侵略国日本は国際社会の前科者

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War Guilt Information Program

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/25 21:58 投稿番号: [8320 / 8458]
1948年(昭和23年)2月6日付、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」との表題の文書がCI&E(民間情報教育局)からG-2(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛てに発せられた、冒頭に「CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである」。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤は、その嚆矢である太平洋戰爭史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析。また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している。

また、「「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている。

“WGIP”を主に担当したのはGHQの民間情報教育局 (CIE) で、“WGIP”の内容はすべてCIEの機能に含まれている。当初はCIEに“War Guilt & Anti-Millitarist”(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた)、あるいは“War Guilt & Criminal”という名称の下部組織(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。

“WGIP”は「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などのような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の関係であり、後者の例としてプレスコードが代表的である。昭和21年(1946年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」など30項目に及ぶ検閲指針がまとめられていたことが、米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである。プランゲ文庫保存のタイプコピーには、多少の違いがあるが同様の検閲指針として具体的内容が挙げられている。

アメリカ占領軍による検閲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/24 21:07 投稿番号: [8319 / 8458]
敗戦後、連合国軍による占領下でGHQによる検閲が開始された。1945年(昭和20年)に、「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16、9月10日)や「日本ノ新聞準則ニ関スル覚書」(SCAPIN-33、9月21日)(いわゆるプレスコード)等を発出し、民間検閲支隊により日本のマスコミなどへの事前検閲や事後検閲を行い、反占領軍的と判断した記事(占領軍兵士による犯罪なども含まれた)などを弾圧して全面的に書き換えさせた。国立国会図書館の記録によると、1945年10月9日、朝日、毎日、読売、東京、日本産業新聞への事前検閲が開始された。これらのGHQによる行為は個人の手紙や電信電話にまで及び、検閲は隠匿され日本国憲法施行下にあっても強力に実行された。山本武利は手紙に進駐軍に残虐行為を受けたと嘘を書いた人物が密かに逮捕され、軍事裁判にかけられたという事実を明らかにしている(ただし、検閲に協力した人々の証言がほとんどないためその実態には未解明な部分も多い)。

一方で江藤淳が著した『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』などにより反戦・日本弱体化計画「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」なるものが存在した、と繰り返し主張されている。

戦後日本の元凶(プレスコード)

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/22 23:28 投稿番号: [8318 / 8458]
アメリカ占領軍は戦後の日本にプレスコードを押しつけた。そこには表現活動において触れることを厳禁した三十項目が記されている。
現在の日本のマスコミ、テレビやNHK等のほとんど全てが、このプレスコードの影響下にある。

1   占領軍総司令部(連合軍最高司令官、
   マッカーサー)の批判
2   東京裁判の批判
3   占領軍総司令部が日本国憲法を起草
   したことへの批判
4   検閲への言及
5   米国の批判
6   ソ連の批判
7   英国の批判
8   朝鮮人の批判
9   支那の批判
10   その他の連合国の批判
11   連合国の全体批判
12   満州での日本人処遇への批判
13   連合国の戦前の政策の批判
14   第三次世界大戦への論評
15   ソ連と西側諸国との対立への論評
16   戦争弁護の宣伝
17   神国日本の宣伝
18   軍国主義の宣伝
19   民族主義(国家主義)の宣伝
20   大東亜に関する宣伝
21   その他の宣伝
22   戦争犯罪人の正当化または弁護
23   占領軍将兵の日本人女性との懇交
24   闇市場の取引
25   占領軍の批判
26   飢餓状態の誇張
27   暴力行為と不穏状態の誘導
28   虚偽の陳述
29   占領軍総司令部(または地方の
   軍政部)への不適当な言及
30   時期尚早の発表

ポツダム宣言の第十項には「民主主義の復活強化に対する一切の邪魔をなくし、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せられるべし」という内容が謳われている。しかし、占領軍は戦前の日本よりも過酷な言論統制を行なったのだ。

プレスコード

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/21 22:06 投稿番号: [8317 / 8458]
実施者は米太平洋陸軍総司令部民事検閲部。検閲はG-2(参謀2部)隷下の民間検閲支隊によって行なわれた。昭和27年(1952年)4月28日サンフランシスコ講和条約発効により失効。

主にGHQ批判、原爆に対する記事(栗原貞子の詩「生ましめん哉」、峠三吉の詩「にんげんをかえせ」など)が発禁処分に処された。占領後期になってからは、個人的な手紙などにも検閲の手が回った。この事実は当時の一般の大衆には知らされず、出版・報道関係者(学校の同窓会誌・村の青年会誌などのミニ・メディア関係者なども含む)以外に存在が広く認知されたのはのちの事である。

プレスコード通達直前には「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16) が発せられ、言論の自由の制限は最小限度に止め、GHQ及び連合国批判にならずまた世界の平和愛好的なるものは奨励とされたが、これに違反したとして朝日新聞社は2日間の業務停止命令 (SCAPIN-34) を受けた。これはGHQによる検閲、言論統制の始まりであった。

内容報道は絶対に真実に即すること
直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならない
連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、又は軍に対し不信又は憤激を招くような記事は一切掲載してはならない
連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載し又は論議してはならない
報道記事は事実に即し、筆者の意見は一切加えてはならない
報道記事は宣伝目的の色を着けてはならない
宣伝の強化拡大のために報道記事中の些細な事項を強調してはならない
報道記事は関係事項や細目を省略する事で内容を歪曲してはならない
新聞の編輯に当り、何らかの宣伝方針を確立し若しくは発展させる為の目的で、記事を不当に軽く扱ってはならない
具体的には、以下に該当しているか否かが調べられた。

連合国軍最高司令官(もしくは総司令部、以下SCAP)に対する批判
極東国際軍事裁判批判
GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
検閲制度への言及
アメリカ・ロシア・英国・中国他連合国、朝鮮人、国家を特定しなくても連合国一般、満州における日本人取り扱いについて、それぞれへの批判
この規定のため、占領軍将兵の犯罪自体が報道されず、各メディアは「大きな男」と暗に仄めかさざるを得なかった。
連合国の戦前の政策に対する批判
第三次世界大戦への言及
冷戦に関する言及
戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
このため、戦前・戦中の欧米の植民地支配についての研究書など7000冊に及ぶ書物が官公庁、図書館、書店などから没収され、廃棄されたという。
戦争犯罪人の正当化および擁護
占領軍兵士と日本女性との交渉
闇市の状況
占領軍軍隊に対する批判
飢餓の誇張
暴力と不穏の行動の煽動
虚偽の報道
GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
解禁されていない報道の公表

日本人がアホになった理由

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/16 03:17 投稿番号: [8316 / 8458]
あるブログより引用。

8月15日を「終戦記念日」という。
あの終戦を“記念日”だと言うのは今もって抵抗がある。8月15日の終戦、つまりあの戦争とその後の占領政策こそ日本にとって有史以来初めて味わう屈辱であったはずです。そして、多くの日本国民が気付かぬまま今も面々と占領政策が引き続いているのです。
我々はこの屈辱の日を“記念日”と言うよりは、日清戦争後の三国干渉による圧力を我が先人達が堪え難きを堪えた“臥薪嘗胆”こそ全国民が思いはせるべきではないか。
日本人には戦後のアメリカの占領政策で精神的に無力化させられたという自覚がまったくない。

戦時国際法・交戦法規には一般住民や非戦闘員に危害を加えてはならないとあります。また、軍事目標以外を攻撃してはならないとあります。
さらには不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならないとも書いてあります。大空襲による同胞の死、落とす必要のなかった原爆での犠牲、祖父たちが味わったあの辛苦と屈辱。
戦後、この全てを戦争指導者、つまり軍国主義者の責任とし、占領軍は自分たちの民主化政策の正当化のために日本人に贖罪意識を植え付けたのです。
しかし考えてみるまでもなく、共同謀議による平和に対する罪であるA級戦犯も戦争犯罪のB級戦犯も非人道的なC級戦犯も連合国の人間にこそそっくり当てはまるものではないか。
さて、終戦の日にマスコミなどが“戦争の悲惨さ”や“平和を訴える”ことは尤ものようであるが、どうも“左”の匂いがする。
特に偏った歴史観と自虐史観でつくられた番組など見るに堪えない。まさに堪え難きを堪えだ。私はあえて終戦の日を境にどうして日本がダメになっていったのかを、この日にこそ日本人が知り、考えることが必要だと思うのですが、いかがでしょうか。

