地学雑誌 第210号
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P418(完了)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/12/01 20:14 投稿番号: [24 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。されど獲夫は其蕃殖を計りて之れを保護し幼兒を猟せさるを以て現今非常に多数なり。島根県知事の一行が視察せし時の如きは前数日の暴風雨の為め死し。又は将に死に類せんとするもの少なからざりしぞ、其他の産物としては鷗多く次いで水鳥、鮑貸貝、鳥帽子貝等亦多けれども尚は今日に於ては海豹以外更に生産物無し。出漁者は鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に到りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小舎に於いて毎回十数日間滞在し、多量の収獲をなし猟後、または風波強く繁泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。出漁者の数は一回に四五十名を普通とす。
此地に産する海豹は明治36年之を猟し大阪に輸出したるものありしも全く失敗せしが翌年に至り多少の需用あり。今日に至りては製革業の進歩と需用の増加とに依り軍隊用背●の表に附したりしものも牛皮の代用となるに至り。脂肪は精製して鯨油に劣らざる良品を得可く、肉は食用とすべく又肥料に供せらる精油は膠に用ゆ可き見込あり。
之を要するに、此島は日本海の航路に当り航海者の為には恰好の目標となりと雖も、避泊地なく又飲料水に亡しきを以て何等の用をなすこと能はず。啻に海豹多く産するを以て其補獲業のやや有望なるのみなり。
附記
以上の記事に依れば本誌第200号・201号、及び202号に掲げたる「隠岐國竹島に関する奮記」の記事は全く竹島の記事に非ずして欝陵島の記事なるが如し。日本海の海流は其中央部に緩流ある為此地方に向いたる船舶は屡々流失せられしと。又当時和船の航海術幼稚なりし為、屡々此に群島を混合し従いて此二島の世に伝われる記事の混同せるものの如し。他日更に竹島と本邦との歴史的関係を調査し世に紹介する所あるべし(5月28日稿)
啻(シ・ただ)
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P418(ラスト2行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/12/01 12:15 投稿番号: [23 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。されど獲夫は其蕃殖を計りて之れを保護し幼兒を猟せさるを以て現今非常に多数なり。島根県知事の一行が視察せし時の如きは前数日の暴風雨の為め死し。又は将に死に類せんとするもの少なからざりしぞ、其他の産物としては鷗多く次いで水鳥、鮑貸貝、鳥帽子貝等亦多けれども尚は今日に於ては海豹以外更に生産物無し。出漁者は鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に到りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小舎に於いて毎回十数日間滞在し、多量の収獲をなし猟後、または風波強く繁泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。出漁者の数は一回に四五十名を普通とす。
此地に産する海豹は明治36年之を猟し大阪に輸出したるものありしも全く失敗せしが翌年に至り多少の需用あり。今日に至りては製革業の進歩と需用の増加とに依り軍隊用背●の表に附したりしものも牛皮の代用となるに至り。脂肪は精製して鯨油に劣らざる良品を得可く、肉は食用とすべく又肥料に供せらる精油は膠に用ゆ可き見込あり。
附記
以上の記事に依れば本誌第200号・201号、及び202号に掲げたる「隠岐國竹島に関する奮記」の記事は全く竹島の記事に非ずして欝陵島の記事なるが如し。日本海の海流は其中央部に緩流ある為此地方に向いたる船舶は屡々流失せられしと。又当時和船の航海術幼稚なりし為、屡々此に群島を混合し従いて此二島の世に伝われる記事の混同せるものの如し。他日更に竹島と本邦との歴史的関係を調査し世に紹介する所あるべし(5月28日稿)
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Re: P418(ラスト6行目まで)+付記
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/24 12:46 投稿番号: [22 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。されど獲夫は其蕃殖を計りて之れを保護し幼兒を猟せさるを以て現今非常に多数なり。島根県知事の一行が視察せし時の如きは前数日の暴風雨の為め死し。又は将に死に類せんとするもの少なからざりしぞ、其他の産物としては鷗多く次いで水鳥、鮑貸貝、鳥帽子貝等亦多けれども尚は今日に於ては海豹以外更に生産物無し。出漁者は鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に到りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小舎に於いて毎回十数日間滞在し、多量の収獲をなし猟後、または風波強く繁泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。出漁者の数は一回に四五十名を普通とす。
附記
以上の記事に依れば本誌第200号・201号、及び202号に掲げたる「隠岐國竹島に関する奮記」の記事は全く竹島の記事に非ずして欝陵島の記事なるが如し。日本海の海流は其中央部に緩流ある為此地方に向いたる船舶は屡々流失せられしと。又当時和船の航海術幼稚なりし為、屡々此に群島を混合し従いて此二島の世に伝われる記事の混同せるものの如し。他日更に竹島と本邦との歴史的関係を調査し世に紹介する所あるべし(5月28日稿)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/斃(ヘイ、べ、たおれる)
屡々
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B1%A1%E3%80%85&aq
=-
1&oq=&r_dtype=all&ei=UTF-8緩流
