



>危険だと言われても自宅は出たくないものですよ。


12月7日
何千という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令されており、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされる、というのだ。
(南京事件の日々P39)

12月8日
把江門を通って江岸に出て行くのは今でも容易であるが、 中国人はそこから城内に入る事を許されていない。昨夜警察官が、城壁外部の下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
米大使館報告(アメリカ資料編P95)

12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
(南京事件の日々P40)

で、軍事カテで言っていた【穴ぐらに5万人の南京市民が隠れていた】資料は?



>安全区国際委員会は毎日のように日本大使館に対して犯罪報告をしていましたから、日本軍憲兵隊もその内容を知ることはできました。

本気で犯罪を阻止したければ憲兵隊に訴えるべきだろ。



>それでも憲兵隊は国際安全委員会が報告する犯罪の犯人を1人として検挙することはしませんでした。よくよく職務怠慢かあるいは能なし野郎の集まりだったようです。

嘘吐きは支那人・朝鮮人の始まりだよ。
#10902に一例が紹介されているよ。
口からデマカセの嘘を吐くのはやめよう!

Re: 虐殺は嘘38 嘘吐き婆夏淑琴とマギー

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/09/06 23:53 投稿番号: [12169 / 41162]
> マギーに証言したときとは何十年も経っているから、昔と記憶が違っていて当然だね。

  殺された家族の人数を間違えるのが「当然」ですか・・・

> 机の下に隠れただけでは丸見えだから、机にはシーツをかぶせていた。したがってシーツに隠れたとも言える。

  机は中庭に置かれていた、と証言されているんですけど?
  「日支紛争」のマギー説明文では、母の死体のある隣の部屋で14日間過ごしていることになっているんですけど?

> >殺された家族の人数を間違えるなんて、普通に考えればあり得ない。
>
> これは同居していた別家族の人数でしょ。ありえます。

  マギー証言では別家族ですが、『南京大虐殺と原爆』における夏淑琴証言によれば殺されたのは夏淑琴の父、祖父母、二人の姉を含めた13人となっているようですね。
  別家族なんて一言も無いようですが。

> 夏淑琴さんの発見の全体の状況の再現性は非常に高い。たとえば百人斬り裁判で証人に立った佐藤振寿氏は事件当時と、週刊新潮と南京戦史で全然違ったことを言っている。東中野氏によればこの方も別人であろう。

  戦場でジャーナリストとして遭遇した数多の事例の一つに関する記憶と、自分の家族が殺されたときの記憶が同列ですか・・・

> まあ、普通に考えるとマギー証言の少女と夏淑琴は別人物、という東中野教授は頭がおかしいね。

  普通に考えておかしいのは貴方の言い草だと思いますが。

Re: 虐殺は嘘63 支那軍による虐殺3

投稿者: japaneseboy02 投稿日時: 2006/09/06 23:40 投稿番号: [12168 / 41162]
>エイズ患者を増加させたのは良くないが、血液製剤のお陰で救われた命はその何倍も多いんじゃないのか?


オマエ、頭おかしいな

ドイツで加熱製剤が開発されていたにもかかわらず、ミドリ十字の利権を守るために厚生省は承認しなかったんだぜ、

安全な血液製剤をつかうよりも、企業の利権を優先させてHIV入りの血液製剤をつかったんだ

本来、血液製剤をつかって命が救われるのは当然のことであって、

エイズ患者が発生したことのほうが異常なのさ

そして、いかに戦争中であったとしても、

日本軍が、南京で何十万人もの民間人をレイプ、虐殺したことは許されることではないんだ

Re: 虐殺は嘘61 支那軍による虐殺1?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/06 23:24 投稿番号: [12167 / 41162]
>あっはっっはあ、
>邦人を守るべき軍隊がいないのだから、、侵攻してくるんだよ。
>生命線を死守しなかったから、ソ連は踏み込んできたんだよ(笑)
>常識じゃないか?   お互いの最前線で均衡が保たれて初めて、停戦ラインが出来上がるのじゃないのかい、、その停戦ラインがないんだから、攻める方も、トコトンやってくるぜ、、

そうか。
やはり、黄泉は、今の日本も強力な軍隊や核ミサイルを保有すべきだと言いたいんだな?
その意見には俺も賛成するぞ。


>しかも   在留邦人はソ連の参戦、日本の敗戦を知らないのだから、、のんきなもんだぜ、やりたい放題、やられて犠牲者はふくれあがり、自殺、自決のオンパレードじゃなかったか?

