Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/01 14:09 投稿番号: [17 / 825]
natunokaze001様:旗山のテイシキャクはみごとでありました。それに
旗山神社が綺麗で鳥居の柱は銅版でおおわれていました。社務所が
大きくて戦後公合堂みたいな使用場所になりました。しかも残念なこと
にその銅版がはがされて消えてしまいました。往時は旗山の駅は小さいが、
精糖工場の軽鉄がはしり、長い間残っていましたね。中心街をあるくと、
内地のどこかの下町を歩く感じがした建物の並びでありました。戦争末期
は日本軍部が駐屯して必至でこの戦略重要地を護ろうとしました。そのために
父は高雄州庁から出張を再三して隋道工事に参与しました。台湾軍は原則的に
山岳決戦を企画したのです。沖縄作戦と同じでもし米軍が上陸したら民間
人の犠牲が多くでたでしょう。マッカサーの沖縄進攻作戦主張が通り、無事に
台湾通過でたすかりました。8月15日がまた来ますね。
戦後の人はこの街を「はたやま」と呼びました。
これは メッセージ 16 (natunokaze001 さん)への返信です.
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