竹島
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
>>>>>三石列立
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 19:02 投稿番号: [1438 / 18519]
写真のアングルで概ね適当だろう。
東島は西島より少し北にあったろ。
これは メッセージ 1433 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>>領土編入の周知義務。
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 19:02 投稿番号: [1437 / 18519]
またわけがわからない「自宣言」ですか?
当時、朝鮮も開国していたので「国際法論議は全く無意味」というのは無意味。現在韓国が結んでいる各種条約も無意味なのか?意味がわからん。
>事前に大韓帝國政府に照会して居らず、、閣議決定はその根拠を失う。
また、勝手なことを。日本が朝鮮の属国だったとでも言いたいのかな。
これは メッセージ 1435 (wakarannjin さん)への返信です.
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>ほんとうは
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 18:59 投稿番号: [1436 / 18519]
>竹島トピには在日の方ばかりじゃなく、韓国本国人にこそ、どんどん参加して議論してほしいと思っています。
全く賛成です。コミュニケーションを拒否し、一方的に主張を垂れ流すだけの韓国派しか存在しない現トピの存在意義に疑問を感じています。
自分が韓国語を話せれば、韓国の掲示板とかにも乗り込めるのでしょうが、中央日報の翻訳掲示板のやり取りを見ても、彼らの思い込みの強さを見ると、正直なところ彼らとの「会話」と「相互理解」に関して絶望的な気持ちにならざるを得ません。
ここでの師匠とのやり取りをもってしても、会話と議論による理解を求めることに失望しております。
tydkemvoさんは、彼らと実りのある議論を成立さえ得るとお考えですか?
もし、ここを有意義にするとすれば、日本側の参加者間での「思い込みを持った相手に対する議論の方法論」や「日本として解決に導くための方法論」を議論することではないかと思ってます。
ぜひ忌憚のないご意見をお聞かせください。
これは メッセージ 1416 (tydkemvo さん)への返信です.
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>領土編入の周知義務。
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 18:55 投稿番号: [1435 / 18519]
欧米列強の植民地獲得競争に関する「判例」は一切関係ない。
日本と韓国の間には、国際法より遙かに歴史のある二国間の交隣の関係がある。
二国間関係を無視した国際法など存在せず、二国間関係を無視した国際法論議は全く無意味である。
独島(日本の所謂松島)が朝鮮領であることは両国間の共通認識であった。
日本は朝鮮の島を秘密裏に盗んだのだ。
しかも、告示もされていないのに告示したと嘘まで吐いた。
独島を編入するのに、無主の島と勝手に断じているが、事前に大韓帝國政府に照会して居らず、閣議決定はその根拠を失う。
照会すれば朝鮮領であると返答されることが分かっていたから照会しなかったのだ。
日本政府は、本当の松島(朝鮮領独島)の所在を知りながら、これも朝鮮王国への照会もナシに勝手に鬱陵島を松島に、竹嶼を竹島にすり替えることによって、りゃんこ島を松島とは無関係な新発見の島と強弁しているに過ぎない。
これは メッセージ 1434 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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領土編入の周知義務。
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 18:38 投稿番号: [1434 / 18519]
唯一、通知義務が課せられたのは、1885年のベルリン議定書におけるアフリカ大陸海岸のみです。その後、1919年のサンジェルマン条約で通知義務は除外されました。
Ligitan and Sipadan島の判例でもマレーシアの海亀保護法への組み入れに対するインドネシアへの周知義務は全く問われてません。バルマス島の判例もしかり。秘密裏でも領有権に影響を及ぼすものではないでしょう。
というか、通知義務を問われた判例でも提示頂きたいな。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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>>>>>三石列立
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 18:18 投稿番号: [1433 / 18519]
>ちょい北からのアングルで、西島の手前右側に小島が写ってるね。
まず、アングルは西島の北にある平島(岩)が右(西)に写っているから、「ちょい北」ではなく西島の「北」です。手前の小島って平島(岩)のことを言ってるの?もともとは「北にある三石の「次」に小島、その「次に」巌石が列立、その「次」が中島。中島の西に小島。」が順番だよん。
>これを西側に回り込めば、西島正面の手前になるだろ。
「望み見る」です。絵にも描いたことからも、アングルは固定です。周り込んではいけません。まず金自周がどの方角から「望み見た」と解釈したのか明らかにしてねん。あと、写真の3石の柱は西島にあんの?その三石の柱もこのアングルからは「望み見る」ことはできまへんな。
忠告しておくけど、西に回り込んじゃと、西島と東島の間の小島が見えなくなっちゃうよん。
これは メッセージ 1428 (wakarannjin さん)への返信です.