日本人の贖罪意識に大きな役割をしたのが占領軍が実施した“プログラム”でした。この“プログラム”は敗戦後まもない日本人の心に、戦争を起こした国家の罪と自覚を植え付ける目的でつくられたものです。

日本人に贖罪意識を植え付けるこの“プログラム”は昭和20年12月8日に始まった「太平洋戦争史」と題した新聞連載を皮切りに執拗に進められました。なぜこの日となったのか。それは4年前のこの日に日本がアメリカに宣戦布告した日だからです。

この“プログラム”は占領軍の民間情報教育局(CI&E)によって準備されたもので、それまでの日本人は誰ひとりとして聞いたこともないような、
南京、マニラにおける日本軍の残虐行為を歴史の真相として強調したものでした。占領軍はこの一週間後「太平洋戦争史」を徹底させるため、神道指令で「大東亜戦争」という名称の使用を禁止しました。

「太平洋戦争史」は新聞連載終了後の昭和21年1月に占領軍の「依命通牒」によって停止となった「国史」の授業の代わりに学校教材として使われることとなりました。このようにして日本人が使っていた「大東亜戦争」は占領軍によって「太平洋戦争」と言うようにすり替えられたのです。

だからこそ今の日本人にはよく理解してほしい。戦前を生きた方々に聞けば一目瞭然ですが、戦争当時日本であの戦争を太平洋戦争と言っていた人は誰もいません。
それは日本があの戦争の戦った地域を見ただけでも理解できるでしょう。
日本が戦ったのは太平洋だけではないのです。日本はアジア諸国が長年の白人による搾取や愚民化政策、人種差別による植民地体制から解放するために大東亜戦争という呼称のもと、日本の青年とともにアジアの青年たちが立ちあがって戦った戦争だったのです。それが事実です。

こうして日本人に贖罪意識を植え付け、その最大のものは東京裁判でした。
占領軍の指示でこの裁判の検察側の取り上げる戦犯の罪状ばかりを、日本の新聞やラジオで事細かく伝えられました。このことからも東京裁判が日本人自ら犯した戦争の罪悪を見せつけるためであったのは明らかです。
この“プログラム”で日本人から自国の歴史に対する自信と誇りを奪い去り、強烈な贖罪意識を植え付けることに成功して、今現在もマスコミや学校教育はこれに則って報道され、教育されているのです。
もういい加減に太平洋戦争などと米国に言わされ、米国が使っていた言い方を使うのはやめようではないか。

日本は欧米による世界植民地支配を防いだ

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/14 06:58 投稿番号: [8315 / 8458]
「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去 18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。」

「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。
満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならない。」

http://www.geocities.jp/baud_2005/japan.html

NHKは日本国民にウソの歴史を教えている

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/13 08:05 投稿番号: [8314 / 8458]
NHKは日本国民から受信料を強制的に徴収しながら、日本国民にウソの歴史を教え続けている。
NHKに次のように言いたい。
「日本国民にウソの歴史を教えるなら受信料を取るな!」

本当の歴史とは以下の歴史のことをいう。
NHKの「映像の世紀」のテーマ曲を聞きながら学び直せ!

http://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0&feature=related

大東亜戦争とは「忠臣蔵」である

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/12 22:30 投稿番号: [8313 / 8458]
真珠湾攻撃とは「赤穂浪士の吉良邸討ち入り」である。

http://www.youtube.com/watch?v=qRxALHW-MgI&NR=1&feature=fvwp

日本人は学校でウソの歴史を教えられている

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/10 21:09 投稿番号: [8312 / 8458]
学校とマスコミとテレビとNHKが一体となって、日本国民にウソの歴史を教え続けている。そしておめでたいことに日本国民のほとんどがこのことに気付いていない。

http://www.youtube.com/watch?v=dGHfkYHezeA&NR=1

真珠湾攻撃はアメリカが計画した

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/09 22:11 投稿番号: [8311 / 8458]
歴史は戦勝国によってつくられる。
日本人は戦後、学校でウソの歴史を教えられてきた。
しかも今でも、ウソの歴史を教えられている。

http://www.youtube.com/watch?v=JrwtxCytbAM&feature=related

アメリカ人(白人)の人種差別観

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/09 09:03 投稿番号: [8310 / 8458]
イギリス人は大の用を足している最中に黄色人種が入ってきても平気。

落としたタバコを拾わせるのにも、言葉を使わず、アゴで拾えの合図。

白人女性が全裸で部屋に居る時に、黄色人種が入ってきても平気。(白人男性が入ってきたら大騒ぎ)

参考文献
「アーロン捕虜収容所」
会田雄次著   中公新書

http://www.youtube.com/watch?v=qRxALHW-MgI&NR=1&feature=fvwp


つまり、黄色人種は猿だった。インドより東の国では、白人は何をしても許されるという考えがあった。絶対的な差別主義。東洋人は人ではなかった。

Re: 日本人は「虫けら」か

投稿者: akutoku_yukijirushi 投稿日時: 2011/08/07 20:23 投稿番号: [8309 / 8458]
hidoidesune

日本人は「虫けら」か

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/05 23:08 投稿番号: [8308 / 8458]
アメリカが世界に誇る三大日本虫虐殺。

第1位   広島原爆投下
    (当時の死数14万匹)

第2位   東京大空襲
    (当時の死数10万匹)

第3位   長崎原爆投下
    (当時の死数7万匹)

上の三つは瞬時にして10万匹規模の大虐殺を行なった事件である。

このような殺し方は、日本人を虫けらと思わない限りできない行為である。
当時のアメリカ人は日本人を虫けらと考えていたのである。だから人を匹に置き換えてみた。もっと分りやすく言うと、何十万匹もの蟻が住んでいる蟻の巣に大量の殺虫剤を注ぎ込んだようなものである。何十万匹もの蟻がすべて死んでも何とも思わない。むしろ「やったぞ!」という達成感に満ちた喜びが沸き起こる。このような感情がアメリカ人を支配していたのである。

しかし何度言っても、無関心で何とも思わない今の日本人は本当に虫けらなのかもしれない。生き残った蟻が、同胞が何十万匹も殺されているのに何とも思わずにただ働いているようなものだ。

アメリカの「日本人虐殺祭り」8月

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/03 22:53 投稿番号: [8307 / 8458]
7月28日:【青森大空襲   死傷者1767人】 米軍のB29爆撃機61機が青森を空襲。午後10時37分に焼夷弾の投下を始め午後11時48分まで8万3000本の焼夷弾が降り注いだ。従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾の実験場にされた。市街地の88%の1万8,000戸が焼失。東北地方では最大の被害。
7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。
7月29日:【大垣空襲   死者50人】 米軍のB29爆撃機が岐阜県大垣市を空襲。罹災者約30,000人市街地の大半は焼失し、国宝大垣城、開闡寺(大垣別院)なども焼失した。全半壊家屋約4,900戸。大垣市は工場が多かった計6回空襲を受けた。
7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。
8月1日:【水戸空襲   死傷者1535人】 米軍のB29爆撃機99機が水戸を空襲。
8月1日:【八王子空襲】 2日未明にかけて米軍のB29爆撃機169機が八王子を空襲。落とされた焼夷弾は数十万発、1600tにも及んだという。市街地の80%が焼失。死者400人あまり。  
8月1日:【長岡空襲】 米軍のB29爆撃機125機が長岡を空襲。死者1470人余、焼失11,986戸。
8月2日:【富山大空襲   死者2737人】 米軍のB29爆撃機170機が富山を空襲。市街地のほとんどの約2万5000戸が焼失。罹災者約11万人。
原爆以外では地方都市として最大の被害。
なお、8月1日から翌2日未明にかけて行われた水戸・八王子・長岡・富山に対する一斉空襲は、司令官カーチス・ルメイが自身の昇進と陸軍航空隊発足記念日を祝う目的で一斉に行われた戦略上特に意味のない作戦で、1日の弾薬使用量がノルマンディー上陸作戦を上回るように計算されていた。
8月5日:【前橋・高崎空襲】 米軍のB29爆撃機92機が前橋・高崎を空襲。死傷者1323人。
8月6日:【広島原爆   死者10万人】  
8月7日:豊川海軍工廠空襲。死者2477人。
8月8日:【福山大空襲】 米軍のB29爆撃機91機が福山を空襲。市民の82%にあたる約4万7000人が被災した。死者354人、焼失家屋数約1万戸。
8月8日 八幡大空襲。B29・127機。死者2952人、焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。
8月9日:【長崎原爆   死者7万人】  
8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。爆音は秋田市まで響いたという。
8月10日:花巻空襲。熊本空襲。
8月11日:久留米空襲。死者212人、焼失家屋4506戸。
8月14日〜15日:【最後の空襲】 無条件降伏を決定した8月14日から翌15日未明にかけて米軍は日本の都市に対して「最後の空爆」を敢行した。7市にわたり、少なくとも2,300人が死亡した。
大阪大空襲:14日早朝、米軍のB29爆撃機145機が大阪市を空襲。死者は500人から600人。
土崎空襲:米軍のB-29爆撃機100機以上が秋田市土崎を空襲。日本で唯一無傷の石油精製工場であった土崎港〔つちざきみなと〕の日本石油秋田製油所(現=新日本石油加工秋田事業所)の破壊を目的としたもの。死者250人以上。
小田原空襲:米軍のB-29爆撃機が神奈川県小田原市を空襲。高梨町、青物町、宮小路、一丁田など、焼失家屋約400戸、罹災者1500人以上、死者約50人。  
熊谷空襲:14日深夜、米軍のB29爆撃機約80機が埼玉県熊谷市を空襲、市街地の7割を焼失した。死者266人。  
伊勢崎空襲:米軍のB29爆撃機84機が群馬県伊勢崎〔いせさき〕市とその周辺地域を空襲。市街地の約40%が焼失。死者29人、焼失家屋約2000戸。
岩国大空襲
山口県光市光海軍工廠空襲。死者738人。

