日本人がアホになった理由
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/08/16 03:17 投稿番号: [8316 / 8458]
あるブログより引用。
8月15日を「終戦記念日」という。
あの終戦を“記念日”だと言うのは今もって抵抗がある。8月15日の終戦、つまりあの戦争とその後の占領政策こそ日本にとって有史以来初めて味わう屈辱であったはずです。そして、多くの日本国民が気付かぬまま今も面々と占領政策が引き続いているのです。
我々はこの屈辱の日を“記念日”と言うよりは、日清戦争後の三国干渉による圧力を我が先人達が堪え難きを堪えた“臥薪嘗胆”こそ全国民が思いはせるべきではないか。
日本人には戦後のアメリカの占領政策で精神的に無力化させられたという自覚がまったくない。
戦時国際法・交戦法規には一般住民や非戦闘員に危害を加えてはならないとあります。また、軍事目標以外を攻撃してはならないとあります。
さらには不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならないとも書いてあります。大空襲による同胞の死、落とす必要のなかった原爆での犠牲、祖父たちが味わったあの辛苦と屈辱。
戦後、この全てを戦争指導者、つまり軍国主義者の責任とし、占領軍は自分たちの民主化政策の正当化のために日本人に贖罪意識を植え付けたのです。
しかし考えてみるまでもなく、共同謀議による平和に対する罪であるA級戦犯も戦争犯罪のB級戦犯も非人道的なC級戦犯も連合国の人間にこそそっくり当てはまるものではないか。
さて、終戦の日にマスコミなどが“戦争の悲惨さ”や“平和を訴える”ことは尤ものようであるが、どうも“左”の匂いがする。
特に偏った歴史観と自虐史観でつくられた番組など見るに堪えない。まさに堪え難きを堪えだ。私はあえて終戦の日を境にどうして日本がダメになっていったのかを、この日にこそ日本人が知り、考えることが必要だと思うのですが、いかがでしょうか。
日本人の贖罪意識に大きな役割をしたのが占領軍が実施した“プログラム”でした。この“プログラム”は敗戦後まもない日本人の心に、戦争を起こした国家の罪と自覚を植え付ける目的でつくられたものです。
日本人に贖罪意識を植え付けるこの“プログラム”は昭和20年12月8日に始まった「太平洋戦争史」と題した新聞連載を皮切りに執拗に進められました。なぜこの日となったのか。それは4年前のこの日に日本がアメリカに宣戦布告した日だからです。
この“プログラム”は占領軍の民間情報教育局(CI&E)によって準備されたもので、それまでの日本人は誰ひとりとして聞いたこともないような、
南京、マニラにおける日本軍の残虐行為を歴史の真相として強調したものでした。占領軍はこの一週間後「太平洋戦争史」を徹底させるため、神道指令で「大東亜戦争」という名称の使用を禁止しました。
「太平洋戦争史」は新聞連載終了後の昭和21年1月に占領軍の「依命通牒」によって停止となった「国史」の授業の代わりに学校教材として使われることとなりました。このようにして日本人が使っていた「大東亜戦争」は占領軍によって「太平洋戦争」と言うようにすり替えられたのです。
だからこそ今の日本人にはよく理解してほしい。戦前を生きた方々に聞けば一目瞭然ですが、戦争当時日本であの戦争を太平洋戦争と言っていた人は誰もいません。
それは日本があの戦争の戦った地域を見ただけでも理解できるでしょう。
日本が戦ったのは太平洋だけではないのです。日本はアジア諸国が長年の白人による搾取や愚民化政策、人種差別による植民地体制から解放するために大東亜戦争という呼称のもと、日本の青年とともにアジアの青年たちが立ちあがって戦った戦争だったのです。それが事実です。
こうして日本人に贖罪意識を植え付け、その最大のものは東京裁判でした。
占領軍の指示でこの裁判の検察側の取り上げる戦犯の罪状ばかりを、日本の新聞やラジオで事細かく伝えられました。このことからも東京裁判が日本人自ら犯した戦争の罪悪を見せつけるためであったのは明らかです。
この“プログラム”で日本人から自国の歴史に対する自信と誇りを奪い去り、強烈な贖罪意識を植え付けることに成功して、今現在もマスコミや学校教育はこれに則って報道され、教育されているのです。
もういい加減に太平洋戦争などと米国に言わされ、米国が使っていた言い方を使うのはやめようではないか。