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%B7%A9%E6%B5%81&aq
=-
1&oq=&r_dtype=all&ei=UTF-8
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P418(ラスト6行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/24 09:21 投稿番号: [21 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。されど獲夫は其蕃殖を計りて之れを保護し幼兒を猟せさるを以て現今非常に多数なり。島根県知事の一行が視察せし時の如きは前数日の暴風雨の為め死し。又は将に死に類せんとするもの少なからざりしぞ、其他の産物としては鷗多く次いで水鳥、鮑貸貝、鳥帽子貝等亦多けれども尚は今日に於ては海豹以外更に生産物無し。出漁者は鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に到りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小舎に於いて毎回十数日間滞在し、多量の収獲をなし猟後、または風波強く繁泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。出漁者の数は一回に四五十名を普通とす。
附記
以上の記事に依れば本誌第二百値二百「銃及び二俘二彼に褐けたる『隙岐國竹島に閣すで
る奮記』の記事は仝ぐ竹島の鮮事に非雫し七欝陵島の記事なるが如し。日。本海の海流は其中央
’部に緩流おる埓此地方に向ぴたる船舶は屡々流失せられし≒叉常時和船の航海衛幼据なー
し焉雁々此に群島を混合し従ぴ七此上島の世に恪はれ・る記事の混同せる感のの如し、他日更
に竹島と本邦との膳史的閣係む調査し世に紹介する所おるべし豆月二八貝稿)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/斃(ヘイ、べ、たおれる)
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P418(5行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/22 11:43 投稿番号: [20 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。倅れど穫夫は其蕃殖を計りで之れ’ど保護匹
し幼吃を後そさるを以て現今非常に多数な久島根胚知事の一行が親察せし.時の血がはよ肘散日の
士暴風雨の湾め死し叉は許に死に頻ぜλとする仙の少なからざ5しぞ、岑他の漱物としては鵬多ぐ
\灸で水鳥敢貸貝ヽ鳥帽子鳥等亦多げ叫ど尚恟ほ今日に於ては海豹以外更に生産物無≒出漁者は癖
陵.島を根彼地と≒六七十’石積や和船‘ど使用して此地に到’9をれよ‘5黄ぼ陸上に引き揚げ貴き血フ
qF望S‐Q・ Q 4¥4‘
附記
以上の記事に依れば本誌第二百値二百「銃及び二俘二彼に褐けたる『隙岐國竹島に閣すで
る奮記』の記事は仝ぐ竹島の鮮事に非雫し七欝陵島の記事なるが如し。日。本海の海流は其中央
’部に緩流おる埓此地方に向ぴたる船舶は屡々流失せられし≒叉常時和船の航海衛幼据なー
し焉雁々此に群島を混合し従ぴ七此上島の世に恪はれ・る記事の混同せる感のの如し、他日更
に竹島と本邦との膳史的閣係む調査し世に紹介する所おるべし豆月二八貝稿)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/斃(ヘイ、べ、たおれる)
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P418(ドラフト)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/17 10:35 投稿番号: [19 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く
く、東島の甫端を北西約二千八.百米に見る位置に於て五八尋七鍾測し得犬5と云
い
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一此地主要の鳶物は海豹にし七・毎年四五月より七刀すで最砥多く水上に‘頭七出し・て盛よに吠へご
ニ居れる梅を船上より瞥見し得耳く、叉鳥と一周す心祷は、岩上に遊び眠れゐ様心弓瞥見し得可し謳
堵多き猿六月頃に七て此時子を生鳶し哺育す。彼等はオツト¥t ‐J。同じく子と愛する左甚しく愛士
.に引かれて・宅しく穫夫の銃九に痴る
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砧の少なからす。倅れど穫夫は其蕃殖を計りで之れ’ど保護匹
し幼吃を後そさるを以て現今非常に多数な久島根胚知事の一行が親察せし.時の血がはよ肘散日の
士暴風雨の湾め死し叉は許に死に頻ぜλとする仙の少なからざ5しぞ、岑他の漱物としては鵬多ぐ
\灸で水鳥敢貸貝ヽ鳥帽子鳥等亦多げ叫ど尚恟ほ今日に於ては海豹以外更に生産物無≒出漁者は癖
陵.島を根彼地と≒六七十’石積や和船‘ど使用して此地に到’9をれよ‘5黄ぼ陸上に引き揚げ貴き血フ
qF望S‐Q・ Q 4¥4‘
附記
以上の記事に依れば本誌第二百値二百「銃及び二俘二彼に褐けたる『隙岐國竹島に閣すで
る奮記』の記事は仝ぐ竹島の鮮事に非雫し七欝陵島の記事なるが如し。日。本海の海流は其中央
’部に緩流おる埓此地方に向ぴたる船舶は屡々流失せられし≒叉常時和船の航海衛幼据なー
し焉雁々此に群島を混合し従ぴ七此上島の世に恪はれ・る記事の混同せる感のの如し、他日更
に竹島と本邦との膳史的閣係む調査し世に紹介する所おるべし豆月二八貝稿)
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/
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P417(ラスト)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/15 19:57 投稿番号: [18 / 24]
にして海風常に全面を吹き荒し、一抹の樹木なく南面のみ雑草の僅かに生するを見るのみ全周断崖絶壁を以て囲まれ軟性の石層より成り、周辺何れよりするも攀登殆んど不可能なり。全島平坦の地に乏しく、水道の両側に於ては狭少なる平坦の砂礫二・三ケ所あれども皆洋濤の襲来を免れず。
東島に於ては菰葦の仮小屋あり。此小舎は中井養三郎の竹島漁業会社の所有にかかるものなり
