Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/05 02:30 投稿番号: [26 / 825]
natunokaze001様:
戦争末期の高雄市は人影が見えなくて、寂しい街になりました。夜の
出歩きは暗いので(灯火管制で)恐ろしいものでした。動くものは猫や
野良犬だけでしたね。店は閉まっていて、港に近い日本人街も店が閉まって
いました。高中の入学式を第七部隊の中でやりそのまま勤労奉仕の継続で
寝泊りと訓練でありました。唯母のいる街が玉井村ですので帰宅を命ぜられました。通過する台南市も昼間でも静かでした。たまに台南航空部隊の軍機
が飛んで居たのを見たことがあります。旗山市の周辺の隋道を二本工事中の
途中で見たのは隋道の真中と出口の前後に穴がほられました。父曰くこの
穴はいざという時に、隋道の中を走る敵の輸送部隊を破壊するダイナマイトの爆破させる穴でありました。ご存知の如く、旗山街は高い盆地のうえにある地理です。工事は難工事でありました。大雨が降るたびに、洪水で工事は
一時停止でありました。排水に予算と時間をかけるより、洪水を隋道の中に
誘水が出来たら安いし良いと思いましたが、平時に雨水をためておくのが経費のかかることだそうです。貯水のタンクや池を造るのは安くはないですね。ダイナマイトは緊急時に誰が猫に鈴をつけに走るのかがタイミングで
困難でありました。しかし旗山付近は山岳戦を企画した日本軍にとっては大事な拠点でありました。軍事物資輸送部隊が歩兵部隊が駐屯していました。ここが崩れると、台南は前後(西と東から)から米軍にはさまれる危険に
落ちるのです。
これは メッセージ 25 (natunokaze001 さん)への返信です.
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