だから、それは、居留民の後送を計画し着手しても、受け付けない居留民の側にも問題はあった。
つーか、悪いのは日ソ不可侵条約を破って侵攻して来たソ連だ。


>関東軍、、在留邦人を守るべき軍隊が、、いなかったら、、日本が占領していた地域はすべて、敵の手に渡るってこと、、理解できないかい?

俺は理解できる。
だから、今の日本も、核武装して、核シェルターを作り、敵基地攻撃能力を保有し、憲法9条を改正するべきだと確信して主張している。
今後も力を合わせて実現するように頑張ろう!

Re: 虐殺は嘘63 支那軍による虐殺3

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/06 23:17 投稿番号: [12166 / 41162]
>はっはっはは、、これは   あんたの妄想だよ(笑)

妄想はオマエの方だよ。
俺の主張には決定的証拠があるが、オマエの言ってることは妄想に過ぎない。
(再掲)
――――――――
さらにまた9月6日付香港発信ニューヨーク・タイムズの特電は、同爆撃について、
  「中国軍は、この爆弾は日本軍機から投下されたものである、と宣伝することによって責任を拒否した。しかしながら今や、これらの爆弾は両方とも中国が伊から購入したイタリア製のものであることが判明している、この判明した事実について、米英の現地の海軍調査官の意見は一致している。そしてイタリア当局もこの爆弾が自国製であることを認めている。これは決定的な証拠であるように思える。何故ならばイタリアは、日本がイタリアからそのような軍需物資を購入したことは一度も無い、と証言している。」
――――――――


>暴動を起こさせた、その原因を作ったのは日本政府だぜ(笑)

暴動というのは上海戦のことを言ってるのか?
だとしたら、完全に間違っている。
当時の上海に、日本軍は海軍陸戦隊が数千人しかおらず、それを数十万人の大軍で包囲攻撃し、市街地中心部に爆撃を繰り返したのは支那軍だ。


>国際社会から
>批難されたのは中国軍ではなく、、日本軍だったぜ(笑)

支那が悪いにもかかわらず、日本に敵対していた国が日本を非難したのは事実だが、だから何?


>満州の邦人がなぜ?避難しなかった?   あほか、、殺されるかも知れないと分かっていながら、避難しなかった?   バカじゃないのかい(笑)

満州の邦人に当初危機意識が乏しかったのは事実だよ。
支那人や朝鮮人に核兵器で狙われているにも拘らず、核武装をしようとしない今の日本人と同じだった。
つーか、悪いのは日ソ不可侵条約を破って侵攻して来たソ連だ。



>日本政府は講和の仲介をロシアに託していた事情があるから、ソ連の参戦については中国大陸の各部隊に参戦の事実を連絡はしていないと考えるが常識ってもんだろう?
>しかし、現地部隊はすでに日本の敗戦を熟知してたって訳よ、食料、弾薬、兵員の補充はすでに切れていたのだから、、で、転戦と称して、いち早く、最前線から在留邦人に気づかれることなく、撤退、、逃げたのだよ。


避難しろと言っても避難しない者はいるものだ。
ソ連軍に攻めて来られて殺されそうになって、ようやく分かる。
核武装しろと言っても核武装に反対する者はいるものだ。
支那や朝鮮から核攻撃をされてようやく分かる。