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修正
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 18:03 投稿番号: [1432 / 18519]
たいした影響があるわけでもないのだが、一応修正ね
誤
また、日本が1905年2月から1906年3月の間に何も抗議が無かったという主張をしているのであれば、「告示された証拠の有無」が論点となるでしょうね
正
また、日本が1905年2月から1906年3月の間に【韓国から】何も抗議が無かったという主張をしているのであれば、「告示された証拠の有無」が論点となるでしょうね
これは メッセージ 1431 (llllowollll さん)への返信です.
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必要ないからねえ
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 18:00 投稿番号: [1431 / 18519]
せっかく色々長々とお書きのようですが
そもそも「告示されたという証拠」が必要となるのは韓国の主張が次の場合である時に限られます
・日本への編入の事実を知らなかったので抗議できなかった
さて、残念ですが、1906年3月(韓国独島発見記念日)に島根県の神田由太郎が鬱陵島郡守沈興沢に編入した事実を告げ、竹島で捕獲したあしか一頭をプレゼントしております。
またこれが重要ですが、この報告を受けた韓国政府はなんら行動を起こしてませんね。
正直なところ、この時韓国政府が何らかの抗議行動を起こしていれば、竹島領有問題は全く違う様相を呈していたでしょう
また、日本が1905年2月から1906年3月の間に何も抗議が無かったという主張をしているのであれば、「告示された証拠の有無」が論点となるでしょうね
しかしながら残念なことにどちらも当てはまりません
つまり、「告示されたという証拠の有無」は全く論点となり得ないことが子供でもおわかりいただけるかと思います。
で、先占の要件となる実行支配の根拠は見つかりましたか?
これは メッセージ 1430 (wakarannjin さん)への返信です.
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さてお立ち会い
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:33 投稿番号: [1430 / 18519]
「島根県告示はなかった。」とされれば、普通は実際に告示された証拠を出せば済む話であろう。
論ナシゴミキャラが何を喚こうとも、実際に告示された証拠が無ければ話にならないと思われ。
ジクーリ高見の見物としゃれこむべえ。
独島博物館よりコピペ
『島展望ロビーにはいわゆる「島根県告示40号」が実際告示されなかったことを証明する日本の官報及び新聞資料が集中的に展示されている。この展示物は第2展示室の展示内容と繋るものである。 日本は「無主地先占論」の根拠として彼らが1905年2月22日独島編入事実を告示したという 「島根県告示40号」を取り上げている。しかし、この告示が実際告示されたという証拠は現在探すことができない。
一番目、まず島根県庁に告示が掲示されたという1905年2月22日、島根県報と訓令報にはどこにも「島根県告示40号」の内容がない。それのみならず当時日本政府の官報においても「島根県告示40号」という告示は掲載されなかった。最後に日本にただ1枚保管されている「島根県告示40号」の原文は告示用ではなく回覧用である。それでは1905年2月22日独島編入事実が告示されたという証拠はどこにもない。 二番目、独島不法侵奪約3ヶ月後に行ったロシアバルチク艦隊との海戦で勝った日本は当時 海戦状況官報号外と新聞に載せた。どころが、1905年5月29日と30日発行の官報号外には3ヶ月前に告示されたという 「島根県告示40号」の内容が反映されなかった。即ち、告示を通じて「竹島」に名称が変更された独島を依然と以前の名称である「リヤンコルド岩」で指称した。また 1905年5月30・31日〜6月1日に掛けてバルチク艦隊との海戦の勝利を伝えた当時の日本新聞も 等しく独島を「竹島」と言わずに、「リヤンコルド岩」と表記した。この新聞の内容は当時日本の聯合艦隊司令官である東郷平八郎の報告電文を資料に作成されたものである。