アメリカの「日本人虐殺祭り」7月

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/02 21:00 投稿番号: [8306 / 8458]
7月1日-2日 【呉市空襲   死者3,700人】 B29・150機。
7月2日 【下関空襲   死者324人】 B29・143機。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月3日:【姫路大空襲   死者173人】 深夜から4日未明にかけ、米軍のB29爆撃機107機が野里方面を除く姫路全市を空襲。市街地の大半が焼け野原に。姫路城は焼失を免れた。
7月4日:【高松空襲   死者1359人】 米軍のB29爆撃機90機が高松を空襲。罹災家屋18,913戸、罹災者8万6400人。
7月4日 【徳島大空襲   死者約1,000人】   B29・129機。   けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
7月4日 【高知大空襲   死者401人】   B29・120機、罹災家屋約12,000戸。
7月6日:【千葉空襲   死傷者1679人】 米軍のB29爆撃機124機が千葉を空襲。
7月6日:【甲府空襲   死者1027人】 米軍のB29爆撃機131機が甲府を空襲。全焼1万7920戸。  
7月9日:【和歌山大空襲   死者約1200人】 夜から10日未明にかけて米軍のB29約100機が和歌山の紀ノ川北岸から和歌山市中心部にかけてを空襲。和歌山城が炎上、国宝の天守閣をはじめとする多数の国宝や建築物が焼失した。
7月9日:【堺空襲   死者1860人】 米軍のB29爆撃機約100機が堺を空襲。焼失1万8000戸。
7月9日:【岐阜空襲   死者約900人】 米軍のB29爆撃機約130機が岐阜を空襲。
7月10日:【仙台空襲   死者約1,000人】 米軍のB29爆撃機124機が午前0時3分より約2時間にわたって仙台を空襲し、約11万個の焼夷弾を投下した。市街地の17%にあたる5平方キロメートルで約1万2000戸が被災し中心部は焦土と化した。被災者約6万人。  
7月12日:【宇都宮大空襲   死者628人】 午後11時12分、米軍のB29爆撃機133機が宇都宮市を空襲、市街地の大半が焼失した。隣接の鹿沼市にも空襲。罹災者約4万8000人。  
7月12日:【敦賀空襲   死者109人】
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16日:【大分空襲】 夜半から17日にかけて米軍のB29爆撃機30数機が大分市の中心部を空襲。 2358戸が焼失。
7月16日:【平塚大空襲   死者343名】 米軍のB29爆撃機136機が平塚を空襲。市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日:沼津空襲。
7月17日:【桑名空襲   416人】 未明、米軍のB29爆撃機が三重県・桑名を空襲。市内の約80%が焼失。24日、午前10時頃からの攻撃で市内西北部一帯が粉砕された。行方不明者51人。  
7月19日:【福井空襲   死者1576人】 米軍のB29爆撃機128機が福井を空襲。
7月19日:【日立空襲   死傷者2199人】 米軍のB29爆撃機127機が日立を空襲。
7月19日:【銚子空襲   死傷者1181人】 米軍のB29爆撃機91機が銚子を空襲。
7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。
7月24日 【半田空襲   死者269人】 B29・78機。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
7月24日、28日 【津大空襲 死者1,239人】。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 【呉軍港空襲   死者780人】 米艦載機950機、B29・110機[7] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没。
7月24日:【大阪空襲   死者187人】 米軍のB29爆撃機約400機を含む大小2,000機が大阪を空襲。焼失554戸。
7月25日【保戸島空襲   児童125人、教師2人が即死】
米軍グラマン戦闘機が大分県津久見市保戸島を空襲。 3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現=津久見市立保戸島小学校)を直撃。
7月26日 【松山大空襲   死者・行方不明259人】 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 【徳山空襲 死者482人】B29・約100機。負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。
7月28日:【青森大空襲   死傷者1767人】 米軍のB29爆撃機61機が青森を空襲。午後10時37分に焼夷弾の投下を始め午後11時48分まで8万3000本の焼夷弾が降り注いだ。従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾の実験場にされた。市街地の88%の1万8,000戸が焼失。東北地方では最大の被害。

Re: 世界最大の日本人虐殺・東京大空襲

投稿者: akutoku_yukijirushi 投稿日時: 2011/08/01 21:08 投稿番号: [8305 / 8458]
ひどいことです

世界最大の日本人虐殺・東京大空襲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/31 22:23 投稿番号: [8304 / 8458]
3月10日:【東京大空襲   死者約10万人】 カーチス・ルメイの指揮する米軍のB29爆撃機325機が東京を空襲。午前0時7分東京湾上すれすれの低空から江東地域の爆撃が開始され、午前0時20分には浅草地区でも爆撃が開始された。まず人口密集地帯の周囲を火の壁で包囲し、逃げ道を失った人びとの頭上に、連続波状攻撃をかけた。投下された爆弾は高性能焼夷弾など約38万発、総計約1,700トンであった。 5、6時間で26万戸の家屋が焼失し、死者約10万人、重軽傷者約11万人、罹災者の数は89万人にのぼりその多くが非戦闘員だった。世界戦史上、わずか数時間で10万人が戦死したという記録は他にない。
130回にも及んだ東京への空襲の中でも、1945年3月10日に行われたものは、その被害の甚大さから言って、人類史上にも残るホロコースト(大量虐殺)でした。米軍は325機のB29爆撃機を動員して約36万発の焼夷弾を東京・下町の密集地帯に投下し、荒れ狂う炎はあっと言う間に町中を覆い尽くし、老若男女を問わず、わずか2時間半で10万人以上が犠牲となったのです。米軍はまず、町を囲む円を描くように焼夷弾を投下し、炎の壁を作って逃げられないようにした上で、中にいた人々を焼き尽くしたと言われています。
この日、3月10日は1999年に空襲犠牲者を追悼し平和を願うことを目的として「東京都平和の日」に定められ、永遠に記憶に留める日となった。

筆舌に尽くし難い、一般市民を狙い撃ちにした、許す事のできないアメリカによる戦争犯罪の日である。
死者のほとんどが女性、子供、老人で非戦闘員だった。   アメリカが言う、産業基盤を破壊し、戦意を喪失させるための作戦であれ、許す事の出来ない無差別の民間人殺戮である。
この後、東京は6回の攻撃を受け、名古屋、大阪、神戸と言う大都市への攻撃へと移り、その後、北海道から沖縄の離島までの地方がこの焼夷弾による絨毯爆撃を受け、殺戮された一般市民は30万人以上に及んだ。
そのどめとして広島、長崎への原子爆弾投下へとつながっていく。なんと言う無謀、許すことの出来ない、明らかな戦争犯罪だ。
この市民殺戮を指揮したのはカーチス・E・ルメイで、後にアメリカの検証で、彼は決してモラルの高い人間ではなかった、と言われている。   つまり、殺人が趣味のような人間なのだ。   彼自身も、もしアメリカが戦争に負けていたのなら、私は戦争犯罪者になったであろう、と言っている。
その殺人確信犯に対して、佐藤栄作首相は1964年、勲一等旭日大綬章を贈っている。