(昨38年8月8日の暴風にては家屋漁船等全く洗い去られたりとぞ)。是等は鯔猟の為、夏季此島に来島する漁夫用のものなれども、今は著しく破壊し僅かに其形跡を止ひるのみ。故に今若し破損の状況よりして判断せんか。此附近を蹂躙する風波の猛威案ずるに余りあるなり。而して風浪の鋭鋒を避け得べき家屋建築用地は僅かに左記二ケ所あるに過ぎず。
(イ)西島の東面に山崩れあり。其傾斜頗る急にして上半は殆んど直立し、到底攀登する能はざれども、下半は稍緩傾斜をなし辛うして其中腹迄這達するを得、此辺一帯地質堅硬なる岩層にして之を開●すれば三坪弱の平坦地を得べく東風の方悉く遮蔽し得
(ロ)東島の頂部は一見平坦なる部分多く家屋建設に適する如くなれども、之を路査するには径路に多大の工事を施すに非ずんば、局地に達する能はず。従て実見し得ざるなり。概して海洋の烈風に対して四囲曝露の難を免れざるも独り南端の平坦地のみは三四坪の広さあり。西北の一方は遮蔽せらる
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/
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P417(最後から4行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/08 18:11 投稿番号: [17 / 24]
にして海風常に全面を吹き荒し、一抹の樹木なく南面のみ雑草の僅かに生するを見るのみ全周断崖絶壁を以て囲まれ軟性の石層より成り、周辺何れよりするも攀登殆んど不可能なり。全島平坦の地に乏しく、水道の両側に於ては狭少なる平坦の砂礫二・三ケ所あれども皆洋濤の襲来を免れず。
東島に於ては菰葦の仮小屋あり。此小舎は中井養三郎の竹島漁業会社の所有にかかるものなり
(昨38年8月8日の暴風にては家屋漁船等全く洗い去られたりとぞ)。是等は鯔猟の為、夏季此島に来島する漁夫用のものなれども、今は著しく破壊し僅かに其形跡を止ひるのみ。故に今若し破損の状況よりして判断せんか。此附近を蹂躙する風波の猛威案ずるに余りあるなり。而して風浪の鋭鋒を避け得べき家屋建築用地は僅かに左記二ケ所あるに過ぎず。
(イ)西島の東面に山崩れあり。其傾斜頗る急にして上半は殆んど直立し、到底攀登する能はざれども、下半は稍緩傾斜をなし辛うして其中腹迄這達するを得、此辺一帯地質堅硬なる岩層にして之を開●すれば三坪弱の平坦地を得べく東風の方悉く遮蔽し得
(ロ)東島の頂部は一見平坦なる部分多く家屋建設に適する如くなれども、之を路査するには径路に多大の工事を施すに非ずんば、局地に達する能はず。従て実見し得ざるなり。概して海洋の烈風に対して四囲曝露の難を免れざるも独り南端の平坦地のみは三四坪の広さあり。西北の一方は遮蔽せらる
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯01如
く水悪しごき鴻脚気叉は水腫病にか
x
る処の少な
からす屁列島は附陵島と共に日本誹玉束霞に横
隋ぜる海底山脈上に座すと雖眼近の水極めて深
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/甞(かつて=嘗て)
證(あかし=証)
兒(ジ、ニ、こ)
http://ejje.weblio.jp/content/%E6%A0%BC%E9%AD%AF%E5%85%90コロル
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P417(右から4行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/04 08:39 投稿番号: [16 / 24]
にして海風常に全面を吹き荒し、一抹の樹木なく南面のみ雑草の僅かに生するを見るのみ全周断崖絶壁を以て囲まれ軟性の石層より成り、周辺何れよりするも攀登殆んど不可能なり。全島平坦の地に乏しく、水道の両側に於ては狭少なる平坦の砂礫二・三ケ所あれども皆洋濤の襲来を免れず。
東島に於ては菰葦の仮小屋あり。此小舎は中井養三郎の竹島漁業会社の所有にかかるものなり
(昨38年8月8日の暴風にては家屋漁船等全く洗い去られたりとぞ)。是等は鯔猟の為、夏季此島に来島する漁夫用のものなれども、今は著しく破壊し僅かに其形跡を止ひるのみ。故に今若し破損の状況よりして判断せんか。此附近を蹂躙する風波の猛威案ずるに余りあるなり。而して風浪の鋭鋒を避け得べき家屋建築用地は僅かに左記二ケ所あるに過ぎず。
(イ)西島の東面に山崩れあり。其傾斜頗る急にして上半は殆んど直立し、到底攀登する能はざれども、下半は稍緩傾斜をなし辛うして其中腹迄這達するを得、此辺一帯地質堅硬なる岩層にして之を開●すれば三坪弱の平坦地を得べく東風の方悉く遮蔽し得
(ロ)東島の頂部は一見平坦なる部分多く家屋建設に適する如くなれども、之を路査するには径路に多大の工事を施すに非ずんば、局地に達する能はず。従て実見し得ざるなり。概して海洋の烈風に対して四囲曝露の難を免れざるも独り南端の平坦地のみは三四坪の広さあり。西北の一方は遮蔽せらる
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
宴て束島
の東南隅に於で滴下安る殖のを採取し試畔した
るに一種異槌の皇臭と茸ち黄色を呈し既に汚水
カる士鐙せ’nyと云ふ。該水は化學的槍査上到底飲
料に適せざる慧のにて
\
理學的反庶黄色有臭微㈲詞酸性反吃栃魯兄多猿、
硫酸多早確酸なし漣碓酸なし、石駅少量、安母尼亜
少量、有機芦中量な・9きと云雨く毎年六七月げ頃
侮豹綴のカめ渡来する砧のは海上浪屏か忿・ると
き島水を吸み来・9て佩炊の用に供すれど依。飲料
としで眸猶他地方よ6待ち来るを常とす。斯01如
く水悪しごき鴻脚気叉は水腫病にか
x
る処の少な
からす屁列島は附陵島と共に日本誹玉束霞に横
隋ぜる海底山脈上に座すと雖眼近の水極めて深
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/天蓋
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A4%A9%E8%93%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=12830100
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P416(左から2行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/11/03 17:27 投稿番号: [15 / 24]
にして海風常に全面を吹き荒し、一抹の樹木なく南面のみ雑草の僅かに生するを見るのみ全周断崖絶壁を以て囲まれ軟性の石層より成り、周辺何れよりするも攀登殆んど不可能なり。全島平坦の地に乏しく、水道の両側に於ては狭少なる平坦の砂礫二・三ケ所あれども皆洋濤の襲来を免れず。