それでは、告示が行って3ヶ月も過ぎているのに日本政府の官報発行機関と連合艦隊の司令官、そして日本の新聞、皆は「島根県告示40号」という告示の存在を知らなかったこと、即ち 独島の日本領土編入事実を知らなかったことになる。「竹島」という名称が日本官報に現れたのは1905年6月5日、以前の官報号外が修正されて以後であり、日本の新聞も同じく訂正記事を掲載した官報が出た後一斉に「竹島」という名称を使い始めた。
以上の事実は独島の領土編入が極秘裡に進行された不法的なものであり、いわゆる告示というのはごく少数の人のみが読み回した回覧に過ぎないもので、決して告示として存在しなかったことを証明してくれる。もしこの告示が日本の主張とおり明らかに告示されたものであればそれを 証明することは日本の分である。 しかし、日本はまだこれを証明できる資料を提示しなかった。結局、日本が韓日間の独島領有権論争において明白であり唯一な近代法的証拠として先に立たせる 「島根県告示40号」は国際法のみならず国内法的にも全く法的根拠のないものであり、むしろ所謂「合法的領土編入」は実は「不法的強制占領」であった事実を反証する明白な証拠資料になる。』
これは メッセージ 1421 (wakarannjin さん)への返信です.
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先占とは
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 17:30 投稿番号: [1429 / 18519]
はっきり言ってこのトピのほとんどの参加者には釈迦に説法なのですが、お一人ほど「絶望的に理解力に欠ける」お方がおられるようなので、国際法のおさらいでもしときましょう。
この「絶望的に理解力に欠ける」お方はなんと「かつて見た島影がそうだったかもしれん」事実を持って、「先占」であるというとんでもない勘違いをされているようです。
「絶望的に理解力に欠ける」お方は、同時に「絶望的に無知なお方」でもあるようですね。
先占の解釈をあげときます。はてさて、見たかもしれないという事実は何を意味するのでしょうか?
--
領域権原
領域取得を国際法上有効に他国に主張しえる根拠となる事実
原始取得
いずれの国の領域にも属していなかった地域の領域への編入
先占 無主地を実効的に支配することによる領域の取得
①無主地
いかなる国の領域でもないこと
# 1975年西サハラ事件
当該時期(19世紀後半)の国家実行によれば、社会的・政治的組織を有する部
族や人民の居住する地域は無主地とはみなされていなかったと判示
②平穏かつ実効的占有
その土地に国家権力が現実に及んでいること
・関係地域における地方行政の実施、裁判権の行使、立法行為
*1953年マンキエ・エクレオ諸島事件
・絶海の孤島や極地の場合の定期的査察や行政的取締
・利害関係国の抗議の欠如
− 国旗や掲示板をたてるなどの象徴的な行為では不十分
# 領有宣言という象徴的な領土編入行為による占有を認めた事例もある
* 1941年クリッパートン島事件
− 発見は未成熟な権原であり実効的占有による補完が必要
*1928年パルマス島事件
③領有の意思
領有宣言、公式地図への記載、立法・行政上の措置
これは メッセージ 1427 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>>>>三石列立
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:27 投稿番号: [1428 / 18519]
お前さん、方向感覚あんのか。
ちょい北の方から見れば、西は右だろ。
ちょい北からのアングルで、西島の手前右側に小島が写ってるね。
これを西側に回り込めば、西島正面の手前になるだろ。
西島の手前は、西島の西だろうが。
これは メッセージ 1427 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>>>三石列立
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 17:17 投稿番号: [1427 / 18519]
>ちょい北側からのアングルだが、西島の手前に小島がちゃんと映ってるね。
手前じゃなくて中島の「西」ね。何れにしても順番、アングルがめちゃくちゃ。
これは メッセージ 1424 (wakarannjin さん)への返信です.
