台湾を語る〜〜〜

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Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/19 04:26 投稿番号: [744 / 825]
natunokaze001さま:
ソルボンヌ大學(仏)も出たので仏語をこなす膨さんです。東大(帝国大学)、台湾大學もそつぎょうして、英語、台湾語、日本語、中国語(?)を理解
する博識学者です。専門は法律でしたね。もっと膨氏が若ければ、李前
総統、次に膨明敏となれば最高でしたね。台湾脱出のときは、日本人が
支援をしました。宗像という台湾独立を応援した人物です。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/19 01:19 投稿番号: [743 / 825]
ホウ氏は台南生まれで、小学のころ高雄市へ移ったのだったようですね?

李登輝氏と同じく日本留学で、あれは東大かな?アメリカの爆撃で、右腕を失ってしまい、戦後台湾へ引き揚げてきたのでした。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/17 02:09 投稿番号: [742 / 825]
natunokaze001さま:
魏道明が短期で終わり、夫人が宋美齢派となると彼女の推薦がおおきくて
出世したのかな?戦後直ぐ日本に留学した本省人たちは大なり小なり独立運動に関与したでしょうが、台湾に帰国したのは極く少数であったのでしょうか。日本で名前をはせたのに、台湾の政治にはみないのですが。最も2-28事件などで抹殺されましたからね。アメリカから帰国したものの数もすくないが、膨明敏さん(?)などは帰国して民主化に貢献していますね。彼のまた
従兄弟が私の同級でした。国民学校でね。今も交信があります。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/15 23:31 投稿番号: [741 / 825]
魏道明はアメリカ留学で、婦人は(宋美齢派)です、ちょっと開明なところがあって、外省人を見下げているかもしれません。

が、在任が短かったので、あんまりよい政策、打ち出すのができなかったみたいです。

台湾を語る:花岡一郎、花岡二郎への改正

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/15 23:25 投稿番号: [740 / 825]
natunokaze001さま:
過去に霧社事件の記事で霧社駐在所の警官(佐塚警部)のしたで警丁を勤めた
優等生の名前を平岡一郎、平岡ニ郎と書いたとおもいます。間違いであって、「花岡一郎、花岡二郎が正確な名前」です。重々お詫びして改正したいと思います。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/15 10:32 投稿番号: [739 / 825]
natunokaze001様:
外省人で台湾省主席になった魏明道という人物が台湾人をなだめる
つもりで省政府役人の14名のうち7名を本省人にかえました。政策
から人心掌握でやりましたが、少しは台湾人の気持ちも理解したのでしょうか。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/15 00:08 投稿番号: [738 / 825]
林氏の方向は間違っています。方向が間違うと、どんなに努力しても、目的地へ到達できません。アメリカに、あこがれている人は、たぶん、留学で渡米した人たちぐらいで。数千人だけで台湾を動かすことはできません。

日本にあこがれている数は、恐ろしいほどあります。国語世代から、その子孫まで、、それに大陸から逃げてきた人たちの中で、国語世代に影響されて日本びいきになっていかれた人だって、多いですよ。

