南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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教科書はその国に
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/06/22 23:09 投稿番号: [9278 / 29399]
都合の良いように作って居るんでしょうな。
それで、日本の教科書も悪いってか。
反日の日本人の典型だよな、貴様は。
これは メッセージ 9277 (yominokuni56 さん)への返信です.
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支那事変終結を目指し、戦線を拡大?
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/22 22:16 投稿番号: [9277 / 29399]
ビルマでの日本軍、
ビルマ教科書
>タキン、アウンサンは1941年初頭ひそかにビルマへ戻った。
30人の青年を4つのグループに分け、日本に送り出し、海南島および台湾でおよそ4ヶ月間の軍事訓練を受けさせた。
ビルマの歴史に名を残す,30人の志士である。
1941年12月7日
日本軍は宣戦布告なしに、アメリカの真珠湾を爆撃した。1939年以来の第2次世界大戦の戦火はアジアへも広がることになった。
1941年12月26日ビルマ独立義勇軍(BurumaIndependenceArmy)を結成した。
勢力はシャン族やビルマ族を含めて1500人程度だった。
アウンサン将軍(ボ、テーザ)率いるビルマ独立義勇軍本隊は日本軍とともに作戦行動を展開、1942年初頭にはビルマ国内へ侵攻した。
日本はモーラミャイン(ビルマ南部の都市)に入れば、ビルマ独立を宣言させると言う約束を反古にしたばかりか、ファシズムによる支配を実施し始めた。
1942年3月BIAはラングーンを占領し、その後インド国境までイギリス軍を追って掃討を行った。
イギリス植民地軍はビルマから完全に撤退したのである。
BIA指導者はタニンダリーを制圧した段階でビルマ独立を明確に宣言させるよう日本軍指導者に要求した
、しかし、日本側はラングーンを占領すれば独立を宣言させるとしか答えなかった。
ラングーンを占領すると、今度は上ビルマ(ビルマ北半分)を占領してからと、
、言を左右にした。
こうして、ビルマ人は徐徐に日本の策略に気づいていったのである。
ビルマに独立を与えたくなかった日本は、ビルマ全土を制圧し終えた
1942年7月に2万3千人近くの勢力になっていたBIA(ビルマ独立義勇軍)を解散させ、兵力3千人規模に過ぎないBDA(ビルマ防衛軍)に改編した。
このBDA時代に国防省やミンガラドン士官学校などが創設された。
1943年8月
日本はビルマに形ばかりの独立を与えた。
独立後バモオ博士が最高指導者の地位についた。
3. 反日、反ファシスト闘争(1942〜1945年)
状況、情勢
「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。
ファシスト日本が許容した権限があっただけである。
日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは日本軍のキンペイタイ(憲兵隊)である。一般の国民は憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。
こうした、ファシストの弾圧の結果反乱への怒りの炎をたぎらせた。真の独立を望む声は全土に広がった。
タキン、テイペイ・タキン、ティンシュエら指導者は日本軍の侵攻直後からインドへ渡り、連合軍司令部と接触を保っていた。
1944年8月にはファシスト日本打倒連盟(AFO=AntiFascistOrganization)が結成され、ビルマ国軍、共産党、人民革命党がこれに加わった。その後
ライカ民族連盟、カレン中央本部、東アジア青年連盟なども加わってきた。
1944年連合軍指導部と合意に達し、1944年末から45年初めには武器援助を得るようになった。
アウンサン将軍の下で反ファシスト反乱の準備は着々と進められ、敵軍討伐の名を借りて、作戦行動を起こす許可を日本軍司令部に求めた。当事
インド・ビルマ国境地帯からの退却(1944年3月開始の「インパール作戦」は失敗に終わり,7月退却し始めていた)に移っていた日本軍は、この作戦行動の開始を認めた。
1945年3月17日ラングーンのトオフランイエ公園において、アウンサン将軍率いるビルマ国軍は閲兵式を挙行した。
4月2日に全国で一斉蜂起することが決められていたが、連合軍の前線部隊が国境を越えて、ビルマ国内に進撃してきた状況をみて、バトゥー少佐が3月8日に反乱を開始した。
そのため、反日ファシスト反乱決起の日時は予定より繰り上がり,3月27日となったのである。
これは メッセージ 9263 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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キーセン観光
投稿者: yumeoibito0808 投稿日時: 2005/06/22 22:05 投稿番号: [9276 / 29399]
従軍慰安婦が事実としたら、キーセン観光公娼と如何違うか説明しろ。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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「ムルデカ 17805」元日本兵だよ。
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/22 21:58 投稿番号: [9275 / 29399]
前田精海軍少将?