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残念ながら
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 17:15 投稿番号: [1426 / 18519]
>現在日本領派が最後の砦にしている「島根県告示40号」すら「告示されていなかった。」んですねえ。
残念ながら韓国以外はそう思ってないらしいですね
しかもちゃんと翌年には韓国内でも告示の事実を知られております。それが証拠にようやく「独島」と呼ぶようになったではないですか(笑
島根県の告示が韓国での竹島の発見に等しい事実であることを忘れてはなりません(笑
これは メッセージ 1423 (wakarannjin さん)への返信です.
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もっとびっくりするのは
投稿者: llllowollll 投稿日時: 2003/03/09 17:12 投稿番号: [1425 / 18519]
これは メッセージ 1423 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1425.html
>>三石列立
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:10 投稿番号: [1424 / 18519]
これは メッセージ 1422 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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次々暴かれる日本側の大嘘
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 17:07 投稿番号: [1423 / 18519]
いやはや、ビクーリすますた。
現在日本領派が最後の砦にしている「島根県告示40号」すら「告示されていなかった。」んですねえ。
日本が朝鮮の島を不法に強奪しようと、秘密裏に編入したことは明白ですねえ。
これは メッセージ 1421 (wakarannjin さん)への返信です.
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>三石列立
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 17:05 投稿番号: [1422 / 18519]
これは メッセージ 1419 (wakarannjin さん)への返信です.
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>ほんとうは
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:56 投稿番号: [1421 / 18519]
本国にも真面目な良サイトあり。
以下独島博物館のコピペ
『島展望ロビーにはいわゆる「島根県告示40号」が実際告示されなかったことを証明する日本の官報及び新聞資料が集中的に展示されている。この展示物は第2展示室の展示内容と繋るものである。 日本は「無主地先占論」の根拠として彼らが1905年2月22日独島編入事実を告示したという 「島根県告示40号」を取り上げている。しかし、この告示が実際告示されたという証拠は現在探すことができない。
一番目、まず島根県庁に告示が掲示されたという1905年2月22日、島根県報と訓令報にはどこにも「島根県告示40号」の内容がない。それのみならず当時日本政府の官報においても「島根県告示40号」という告示は掲載されなかった。最後に日本にただ1枚保管されている「島根県告示40号」の原文は告示用ではなく回覧用である。それでは1905年2月22日独島編入事実が告示されたという証拠はどこにもない。 二番目、独島不法侵奪約3ヶ月後に行ったロシアバルチク艦隊との海戦で勝った日本は当時 海戦状況官報号外と新聞に載せた。どころが、1905年5月29日と30日発行の官報号外には3ヶ月前に告示されたという 「島根県告示40号」の内容が反映されなかった。即ち、告示を通じて「竹島」に名称が変更された独島を依然と以前の名称である「リヤンコルド岩」で指称した。また 1905年5月30・31日〜6月1日に掛けてバルチク艦隊との海戦の勝利を伝えた当時の日本新聞も 等しく独島を「竹島」と言わずに、「リヤンコルド岩」と表記した。この新聞の内容は当時日本の聯合艦隊司令官である東郷平八郎の報告電文を資料に作成されたものである。
それでは、告示が行って3ヶ月も過ぎているのに日本政府の官報発行機関と連合艦隊の司令官、そして日本の新聞、皆は「島根県告示40号」という告示の存在を知らなかったこと、即ち 独島の日本領土編入事実を知らなかったことになる。「竹島」という名称が日本官報に現れたのは1905年6月5日、以前の官報号外が修正されて以後であり、日本の新聞も同じく訂正記事を掲載した官報が出た後一斉に「竹島」という名称を使い始めた。
以上の事実は独島の領土編入が極秘裡に進行された不法的なものであり、いわゆる告示というのはごく少数の人のみが読み回した回覧に過ぎないもので、決して告示として存在しなかったことを証明してくれる。もしこの告示が日本の主張とおり明らかに告示されたものであればそれを 証明することは日本の分である。 しかし、日本はまだこれを証明できる資料を提示しなかった。結局、日本が韓日間の独島領有権論争において明白であり唯一な近代法的証拠として先に立たせる 「島根県告示40号」は国際法のみならず国内法的にも全く法的根拠のないものであり、むしろ所謂「合法的領土編入」は実は「不法的強制占領」であった事実を反証する明白な証拠資料になる。』
これは メッセージ 1416 (tydkemvo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1421.html
いっけねえ
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:47 投稿番号: [1420 / 18519]
>>どこが?三石はどれ?その次の小島は?巌石は?中島は?その西の小島は?それに、これは北からの写真でおま。
>うんにゃ、ちょい南よりからのアングル。
右が東島ね。
悪ぃ、間違えた。
北からのアングル。左が東島が正しい。
これは メッセージ 1419 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1420.html
三石列立
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:44 投稿番号: [1419 / 18519]