世界最大の日本人虐殺・広島原爆投下

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/30 13:42 投稿番号: [8303 / 8458]
広島上空
7時過ぎ、エノラ・ゲイ号に先行して出発していた気象観測機B-29の1機が広島上空に到達した。クロード・イーザリー少佐のストレートフラッシュ号である。7時15分ごろ、ストレートフラッシュ号はテニアン島の第313航空団に気象報告を送信した。「Y3、Q3、B2、C1」(低い雲は雲量4/10から7/10で小さい、中高度の雲は雲量4/10から7/10で薄い、高い雲は雲量1/10から3/10で薄い、助言:第1目標を爆撃せよ)。

この気象報告を四国沖上空のエノラ・ゲイ号が傍受し、投下目標が広島に決定された。原爆の投下は目視が厳命されており、上空の視界の情報が重要であった。

ストレートフラッシュ号は日本側でも捕捉しており、中国軍管区司令部から7時9分に警戒警報が発令されたが、そのまま広島上空を通過離脱したため、7時31分に解除された。

8時すぎ、B-29少数機(報告では2機であったが、実際には3機)が日本側によって捕捉された。8時13分、中国軍管区司令部は警戒警報の発令を決定したが、各機関への警報伝達は間に合わなかった(当然、ラジオによる警報の放送もなかった)。

8時9分、エノラ・ゲイ号は広島市街を目視で確認した。中国軍管区司令部が警報発令の準備をしている間に、エノラ・ゲイ号は広島市上空に到達していた。高度は31,600ft(9,632m)。まず原爆による風圧等の観測用のラジオゾンデを吊るした落下傘を三つ落下させた。青空に目立つこの落下傘は、空を見上げた市民たちに目撃されている。この時の計測用ラジオゾンテを取り付けた落下傘を原爆と誤認したため、「原爆は落下傘に付けられて投下された」と云う流説があるが誤りである。一部のラジオゾンデは、その後呉の日本軍が鹵獲に成功している。また一部の市民は「乗機を撃墜された敵搭乗員が落下傘で脱出した」と思って拍手していたという。

8時12分、エノラ・ゲイが攻撃始点(IP)に到達したことを、航法士カーク陸軍大尉は確認した。機は自動操縦に切り替えられた。爆撃手フィアビー陸軍少佐はノルデン照準器に高度・対地速度・風向・気温・湿度等の入力をし、投下目標(AP)を相生橋に合わせた。相生橋は広島市の中央を流れる太田川が分岐する地点にかけられたT字型の橋である。特異な形状は、上空からでもその特徴がよく判別できるため、目標に選ばれた。

8時15分17秒、原爆リトルボーイが自動投下された。3機のB-29は投下後、熱線や爆風の直撃による墜落を避けるためにバンクして進路を155度急旋回した。再び手動操縦に切り替えたティベッツはB-29を激しい勢いで急降下させ、キャビンは一時無重力状態になった。

広島に投下された原爆によるきのこ雲リトルボーイは爆弾倉を離れるや横向きにスピンし、ふらふらと落下した。間もなく尾部の安定翼が空気を掴み、放物線を描いて約43秒間落下した後、相生橋よりやや東南の島病院付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。

帰投14時58分、エノラ・ゲイ号は快晴のテニアン島の北飛行場に帰還し、戦略空軍総司令官カール・スパーツ少将から、ティベッツ大佐には栄誉十字章が、他の12人には銀星章が与えられた。その日は夕方から、第509混成部隊の将兵や科学者らによって、深夜まで盛大な祝賀パーティが催された[5]。

原爆投下時、撮影機はカラーフィルムで撮影していたが、テニアン島に帰還後、現像に失敗したためにその記録は失われた。そのため、爆発から約3分後に別機の科学調査リーダー、ハロルド・アグニューにより8mmカメラによって撮影されたキノコ雲の映像が、世界初の都市への原爆投下をとらえた唯一の映像となっている。

http://www.youtube.com/watch?v=gJG_BVHF8ak

アメリカの日本人虐殺・横浜大空襲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/30 08:25 投稿番号: [8302 / 8458]
5月29日:【横浜大空襲   死者約1万人】 米軍のB29爆撃機約500機、P51約500機が横浜市中心地域に2,570トンの爆弾を投下し、ほぼ全域が焼失した。B-29爆撃機517機・P-51戦闘機101機による焼夷弾攻撃で約8千〜1万名の死者を出した。
特に被害が甚大だったのは、現在の神奈川区反町、保土ヶ谷区星川町、南区真金町地区一帯。罹災者32万3,000人、全焼家屋約3万戸。原爆投下目標だったため空襲をまぬがれていたが、28日に除外された。

概要工業地、商業地、住宅地及びこれらの混在地が、焼夷弾攻撃でどのように燃えていくかのデータを、当時の米空軍は得ておらず、当空襲は、そのデータ収集のための実験的攻撃であった。
米軍は、攻撃目標を東神奈川駅、平沼橋、横浜市役所、日枝神社、大鳥国民学校の5ヶ所を定めて襲撃し、特に被害が甚大だったのは、現在の神奈川区反町、保土ケ谷区星川町、南区真金町地区一帯とされている。
これらのうち星川町が攻撃を受けたのは被服廠があったからである。また横浜市立大鳥小学校は焼け残り、戦後、自殺を図った東條英機元首相を収容した病院となった。
京浜急行電鉄黄金町駅周辺一帯は、東急湘南線の上下線に停車中の電車から空襲警報発令と共に退避中の利用客も被害に遭遇し、多数の焼死体が累々と折り重なった所である。また同線の平沼駅は前年に廃駅となっていたが、焼夷弾によって壊滅的被害を受け、その鉄骨が1999年まで架線柱代わりに残されていた。
白昼の空襲であったことから、厚木航空隊の零戦と雷電や、第十飛行師団(天翔)の屠龍・鐘馗などの戦闘機、高射第一師団(晴兵団)の八八式7.5cm野戦高射砲の活躍でB-29を7機撃墜、175機に損害を与えた。

1945(昭和20)年5月29日午前9時22分(白昼)、米軍は横浜大空襲を敢行した。横浜は、わずか1時間8分で同市内の鶴見、神奈川、西、中、南、保土ケ谷区が壊滅、市域の34%が焼け野原と化し、同市人口の3分の1の31万人が被災、【推定8,000〜10,000人が死亡】した。

横浜大空襲の無差別絨毯(じゅうたん)爆撃のすさまじさは、3月10日の東京の半分の時間で、投下された焼夷弾量は1.28倍の2,570トン(43万8,576発)、出撃したB―29爆撃機も、2倍近い517機とP51戦闘機101機による機銃掃射が加わったことで明白である。

しかし、3月10日の10万人の犠牲者を出した東京大空襲の惨状に隠れて、同年5月29日の横浜大空襲の惨禍が取り上げられることは少ない(松山大空襲は死者・行方不明者251名)。
敗戦後、米軍は横浜に進駐し、市街地の27%を接収、横浜大空襲で廃虚と化した市中心部に、カマボコ形の兵舎を建て、同時に港湾施設の90%を米軍の基地とした。横浜一の繁華街だった伊勢佐木町も店の多くが接収され、進駐軍用の食品店や病院、クラブになり、かつ裏通りには飛行場も建設された。

アメリカの日本人虐殺全記録3月〜5月

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/28 22:47 投稿番号: [8301 / 8458]
3月12日:【名古屋大空襲   死者602人】 米軍のB29爆撃機288機が名古屋を空襲。全焼約3万戸。
3月13日〜14日:【大阪大空襲   死者約4,000人】 米軍のB29爆撃機274機が大阪を空襲。焼失約13万戸。
3月17日:【神戸大空襲   死者約2600人】 米軍のB29爆撃機309機が神戸を空襲。全焼6万5千戸、罹災者23万6千人。
3月19日:【名古屋空襲   死者1037人】 午前2時頃、米軍の爆撃機230機が名古屋市の市街地を空襲。家屋約4万棟が焼失し、中区、中村区、東区などの市中心部は焼け野原となった。罹災者約15万人。
4月13日:【城北大空襲   死者2459人】 米軍のB29爆撃機330機が東京の主として豊島・渋谷・向島・深川方面を空襲。焼失20万戸。
4月15日:【東京空襲   死者841人】 米軍のB29爆撃機202機が東京の主として大森・荏原方面を空襲。焼失6万8400戸。
4月15日:【川崎大空襲   死者約1000人】 夜半から16日未明にかけ米軍のB29爆撃機約200機が川崎を空襲。川崎駅周辺や臨海部の工業地帯、川崎大師などに大きな被害が出で川崎区の大半が焼失した。
5月10日 【徳山大空襲死者   500人以上】 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。負傷者約1000人。  
5月11日:【神戸空襲   死者1093人】 米軍のB29爆撃機92機が神戸を空襲。
5月14日:【名古屋空襲】 米軍のB29爆撃機480機が名古屋を空襲。名古屋城が焼失した。  
5月24日:【東京空襲   死者762名】 米軍のB29爆撃機525機が東京の主として麹町・麻布・牛込・本郷方面を空襲。焼失6万5000戸。
5月25日:【東京空襲   死者3651人】 米軍のB29爆撃機470機が東京の主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面を空襲。焼失16万6千戸。

