アメリカ軍の日本本土空襲のつづき3
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/07/10 22:17 投稿番号: [8284 / 8458]
1945年7月
7月1-2日 熊本大空襲
午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)[3]市街地の約20%を焼失。死者数469人、負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人[4]。
7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。[5]
7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。死者173人、罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
7月4日 徳島大空襲 B29・129機 死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
7月4日 高知大空襲 B29・120機 死者401人、罹災家屋約12,000戸。
7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。日本海側初の空襲[6]
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。[要出典]一連の空襲での死傷者は1,193人。
7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日 沼津大空襲
7月17日 桑名空襲
桑名は7月24日にも空襲を受けた。
7月17日 日立艦砲射撃。死者317人。
7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。
7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機[7] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。
7月1-2日 熊本大空襲
午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)[3]市街地の約20%を焼失。死者数469人、負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人[4]。
7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。[5]
7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。
7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・約107機。死者173人、罹災者45,182人。姫路城は焼失を免れる。
7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。
7月4日 徳島大空襲 B29・129機 死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。
7月4日 高知大空襲 B29・120機 死者401人、罹災家屋約12,000戸。
7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。
7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。
7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区)
7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。
7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。
7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。
7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。
7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。
7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。日本海側初の空襲[6]
7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。
7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土に及んだ。
7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。
7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。
大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。また公式記録には残っていないものの、別府市浜脇地区も被弾したといわれている。[要出典]一連の空襲での死傷者は1,193人。
7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名
海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。
7月17日 沼津大空襲
7月17日 桑名空襲
桑名は7月24日にも空襲を受けた。
7月17日 日立艦砲射撃。死者317人。
7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。
7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。
7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。
7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。
7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。
7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。
7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。
7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機[7] 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。
7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍グラマン戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。
7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。
7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。
7月26日 平空襲
7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。
7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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