これは メッセージ 1418 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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>三峯島は独島である
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 16:39 投稿番号: [1418 / 18519]
>そのまんまやんけ。
どこが?三石はどれ?その次の小島は?巌石は?中島は?その西の小島は?それに、これは北からの写真でおま。
これは メッセージ 1417 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1418.html
三峯島は独島である
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:32 投稿番号: [1417 / 18519]
これは メッセージ 1406 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1417.html
ほんとうは
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/03/09 16:29 投稿番号: [1416 / 18519]
竹島トピには在日の方ばかりじゃなく、韓国本国人にこそ、どんどん参加して議論してほしいと思っています。
韓国本国人の方たちはほんとうに韓国人としてのプライドがあるなら在日トピを荒らしたりせず、韓国の名誉をかけて、こういうところで議論をちゃんとやってほしいものだと思っています。
せっかく在日の半月城さんや師匠が頑張っているのに・・・
ときたまここに現れる韓国本国人は竹島は問答無用で韓国のものだから根拠を求められることさえ屈辱的だとか何とか言って、感情論を爆発させるだけで、ちゃんと冷静に根拠論で論戦できる人が誰もいないんですよね。
少なくとも今までは誰もいませんでした。
いても既に論破されているシンヨンハ教授の説のコピペがせいぜい。
あとは、我々はこんなに独島を愛しているとか、そんな感情論ばかり。
韓国にも根拠なり理屈はあるが、日本にも根拠も理屈もある。
話し合いさえ拒否する韓国の態度をよく思わない日本人は少なくないと思います。
このことが韓国にとって、かなりイメージダウンにつながっていることは理解してください。
いつか、冷静に正面からこういう議論をできるようになってこそ日韓関係が成熟したときなのかなと思います。
実質的には漁業問題さえ円満に解決できれば、感情論になりがちで、やりだしたら韓国としても後には引けない議論は当面棚上げというのが現実的な選択なのでしょう。
遊んでくれてありがとうございました。
これは メッセージ 1404 (wakarannjin さん)への返信です.
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>>>写真で三峰島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 16:25 投稿番号: [1415 / 18519]
>島の東から見たと言いたい訳か。中島の西の二つの小島が良く見えたな。
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高麗大学校申教授の主張
「金自周が語った島の北方に三石が列立しているというのは、西島北方に高くそびえた三つの岩島をいったものである」といい、また、中島は西島のことで、小島と岩石とは東島と西島の間に散在している無数の岩を指している
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10mに満たない無数の岩が512mの西島の陰にかくれずに、よく見えましたな。しかも、金自周は、島と石を区別してるのに、「無数の岩」でごまかしてるし(笑)
これは メッセージ 1414 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1415.html
>>写真で三峰島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 16:03 投稿番号: [1414 / 18519]
>それは、半けつ解釈。もともとは、「西距島七八里許到泊」。島「へは」西7,8里という解釈もできるんじゃないの?漢文に詳しい方よろぴこ。
島の東から見たと言いたい訳か。
中島の西の二つの小島が良く見えたな。
三峯島は明らかに独島である。
これは メッセージ 1413 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1414.html
>写真で三峰島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 15:59 投稿番号: [1413 / 18519]
それは、半けつ解釈。もともとは、「西距島七八里許到泊」。島「へは」西7,8里という解釈もできるんじゃないの?漢文に詳しい方よろぴこ。
これは メッセージ 1412 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1413.html
>>>>>写真で検証 三峰島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:50 投稿番号: [1412 / 18519]
henchin_pokoider01 wrote
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25日、島の西7,8里に碇泊し望見した。島の北には三石が列立し、次に小島がある。次に巌石が列立し、次に中島がある。中島の西にまた小島がある。みな海水が通じて流れている。
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henchin_pokoider01は、三峯島は鬱陵島だと言う。
だが、鬱陵島の西7,8里に碇泊した船から望見するだけで、島の反対側にある竹嶼まで望見できるのか。
観音島すら望見できるか怪しいものである。
鬱陵島は透明だとでも言いたいのだろうか。訝しいこともあるものだ。
三峯島は明らかに独島である。
これは メッセージ 1411 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1412.html
>>>>写真で検証 三峰島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 15:47 投稿番号: [1411 / 18519]
>で、お前は鬱陵島の西から竹嶼が望見できたと言いたいわけ?