東島に於ては菰葦の仮小屋あり。此小舎は中井養三郎の竹島漁業会社の所有にかかるものなり
(昨38年8月8日の暴風にては家屋漁船等全く洗い去られたりとぞ)。是等は鯔猟の為、夏季此島に来島する漁夫用のものなれども、今は著しく破壊し僅かに其形跡を止ひるのみ。故に今若し破損の状況よりして判断せんか。此附近を蹂躙する風波の猛威案ずるに余りあるなり。而して風浪の鋭鋒を避け得べき家屋建築用地は僅かに左記二ケ所あるに過ぎず。
(イ)西島の東面に山崩れあり。其傾斜頗る急にして上半は殆んど直立し、到底攀登する能はざれども、下半は稍緩傾斜をなし辛うして其中腹迄這達するを得、此辺一帯地質堅硬なる岩層にして之を開●すれば三坪弱の平坦地を得べく東風の方悉く遮蔽し得
(ロ)東島の頂部は一見平坦なる部分多く家屋建設に適する如くなれども、之を路査するには径路に多大の工事を施すに非ずんば、局地に達する能はず。従て実見し得ざるなり。概して海洋の烈風に対して四囲曝露の難を免れざるも独り南端の平坦地のみは三四坪の広さあり。西北の一方は遮蔽せらる
此の如くしで仝島凡て栢壁晰崖なりゴーの院地ょり他め隣滉に至らλとする恣、亦小奪に依らざる
可か喘す西島は西南隅にTの洞宿フで9て其天慕Tどなす。岩石ょ6こ㈲出する水は其量・梢多しと雖砧
祢は小量の滴水
▲は小屋
”.ロはトψの多く棲息する所
了
甫水の禰下すると同様Mヽしで之・ど採取する事困
無な久由頂よ’9山馥に恰ひ滴渥する水は数個所
にで芦見せる砧、其量少なく且つ其帚膠は侮豹の
尿屎等によりで汚染ぜらる
x
を見た・9.宴て束島
の東南隅に於で滴下安る殖のを採取し試畔した
るに一種異槌の皇臭と茸ち黄色を呈し既に汚水
カる士鐙せ’nyと云ふ。該水は化學的槍査上到底飲
料に適せざる慧のにて
\
理學的反庶黄色有臭微㈲詞酸性反吃栃魯兄多猿、
硫酸多早確酸なし漣碓酸なし、石駅少量、安母尼亜
少量、有機芦中量な・9きと云雨く毎年六七月げ頃
侮豹綴のカめ渡来する砧のは海上浪屏か忿・ると
き島水を吸み来・9て佩炊の用に供すれど依。飲料
としで眸猶他地方よ6待ち来るを常とす。斯01如
く水悪しごき鴻脚気叉は水腫病にか
x
る処の少な
からす屁列島は附陵島と共に日本誹玉束霞に横
隋ぜる海底山脈上に座すと雖眼近の水極めて深
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/
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Re: P416(真ん中まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/31 07:34 投稿番号: [14 / 24]
にして海風常に全面を吹き荒し、一抹の樹木なく南面のみ雑草の僅かに生するを見るのみ全周断崖絶壁を以て囲まれ軟性の石層より成り、周辺何れよりするも攀登殆んど不可能なり。全島平坦の地に乏しく、水道の両側に於ては狭少なる平坦の砂礫二・三ケ所あれども皆洋濤の襲来を免れず。
東島に於ては菰葦の仮小屋あり。此小舎は中井養三郎の竹島漁業会社の所有にかかるものなり
(昨38年8月8日の暴風にては家屋漁船等全く洗い去られたりとぞ)。是等は鯔猟の為、夏季此島に来島する漁夫用のものなれども、今は著しく破壊し僅かに其形跡を止ひるのみ。故に今若し破損の状況よりして判断せんか。此附近を蹂躙する風波の猛威案ずるに余りあるなり。而して風浪の鋭鋒を避け得べき家屋建築用地は僅かに左記二ケ所あるに過ぎず。
丁
西島の.東面に山崩れ心’凭其餓斜順る急にして上牢は殆λど直立し、到底撃登ず、る能はざれ
ど吃下牢は租緩顛斜七なし辛Åして其中直迄這逐するを得瓦遍一帯埴質堅硬なる岩居にし
て之む開繋すれば三坪届の弔坦地匂得べく東風の方悉ぐ荷蔽し得
・.
束島の頂部は一見単坦なる部分ダベ雨屋建設に週する如くなれど砧、之と路査するには径
路に多大の工事七施すに非λ.ば、局地に達する能は犬従て賓見し得ざるな久概し七海洋の烈
風に卦して囚園阻露の無を苑れざる砧伺旨9南端の手坦地の.みは三四坪の灰芦心久西北の一
方は遮蔽せらる
・
此の如くしで仝島凡て栢壁晰崖なりゴーの院地ょり他め隣滉に至らλとする恣、亦小奪に依らざる
可か喘す西島は西南隅にTの洞宿フで9て其天慕Tどなす。岩石ょ6こ㈲出する水は其量・梢多しと雖砧
祢は小量の滴水
▲は小屋
”.ロはトψの多く棲息する所
了
甫水の禰下すると同様Mヽしで之・ど採取する事困
無な久由頂よ’9山馥に恰ひ滴渥する水は数個所
にで芦見せる砧、其量少なく且つ其帚膠は侮豹の
尿屎等によりで汚染ぜらる
x
を見た・9.宴て束島
の東南隅に於で滴下安る殖のを採取し試畔した
るに一種異槌の皇臭と茸ち黄色を呈し既に汚水
カる士鐙せ’nyと云ふ。該水は化學的槍査上到底飲
料に適せざる慧のにて
\
理學的反庶黄色有臭微㈲詞酸性反吃栃魯兄多猿、
硫酸多早確酸なし漣碓酸なし、石駅少量、安母尼亜
少量、有機芦中量な・9きと云雨く毎年六七月げ頃
侮豹綴のカめ渡来する砧のは海上浪屏か忿・ると
き島水を吸み来・9て佩炊の用に供すれど依。飲料
としで眸猶他地方よ6待ち来るを常とす。斯01如
く水悪しごき鴻脚気叉は水腫病にか
x
る処の少な
からす屁列島は附陵島と共に日本誹玉束霞に横
隋ぜる海底山脈上に座すと雖眼近の水極めて深
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/
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P416(3行目まで)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/28 09:07 投稿番号: [13 / 24]
にして海風常に全面を吹き荒し、一抹の樹木なく南面のみ雑草の僅かに生するを見るのみ全周断崖絶壁を以て囲まれ軟性の石層より成り、周辺何れよりするも攀登殆んど不可能なり。全島平坦の地に乏しく、水道の両側に於ては狭少なる平坦の砂礫二・三ケ所あれども皆洋濤の襲来を免れず。
来
島に於ては菰葦の仮小屋心仇此小含は中井査三郎氏等の竹島漁業會籤の所有にか
x
る柘のなー
蘇器訂丿詔一Jけに燧是辱は館ぎ崔の鴬、夏季此島翁渡率する漁夫測の柘めなれど砧今
は’著しべ破竣し仮に其形跡と止ひるのみ。故に今若し破恨の歌況。よ万し剪判晰曹ん‘か託附延七揉
期す’る風波の猛威案するに4‘o~4\s 4’I J玉風浪め鋭鋒七避げ得べか家星建築用培は蕉に友
記こ’ケ所おるに過ぎ雁
丁
西島の.東面に山崩れ心’凭其餓斜順る急にして上牢は殆λど直立し、到底撃登ず、る能はざれ
ど吃下牢は租緩顛斜七なし辛Åして其中直迄這逐するを得瓦遍一帯埴質堅硬なる岩居にし
て之む開繋すれば三坪届の弔坦地匂得べく東風の方悉ぐ荷蔽し得
・.