インドネシア独立の為に戦った元日本兵のことか?
日本軍、日本政府、日本兵の意志ではないよ。
日本軍の敗戦により、武装解除され、兵役をとかれた、元日本兵がインドネシア独立義勇軍に個人の意志で参加し、協力した話だね。
勘違いしちゃ,いけないよね。
日本政府は撤収させる
意見だったからね。
◇スタッフ◇
○ 監督:藤由紀夫
◇主な出演◇
山田純大(島崎中尉)保阪尚輝(宮田中尉)榎木孝明(片岡大尉)ほか
日本映画ですな、、感動もなにも無い。
これは メッセージ 9271 (asia1867 さん)への返信です.
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>フィリピン親米の歴史教育 確認?
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/22 21:45 投稿番号: [9274 / 29399]
>二十日、タクロバン南部パロのマッカーサー総司令官の上陸地「レッドビーチ」で行われる記念式典には連合軍の退役軍人など約千四百人が参加する。フィリピン政府は、六十年の節目を盛大に祝いたい意向だ。
アメリカ軍万歳、、、じゃないの?
どこを修正するの(笑)
>フィリピン
親米の歴史教育
見直しの声
どこにでもアンタと同じようなのがいるという事か(笑)
これは メッセージ 9270 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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・・・。
投稿者: p22222225555 投稿日時: 2005/06/22 02:50 投稿番号: [9273 / 29399]
真実をしっかり受け止めることが出来ないのはお前だよ!!
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従軍慰安婦は捏造語?
投稿者: sugotyon 投稿日時: 2005/06/22 00:19 投稿番号: [9272 / 29399]
嘘か真か?
そんな折、ソウルの留学生Aさんから、驚くような連絡が来ました。以下に、Aさんから聞いた話を要約して書きます。
そもそもこの従軍慰安婦問題を社会的に提起したのは、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪と賠償をさせる」ことを運動の目標に掲げている「百人委員会」なる団体でした。この団体の在日韓国人と日本人主婦が、「被害者を探しに」韓国に行き、そして“被害者”を見つけて、裁判に訴えさせたそうです。しかし、その「性奴隷制度の被害者として最初に名乗りを挙げた勇気ある女性キム・ハクスン」なる人物は、実は日本軍兵士相手に売春して大金を稼いでいた単なる朝鮮人売春婦でした。しかし、この「百人委員会」は、そういった元売春婦ばかり探し出して、日本政府相手に訴えさせ、それを国内また国際的に宣伝し始めたのです。では、一体この「百人委員会」とはどんな団体なのか? 実は、統一教会の「アジア平和女性連合」という団体が母体となった二次団体だというのです! そしてその元売春婦の裁判を担当した高○健○弁護士も統一教会の信者であり、“被害者”を探しに韓国に出かけた日本人主婦もまた統一教会の人物だというのです!(むろん本人は否定しているそうです。しかしこれも統一教会の手口なのです。外部の人間に「統一教会の信者か?」と聞かれると「違う」で押し通せと命令されているのです)。彼らは「日本は悪魔の国で、メシアの国である韓国を苦しめた罪を償わなければならない」という統一教会の教義を信じて行動しているのです!