もともとは、「西距島七八里許到泊」ね。解釈は半けつさんのものだから。泊まった位置でしょ。壬辰条及び描写の状況から三峯島は、鬱陵島と判断して間違いないでしょ。
これは メッセージ 1409 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1411.html
竹嶼は見えない
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:31 投稿番号: [1410 / 18519]
henchin_pokoider01 wrote
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25日、島の西7,8里に碇泊し望見した。島の北には三石が列立し、次に小島がある。次に巌石が列立し、次に中島がある。中島の西にまた小島がある。みな海水が通じて流れている。
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henchin_pokoider01は、三峯島は鬱陵島だと言う。
だが、鬱陵島の西7,8里に碇泊した船から望見するだけで、島の反対側にある竹嶼まで望見できるのか。
観音島すら望見できるか怪しいものである。
鬱陵島は透明だとでも言いたいのだろうか。訝しいこともあるものだ。
三峯島は明らかに独島である。
これは メッセージ 1406 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1410.html
>>>写真で検証 三峰島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:21 投稿番号: [1409 / 18519]
で、お前は鬱陵島の西から竹嶼が望見できたと言いたいわけ?
やって見せて。
これは メッセージ 1408 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1409.html
>>写真で検証 三峰島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 15:19 投稿番号: [1408 / 18519]
これは メッセージ 1407 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1408.html
>写真で検証 三峰島
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 15:14 投稿番号: [1407 / 18519]
これは メッセージ 1406 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1407.html
写真で検証 三峰島
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 14:59 投稿番号: [1406 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1406.html
ああ ややこしくない
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 14:15 投稿番号: [1405 / 18519]
>大韓帝国の末期、竹島は島根県の一部になった。
日本の国内に限定した手続きが有効であっても、既に独島を領有している韓国が割譲した事実はないので完全に無効。
>日本に併合された大韓帝国は、日本が敗戦したあと、独立し、大韓民国となった。
>日本の領土領海は、サンフランシスコ条約に規定された。
>サンフランシスコ条約文中に、島根県竹島が大韓民国に所属するという記述はない。
二国間の国境は、いずれか一方の国が第三国と締結した条約に影響されない。
従って、サンフランシスコ条約によっては日本と韓国との国境は画定されない。
関係ない話を持ち出すな。馬鹿
これは メッセージ 1395 (tinopure さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1405.html
>わからんじんさん
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 13:52 投稿番号: [1404 / 18519]
>朝鮮が鬱陵島に空島政策を実施していたころ、日本は江戸時代に鬱陵島を竹島、現竹島のことを松島と呼んで幕府は渡航許可をあたえて実行支配していたことはご存じのとおりです。
>これは私人の行為とはいえ幕府が許可を与えているのだから幕府の公認ですよね。
幕府が松島渡航許可を与えた証拠はない。
元外務官僚の川上某が「松島渡海免許」を捏造したことは既に発覚して居る。
>後に朝鮮国とトラブルがあり、安龍福事件などもあって、竹島(現鬱陵島)の方は朝鮮国のものと認め、渡航を禁止しましたが、一方、松島(現竹島)は渡航禁止にしませんでした。
>江戸時代から領有していたという証拠はあります。
いや、全くない。
唯一証拠らしき「松島渡海免許」も大嘘だったね。
>ただし、人も居住していない、作物がとれる訳でもない小さな島に台帳までは作らなかったのでしょう。正式な図版に編入したのは鳥取県に編入したのが最初なのでしょうね。
島根と言いたいのだろう。
そもそも江戸時代に領有していたのなら、幕府から政権を引き継いだ明治政府が明治初頭の地籍編纂時に編入しているはず。だが、朝鮮領なので出来なかった。
日本は朝鮮から島を奪おうとしたのだ。
これは メッセージ 1403 (tydkemvo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1404.html
わからんじんさん
投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/03/09 13:40 投稿番号: [1403 / 18519]
いや、師匠・・・
ぼくは師匠のこと嫌いじゃないですよ。
楽しいキャラを作って遊んでください。
>松島は即ち朝鮮の于山島である。
>于山島には三峯島、可支島などの別称がある。
于山島、三峯島、可支島って竹島(韓国名:独島)であるという確たる証拠はないんじゃないでしょうか?