束島の頂部は一見単坦なる部分ダベ雨屋建設に週する如くなれど砧、之と路査するには径
路に多大の工事七施すに非λ.ば、局地に達する能は犬従て賓見し得ざるな久概し七海洋の烈
風に卦して囚園阻露の無を苑れざる砧伺旨9南端の手坦地の.みは三四坪の灰芦心久西北の一
方は遮蔽せらる
・
此の如くしで仝島凡て栢壁晰崖なりゴーの院地ょり他め隣滉に至らλとする恣、亦小奪に依らざる
可か喘す西島は西南隅にTの洞宿フで9て其天慕Tどなす。岩石ょ6こ㈲出する水は其量・梢多しと雖砧
祢は小量の滴水
▲は小屋
”.ロはトψの多く棲息する所
了
甫水の禰下すると同様Mヽしで之・ど採取する事困
無な久由頂よ’9山馥に恰ひ滴渥する水は数個所
にで芦見せる砧、其量少なく且つ其帚膠は侮豹の
尿屎等によりで汚染ぜらる
x
を見た・9.宴て束島
の東南隅に於で滴下安る殖のを採取し試畔した
るに一種異槌の皇臭と茸ち黄色を呈し既に汚水
カる士鐙せ’nyと云ふ。該水は化學的槍査上到底飲
料に適せざる慧のにて
\
理學的反庶黄色有臭微㈲詞酸性反吃栃魯兄多猿、
硫酸多早確酸なし漣碓酸なし、石駅少量、安母尼亜
少量、有機芦中量な・9きと云雨く毎年六七月げ頃
侮豹綴のカめ渡来する砧のは海上浪屏か忿・ると
き島水を吸み来・9て佩炊の用に供すれど依。飲料
としで眸猶他地方よ6待ち来るを常とす。斯01如
く水悪しごき鴻脚気叉は水腫病にか
x
る処の少な
からす屁列島は附陵島と共に日本誹玉束霞に横
隋ぜる海底山脈上に座すと雖眼近の水極めて深
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/
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鬱陵島検察日記(清書2)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/25 19:46 投稿番号: [12 / 24]
for possible residential areas. He suggested 14 possible ports along the sea coast indicating difficulties for the construction of ports.
The reasons King Kojong sent the Royal Prosecutor to the Ulleung lsland are to find out whether there are places to make residential areas, and to make clear the name of Ulleung Island and to have better knowledge of Usando. Sending the Royal Prosecutor was very meaningful and well-timed, because King Kojong had in his mind to protect the territory of Joseon and it is needed to set up the relation to Japan.
Ulleung Island was protected as a part of Joseon Dynasty, because the Royal Prosecutor was sent in the proper time period; Lee Kyo Won dealt faithfully with his duty, and King Kojong had a strong mind to keep Ulleung Island as a part of our land. Therefore,the settlement in Ulleung Island by law in 1883 was very important event in the history. Without this,Dokdo cannot be a part of Korean land as well.
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鬱陵島検察日記(清書1)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/25 13:56 投稿番号: [11 / 24]
Geom-Chal-Il-Gi(the Diary of Prosecution) on Ulleung Island written by a Royal Prosecutor
King Gojong appointed Lee Kyu Won as a Royal Prosecutor for U11eung
lsland in 1881. Mr.Lee left for U1leung lsland on 10th of Apri1,1882,stayed in U1leung island to prosecute by land and sea routes for 10 days,and retun to Seoul. While he was in U1leung lsland,he wrote the diary including daily activities, topography and ecological information on the island,persons who were in the island at that time,Japanese cutting down timber illegally,and other detailed information as well as the first draft for the official report to the King. Therefore,the diary of prosecution on
Ulleung lsland is very important and valuable document for better
understanding Ulleung lsland in 1882 and for the relation between Korea and Japan in the late 19th century.
The Royal Prosecutor Lee Kyu Won was born in March 19, 1833 in lunar
calender and passed away in November 11, 1901 in lunar calender when he was 69 years old. He passed the military service examination when he was 19 years old and started his career as a Seonjeonkwan in 1858. He was appointed as a governor of many local areas including Tongjin[Gimpo] and JeJu island. He gave good administration wherever he served as a local governor,because he always considered local residents first, and exposed and well managed the problems.
Because of these achievement as a governor there are many monument in commemoration of his remarkable executive services. According to his remarkable services and high integrity as an officer, he was granted a posthumous epithet as Jangheegone.
Lee Kyu Won was appointed as a Royal Prosecutor in 1881 and visited
U11eung Island to investigate the island in 1882 with 106 persons.
