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投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2012/12/01 20:14 投稿番号: [24 / 24]
此の如くして全島凡て絶壁断崖なり。一の渓地より他の隣渓に至らんとするも、亦小舟に依らざる可からず。西島は西南隅に一の洞窟ありて其天蓋をなす。岩石より滴出する水は其量梢多しと雖も雨水の滴下すると同様にして之を採取する事困難なり。山頂より山腹に沿い滴瀝する水は数個所にて発見せるも、其量少なく且つ其経路は海豹の尿屎等によりて汚染せらるるを見たり。
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。されど獲夫は其蕃殖を計りて之れを保護し幼兒を猟せさるを以て現今非常に多数なり。島根県知事の一行が視察せし時の如きは前数日の暴風雨の為め死し。又は将に死に類せんとするもの少なからざりしぞ、其他の産物としては鷗多く次いで水鳥、鮑貸貝、鳥帽子貝等亦多けれども尚は今日に於ては海豹以外更に生産物無し。出漁者は鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に到りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小舎に於いて毎回十数日間滞在し、多量の収獲をなし猟後、または風波強く繁泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。出漁者の数は一回に四五十名を普通とす。
此地に産する海豹は明治36年之を猟し大阪に輸出したるものありしも全く失敗せしが翌年に至り多少の需用あり。今日に至りては製革業の進歩と需用の増加とに依り軍隊用背●の表に附したりしものも牛皮の代用となるに至り。脂肪は精製して鯨油に劣らざる良品を得可く、肉は食用とすべく又肥料に供せらる精油は膠に用ゆ可き見込あり。
之を要するに、此島は日本海の航路に当り航海者の為には恰好の目標となりと雖も、避泊地なく又飲料水に亡しきを以て何等の用をなすこと能はず。啻に海豹多く産するを以て其補獲業のやや有望なるのみなり。
附記 以上の記事に依れば本誌第200号・201号、及び202号に掲げたる「隠岐國竹島に関する奮記」の記事は全く竹島の記事に非ずして欝陵島の記事なるが如し。日本海の海流は其中央部に緩流ある為此地方に向いたる船舶は屡々流失せられしと。又当時和船の航海術幼稚なりし為、屡々此に群島を混合し従いて此二島の世に伝われる記事の混同せるものの如し。他日更に竹島と本邦との歴史的関係を調査し世に紹介する所あるべし(5月28日稿)
啻(シ・ただ)
甞て東島の東南隅に於て滴下するものを採取し試験したるに一種異様の悪臭を放ち黄色を呈し既に汚水たるを証せりと云ふ。該水は化学的検査上到底飲料に適せざるものにて、理学的反応黄色、有臭微潤濁酸性反応、格魯兒多量、硫酸多量、硝酸なし、亜硝酸なし、石灰少量、安母尼亜少量、有機質中量なりきと云。聞く毎年六七月の頃海豹猟のため渡来するものは海上浪静かなるとき島水を吸み来りて煮炊の用に供すれども、飲料としては猶他地方より待ち来るを常とす。
斯の如く水悪しき為脚気又は水腫病にかかるもの少なからず。此列島は鬱陵島と共に日本海を東西に横断せる海底山脈上に座すと雖附近の水極めて深く、東島の南端を北西約1800メートルに見る位置に於て五八尋を鍾測し得たりと云。
此地主要の産物は海豹にして毎年四五月より七月まで最も多く水上に頭を出して盛んに吠える居れる様を船上より瞥見し得可く、又島を一周する時は、岩上に遊び眠れる様をも瞥見し得可し。最も多きは六月頃にて此時子を生産し哺育す。彼等はオットセイと同じく子を愛する事甚しく愛に引かれて空しく獲夫の銃丸に斃るるもの少なからず。されど獲夫は其蕃殖を計りて之れを保護し幼兒を猟せさるを以て現今非常に多数なり。島根県知事の一行が視察せし時の如きは前数日の暴風雨の為め死し。又は将に死に類せんとするもの少なからざりしぞ、其他の産物としては鷗多く次いで水鳥、鮑貸貝、鳥帽子貝等亦多けれども尚は今日に於ては海豹以外更に生産物無し。出漁者は鬱陵島を根拠地とし六七十石積の和船を使用して此地に到りそれより舟は陸上に引き揚げ置き島上の小舎に於いて毎回十数日間滞在し、多量の収獲をなし猟後、または風波強く繁泊し難きときは直ちに順風を得て鬱陵島に避難するなり。出漁者の数は一回に四五十名を普通とす。
此地に産する海豹は明治36年之を猟し大阪に輸出したるものありしも全く失敗せしが翌年に至り多少の需用あり。今日に至りては製革業の進歩と需用の増加とに依り軍隊用背●の表に附したりしものも牛皮の代用となるに至り。脂肪は精製して鯨油に劣らざる良品を得可く、肉は食用とすべく又肥料に供せらる精油は膠に用ゆ可き見込あり。
之を要するに、此島は日本海の航路に当り航海者の為には恰好の目標となりと雖も、避泊地なく又飲料水に亡しきを以て何等の用をなすこと能はず。啻に海豹多く産するを以て其補獲業のやや有望なるのみなり。
附記 以上の記事に依れば本誌第200号・201号、及び202号に掲げたる「隠岐國竹島に関する奮記」の記事は全く竹島の記事に非ずして欝陵島の記事なるが如し。日本海の海流は其中央部に緩流ある為此地方に向いたる船舶は屡々流失せられしと。又当時和船の航海術幼稚なりし為、屡々此に群島を混合し従いて此二島の世に伝われる記事の混同せるものの如し。他日更に竹島と本邦との歴史的関係を調査し世に紹介する所あるべし(5月28日稿)
啻(シ・ただ)
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