#12129に貼ったリンク先を良く読め。
――――――――
  満洲では関東軍が8月10日、居留民の緊急輸送を計画したが、居留民会が数時間での出発は不可能と反対し、11日になっても誰も新京駅に現れず、結局、軍人家族のみを第一列車に乗せざるをえなかった。これが居留民の悲劇を呼んだのである。

――――――――
居留民後退の問題

当時満州の在留邦人は約155万人であった。
そのうち約27万の開拓団関係者の多くは辺境地区に、その他一般邦人は都市部に在住していた。
関東軍が持久守勢に転移して以来、居留民対策は幾度となく問題になったものの
決定的措置がとられないうちにソ連参戦に直面することとなった。
これは、「来たらざるを頼む」という希望的心理(これは戦術的・戦略的にも大きく影響を与えた)と、
極めて多数に及ぶ在外居留民が直接戦乱の渦中に入る体験を持たなかったこと、
防衛企図を秘匿せんとする思想、などが大きな原因であった。

それでも9日には在留邦人の後送に着手し一般邦人を先に送り出そうとしたが、
既に生活拠点を有する民間人は直ちに乗車などできない状況にあり、
満州は内地よりも安全と考えられていたことも手伝って遅々として進まなかった。
一刻の猶予もない状況下ではやむを得ず、緊急集合が容易な軍人・軍属の家族を主体に一番列車に乗せ、
10日   0140には新京駅を出発した。
だがこのことは後に、関東軍は軍人家族を最初に後退させた、として非難されることとなった。
――――――――



>戦後もミドリ十字なんて会社興して、血液製剤の製造で、エイズ患者を増加させた、

エイズ患者を増加させたのは良くないが、血液製剤のお陰で救われた命はその何倍も多いんじゃないのか?

Re: 虐殺は嘘38 嘘吐き婆夏淑琴とマギー

投稿者: tarari1036 投稿日時: 2006/09/06 21:52 投稿番号: [12165 / 41162]
>マギー証言(解説書)と、後年の夏淑琴証言との間には、家族の人数などで食い違いがある。


>①『南京安全地帯の記録』における当該事件に関するマギー証言は家族13人中11人の殺害。

>②『日支紛争』に収録されたマギーの説明文は2家族14人中12人の殺害。
但し、この中の「7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した」が「銃剣で突き刺した」の間違いであると解釈すれば、2家族13人中11人の殺害。
また、扉を開けたのは家主の「マア」。
生き残りの少女が隠れた場所は古い敷布の下。

このふたつはK−Kさんの解釈で問題なく一致する。「7,8歳の少女」と8歳の少女である証言者は実は同一人物だ。したがって13人中11人の殺人で一致する。


>③笠原十九司著『南京難民区の百日』に収録された「8歳の少女(夏淑琴)」の証言によれば、1家族15人中13人の殺害。

>④本多勝一著『南京への道』によれば、生き残りの少女が隠れた場所は防空壕代わりに中庭に4個並べて置かれた机の下。

>⑤夏淑琴来日時の証言によれば扉を開けたのは夏淑琴の父親で、15人中13人殺害。

マギーに証言したときとは何十年も経っているから、昔と記憶が違っていて当然だね。
何十年か経って少し人数が違ってきたが、笠原本と来日時とでは変わらない。記憶はしっかりしている。「14日間も経って記憶していたなんて有り得ない」と主張したのはデリ君ではなかったかね。

机の下に隠れただけでは丸見えだから、机にはシーツをかぶせていた。したがってシーツに隠れたとも言える。


>『南京への道』は最初から論外として、『南京難民区の百日』及び来日時の証言の証言と、マギー証言では、夏淑琴の家族の人数が異なっている。

はいはい。違っていますよ。

>殺された家族の人数を間違えるなんて、普通に考えればあり得ない。

これは同居していた別家族の人数でしょ。ありえます。

>だから、普通に考えれば、マギー証言の少女と夏淑琴は別人物、というのが東中野教授の主張だ。

夏淑琴さんの発見の全体の状況の再現性は非常に高い。たとえば百人斬り裁判で証人に立った佐藤振寿氏は事件当時と、週刊新潮と南京戦史で全然違ったことを言っている。東中野氏によればこの方も別人であろう。