8月15日を「終戦記念日」という。
あの終戦を“記念日”だと言うのは今もって抵抗がある。8月15日の終戦、つまりあの戦争とその後の占領政策こそ日本にとって有史以来初めて味わう屈辱であったはずです。そして、多くの日本国民が気付かぬまま今も面々と占領政策が引き続いているのです。
我々はこの屈辱の日を“記念日”と言うよりは、日清戦争後の三国干渉による圧力を我が先人達が堪え難きを堪えた“臥薪嘗胆”こそ全国民が思いはせるべきではないか。
日本人には戦後のアメリカの占領政策で精神的に無力化させられたという自覚がまったくない。
戦時国際法・交戦法規には一般住民や非戦闘員に危害を加えてはならないとあります。また、軍事目標以外を攻撃してはならないとあります。
さらには不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならないとも書いてあります。大空襲による同胞の死、落とす必要のなかった原爆での犠牲、祖父たちが味わったあの辛苦と屈辱。
戦後、この全てを戦争指導者、つまり軍国主義者の責任とし、占領軍は自分たちの民主化政策の正当化のために日本人に贖罪意識を植え付けたのです。
しかし考えてみるまでもなく、共同謀議による平和に対する罪であるA級戦犯も戦争犯罪のB級戦犯も非人道的なC級戦犯も連合国の人間にこそそっくり当てはまるものではないか。
さて、終戦の日にマスコミなどが“戦争の悲惨さ”や“平和を訴える”ことは尤ものようであるが、どうも“左”の匂いがする。
特に偏った歴史観と自虐史観でつくられた番組など見るに堪えない。まさに堪え難きを堪えだ。私はあえて終戦の日を境にどうして日本がダメになっていったのかを、この日にこそ日本人が知り、考えることが必要だと思うのですが、いかがでしょうか。
日本人の贖罪意識に大きな役割をしたのが占領軍が実施した“プログラム”でした。この“プログラム”は敗戦後まもない日本人の心に、戦争を起こした国家の罪と自覚を植え付ける目的でつくられたものです。
日本人に贖罪意識を植え付けるこの“プログラム”は昭和20年12月8日に始まった「太平洋戦争史」と題した新聞連載を皮切りに執拗に進められました。なぜこの日となったのか。それは4年前のこの日に日本がアメリカに宣戦布告した日だからです。
この“プログラム”は占領軍の民間情報教育局(CI&E)によって準備されたもので、それまでの日本人は誰ひとりとして聞いたこともないような、
南京、マニラにおける日本軍の残虐行為を歴史の真相として強調したものでした。占領軍はこの一週間後「太平洋戦争史」を徹底させるため、神道指令で「大東亜戦争」という名称の使用を禁止しました。
「太平洋戦争史」は新聞連載終了後の昭和21年1月に占領軍の「依命通牒」によって停止となった「国史」の授業の代わりに学校教材として使われることとなりました。このようにして日本人が使っていた「大東亜戦争」は占領軍によって「太平洋戦争」と言うようにすり替えられたのです。
だからこそ今の日本人にはよく理解してほしい。戦前を生きた方々に聞けば一目瞭然ですが、戦争当時日本であの戦争を太平洋戦争と言っていた人は誰もいません。
それは日本があの戦争の戦った地域を見ただけでも理解できるでしょう。
日本が戦ったのは太平洋だけではないのです。日本はアジア諸国が長年の白人による搾取や愚民化政策、人種差別による植民地体制から解放するために大東亜戦争という呼称のもと、日本の青年とともにアジアの青年たちが立ちあがって戦った戦争だったのです。それが事実です。
こうして日本人に贖罪意識を植え付け、その最大のものは東京裁判でした。
占領軍の指示でこの裁判の検察側の取り上げる戦犯の罪状ばかりを、日本の新聞やラジオで事細かく伝えられました。このことからも東京裁判が日本人自ら犯した戦争の罪悪を見せつけるためであったのは明らかです。
この“プログラム”で日本人から自国の歴史に対する自信と誇りを奪い去り、強烈な贖罪意識を植え付けることに成功して、今現在もマスコミや学校教育はこれに則って報道され、教育されているのです。
もういい加減に太平洋戦争などと米国に言わされ、米国が使っていた言い方を使うのはやめようではないか。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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