アメリカの日本人虐殺・神戸大空襲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/25 21:23 投稿番号: [8300 / 8458]
特に兵庫区や林田区など西神戸に大きな被害を出した1945年3月17日と、東神戸および阪神間の町村を壊滅させた6月5日の爆撃を指して用いられることが多い。

神戸とその周辺地域は1945年1月3日から終戦までの間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と、川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり、15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。これは人口および面積から換算した被害率としては、当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。
中でも3月17日の空襲では約34,000発の焼夷弾が投下され、神戸市西部の約65,000棟が全半焼、【2,598人が犠牲】になった。
また6月5日の空襲で計3,000トンの焼夷弾が投下され、神戸市域の【死者は3,453人】とされる。神戸周辺都市部の21%が罹災、延べ65万人が家屋に被害を受け、焼失家屋は15万戸、負傷者15万人、【8,841名の市民が犠牲】となった。

http://www.youtube.com/watch?v=VSck8fQS1tQ

アメリカの日本人虐殺・大阪大空襲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/25 06:46 投稿番号: [8299 / 8458]
1945年3月13日深夜から翌日未明にかけてに最初の大阪空襲が行なわれた。大阪ではその後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行なわれた。これらの空襲で【一般市民 10,000人以上が死亡】したと言われている。

1945年3月13日23時57分 - 14日3時25分(日本時間)の約3時間半にわたり行われた。B29が274機襲来。米軍の照準点は、北区扇町、西区阿波座、港区市岡元町、浪速区塩草。グアムからの第314航空団の43機が23時57分 - 14日1時にかけて大阪上空に達した。夜間低空爆撃として約2,000mの低空からの一般家屋をねらった夜間爆撃だった。先導機がナパーム弾(大型の焼夷弾)を港区市岡の照準点に投下し大火災発生。他の機はそれを目印に次々とクラスター焼夷弾(内蔵した48個の小型焼夷弾が空中で分散して落下する)を投下した。続いてテニアンから第313航空団の107機が14日0時10分から3時25分にかけて爆撃。浪速区塩草を照準点として投弾した。さらにサイパンから第73航空団の124機が14日0時20分から2時25分にかけて爆撃。照準点は北区扇町と西区阿波座。すでに大火災が発生している中で、北区は米軍のねらい通りには爆撃できず、他の場所に被害が広がった。この空襲では、【3,987名の死者と678名の行方不明者】が出た。山を挟んだ奈良県や亀岡盆地側では、火炎が山の向こうに夕焼けのように見えたという。

第6回大阪大空襲は1945年7月10日1時33分から3時6分の約1時間半にわたっておこなわれた。堺市中心部に大きな被害を受けたことから、この空襲は「堺大空襲」とも呼ばれる。
中小都市爆撃作戦の一環として、サイパン島アイズレイ飛行場第73航空団の116機が、堺市中心部に約1万3000発・778.9トンの爆弾を落とした。堺市では2.64平方メートル・約5万5000人が被災し、【死者1,370人】・重軽傷者1,472人・行方不明者3人、家屋の全半焼14,797戸の被害を出した。この空襲では堺市のほか、大阪市住吉区や貝塚市でも被害を出している。

太平洋戦争終戦前日の昭和20年8月14日、大阪は最後の大空襲を受けた。B29戦略爆撃機は特に大阪城内の大阪陸軍造兵廠に対し、集中攻撃を加えたが、その際、流れ弾の1トン爆弾が4発、京橋駅に落ちた。うち1発が多数の乗客が避難していた片町線ホームに高架上の城東線(現、環状線)を、突き抜けて落ちたため、まさに断末魔の叫びが飛び交う生き地獄そのものであったという。判明している被爆犠牲者は210名であるが、他に無縁仏となったみ霊は数え切れなく、500名とも、600名とも言われている。


http://www.youtube.com/watch?v=VSck8fQS1tQ&feature=related

Re: アメリカの日本人虐殺・名古屋大空襲

投稿者: akutoku_yukijirushi 投稿日時: 2011/07/24 11:55 投稿番号: [8298 / 8458]
名古屋城を見学したとき、空襲の説明を読みました

アメリカの日本人虐殺・名古屋大空襲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/23 09:50 投稿番号: [8297 / 8458]
昭和19年(1944)12月、東区の三菱重工業発動機製作所がB29に爆撃され、名古屋でも本格的な空襲が始まった。空襲の目標は当初軍需工場であったが、翌年からは市街地にも広がった。空襲による名古屋市の被害は、建物面積の40%を焼失、死者約8,000人であった。空襲から児童を守るため学童疎開も実施され、地方に親戚などがないものは、集団で疎開させられた。

1945年3月12日から5月にかけて、名古屋市街地はアメリカ軍による焼夷弾爆撃を受けた。被害は死傷者1万8,500余、被災家屋13万6,500余を数え、市域の24%の3,860haが焼土化した。
12日の夜、名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行われ、市街の5%が焼失したとされる。死者602人。

3月19日の午前2時頃、B-29爆撃機230機(310機との説もあり)による名古屋市の市街地に対する大規模空襲が行われた。この空襲により一夜にして151,332人が被災し(死者1037人)、家屋39,893棟が焼失したとされる。中区、中村区、東区などの市中心部は焼け野原となり、1937年に竣工したばかりの6階建ての名古屋駅の焼け焦げた姿が遠くからでもよく見えたという。

6月9日には熱田空襲が行われ、約2,000人の死者を出した。その後も空襲は行われ、名古屋市は日本の他の大都市と同様に壊滅的に破壊された。
終戦後、更地同然となった名古屋市中心部には100m道路と呼ばれる久屋大通・若宮大通が造られた。

愛知県には東京より多い爆弾、焼夷弾が降り注ぎ、愛知県だけで空襲による死者は1万3千人に上る。
(B29が愛知県下に投下した通常爆弾・焼夷弾の総量は計1万9569トン。東京より約100トン多いらしい)
理由は、愛知・岐阜・三重で、日本の戦闘機および戦闘機エンジンの全生産の40−50%前後を占めると分析していて、 日本の航空機産業の最大中心地ととらえていた。
攻撃目標として、名古屋市の三菱重工の工場など4カ所、岐阜県各務原市の川崎航空機の工場など2カ所があった。
東京大空襲よりひどい空襲を名古屋が受けていたのに、有名でないのはナゼだろうか。名古屋人は田舎人で昔から我慢強いからだろうか。

アメリカの日本人虐殺全記録1945年3月

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/21 22:10 投稿番号: [8296 / 8458]
1945年1月27日:【東京空襲   死者449人】 米軍のB29爆撃機72機が東京・有楽町、銀座地区を空襲。有楽町駅は民間人の死体であふれた。