鄭南容(木辺)とて、その中の一人です。心中に日本への憧れがないと、台湾人でないです。

それほど、台湾と日本は密着しております。それを見出せないで、無理やり、アメリカへ持ち込もうとする考えが大きく間違っています。

私は、日本への愛着を、土壌と見ています。アメリカにあこがれる土壌は台湾にはないからです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/13 23:46 投稿番号: [737 / 825]
natunokaze001様:
林氏の方向はやはり一種の台湾人による政府(本省人が主体となった)を樹立する論理ですね。最近は彼等の論ひつは日本との深い関係を探求しています。日本各地に支持支部がでてきました。まだちいさいですが。今はワシントンD.C.に国務省へ直通の連絡を取る事務所があります。米国内で5-6000人の台湾系米人が主に運動を積極的にやっています。日本統治時代の国語世代が中心で活動中です。米国の台湾の帰属を明確にして、それから台湾の平民党が指導権をもって平民政府を作る意向です。米の帰属権取得はstepping stonesの(足がかり)です。最高裁判所まで審議をもちこみました(連邦、巡回、最高)。しかし日本へ傾斜しても何も出来る力も熱意もない政府です。日本も変わった苦渋の政治情勢に立っています。憲法改正、集団保障確保が生きる唯一の道ですかね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/13 21:47 投稿番号: [736 / 825]
林志昇氏は台湾をアメリカの方向へ導いていこうと考えているが、それは間違った方向です。
台湾人の多くは日本国へける望みを持っているがアメリカとの、関係は毛頭もないです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/13 01:51 投稿番号: [735 / 825]
natunokaze001さま;
台湾帰属の未知明白化運動で活躍する国語世代に今後台湾在政府を
中国タイワン亡命政府と推薦してくれました。之は台湾平民党を率いる
林志昇氏が運動するグループの引用です。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/12 23:51 投稿番号: [734 / 825]
そこが台湾人の不幸ですね。今でも、独立できない国は台湾ただひとつですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/12 03:56 投稿番号: [733 / 825]
naatunokaze001さま:占領軍の払い下げでも優秀な文化を持つ民族が来ればそれなりに学べることがおおいです。仮に台湾へ米軍か英軍行政団が来れば
恐らく類をみない虐殺事件も無茶な差別もなくて5-6年で台湾を独立させたでしょうね。連合国としては最低の文化国家が侵略してきたのですね。英米
蘭ソ豪連合軍行政ならば常識の範囲で行政を果たしたでしょうね。ソを除いては領土を占領して属国とする野心はないでしょうね。不幸にして最悪の集団が入ってきたのですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/12 00:28 投稿番号: [732 / 825]
大陸での、払い下げが台湾へ逃げ込んできたということです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/10 03:52 投稿番号: [731 / 825]
natunokaze001様:
大体ビジネスは封鎖主義、封建主義、保護主義では成長しません。世界の
流れに逆流して勝てるビシネスを推し進めるのは無理ですね。当時の台湾人は一流の文化人でありましたが、移住してきた人種と文化は三流でありました。軍事も敗退で行政も駄目で、文化もひくいレベルであった蒋介石は日本の原爆より悪い落し物でしたね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/10 00:35 投稿番号: [730 / 825]
ケネディニ負けて、ペプシーコーラの社長に就任したニクソンは、出国第一号を、台湾に決めました。台湾へくれば、簡単に注文が取れると思って、、、、

それがなんと、玄関払い〜〜〜

後、大統領に身分で、北京で、毛沢東と会見、{老毛}の{見面礼}はペプシコーラの中国前面の販売特許を許したこと。

そこで、蒋介石は自分の失策を、大変に後悔した。だが、あとのまつり〜〜〜

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/09 05:13 投稿番号: [729 / 825]
natunokaze001さま:
ペプシコーラにとられずにコカコーラを台湾に定着させたのは立派な選択
でした。コカの本部はアトランタでかなりあつく、熱帯地域でペプシは
New York で人気のある寒帯でした。台湾は亜熱帯と熱帯区域でありますから
コーラの選択は適応しましたね。ニクソンは中国との平和条約を結ぶとき、
台湾駐屯の米軍の撤退を約束しました。大きな間違いでありました。その後、彼はWater Gate 事件で大統領の座を去ることになりました。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/09 01:44 投稿番号: [728 / 825]
それには、伝説があります。ニクソンが選挙に敗れ、、ペプシーコーラの社長に就任しまして、台湾を訪れ、台湾の市場を、コカコーラから、奪おうとしたわけですが、それが見事失敗、、、