まあ、普通に考えるとマギー証言の少女と夏淑琴は別人物、という東中野教授は頭がおかしいね。

Re: 虐殺は嘘37 嘘吐き婆夏淑琴とマギー

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2006/09/06 21:48 投稿番号: [12164 / 41162]
全く反論になっていない。
個人の考えに基づく妄言と受け取らせて頂く。

Re: 虐殺は嘘37 嘘吐き婆夏淑琴とマギー

投稿者: tarari1036 投稿日時: 2006/09/06 21:41 投稿番号: [12163 / 41162]
--------------------------
一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。
--------------------------

>賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。
>夏氏が犯人に懇願し馬夫人が犯人に質問しており、会話をしているのだから犯人は支那人。
>戸を開けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願>したなんて有り得ない。

相手は戸を開けると、いきなり撃ち殺す凶悪犯ですから、どんどんどん、と力まかせに戸を叩いたと思われます。この、戸を叩く行為は戸を開けろ、というメッセージと誰もが思います。

おそらくはそんなに広くないであろう、個人の家に武装した30人の兵士が乗り込んだのですから逃げることはできません。なので懇願しました。懇願の言葉と「どうして夫を殺したのか」という言葉は夏さんが聞いた言葉を書いただけですから、これを持って会話が成立したと断定することはできません。

南京防衛軍の指揮系統が崩壊した12月13日においては中国兵は城内から逃げるのに必死で、中国人の家で殺人、強姦をする余裕はありません。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>犯行手口から犯人は支那人。

現場には中国兵はいない時間です。南京では
殺害後に膣に異物を押し込んだ日本兵の犯罪は無数にあります。
よって犯人は日本兵。

>8歳の子供が犯行日時は12月13日9〜10時と認識し、

「12月13日9〜10時」という下りはお示しになった文章にございませんが。

>更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。

デリ君のお子さんは14日もたつとデリ君が死んだことも忘れるのでしょうね(^O^)。


>事件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、

これも原文にございませんが。捏造しないと否定できないませんか。


>日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。

今度来た日本兵は盗人に精を出して、幼児に関心がなかったのでしょう。
4才の子でも死の恐怖を味わうと泣き出すことさえしませんからね。


>傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。

誰にも見つからなかったということがありえない、という主張ですか。原文には
「このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した」とありますから、見つける人がいないのですよ。


>12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。
>犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。

危険だと言われても自宅は出たくないものですよ。安全区にいて被害を受けた人はたくさんいます。中国軍は13日より前は果敢に戦争しています。


>安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。

安全区国際委員会は毎日のように日本大使館に対して犯罪報告をしていましたから、日本軍憲兵隊もその内容を知ることはできました。それでも憲兵隊は国際安全委員会が報告する犯罪の犯人を1人として検挙することはしませんでした。よくよく職務怠慢かあるいは能なし野郎の集まりだったようです。

Re: おいらはチンだじょー

投稿者: chinmanchon 投稿日時: 2006/09/06 08:07 投稿番号: [12162 / 41162]
>おまえ等は死んでいいんだよ
>生きる意味がないんだよ、朝鮮人だから

生きる意味がないんだよ、chon_pesimist だから

あー   チョンチョン
いー   チョンチョン
うー   チョンチョン
えー   チョンチョン
おー   チョンチョン

きょうは日本中、『あーチンチン』狂想曲

チ   ン   チ   ン   、   ま   ん   せ   ー

Re: nmwgipさん、あんた偉いよ

投稿者: chon_pesimist 投稿日時: 2006/09/06 06:56 投稿番号: [12161 / 41162]
イスラエルはユダヤ人

おまえは死んでいい朝鮮人
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