3月10日:【東京大空襲   死者約10万人】 カーチス・ルメイの指揮する米軍のB29爆撃機325機が東京を空襲。午前0時7分東京湾上すれすれの低空から江東地域の爆撃が開始され、午前0時20分には浅草地区でも爆撃が開始された。まず人口密集地帯の周囲を火の壁で包囲し、逃げ道を失った人びとの頭上に、連続波状攻撃をかけた。投下された爆弾は高性能焼夷弾など約38万発、総計約1,700トンであった。 5、6時間で26万戸の家屋が焼失し、死者約10万人、重軽傷者約11万人、罹災者の数は89万人にのぼりその多くが非戦闘員だった。130回にも及んだ東京への空襲の中でも、1945年3月10日に行われたものは、その被害の甚大さから言って、人類史上にも残るホロコースト(大量虐殺)でした。
世界戦史上、わずか数時間で10万人が戦死したという記録は他にない。


http://www.youtube.com/watch?v=cT1HEQP_Dh0&feature=related

アメリカの日本人虐殺全記録1944年

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/19 10:50 投稿番号: [8295 / 8458]
1944年6月15日:【八幡空襲】 米軍のB-29爆撃機が初めて北九州を空襲。中国・成都基地から北九州の八幡製鉄所へ飛来・爆撃した。
8月:疎開船「対馬丸」が撃沈された。
1944年8月22日【対馬丸事件   死者1476人】
7月にサイパン島が玉砕陥落したことにより、アメリカ軍は同島からB-29爆撃機を出撃させることで、無着陸で北海道・東北北部を除く日本のほぼ全土を空襲できるようになった。これを受けて政府は、沖縄県知事泉守紀に宛てて本土決戦に備え、非戦闘員である老人や婦女、児童計10万人を本土または台湾への疎開させよとの命令を通達した。対馬丸は、この命令により疎開活動に当たっていた船団の1隻であった。
沖縄から本土に疎開する学童など1788人を乗せた学童疎開船「対馬丸」(6754トン)が、鹿児島県沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。対馬丸記念館(那覇市)によると、名前が判明しているだけで、779人の学童を含む1476人が犠牲になった。

10月10日:【十・十空襲(那覇空襲)死者255人】 米海軍機のべ900機(日本側発表500機)が沖縄県全域に対しての空襲。米軍が焼夷弾を初めて戦闘に使用した。那覇市では市街地の9割が焼失して市は壊滅した。本土初の本格的都市空襲。
10月25日:【大村大空襲   死者約500人】 東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を空襲。
11月24日:【東京空襲】 東京・武蔵野町(現=武蔵野市)の中島飛行機工場に対する空襲が行われた。

Re: 侵略国日本は国際社会の前科者

投稿者: sensouhouki6 投稿日時: 2011/07/16 12:10 投稿番号: [8294 / 8458]
そろそろ、福島のすべてが、「ダメ」だってことが、日本全国に知れ渡りはじめた。
当然、東北・北関東もアウト。
静岡茶が、フランスで門前払いなのだから、当然と言えば、当然。。。
「安全安全」って嘘をつく時代は終わりはじめていると感じる。
本当の不況がくるだろう。。。(-_-;)

アメリカの日本人虐殺全記録1942年

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/16 11:57 投稿番号: [8293 / 8458]
1942年4月18日:【初の本土空襲(ドーリットル空襲)死者87人】 米軍が、東京の約800km東に停泊した空母から発艦のジミー・ドーリットル中佐率いるB25爆撃機16機が東京市、川崎市、横須賀市、名古屋市、四日市市、神戸市を奇襲攻撃。初の日本本土空襲。
日本側には死者87名、重軽傷者466名、家屋262戸の被害が出た。このうち9名は日本軍高射砲の破片によると認められている。国際法上禁止されている非戦闘員に対する攻撃に至った機もあり、葛飾区にある水元国民学校高等科の少年 石出巳之助が機銃掃射を受け死亡した。この学童には「悲運銃撃善士」という戒名が与えられた。朝日新聞社は『鬼畜の敵、校庭を掃射』等を報じている。また、日本軍の航空機と勘違いし、手を振った学童に対しても機銃掃射したが死者は出なかった。ただし、このB-25(3番機)は学校屋上に設置されていた防空監視櫓を見て軍事施設と誤認した可能性が高い。14番機は名古屋病院を爆撃したが、これは第三師団司令部を狙った攻撃がそれたためである。16番機は他のB-25に比べて積極的に機銃掃射を行った。

アメリカの日本人虐殺全記録・序章

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/16 05:50 投稿番号: [8292 / 8458]
まず最初に言っておく。アメリカの犯罪を持ち出すとすぐに中国における日本軍の犯罪を言う人がいるが、日中戦争(といっても、この戦争はいつも中国側が先に仕掛けている)において、日本軍が意図的にまたは組織的に一般民間人を狙って殺したことはない。
国家や軍が意図的に用意周到に準備して、大仕掛けにそして大規模に一般民間人だけを狙って大量殺戮した国は、世界戦史上アメリカが最初である。
ユダヤ人大虐殺の思想がヒトラーの発明であるとすれば、一般市民大虐殺の思想はアメリカの発明である。しかも両者の意識の根底には人種差別の思想が存在している。

第2次世界大戦でアメリカ軍を主体とする連合国軍が日本本土に対する空襲を行った。B29戦略爆撃機による本格的空襲は1944年6月より北部九州に対して中国大陸の基地から行われた。マリアナ諸島が陥落すると、日本本土の大半が爆撃圏内にはいり、1944年末頃から空襲は熾烈化した。

当初は軍需工場が主たる目標となっていたが、カーチス・ルメイ少将の登場以降、民家や一般市民そのものを標的にした無差別爆撃へと移った。日本全国の主要都市のほとんどが灰燼に帰し、特に主要な都市は大規模空襲にあった。京都は原爆投下目標の候補の一つであったため大規模空襲にあわなかった。空襲は終戦当日まで続いた。また、末期には機動部隊艦載機や硫黄島から飛来する単発機による爆撃や機銃掃射も行われた。  

非戦闘員に対する卑劣な戦法で戦時国際法に反するが、アメリカが戦勝国のためは裁かれることはなかった。日本政府は、 サンフランシスコ講和条約(1952年)により賠償請求権を放棄した。

Re: サイパン島玉砕の悲劇

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/07/12 22:06 投稿番号: [8291 / 8458]
これ、アメリカ人に教えて遣りたい。

シナ人と一面同じ価値観の欧米人。世界を植民地にして、その地に住んでいた人々を惨殺して当たり前の行為ですね〜。

アメリカ軍の日時別日本人虐殺数のつづき3

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/12 21:11 投稿番号: [8290 / 8458]
1945年7月
7月1-2日 【熊本大空襲 死者数469人】
午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)[3]市街地の約20%を焼失。負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人。
7月1日-2日 【呉市空襲 死者3,700人】B29・150機。
7月2日 【下関空襲 死者324人】B29・143機。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月3日 【姫路大空襲 死者324人】
深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
7月4日 【高松空襲 死者1359人】
B29・116機。罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
7月4日 【徳島大空襲   死者約1,000人】
B29・129機   けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
7月4日 【高知大空襲   死者401人】B29・120機   罹災家屋約12,000戸。
7月6日 【千葉空襲 死傷者1,679人】B29・124機。
7月6日 【甲府空襲 死者1,027人】B29・131機。全焼17,920戸。
7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
7月9日 【和歌山大空襲 死者約1200人】B29・約100機。
7月9日 【堺空襲 死者1860人】B29・約100機。焼失18,000戸。
7月9日 【岐阜空襲 死者約900人】B29・約130機。
7月10日 【仙台空襲 死者828人】B29・124機。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
7月12日 【宇都宮大空襲 死者628人】B29・133機、焼夷弾12,704発。負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。【鹿沼空襲 死者9人】
7月12日 【敦賀空襲 死者109人】負傷者201人。日本海側初の空襲[6]
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 【室蘭艦砲射撃。死者436人】室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。一連の空襲での死傷者は1,193人。
7月16日 【平塚大空襲 死者343名】B29・136機 焼夷弾10,961発、
海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日 沼津大空襲
7月17日 桑名空襲
桑名は7月24日にも空襲を受けた。
7月17日 【日立艦砲射撃。死者317人】
7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
7月19日 【福井空襲 死者1,576人】B29・120機。
7月19日 【日立空襲 死傷者2,199人】B29・127機。
7月19日 【銚子空襲 死傷者1,181人】B29・91機。
7月19-20日 【岡崎空襲 死者203人】B29・126機。
7月24日 【半田空襲 死者269人】B29・78機。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
7月24日、28日 【津大空襲 死者1,239人】旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 【呉軍港空襲 死者780人】米艦載機950機、B29・110機 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没。
7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)
米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、【児童125人、教師2人が即死】し、70数人の児童が重軽傷を負った。
7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
7月26日 【松山大空襲 死者・行方不明259人】
B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 【徳山空襲 死者482人】B29・約100機。負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。