そう思いたい気持ちはわかりますが、むしろ鬱陵島である可能性のほうが強いと思います。
三国遺事に書かれた于山国が鬱陵島ってのは間違いないでしょ?
人がたくさん居住していて国とまで言われていたんだから。
それを于山国と于山島は別物で于山国は鬱陵島だけど于山島は竹島(韓国名:独島)っていう都合の良い半月城説にもかなり無理がありますし・・・
また地図で鬱陵島の西側に描かれた島を竹島(韓国名:独島)であるとするのもかなり無理があります。
いづれにしろ韓国(朝鮮)が竹島(韓国名:独島)を支配したって証拠は何もないんです。
ロマンティックな仮説としてはいろいろ考えられるとは思います。
朝鮮が鬱陵島に空島政策を実施していたころ、日本は江戸時代に鬱陵島を竹島、現竹島のことを松島と呼んで幕府は渡航許可をあたえて実行支配していたことはご存じのとおりです。
これは私人の行為とはいえ幕府が許可を与えているのだから幕府の公認ですよね。
後に朝鮮国とトラブルがあり、安龍福事件などもあって、竹島(現鬱陵島)の方は朝鮮国のものと認め、渡航を禁止しましたが、一方、松島(現竹島)は渡航禁止にしませんでした。
江戸時代から領有していたという証拠はあります。
ただし、人も居住していない、作物がとれる訳でもない小さな島に台帳までは作らなかったのでしょう。正式な図版に編入したのは鳥取県に編入したのが最初なのでしょうね。
一方、韓国はいくら国家事業だ何だと言っても、それが竹島(韓国名:独島)のことであると証明されなければ何の意味も価値もありません。
立派なものを提示すれば、たとえそれが勘違いでも、思いこみでも、疑義があり確定されなくても、立派な根拠があるとは言えないと思います。
根拠とは証明されてこそ価値のあるものだと思います。
>1900年には既に独島と呼ばれて居った。ただし表記は「石島」とすることもある。
それは何かの勘違いではないでしょうか?
1900年から漢字で独島と表記して、現在の竹島(韓国名:独島)の位置を現していましたか?
石島=竹島(韓国名:独島)説も単なるロマンティックな説としては拝聴しますが、確証はありません。
また暇なときにでもおつきあいください。
これは メッセージ 1373 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1403.html
>>三峯島は竹島ね〜
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/03/09 13:39 投稿番号: [1402 / 18519]
また、得意のトリミング技ですか?