そしてさらに、文鮮明と金日成が和解した92年以降は、この従軍慰安婦問題に朝鮮総連系の在日も運動に関わるようになり、北朝鮮の“ニセ慰安婦”が続々と現れ、「日本兵は慰安婦の首を日本刀で切り落として、それを煮て、煮汁を飲まされた」などと国際社会に言いふらしているのだそうです。では、そもそも統一教会がこの「性奴隷問題」をでっち上げたのなぜか? 理由は複合的で、日本と日本人の国際的信用を貶め、韓国に賠償金を払わせ、在日韓国朝鮮人の政治的立場を優位にし、さらに日本人女性を洗脳して「人身売買の商品」に仕立て上げるのが狙いだったのです! 日本女性に贖罪意識を植え付け、「自分が似た境遇になることで罪の償いをする」と信じ込ませるトリックが含まれていたのです! Aさんによると、事実、私の姉のように、このトリックですでに数千人の日本女性が統一教会の「人身売買の商品」に仕立て上げられ、とくに需要の多い韓国の田舎に売り飛ばされたそうです!
私はこの話を聞いて、愕然としました。さらに(Aさんとは別の人から)あの辛○○も統一教会系の団体の講演などを引き受けていると聞いて、在日韓国朝鮮人という人たちが信用できなくなりました。どうやら、統一教会、その信者、朝鮮総連、在日人権運動家……等など、すべてグルだったのです! 本当は連中こそ、正義の仮面を被りながらその実、日本人女性を韓国の奴隷に仕立て上げるために活動している卑劣極まりない人たちなのです!
現在、多くの日本人女性が、韓国人や在日のプロパガンダに引っかかってこの運動に協力していますが、とんでもない話です。なぜなら、それは統一教会が今も行っている犯罪に加担することになるからです。繰り返しますが、私の姉みたいに、韓国に「商品」として送られた統一教会の日本女性信者はたくさんいます。もし私の話を疑うのでしたら、彼女たちがどんな悲惨な境遇でいるか実際に調査してください。彼女たちが事実上、奴隷にされていることが分かります。なぜこんな悲惨な話が日本のマスコミで報道されないのか、不思議で仕方ありません! 本当に、朝日や読売や毎日といった大新聞は、どうしてこんな現代の人身売買を世間に明らかにしないのですか!? 一体なぜですか!? どうしてテレビは日本人が被害にあっている実情を取り上げてくれないのですか!? 本当になぜですか? なぜなのですか?今この瞬間にも、多くの日本人の若い女性たちが、韓国の邪教に洗脳され、連れ去られ、一生、奴隷にされているのです! 私の姉を返してほしい!
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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フィリピン 親米の歴史教育 見直しの声
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/21 23:41 投稿番号: [9270 / 29399]
ホーム > 生活と文化 > ニュース、時事問題 > 海外ニュース > 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
>まずフィリピンからにしようか、ね、6
2004/10/20 14:56
メッセージ: 3636 / 6124
アバターとは?