アメリカ軍の日時別日本人虐殺数のつづき4

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/12 04:14 投稿番号: [8289 / 8458]
7月28日 【青森大空襲   死傷者1767人】
B29・61機。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。青函連絡船第2青函丸、第3青函丸、第6青函丸、翔鳳丸、飛鸞丸が航行中に撃沈された。
7月29日 【浜松艦砲射撃   死者177人】周辺の被害も含む。
7月29日 【大垣空襲   死者50人】負傷者約100人、全半壊家屋約4,900戸、罹災者約30,000人。大垣城、開闡寺などが焼失。
7月31日 【清水艦砲射撃   死者44人】7隻の駆逐艦によるもの。

1945年8月
8月1日 【水戸空襲 死傷者1535人】B29・99機。
8月1日 【八王子空襲 死傷者2450人】B29・169機。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。
8月1日 【長岡空襲 死者1470人余】B29・125機。焼失家屋11,986戸。
8月2日 【富山大空襲 死者2737人】
B29・174機。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
なお、8月1日から翌2日未明にかけて行われた水戸・八王子・長岡・富山に対する一斉空襲は、司令官カーチス・ルメイが自身の昇進と陸軍航空隊発足記念日を祝う目的で一斉に行われた戦略上特に意味のない作戦で、1日の弾薬使用量がノルマンディー上陸作戦を上回るように計算されていた。

8月5日 【前橋・高崎空襲 死傷者1323人】B29・92機。
8月6日 【広島原爆投下 死者14万人】
8月7日 【豊川海軍工廠空襲 死者2477人】
8月8日 【福山大空襲 死者354人】
B29・91機。負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。
8月8日 【八幡大空襲。死者2952人】
B29・127機。焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。
8月9日 【長崎原爆投下   死者7万人】
8月9日 【大湊空襲   死者129名】
負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
8月9日 【釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人】爆音は秋田市まで響いたという。
8月10日 花巻空襲、熊本空襲
8月11日 【久留米空襲 死者212人】焼失家屋4506戸。
8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。
8月14日 【熊谷空襲 死傷者687人】B29・82機。
8月14日 岩国大空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
8月14日 【山口県光市 死者738人】光海軍工廠空襲
8月14-15日 【小田原空襲 死者30〜50人】
8月14-15日 【土崎大空襲 死傷者300〜400人】B29・132機。最後の空襲。

アメリカ軍の日時別日本人虐殺数のつづき3

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/12 03:49 投稿番号: [8288 / 8458]
1945年7月
7月1-2日 【熊本大空襲 死者数469人】
午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)[3]市街地の約20%を焼失。負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人。
7月1日-2日 【呉市空襲 死者3,700人】B29・150機。
7月2日 【下関空襲 死者324人】B29・143機。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月3日 【姫路大空襲 死者324人】
深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
7月4日 【高松空襲 死者1359人】
B29・116機。罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
7月4日 【徳島大空襲   死者約1,000人】
B29・129機   けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
7月4日 【高知大空襲   死者401人】B29・120機   罹災家屋約12,000戸。
7月6日 【千葉空襲 死傷者1,679人】B29・124機。
7月6日 【甲府空襲 死者1,027人】B29・131機。全焼17,920戸。
7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
7月9日 【和歌山大空襲 死者約1200人】B29・約100機。
7月9日 【堺空襲 死者1860人】B29・約100機。焼失18,000戸。
7月9日 【岐阜空襲 死者約900人】B29・約130機。
7月10日 【仙台空襲 死者828人】B29・124機。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
7月12日 【宇都宮大空襲 死者628人】B29・133機、焼夷弾12,704発。負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。【鹿沼空襲 死者9人】
7月12日 【敦賀空襲 死者109人】負傷者201人。日本海側初の空襲[6]
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 【室蘭艦砲射撃。死者436人】室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。一連の空襲での死傷者は1,193人。
7月16日 【平塚大空襲 死者343名】B29・136機 焼夷弾10,961発、
海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日 沼津大空襲
7月17日 桑名空襲
桑名は7月24日にも空襲を受けた。
7月17日 【日立艦砲射撃。死者317人】
7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
7月19日 【福井空襲 死者343名】B29・120機。
7月19日 【日立空襲 死者343名】B29・127機。
7月19日 【銚子空襲 死者343名】B29・91機。
7月19-20日 【岡崎空襲 死者203人】B29・126機。
7月24日 【半田空襲 死者269人】B29・78機。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
7月24日、28日 【津大空襲 死者1,239人】旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 【呉軍港空襲 死者780人】米艦載機950機、B29・110機 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没。
7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)
米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、【児童125人、教師2人が即死】し、70数人の児童が重軽傷を負った。
7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
7月26日 【松山大空襲 死者・行方不明259人】
B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 【徳山空襲 死者482人】B29・約100機。負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。

アメリカ軍の日時別日本人虐殺数のつづき2

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/12 02:55 投稿番号: [8287 / 8458]
主要地方都市
1944年
1944年6月15日 八幡空襲   中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。
10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
10月25日 【大村大空襲 死者約500名】当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。
11月21日 熊本初空襲
1945年3月
1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
3月27日 小倉大空襲
1945年4月
4月8日 玉野空襲
4月15日 【川崎空襲 死者約1000人】、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
4月21日   鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月
5月10日 【徳山大空襲 死者500人以上】第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。負傷者約1000人。
5月29日 【横浜大空襲 死者3787人】
B29・475機、P51・約100機。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千〜1万人にのぼることが確実と考えられている。
5月31日 【台北大空襲 死者約3000人】B24・117機日本統治時代の台北市。
1945年6月
6月1日 【尼崎空襲 死者231人】
6月10日 【日立空襲 死者1200人】
6月10日 【千葉空襲 死者152人】B29・約100機。
6月17日 【鹿児島大空襲 死者2,316人】
B29・117機、焼夷弾810トン。負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
6月18日 【浜松空襲 死者1720人】焼失家屋15,400戸。
6月18日 【四日市空襲 死者736人】B29・89機。負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
6月19日 【福岡大空襲 死者902人】B29・239機。罹災人口60,599人、罹災家屋12,693戸。
6月19-20日 【静岡大空襲 死者1,952人】
B29・137機。   罹災人口127,119人   焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
6月19-20日 【豊橋空襲   死者624人】B29・136機。
6月22日 【姫路空襲   死者341人】(川西航空機姫路製作所とその周辺)   B29・約60機、罹災者10220人。
6月22日 【水島空襲   死者11人】(現倉敷市) 重軽傷者46人。
6月22日 【各務原空襲   死者169人】(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。
6月22日 【呉空襲 死者1600人】工廠への爆撃
6月28日 呉大空襲
6月29日 【佐世保大空襲 死者約1300人】
B29・141機。焼夷弾約1200トン。罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
6月29日 【岡山空襲 死者1737人】
B29・137機。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。

アメリカ軍の日時別日本人虐殺数

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/12 02:21 投稿番号: [8286 / 8458]
主要大都市
東京
1942年4月18日 ドーリットル空襲
1945年2月15日 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲。関東の軍需工場が標的。
3月10日 【東京大空襲 死者約8万〜10万名】
負傷4万〜11万名。焼失26万8千戸。
4月13日 【城北大空襲 死者2459名】
B29・330機。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。
4月15日 【京浜空襲 死者841名】
B29・202機。焼失6万8400戸。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。
5月24日【 死者762名】
B29・525機。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。
5月25日【死者3651名】
B29・470機。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。
東京は1944年11月14日以降、上記の大空襲を含む106回の空襲を受けた。

名古屋
1944年12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む63回の空襲を受けて【死者8630名】、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。

1945年3月12日 【名古屋大空襲   死者602名】
B29・288機。負傷者1238名。全焼2万9千戸。
3月19日 【死者1037名】
負傷者2813名。焼失3万6千戸。
5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
6月9日 【熱田空襲   死者2068名】
B29・43機。負傷1944名。
6月21日 【死者426名】B29・120機。負傷者327名。

大阪
空襲後の大阪市街大阪は1945年1月9日以降、 下記の大空襲を含む33回の空襲を受けた。

1945年3月13日 【大阪大空襲 死者3115名】B29・279機。焼失13万2459戸。
6月1日 【死者3150名】B29・474機。焼失6万戸
6月7日 【死者1594名】B29・250機。負傷者4967名。焼失5万6千戸。
6月15日 【死者418名】B29・469機。負傷者1842名。焼失4万9千戸。
6月26日 【死者592名】B29・約100機。負傷者1102名。焼失約9千戸。
7月24日 【死者187名】B29・約400機を含む大小二千機。負傷317名。焼失554戸。
8月14日 【死者173名】B29・約100機。負傷89名。焼失二千戸。大阪城にあった砲兵工廠が目標であった。