台湾を後にして香港に着くが早いか、胸の鬱憤、収まらず、「今に俺が逆戻りしたら、台湾をひどい目にしでやかす〜〜」と。

共和党に適当な人間が無いので、再度候補に押し出され、見事、当選〜〜〜

そこから、台湾の悪夢がはじまるわけ〜〜〜

ニクソン来訪のおり、面会を断った蒋介石は、米中の近づきに、胸を打たれ
自殺未遂とうわささされました。

ここに、蒋介石の側近に遠見の目を持っている人がないということです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/08 03:05 投稿番号: [727 / 825]
夏の風001様:
ニクソンはアイゼンハウアーの副大統領をやりボスが任期しゅうりょうで自分が立候補しました。相手がJ.Kennedyで紙上はじめてT.V.による公開討論会で討論負けのニクソンは選挙に敗れたといわれました。その直後でしたね。ニクソンが台湾訪問をしたのは。KennedyーJohnsonの後立候補したニクソンはとうとう大統領になり、皮肉にも米と中国との平和条約交渉に積極的で
蒋介石の嫌った中国と外交を開きました。間違いは、中国が迫る台湾からの米軍撤退を条件つきで受けたことです。まもなく、台湾から米軍が消えてゆきました。最近大使館(米の台北在の)に米軍が多勢駐屯しだしたと聞き、写真でみます。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/07 23:17 投稿番号: [726 / 825]
大統領在任中に台湾を訪れたのはアイゼンハウワァ一人だけでした、ニクソンは大統領選挙に、敗戦してから、台湾を訪れたが、蒋介石はおろか、当時の外務大臣にも、会面ができず、かなり失望(怒り)して帰国したのでした。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/07 13:46 投稿番号: [725 / 825]
natunokaze001さま:ハリーS.トルーマンが1945年4月12日ー1953年1月2日まで、アイゼンハウアーが1953年1月20日ー1961年
1月20日まで大統領をやりました。戦後処理の会談にはルーズベルトと
トルーマンが関与して蒋介石が台湾へ遁走、その後の悪行政当時はトルーマンが種々関係しました。朝鮮戦争勃発とその後の台湾の役目に深く関係したのはアイゼンハウアーです。戦後の台湾での復興に、反共の精神に共鳴した
のがアイゼンハウアーでありました。膨大な米国民の税金が台湾に流れたが一向に効果を出さずに時期だけすぎてゆきました。一番怒ったのはトルーマンでありました。反共の宣伝文句に釣られて大金を流したのはやはり元軍人のアイゼンハウアーでありました。蒋介石には朝鮮戦争に一人も派兵するなんて’気持ちがなかったくせに掠めて財宝は多く宋美齢に出費されたのです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/06 22:44 投稿番号: [724 / 825]
大陸退却のとき、ルーズベルト氏はすでに他界しており、トールマンがあと継いだのですが、そのあとを継いだアイゼンハワーが、蒋介石に、一番力を貸したのですね。本人が台湾を訪問していますよ。アメリカ大統領の身分で〜〜〜

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/06 02:30 投稿番号: [723 / 825]
natunokaze001様:
日本の灯篭流しのごとく、船に乗せて金門島に着く様に坊主に祈ってもらい
海峡にながすのです。ルーズベルトは何故蒋介石一族と側近を金門諸島に
配置させなかったのか?そして国民党一派を同時に島の守備隊にさせるべきでしたね。後の国府軍はここで解散除隊といえば文句なしに故郷へ帰っていったでしょうね。米国は国府軍を他の国家の軍隊と同じ制度の国家軍隊と
誤解したのですね。集団グループに過ぎなかったのですが。今思うと、私の税金もせっせと蒋一家の豪華な生活費に浪費されたのですね。特に宋美齢の
N.Y.での生活は芽に余ったのです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/06 01:05 投稿番号: [722 / 825]
直接、海峡に沈ませると、大きな騒ぎになります。まず、金門島へ移り、時間がたつに連れて、みんなの記憶からとってゆくべきですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/05 04:22 投稿番号: [721 / 825]
natunokaze001さま:
両親が渡した通帳は受け取ってくれた家族が国語家族で十分生活が出来ていたので、良かったですよ。蒋介石の台湾を治める意思がなくて自分たちが掠め取るばかりでありましたね。今失策が2-28事件と同じレベルの住民に
苦渋の痛みを与えつずけたのです。2-28事件は何百と失敗した悪代官の
なした最悪のひとつに過ぎませんでした。当時では彼ほど有名な偽者は
珍しい人物でしたね。彼の棺桶は直ぐ海峡の海中に破棄するべきですね。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/04 23:38 投稿番号: [720 / 825]
八万元が一円になってしまいました。自殺した人がどれほどあるか、想像に暇がないです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/04 03:38 投稿番号: [719 / 825]
なつのかぜ001sama :
戦後引き揚げる直前、母の教え子の両親に貯金通帳を寄贈してきました。
直ぐその一家は都会に出て家を一軒買い求めました。よかったです。しばらくして国民党は貨幣を変えて今までの日本貯金は紙くずになりました。
爾来、台湾に行く度に、息子、娘夫婦で歓迎してくれました。
金融操作で国民党は台湾で大もうけをしました。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/04 01:37 投稿番号: [718 / 825]
昭和24年幣制改革で8万円が一円になりました。つまり、インフレが八万倍に膨れ上がったということです。