He prosecuted the island through in land and sea routes for 10 days. While he was in the island, he met 132 Koreans and 8 Japanese. lf it is induded persons he did not met, there were about 170 Koreans mainly repairing ships and collecting herbs, and 78 Japanese lumbcnng illegally.
The diary is very important as the original document to reconstruct the island in 1882, because topography, geomorphology, climate, animal, ptants,and products of the island were recorded in it. He recommended Naridong as a appropriate residential area, because the area is flat and large enough for 1,000 households. He also recommended
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鬱陵島検察日記(ドラフト2)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/25 08:48 投稿番号: [10 / 24]
to translate them accurately・
To do this purposeバhe contents of the diary in handwriting have been
typed and translated nrst. Because 匈e晶晶皿is regardedas
anomcial
document,the research is mainly depended on the 叫・ぽ晶か皿and the diary
part was referred as supplementary document.
The Roya1 Prosecutor Kyu Won R11 was bom in March 19パ833 in lunar
calender and passed away in November 11, 1901 in lunar calender whcn he
was 69 years old。 He passed the mihtary serviceexamination when he was
19 years old and started hiscareer as aS凹瞬回旨皿in 1858, He was
appointed as a govemor of many local areas mcluding Tongjin[Gimpo]and
JeJu island. He gave good administration wherever he served as a local
govemor,because he always considered local residents nrst, and exposed
and
well
managed
the
problems.
Because
of these
achievement
as
a
govemorバhere are many monument in commemoration of his remarkable
executive services, According to his remarkable services and high integrity
as an omcer, he was granted a posthumous epithet as ゐ明屁昭θ明。
Kyu Won Rii was appointed as a Royal Prosecutor in 1881 and visited
U11eung
island to
investigate
the
island
in
1882
with
106
persons.
He
prosecuted the island through in land and sea routes for 10 days. Whi!e he
was in the islandj he met 132 Koreans and 8 Japanese. lf it is induded
persons he did not met, there were about 170 Koreans mainly repairing
ships and collecting herbs, and 78 Japanese lumbcnng illegally.
The diary is very important as the original document to reconstruct the
lsland in 1882, because topography, geomorphology, climate, anima1, ptants,
and products of the island were recorded in it. He recommended yα肖高明
as a appropnate residential area, because the area ls nat and large enough
for
L000 households. He also recommended
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鬱陵島検察日記(ドラフト1)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/25 08:47 投稿番号: [9 / 24]
ABSTRACT
Geθzz7−C77∂7-77−G/(the Diary of Prosecution)on
U11eung lsland Written by a Royal Prosecutor
Kyu Won Rii
King Gojong appointed Kyu Won Rii as a Royal Prosecutor for U11eung
lsland in 1881. Mr.Rii leR for U11eung lsland on 1 0th of Apri1, 1882,
stayed in U11eung island to prosecute by land and sea routes for 10 days,
and retum to Seou1. While he was in U11eung lsland, he wrote the diary
including daily activities, topography and ecological in柘rmation on the
island,persons who were in the island at that time, Japanese cutting down
timber illegally, and other detailed in拓rmation as well as the nrst dran for
the omcial report to the King. Therefore,the diary of prosecution on
Ulleung
lsland
is
very
important
and
valuable
document
for
better
understanding U11eung lsland in 1882 and f1)r the relation between Korea
and Japan in the late 1 9th century・
The purpose of this research is to examine the contents and to analyze
び//四昭一7)θGe四7-c/1α/-j/-がfiom the viewpoint of hlstorical geography, and
to review Mr. Rii's life as an omcer. Because of the importance of the
diary,other purpose of this research is to nnd the original contents of the
diary and Gム叩晶晶皿,the nrst draft of the omcial report to the King, and
ABSTRACT●i
for Possible residential areas. He suggested 14 possible ports along the sea
coast indlcating dimculties for the constmction of ports.
The reasons King KOJong sent the Royal Prosecutor to the UIleung lsland
are to nnd out whether there are places to make residential areas, and to
make clear the name of U11eung island and to have better knowledge of
usando. Sending the Royal Prosecutor was very meaningful and we11-timed,
because King KOJong had in his mind to protect the territory of Joseon and
it is needed to set up the relation to Japan.
U11eung lsland was protected as a part of Joseon Dynasty, because the
Royal Prosecutor was sent in the proper time period; Kyo Won Rii dealt
faithfully with his duty,and King Kojong had a strong mind to keep
UIleung lsland as a Part of our land. Therefore,the settlement in UIleung
lsland by law in 1883 was very important event in the history. Without this,
Dokdo cannot be a part of Korean land as weII.
Theび//四昭JθGどθ詞-c仙/j/-がis a very important document to ofTer
resources丘)r reconstmction of UIleung lsland 120 years ago and for better
understanding the relationship between Korea and Japan in the late
19th
century, especially the matter of U11eung and Dokdo, For the future, more
researches on U11eung lsland and other related subJects are expected based
on the び//e皿g-f)θGaμ?7-c/7α/j/-が・
ABSTFIACT●削
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P416(ドラフト)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/21 12:06 投稿番号: [8 / 24]
にし宅海風常に仝百フど吹き荒し二抹げ樹木なく南肩り諏赳草り僅かに生する礼見る○今仝郡断
崖範璧と以て園まれ軟性の石。屑よ6成九周逼何れよかする処錐登・殆えど不可能な右、仝島単坦の
一g%
r
j
r
地に乏しく示這0。雨側に於ては狭少なる単坦の復演二・三・ケ所心れど砧皆洋濤の襲来を菟れす。来
島に於ては菰葦の仮小屋心仇此小含は中井査三郎氏等の竹島漁業會籤の所有にか
x
る柘のなー
蘇器訂丿詔一Jけに燧是辱は館ぎ崔の鴬、夏季此島翁渡率する漁夫測の柘めなれど砧今
は’著しべ破竣し仮に其形跡と止ひるのみ。故に今若し破恨の歌況。よ万し剪判晰曹ん‘か託附延七揉
期す’る風波の猛威案するに4‘o~4\s 4’I J玉風浪め鋭鋒七避げ得べか家星建築用培は蕉に友
記こ’ケ所おるに過ぎ雁
丁
西島の.東面に山崩れ心’凭其餓斜順る急にして上牢は殆λど直立し、到底撃登ず、る能はざれ
ど吃下牢は租緩顛斜七なし辛Åして其中直迄這逐するを得瓦遍一帯埴質堅硬なる岩居にし
て之む開繋すれば三坪届の弔坦地匂得べく東風の方悉ぐ荷蔽し得
・.