これは メッセージ 1399 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1402.html
>>三峯島は竹島ね〜
投稿者: kusuo1 投稿日時: 2003/03/09 13:38 投稿番号: [1401 / 18519]
>それが四昼三夜を要するのだから、鬱陵島より遠方である(即ち独島である)ことは明白。
三峯島の記述が事実なら、竹島は水もない人の住めない無人島だから 三峯島とは違うな。
鬱陵島より遠方で人が住んでいるのは日本の隠岐があるから、竹島に気がつかずに通り越して日本まで来てた可能性もあるな。
これは メッセージ 1399 (wakarannjin さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1401.html
「竹島一件」後の于山島認識2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/09 13:27 投稿番号: [1400 / 18519]
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なお、安龍福は前述のとおり元禄6年に日本へ連れ帰られているが、同人を連れ返った船は松島(今日の竹島)に立ち寄っている。したがって、同人は記録上今日の竹島に赴いた最初の朝鮮人ということになる。
同人はその際今日の竹島を見、その名称(松島)も聞いたと考えるのが自然であるが、そうであれば後に同人が「松島はすなわち于山である」と述べたのは、この時の体験に鬱陵島・于山島があるという朝鮮における伝承を当てはめた結果であると考えられる(注4)。
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塚本説は下條説よりはるかに説得力があります。下條氏は文献考証が恣意的なのか、安龍福の取り調べ時における3、4年前の手柄話をそのまま真実であるかのように採用し、我田引水的な主張を行っているようです。同氏の傾向を如実に示した例といえましょう。これでは学術論文に同氏の主張が引用されないのも無理はありません。
さて「竹島一件」以降、朝鮮政府は日朝間で問題になった鬱陵島を定期的に捜討するようになりました。これは必然的に鬱陵島周辺の関心をよびおこしました。『粛宗実録』40年条によれば 1714年、江原道御使の趙錫命が嶺東地方の海防を論議しましたが、そこで鬱陵島周辺のことがこう記されました。
<浦人の話をくわしく聞いてみると、「平海、蔚珍は鬱陵島からもっとも近い距離にあって、海路が少しもさえぎられることがない。鬱陵島東側から島嶼が続いて倭の境界と接している」ということである>
この一節は日本との国境付近に朝鮮領の島があったことを示唆していると同時に、日本との境界付近まで浦人が行った可能性を語っています。国境付近のその島は名前が記されませんでしたが、これは于山島と考えるのが妥当なところです。もし、そのように『粛宗実録』に記されていたなら、竹島=独島問題に重要な史料になったことは疑いありません。
さて「東国文献備考」に書かれた于山島=松島という認識は、その後の官撰史料でも再確認されました。まず『萬機要覧』(1808)をあげることができます。宋炳基氏はこう記しました。
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「東国文献備考」に続いて19世紀はじめ(1808・純祖8年頃)には王命により『萬機要覧』が編纂された。そしてその軍政編4,海防東海条には『増補文献備考』に載せられた「東国文献備考」蔚珍条の付録記事、すなわち鬱陵島・于山島の位置と沿革、鬱陵島領有権紛糾、安龍福渡日事件等を余すところなく無くそのまま転載している。
これは、于山島は朝鮮領であり、日本側で呼んでいる松島であるという「東国文献備考」の見解を『萬機要覧』でもそのまま継承使用していたことを意味しているのである。『萬機要覧』は国王が座右に置いて参考にする目的で編纂された政務指針書であった(注3)。
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『萬機要覧』にも「輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である」と書かれ、于山島=松島という認識は朝鮮でも盤石になりました。
(注1)下條正男「竹島問題、金炳烈氏に再反論する」『現代コリア』1999,5月号,P59
(注2)李燦「韓国古地図にみる獨島」(韓国語)『鬱陵島・獨島學術調査研究』韓国史學會,1978,P119
(注3)宋炳基『鬱陵島と獨島』(韓国語)檀国大学校出版部,1999
(注4)塚本孝「竹島領有問題の経緯(第2版)」『調査と情報』第289号、国会図書館,1996
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 1398 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1400.html
>三峯島は竹島ね〜
投稿者: wakarannjin 投稿日時: 2003/03/09 13:26 投稿番号: [1399 / 18519]
『有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流』
独島以外の何者でもない。
『乗舟行四昼三夜』
15世紀当時、鬱陵島へは順風で半日、風が悪くても二日あれば足りる。
それが四昼三夜を要するのだから、鬱陵島より遠方である(即ち独島である)ことは明白。
壬辰条に不利な点は何もない。
これは メッセージ 1397 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1399.html
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