昨日の金持ちは今日のこじき、という言葉がはやった時代でした。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/03 11:11 投稿番号: [717 / 825]
natunokaze001様:
砂糖だけではなくてお米(蓬莱米)も大陸輸出しましたか。戦前は全部輸出はビジネスで儲けたのです。戦後は強制供出だったのですか・鹿港近くの海水干し田の塩はどうでしたか?英国がインドでやった長期搾取殖民政策より酷いですね。台湾農民が長く貧乏農家でいたのですね。台湾人は果実や魚類や肉類で食料補給をまかなっていたのですか?苦渋の住民の怒りが爆発したのが2-28事件ですね。当然起こるべき事態にきていたのですね。
仮に儲けた財は全部蒋介石一派に抑えられたのですね。間違った三民主義を
薦める際に米国がもっと介入するべきでした。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/03 01:14 投稿番号: [716 / 825]
当時は砂糖だけでなく、米も、大陸へ〜〜

台湾ドルが8万倍にふくれあがったのも、そのときでした。228が勃発したのも、それにかかわってたからです。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/02 02:41 投稿番号: [715 / 825]
natunokaze001様:
戦時中、4つの精糖会社がありました。蒋は全部を統合して膨大な精糖
量を産出してあまりあまるほどの砂糖をしても不足したとは国民党は
無茶苦茶な量の砂糖を中華大陸へ輸出して儲けたのですね。
戦後サッカリンを使いました。台湾でサッカリンを販売した時期があったとは驚きですね。このひとつでいかに悪行政をやったのかわかりますね。
その後ですか「ズルチン」という砂糖代理品もでてきましたね。絵の具に甘い
種類があったそうです。赤色でしたかな?それを舐めた時期も日本ではありました。ほんとに米国は日本に原爆を落としたが、台湾に蒋介石を落として原爆以上に住民を苦しめました。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/02 00:54 投稿番号: [714 / 825]
終戦後、台湾にもサッカリンという言葉がはやっていました。何せ、台湾でも砂糖不足で、サッカリンがはやりました。

どうして台湾に砂糖不足、それは大陸のほうへ回されましたから〜〜

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/11/01 02:44 投稿番号: [713 / 825]
natunokaze001様:
ほとんどの砂糖は台湾からであり、少し沖縄(黒砂糖)とかハワイから僅かな
輸入がありました。1900年に台湾精糖(-台糖株式)、大日本明治精糖(東京から台湾へ進出)、塩水港精糖株式会社(塩水港庁に)に出来て、台湾、塩水港、大日本、明治各精糖会社が競争しました。1946年中華民国政府が
まとめて、台湾精糖公司として発足しました。内地、朝鮮、中華民国、南方
諸国に輸出して大いに外貨を稼いだものです。台湾から輸入しなくなったので、内地の砂糖不足は深刻な状況で塩は海水を煮て製塩できたが、砂糖は
できません。そこでサッカリンという代理砂糖が販売されました。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2011/11/01 00:29 投稿番号: [712 / 825]
戦前の、内地の砂糖はみな、台湾から供給されていたのが多いですね。沖縄からも、少量はできるでしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/10/29 00:41 投稿番号: [711 / 825]
pinglong1様:
蓬莱米の産地の台湾でも戦時中は南方、日本に産米が輸出されて不足しま
した。もちろん豊富な果樹や魚類で補足できました。配給制度でお米を
もらったが出来るだけ節米をしたので、麦を混ぜたりして食べたものです。
ところが引き揚げ船に乗ると白いご飯(銀飯)をくれました。3年振りに
白いご飯を食べたという家族も多々いました。上陸して港の傍の喫茶店で
ぜんざいを食べたら餅が見えなくて、甘くありませんでした。「おばさん、砂糖
忘れているよ」といいますと、「今のぜんざいはこうなんですよ」と申し、日本には砂糖と塩がまったく不足しているのがわかりました。前途が真っ暗に
なりました。故郷に落ち着いてから第二の食料不足という第ニの戦争に
つっ込む次第になりました。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/10/28 23:54 投稿番号: [710 / 825]
UP

