アメリカ軍の日本本土空襲のつづき2
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/10 22:10 投稿番号: [8283 / 8458]
主要地方都市
1944年
1944年6月15日 八幡空襲 中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。
10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
10月25日 大村大空襲 当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
11月21日 熊本初空襲
1945年3月
1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
3月27日 小倉大空襲
1945年4月
4月8日 玉野空襲
4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
4月21日 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月
5月10日 徳山大空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。死者500人以上、負傷者約1000人。
5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千〜1万人にのぼることが確実と考えられている。
5月31日 台北大空襲 B24・117機日本統治時代の台北市、死者約3000人。
1945年6月
6月1日 尼崎空襲 死者231人。
6月10日 日立空襲 死者1200人。
6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
6月22日 姫路空襲(川西航空機姫路製作所とその周辺) B29・約60機、死者341人、罹災者10220人。
6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[2] 死者1600人。
6月28日 呉大空襲
6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。
1944年
1944年6月15日 八幡空襲 中国大陸の基地から初めてB29が本土を空襲した。
10月10日 十・十空襲 沖縄県全域に対しての空襲。那覇市街での被害が大きかったため、那覇空襲とも呼ばれる。
10月25日 大村大空襲 当時東亜最大規模と言われた第21海軍航空廠があった長崎県大村市を狙った空襲。死者約500名。
11月21日 熊本初空襲
1945年3月
1945年3月18日朝 大分空襲 航空隊施設を狙ったものと見られ、宇佐・大分・佐伯が空襲を受けた。
3月18日朝 鹿児島初空襲 グラマン・カーチス等の艦載機40機が桜島上空に現れ、郡元町にある海軍航空隊を急降下爆撃。
3月19日 アメリカ軍機動部隊、室戸岬沖80キロの近海に来襲。米艦載機350機が呉軍港空襲を敢行。航空母艦3巡洋艦2敷設艦2が大破沈没。これに対しての日本軍の反撃で、九州沖航空戦が生起した。
3月27日 小倉大空襲
1945年4月
4月8日 玉野空襲
4月15日 川崎空襲 死者約1000人、負傷者15,000人。罹災人口10万人。全半壊33,361戸。同工場287戸。川崎は7月13日、25日、8月1日、13日にも空襲を受けた。
4月21日 鹿児島空襲 鹿児島市電上町線の一部区間が被害を受けた。時限爆弾が投下され、5月末ごろまで昼となく夜となく爆発を続けたため、熊本第6師団から歩兵1個中隊と工兵隊1分隊が、時限爆弾とこの不発弾処理にあたった。
1945年5月
5月10日 徳山大空襲 第三海軍燃料廠を狙った空襲。B29・約800機。死者500人以上、負傷者約1000人。
5月29日 横浜大空襲 B29・475機、P51・約100機。死者3787人。重傷者1554人。軽傷者10,837人。罹災人口323,000人。焼失約3万戸。その後の調査で、死者は8千〜1万人にのぼることが確実と考えられている。
5月31日 台北大空襲 B24・117機日本統治時代の台北市、死者約3000人。
1945年6月
6月1日 尼崎空襲 死者231人。
6月10日 日立空襲 死者1200人。
6月10日 千葉空襲 B29・約100機。死者152人。
6月17日 鹿児島大空襲 B29・117機、焼夷弾810トン。死者2,316人、負傷者5,000人以上、家屋被災約11,600戸。
6月18日 浜松空襲 死者1720人。焼失家屋15,400戸。
6月18日 四日市空襲 B29・89機。死者736人、負傷者1500名、行方不明63人、被災者47,153名、焼失家屋11,390戸。
6月19日 福岡大空襲 B29・239機。罹災人口60,599人(うち死者902人)。罹災家屋12,693戸。
6月19-20日 静岡大空襲 B29・137機。死者1,952人 罹災人口127,119人 焼失家屋30,045戸。静岡市(現在の葵区・駿河区)は、計26回の空襲を受けたが、それ以外にも数えきれない程の機銃掃射や空襲とは呼べない小規模な爆撃を受けている。
6月19-20日 豊橋空襲 B29・136機。死者624人
6月22日 姫路空襲(川西航空機姫路製作所とその周辺) B29・約60機、死者341人、罹災者10220人。
6月22日 水島空襲(現倉敷市) 死者11人、重軽傷者46人。
6月22日 各務原空襲(現航空自衛隊岐阜基地付近)B29・44機。死者169人
6月22日 呉空襲 工廠への爆撃[2] 死者1600人。
6月28日 呉大空襲
6月29日 佐世保大空襲 B29・141機。焼夷弾約1200トン。死者約1300人、罹災人口約65,000人。当日は雨で「今日は来ないだろう」という市民の不意を突き深夜に空襲された。
6月29日 岡山空襲 B29・137機。死者1737人。罹災人口12万人。罹災家屋25,000戸。(『岡山市史』)空襲警報が出されずまったくの不意打ちであったため被害が増大した。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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