束島の頂部は一見単坦なる部分ダベ雨屋建設に週する如くなれど砧、之と路査するには径
路に多大の工事七施すに非λ.ば、局地に達する能は犬従て賓見し得ざるな久概し七海洋の烈
風に卦して囚園阻露の無を苑れざる砧伺旨9南端の手坦地の.みは三四坪の灰芦心久西北の一
方は遮蔽せらる
・
此の如くしで仝島凡て栢壁晰崖なりゴーの院地ょり他め隣滉に至らλとする恣、亦小奪に依らざる
可か喘す西島は西南隅にTの洞宿フで9て其天慕Tどなす。岩石ょ6こ㈲出する水は其量・梢多しと雖砧
祢は小量の滴水
▲は小屋
”.ロはトψの多く棲息する所
了
甫水の禰下すると同様Mヽしで之・ど採取する事困
無な久由頂よ’9山馥に恰ひ滴渥する水は数個所
にで芦見せる砧、其量少なく且つ其帚膠は侮豹の
尿屎等によりで汚染ぜらる
x
を見た・9.宴て束島
の東南隅に於で滴下安る殖のを採取し試畔した
るに一種異槌の皇臭と茸ち黄色を呈し既に汚水
カる士鐙せ’nyと云ふ。該水は化學的槍査上到底飲
料に適せざる慧のにて
\
理學的反庶黄色有臭微㈲詞酸性反吃栃魯兄多猿、
硫酸多早確酸なし漣碓酸なし、石駅少量、安母尼亜
少量、有機芦中量な・9きと云雨く毎年六七月げ頃
侮豹綴のカめ渡来する砧のは海上浪屏か忿・ると
き島水を吸み来・9て佩炊の用に供すれど依。飲料
としで眸猶他地方よ6待ち来るを常とす。斯01如
く水悪しごき鴻脚気叉は水腫病にか
x
る処の少な
からす屁列島は附陵島と共に日本誹玉束霞に横
隋ぜる海底山脈上に座すと雖眼近の水極めて深
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P415(後半)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/21 10:40 投稿番号: [7 / 24]
隠岐國竹島に関する地理学上の智識
田中阿歌麻呂
去年の今日、日本海の海戦にりて一挙敵艦を殲滅し竹島は俄かに世に其名を知られしに関わらず之に関する地理學上の記事の存するもの殆となし。されば僅かに朝鮮水路誌(263頁)によりリヤンコールト列岩の名称の下に極めて簡単なる記事を見しあるのみなりしが、曩きに我海軍が鬱陵島に於て此島の実見者より聞き取り、続で帝国軍艦某の其島を調査し、越えて38年8月に至りては島根県知事の同島視察等あり。吾人は以上の諸報告を総合し以て竹島に関する地理学上の智識を抄録せん。
竹島は北緯37度14分、東経131度55分に当り海図上には三点を以て示され、隠岐より85哩、濱田より150哩、又鬱陵島よりは50哩、海上遥かに之れを望むを得べし。邦人は鬱陵島を松島と称するに對し之に竹島と命名すと雖も外人は1849年始めて発見せしフランス船リアンクール号の名に因みて其名をリアンコールト島と云ひ、韓人は之れを独島と書し、本邦の漁夫等は一般に「リアンコ」島と称せり。蓋し英名リアンコールトの転訛に依るなる可し。
竹島の地形は一個の狭水道(長さ180間、幅5・60間、深度5尋)を隔てて相対峙する二個の主島と、其周囲に碁列する数個の小嶼よりなる洋中の一小群島なり。是等の小嶼は概ね扁平にして上部僅かに水上に現出し、主島の周辺は奇観を呈する窟洞に富み共に海豹群の捿窟たり。主島は全島殆んど不毛の禿岩
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P415(中盤)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/20 17:44 投稿番号: [6 / 24]
隠岐國竹島に関する地理学上の智識
田中阿歌麻呂
去年の今日、日本海の海戦にりて一挙敵艦を殲滅し竹島は俄かに世に其名を知られしに関わらず之に関する地理學上の記事の存するもの殆となし。されば僅かに朝鮮水路誌(263頁)によりリヤンコールト列岩の名称の下に極めて簡単なる記事を見しあるのみなりしが、曩きに我海軍が鬱陵島に於て此島の実見者より聞き取り、続で帝国軍艦某の其島を調査し、越えて38年8月に至りては島根県知事の同島視察等あり。吾人は以上の諸報告を総合し以て竹島に関する地理学上の智識を抄録せん。
竹島は北緯37度14分、東経131度55分に当り海図上には三点を以て示され、隠岐より85哩、濱田より150哩、又鬱陵島よりは50哩、海上遥かに之れを望むを得べし。邦人は鬱陵島を松島と称するに對し之に竹島と命名すと雖も外人は1849年始めて発見せしフランス船リアンクール号の名に因みて其名をリアンコールト島と云ひ、韓人は之れを独島と書し、本邦の漁夫等は一般に「リアンコ」島と称せり。蓋し英名リアンコールトの転訛に依るなる可し。
懲昴の培犬憚は①個の稗冰真讐びΣ彩惣`ご五ケ去7入相對峙諜る二個癩主島久苓周園・に‘碁剔フ
する数個.‐0氷喰士丿方ごy洋妬1111の÷不群路な久是等01小嶮昧概ね菰手にし不上部憚か拡水上に現`
・奥し’主島り剛遜は奇匙七皇虻か軋桐に富み共に耐粉秤の凱窟穴’9・主島採企島姫ん老不毛妬禿岩
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P415(前半)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/16 17:58 投稿番号: [5 / 24]
隠岐國竹島に関する地理学上の智識
田中阿歌麻呂
去年の今日、日本海の海戦にりて一挙敵艦を殲滅し竹島は俄かに世に其名を知られしに関わらず之に関する地理學上の記事の存するもの殆となし。されば僅かに朝鮮水路誌(263頁)によりリヤンコールト列岩の名称の下に極めて簡単なる記事を見しあるのみなりしが、曩きに我海軍が鬱陵島に於て此島の実見者より聞き取り、続で帝国軍艦某の其島を調査し、越えて38年8月に至りては島根県知事の同島視察等あり。吾人は以上の諸報告を総合し以て竹島に関する地理学上の智識を抄録せん。
竹島彫北緯三七芦一四脊ヽ東脛二三ご『度五五分に常久侮‐上’には三勁を玖で示ざれ、隠報ず6ご六ザ』
五哨演田ょ’6叶五〇哩叉爵一陵’路ょちは.五漸『海上畢かに之一れ尚望ひ七得谷し、邦人は欝芦島を屈
扁と耕す湧に對し容机に竹’扁ぐ命名すと雖丿舞人一14ご声熹九年飴めて登孝亨しプ.ラ″ノ船jア
yクーダ貌ヴ鼎に匯み七其名17ァy’1ベト奮と希ひ韓人は之れを獅島恚書張本邦の漁夫等.