神戸
神戸は1945年1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・128回、【死者8841名】、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。同年3月17日の大空襲で旧市街地の西の地域を中心に焼失する。

1945年3月17日 神戸大空襲 【死者2598名】
B29・309機。負傷者8558名。全焼6万5千戸。罹災人口23万6千名。
5月11日 【死者1093名】B29・92機。負傷者924人。
6月5日【死者3184名】 B29・481機。負傷者5824名。全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。

京都
京都は1945年1月16日以降、合計20回以上の空襲を受けて【死者302人】、負傷者561人の被害を出した。

1945年1月16日 【死者41人 】
3月19日
4月16日
5月11日 京都御所へ空襲。
6月26日 【死者43人】、負傷者66人、被害家屋292戸(全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸)。被災者850名

アメリカ軍の日本本土空襲のつづき4

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/10 22:26 投稿番号: [8285 / 8458]
7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。青函連絡船第2青函丸、第3青函丸、第6青函丸、翔鳳丸、飛鸞丸が航行中に撃沈された。
7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。
7月29日 大垣空襲。死者50人、負傷者約100人、全半壊家屋約4,900戸、罹災者約30,000人。大垣城、開闡寺などが焼失。
7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。

1945年8月
8月1日 水戸空襲 B29・99機。死傷者1535人。
8月1日 八王子空襲 B29・169機。死傷者2450人。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。
8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1470人余。焼失家屋11,986戸。
8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
なお、8月1日から翌2日未明にかけて行われた水戸・八王子・長岡・富山に対する一斉空襲は、司令官カーチス・ルメイが自身の昇進と陸軍航空隊発足記念日を祝う目的で一斉に行われた戦略上特に意味のない作戦で、1日の弾薬使用量がノルマンディー上陸作戦を上回るように計算されていた。

8月5日 前橋・高崎空襲 B29・92機。死傷者1323人。
8月6日 広島原爆
8月7日 豊川海軍工廠空襲 死者2477人。
8月8日 福山大空襲 B29・91機。死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人(福山市民82%が被災)。同年6月にはグラマンF6F艦上戦闘機によって福山海軍航空隊への機銃掃射が行われていた。
8月8日 八幡大空襲。B29・127機。死者2952人、焼失家屋数14,380戸。このときの火災による煙が、翌日の原爆の投下目標を小倉から長崎に変更させる一因となった。
8月9日 長崎原爆
8月9日 大湊空襲。死者129名、負傷者300名以上。敷設艦常磐などが大破。
8月9日 釜石艦砲射撃。2回目。少なくとも死者301人。爆音は秋田市まで響いたという。
8月10日 花巻空襲、熊本空襲
8月11日 久留米空襲 死者212人。焼失家屋4506戸。
8月13日 長野空襲 長野市、上田市に艦載機62機による空襲。
8月14日 熊谷空襲 B29・82機。死傷者687人。
8月14日 岩国大空襲 この空襲の帰りに光にも空襲があった。
8月14日 山口県光市 光海軍工廠空襲 死者738人。
8月14-15日 小田原空襲 死者30〜50人。
8月14-15日 土崎大空襲 B29・132機。死傷者300〜400人。最後の空襲。

アメリカ軍の日本本土空襲のつづき3

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/10 22:17 投稿番号: [8284 / 8458]
1945年7月
7月1-2日 熊本大空襲
午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)[3]市街地の約20%を焼失。死者数469人、負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人[4]。
7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。[5]
7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。死者173人、罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
7月4日 徳島大空襲   B29・129機   死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
7月4日 高知大空襲   B29・120機   死者401人、罹災家屋約12,000戸。
7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。日本海側初の空襲[6]
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。[要出典]一連の空襲での死傷者は1,193人。
7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日 沼津大空襲
7月17日 桑名空襲
桑名は7月24日にも空襲を受けた。
7月17日 日立艦砲射撃。死者317人。
7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。
7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機[7] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。

アメリカ軍の日本本土空襲のつづき2

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/10 22:10 投稿番号: [8283 / 8458]
主要地方都市
1944年
1944年6月15日 八幡空襲   中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。
10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
10月25日 大村大空襲 当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
11月21日 熊本初空襲
1945年3月
1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
3月27日 小倉大空襲
1945年4月
4月8日 玉野空襲
4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
4月21日   鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月
5月10日 徳山大空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。死者500人以上、負傷者約1000人。
5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千〜1万人にのぼることが確実と考えられている。
5月31日 台北大空襲 B24・117機日本統治時代の台北市、死者約3000人。
1945年6月
6月1日 尼崎空襲 死者231人。
6月10日 日立空襲 死者1200人。
6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人   罹災人口127,119人   焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
6月19-20日 豊橋空襲   B29・136機。死者624人
6月22日 姫路空襲(川西航空機姫路製作所とその周辺)   B29・約60機、死者341人、罹災者10220人。
6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[2] 死者1600人。
6月28日 呉大空襲
6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。

アメリカ軍の日本本土空襲

投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/10 22:00 投稿番号: [8282 / 8458]
主要大都市
東京
1942年4月18日 ドーリットル空襲
1945年2月15日 米空母機動部隊艦載機による本土初空襲。関東の軍需工場が標的。
3月10日 東京大空襲 死者約8万〜10万。負傷4万〜11万名。焼失26万8千戸。
4月13日 城北大空襲 B29・330機。死者2459名。焼失20万戸。主として豊島・渋谷・向島・深川方面。
4月15日 京浜空襲 B29・202機。死者841名。焼失6万8400戸。主として羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市も同時に空襲を受けた。
5月24日 B29・525機。死者762名。焼失6万5千戸。主として麹町・麻布・牛込・本郷方面。
5月25日 B29・470機。死者3651名。焼失16万6千戸。主として中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面。
東京は1944年11月14日以降、上記の大空襲を含む106回の空襲を受けた。

名古屋
1944年12月13日以降、名古屋は軍需工業地帯が集中していたため下記の大空襲を含む63回の空襲を受けて死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名の被害を出した。実際には死者は1万名以上にのぼるとみられる。

1945年3月12日 名古屋大空襲 B29・288機。死者602名。負傷者1238名。全焼2万9千戸。
3月19日 死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
5月14日 B29・480機。この日の空襲で名古屋城が焼失した。
6月9日 熱田空襲 B29・43機。死者2068名。負傷1944名。
6月21日 B29・120機。死者426名。負傷者327名。

大阪
空襲後の大阪市街大阪は1945年1月9日以降、 下記の大空襲を含む33回の空襲を受けた。

1945年3月13日 大阪大空襲 B29・279機。死者3115名。焼失13万2459戸。
6月1日 B29・474機。死者3150名。焼失6万戸
6月7日 B29・250機。死者1594名。負傷者4967名。焼失5万6千戸。
6月15日 B29・469機。死者418名。負傷者1842名。焼失4万9千戸。
6月26日 B29・約100機。死者592名。負傷者1102名。焼失約9千戸。
7月24日 B29・約400機を含む大小二千機。死者187名。負傷317名。焼失554戸。
8月14日 B29・約100機。死者173名。負傷89名。焼失二千戸。大阪城にあった砲兵工廠が目標であった。

神戸
神戸は1945年1月3日以降、下記の大空襲を含む83日・128回、死者8841名、負傷18404名、焼失12万8千戸の被害を終戦までに受けた。同年3月17日の大空襲で旧市街地の西の地域を中心に焼失する。

1945年3月17日 神戸大空襲 B29・309機。死者2598名。負傷者8558名。全焼6万5千戸。罹災人口23万6千名。
5月11日 B29・92機。死者1093名。負傷者924人。
6月5日 B29・481機。死者3184名。負傷者5824名。全焼5万5千戸。罹災人口21万3千名。

京都
京都は1945年1月16日以降、合計20回以上の空襲を受けて死者302人、負傷者561人の被害を出した。

1945年1月16日 死者41人
3月19日
4月16日
5月11日 京都御所へ空襲。
6月26日 死者43人、負傷者66人、被害家屋292戸(全壊71戸、半壊84戸、一部損壊137戸)。被災者850名

米軍の

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/07/10 11:28 投稿番号: [8281 / 8458]
日本人大虐殺は事実有った。同じようにシナ軍の日本人大虐殺も事実有った。
敗戦により、それらを打ち消すが如く、南京大虐殺が捏造された。これらの事実を広めましょう〜。
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