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/10/23 05:42 投稿番号: [709 / 825]
pinglong1様:補足ですが、台湾の引き揚げ事業のルールは米国が指揮をとりました。中華の官憲が引き揚げ者の管理をしました。金銭、財産、宝石、
貯金通帳類、生命保険類文書などの携帯管理などであります。邦人の国内治安はほぼ日本官憲が指揮をとりました。輸送船は日本厚生省の管理下でうごきましたが、船は米国からの借り物でありました。船員は正式乗務員は日本人で下級船員は東南アジアの出身者がほとんどでありました。船長は日本の有力船舶会社(日本郵船、山下汽船、大阪郵船など)の当時の経験の深い
船長でありました。入港指定と列車輸送は国交省(今の)が決めて、港の受け入れの体制は厚生省の引き揚げ援護局でありました。敗戦まで2年ほど音信が無かった日台間は故郷の状態、縁者の生存、妻子の生存が不明で出迎えがあった駅のプラットホームにはいつも半数の出向かえしかなかった模様です。途中でおんぼろ列車が止まるたびに、第三国人が列車の中にきて引揚者を引きずり出して制裁を加えたものです。日本政府は一切の仲裁には入る人が乗っていませんでした。外食券をJTB がくれたが到着駅までの時間帯の食事だけで、余分の券がありませんでした。直ぐホームレスになった引き揚げ者もかなりいたそうです。、

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/10/23 01:34 投稿番号: [708 / 825]
トピあげる。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/10/20 15:28 投稿番号: [707 / 825]
pinglong1様:
台湾からの引き揚げ船の出航港は大部分が基隆港で次は高雄港でありました。到着港は愛媛、広島、大阪、和歌山県の田辺、八幡などで九州出身の内地人が多かったので、九州、四国、関西が受け入れ港でありました。でもこんでいると、急に港を変更してどの港でも厚生省の引き揚げ援護局の事務所がありました。日本には貨物船客船が3-4隻しかのこっていませんでした。そこで5-6隻の米軍貨物船リバテー号を借りて運送したのです。1945年までに軍人を、1946年の1月から3月末までに民間人を輸送しました。
リバテー号は機雷によわくて船底で恐怖でありました。リベットで板と板を
留めているだけでした。米軍の貨物船でした。上陸してDDTという消毒剤を頭、背中からふきつけられました。今じゃ人権問題になったでしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/10/20 15:26 投稿番号: [706 / 825]
pinglong1様:
台湾からの引き揚げ船の出航港は大部分が基隆港で次は高雄港でありました。到着港は愛媛、広島、大阪、和歌山県の田辺、八幡などで九州出身の内地人が多かったので、九州、四国、関西が受け入れ港でありました。でもこんでいると、急に港を変更してどの港でも厚生省の引き揚げ援護局の事務所がありました。日本には貨物船客船が3-4隻しかのこっていませんでした。そこで5-6隻の米軍貨物船リバテー号を借りて運送したのです。194年までに軍人を、1946年の1月から3月末までに民間人を輸送しました。
リバテー号は機雷によわくて船底で恐怖でありました。リベットで板と板を
留めているだけでした。米軍の貨物船でした。上陸してDDTという消毒剤を頭、背中からふきつけられました。今じゃ人権問題になったでしょう。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: pinglong1 投稿日時: 2011/10/19 10:35 投稿番号: [705 / 825]
   台湾からの引揚者は、船も少なくピストン輸送だったと思います。

   日本の何処の港が台湾ルートだったんでしょうか?

   中国からの船は、舞鶴でしたが・・・
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