は一般にyニァダこ島恚将せき讐し英名り尹ジ』几声トの梅誼に依る芦る可七八
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ヽ懲昴の培犬憚は①個の稗冰真讐びΣ彩惣`ご五ケ去7入相對峙諜る二個癩主島久苓周園・に‘碁剔フ
する数個.‐0氷喰士丿方ごy洋妬1111の÷不群路な久是等01小嶮昧概ね菰手にし不上部憚か拡水上に現`
・奥し’主島り剛遜は奇匙七皇虻か軋桐に富み共に耐粉秤の凱窟穴’9・主島採企島姫ん老不毛妬禿岩
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P415(ドラフト)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/15 19:11 投稿番号: [4 / 24]
隠岐國竹島に関す▽声地理雁上の智瞰
田ご甲
阿歌麻呂
去年の吟町日本海9海戦‘にょ’9。てブ阜敵艦・ど磨滅し竹島は堺かに世に其名を知られしに関拡j
ごらす之に関する。地理學上の記事の羅する砧の殆となし席れ・ば僅かに朝鮮水路話(二六三勺にま’ツ
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竹島彫北緯三七芦一四脊ヽ東脛二三ご『度五五分に常久侮‐上’には三勁を玖で示ざれ、隠報ず6ご六ザ』
五哨演田ょ’6叶五〇哩叉爵一陵’路ょちは.五漸『海上畢かに之一れ尚望ひ七得谷し、邦人は欝芦島を屈
扁と耕す湧に對し容机に竹’扁ぐ命名すと雖丿舞人一14ご声熹九年飴めて登孝亨しプ.ラ″ノ船jア
yクーダ貌ヴ鼎に匯み七其名17ァy’1ベト奮と希ひ韓人は之れを獅島恚書張本邦の漁夫等.
は一般にyニァダこ島恚将せき讐し英名り尹ジ』几声トの梅誼に依る芦る可七八
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ヽ懲昴の培犬憚は①個の稗冰真讐びΣ彩惣`ご五ケ去7入相對峙諜る二個癩主島久苓周園・に‘碁剔フ
する数個.‐0氷喰士丿方ごy洋妬1111の÷不群路な久是等01小嶮昧概ね菰手にし不上部憚か拡水上に現`
・奥し’主島り剛遜は奇匙七皇虻か軋桐に富み共に耐粉秤の凱窟穴’9・主島採企島姫ん老不毛妬禿岩
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1906/
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鬱陵島本邦人状況
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/15 09:48 投稿番号: [3 / 24]
鬱陵島本邦状況
鬱陵島は日本人の在住者303名 内男285名 女118名、戸数96戸あり。而して韓民は戸数659、人口3700余を算せり。陸産は櫬のトガ等の材木にして大豆之に次ぎ、例年6、7000千石の収穫ある。昨年は不作にて35、600石の収穫に過ぎす。海産は烏賊、海鼠、海苔にして警察官は巡査査部長以下2名あり。又郵便受取所ありて毎月一回釜山と交通を為せり。邦人の自治体機関として居留民総代あり。又小学校の設けもあり。在住者の職業は貿易商、木挽、漁業、船乗業等の由なり(39年4月29日在釜山朝鮮日々新聞)
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鬱陵島本邦人状況(ドラフト)
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/13 07:40 投稿番号: [2 / 24]
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養僻陵島本邦犬状況
借陵島は日本人の在住者三
〇三名内沢ニ八五名女一Tハ若戸販九六戸や9.面して
韓民は戸散六五九、人汀三七〇〇鈴を算せ今。陸棄は槻の
トガ等の豺木に七て大聡之に次ぎ、例年六七千石の牧穫
おるで昨牟は不作にて三千五六百石の敗穫に過ぎす、海
産は烏賊、海鼠、海苔にして警察官叫を査部長以下二名
ご?タ、又郵便受取所お6て毎月一回釜山ど交逍を鴬せかで
邦人の自治体機剛としで居留艮總代お・6へ叉小學校の設
け砧おーグ在住者の職業は貿易商、木挽、漁業、船乖業
等の由な人齢箭悶畝阿(ア、犬)
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地学雑誌 第210号
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/10/11 00:29 投稿番号: [1 / 24]
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