古えは隠州が北西限か(3)
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/31 04:12 投稿番号: [10272 / 18519]
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
A. 隠州の地理に関する概説
(A1) 隠州は北の海の中にある。
(A2) だから隠岐嶋である
(A3)[思うに、大和言葉で海の中を「おき」というので、このように名付けたのだろうか]
(A3) その南東にある地を島前と言う
(A4) 知夫郡と海部郡がこれに属する
(A5) その東にある地を島後と言う
(A6) 周吉郡と穏地郡がこれに属する
(A7) その府は周吉郡南岸の西郷豊崎である
隠州の地理の概説として、隠州の位置、構成する島と郡、そして役所の所在地を述べています。
文献によっては竹島と松島を隠岐国に含めているものがありますが、隠州視聴合紀がそのように考えていないことはこの段落から明らかです。
なお、島前が南東、島後が東というのは、実際の地理からしておかしいですが、結論に影響する問題ではないので今は保留します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「本朝地理志略」(續々群書類従, 巻8所収)は林羅山が、寛永20(1643)年朝鮮國信使申竹堂の求めに応じて、日本國の地理を国別に略述したものである。羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。(中略)
松江藩は、寛永18 (1641) 年羅山の推挙により儒官として黒澤弘忠を召抱えている〜後に、藩儒として相応の地位を得た黒澤弘忠は、師羅山の思いを齋藤勘介に託そうとした・・・。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10197
------------------
正徳年間(1643)に刊行された「本朝事跡考」の隠岐国条に記載のあることから、「竹島(鬱陵島)を隠岐國に所属させた」と云うは徒に誤りとは云えない。
ちなみに、鰒は、鳥取藩の献上品として「武鑑」にも記されている上、「和漢三才図 会」の伯耆国条では、産物五品の一つに数えられている。また「毛吹草」でも鬱陵(竹島)産の「串鰒」、「葦鹿」を隠岐国の名物として挙げている。
「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである」との論拠に、「空島」になっていた鬱陵を遺棄されたモノとして隠岐の一部にみなす考えが存在したのは事実であろう。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10206
------------------
段落?「然則日本之乾地、以此州為限矣」から改行することもなく続けて、「民部図帳曰、凡諸健児免徭役、隠岐以国造田三町地子充之」と続く。隠州視聴合紀は(竹島と松島を隠岐国に含めて)考えていないことはこの段落から明らかです・・・とは論理に連続性を欠き飛躍も甚だしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>国代記・地理の記述は、隠州から北西に二日行ったところに松島があると読める。これは隠州と松島を別のものと考えていることにならないか
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9654
まさに、「独島は<ウリ>(我ら)の地」という絶対的な命題自体を否定する言説は、韓国では公に成立し得ない。
それは神聖不可侵なる<民族理>なのであるゆえに」。
「韓国は一個の哲学である、小倉紀藏著より」
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/nation/fuusa.ht
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
を地でゆくものであろう。論理と言うよりは最早、「韓国は一個の哲学である」と言うしかない。
隠州在北海中〜然則日本之乾地、以此州為限矣までが隠岐地誌の記載である以上、隠岐から此二島を除外する理由はない。
(続く)
A. 隠州の地理に関する概説
(A1) 隠州は北の海の中にある。
(A2) だから隠岐嶋である
(A3)[思うに、大和言葉で海の中を「おき」というので、このように名付けたのだろうか]
(A3) その南東にある地を島前と言う
(A4) 知夫郡と海部郡がこれに属する
(A5) その東にある地を島後と言う
(A6) 周吉郡と穏地郡がこれに属する
(A7) その府は周吉郡南岸の西郷豊崎である
隠州の地理の概説として、隠州の位置、構成する島と郡、そして役所の所在地を述べています。
文献によっては竹島と松島を隠岐国に含めているものがありますが、隠州視聴合紀がそのように考えていないことはこの段落から明らかです。
なお、島前が南東、島後が東というのは、実際の地理からしておかしいですが、結論に影響する問題ではないので今は保留します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「本朝地理志略」(續々群書類従, 巻8所収)は林羅山が、寛永20(1643)年朝鮮國信使申竹堂の求めに応じて、日本國の地理を国別に略述したものである。羅山は、その中の隠岐國の最後に、「隠岐海上有竹嶋多竹多鰒味甚美海獣曰葦鹿」と記した。(中略)
松江藩は、寛永18 (1641) 年羅山の推挙により儒官として黒澤弘忠を召抱えている〜後に、藩儒として相応の地位を得た黒澤弘忠は、師羅山の思いを齋藤勘介に託そうとした・・・。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10197
------------------
正徳年間(1643)に刊行された「本朝事跡考」の隠岐国条に記載のあることから、「竹島(鬱陵島)を隠岐國に所属させた」と云うは徒に誤りとは云えない。
ちなみに、鰒は、鳥取藩の献上品として「武鑑」にも記されている上、「和漢三才図 会」の伯耆国条では、産物五品の一つに数えられている。また「毛吹草」でも鬱陵(竹島)産の「串鰒」、「葦鹿」を隠岐国の名物として挙げている。
「羅山は、竹島を隠岐國の一部とし、しかもそれを朝鮮國信使に贈呈した日本國地理書中に明記したのである」との論拠に、「空島」になっていた鬱陵を遺棄されたモノとして隠岐の一部にみなす考えが存在したのは事実であろう。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=10206
------------------
段落?「然則日本之乾地、以此州為限矣」から改行することもなく続けて、「民部図帳曰、凡諸健児免徭役、隠岐以国造田三町地子充之」と続く。隠州視聴合紀は(竹島と松島を隠岐国に含めて)考えていないことはこの段落から明らかです・・・とは論理に連続性を欠き飛躍も甚だしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>国代記・地理の記述は、隠州から北西に二日行ったところに松島があると読める。これは隠州と松島を別のものと考えていることにならないか
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9654
まさに、「独島は<ウリ>(我ら)の地」という絶対的な命題自体を否定する言説は、韓国では公に成立し得ない。
それは神聖不可侵なる<民族理>なのであるゆえに」。
「韓国は一個の哲学である、小倉紀藏著より」
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/nation/fuusa.ht
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
を地でゆくものであろう。論理と言うよりは最早、「韓国は一個の哲学である」と言うしかない。
隠州在北海中〜然則日本之乾地、以此州為限矣までが隠岐地誌の記載である以上、隠岐から此二島を除外する理由はない。
(続く)
これは メッセージ 10271 (torezojp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10272.html