投稿者: dodonnamonk
教科書などというのは、時の政府に都合が良いように出来ている。そのあたり、注意が必要。
フィリピン
親米の歴史教育
見直しの声
太平洋戦争の激戦地フィリピンで、日本軍の敗退を決定付けたダグラス・マッカーサー連合軍西南太平洋総司令官のレイテ島上陸から二十日で六十年。フィリピンでは米国による「解放」を記念し、長年の友好関係を再確認する日だが、「米植民地時代のフィリピン人弾圧の隠れみのになっている」などと親米一辺倒の歴史教育の見直しを求める声が出ている。論客の一人、フィリピン大のロランド・ボリナガ教授に聞いた。
――――――――――――――ボリナガ教授に聞く
「日本占領下の太平洋戦争ではフィリピン人の十七人に一人が死んだ。だが、米植民地主義と戦った比米戦争では六人に一人が亡くなったのだ」
タクロバンの研究室でボリナガ教授は数字を挙げ、米支配下で犠牲者がいかに多かったかを強調した。
十六世紀にスペインの植民地となったフィリピンは十九世紀末、中南米の対スペイン独立運動に触発される形で独立の機運が高揚。一八九八年の米西戦争で宗主国が米国に代わった後も反植民地闘争は比米戦争として続いた。
米軍は一九〇二年まで、最大七万の兵力を投入しエミリオ・アギナルド率いるフィリピン軍やゲリラ部隊と戦った。ゲリラに協力する村を焼き払い、捕虜を水攻めにしたとも言われる。
だが、フィリピンの歴史教科書には一九七〇年代まで、比米戦争に関する記述さえなかった。「日本がフィリピンを占領する一九四二年以前、教育相はすべて米本土から送り込まれた米国人で、教科書も米国の史観に沿ったものだった」からだ。その影響は独立後も長く残った。
現在も教科書は米国に好意的だ。米国の植民地支配すら「米国人の統治は、それまで(のスペインの統治)とは違い、好ましいものだった」(小学五年生用教科書)とし、日本に関する「日本人は市民のコメ、その他の食料、家財を奪い、女性を辱めた」(同書)などの表現とは対照的だ。
ボリナガ教授は「教科書に日本人が敵で米国人が友達だと書いてあるのだから、子供たちは当然そう信じる」と話し、二年後に予定される教科書改訂に向け、内容刷新の必要性を訴え、世論を盛り上げたいとしている。
二十日、タクロバン南部パロのマッカーサー総司令官の上陸地「レッドビーチ」で行われる記念式典には連合軍の退役軍人など約千四百人が参加する。フィリピン政府は、六十年の節目を盛大に祝いたい意向だ。
これは oityantyan さんの 2987 に対する返信です
これは メッセージ 9268 (yominokuni56 さん)への返信です.
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インドネシアではこの様に教育されている
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/21 23:15 投稿番号: [9269 / 29399]
>マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立された。ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。
インドネシア
中学校用
「社会科分野.歴史科第5分冊」
マルトノ著
ティガスランカイ社
1943年以降、日本軍は行きずまり、連合国軍の攻撃に備えてインドネシアの青年を利用しようとした、日本は青年団をつくり、隊員は14歳から22歳までの青年から成っていた。目的は「自力で国土の防衛が出居るように青年達を教育,訓練する」ことであった。日本軍政府はこのように言っていた。しかし、本当の目的は来襲する国連軍に立ち向かわせようとする準備であった。
また、ケーボーダンあるいはボーゴダン(警察補助隊)フジンカイを作った。
ジャワ、ホコーカイ=1944年ジャワ民衆の動員を強化する為ジャワ忠誠会を作った。大東亜戦争の勝利のため民衆を駆り立て日本への全面的な献身をさせる事、会員は14歳以上で米、宝石、くず鉄などの物資を集める為民衆を動員する役割をさせられた、集めた物資は全て日本軍政府に引き渡された。
その他ヘイホ(日本補助兵)シュイシンタイなど1943年に設けられた。
国土義勇軍=1943年10月3日に結成された。インドネシア防衛のため、日本軍から軍事訓練をうけた。郷土防衛義勇軍の指揮官はインドネシア人であった。彼らは指揮官に就任する事を認められる前に士官候補生として教育を受けた。士官たちの教育はボゴールで行われた。インドネシア独立後、彼らの多くがインドネシア国軍の指導者となって活躍した。その中に故スディルマン将軍、カトッ・スブロフ将軍、アフマドヤニ将軍らがいる。
日本の占領政策は民族主義闘争に利用された。
インドネシア民族に対する日本の圧制は実に非人間的なものであった。
自然資源と労働力の搾取は徹底的に行われた、民衆はわが国の歴史に例のない苦難を体験した。
指導者たちは民衆の立場に立って闘い続け独立を達成するために民衆の闘争精神を育てたのである。民族主義者たちは表立っては日本軍政府と対立はしなかった、それは大変危険であり、闘争を有利にはしなかったからである。日本軍は抵抗する者は誰であろうと遠慮せず殺した。
地下活動を行う。
政党が解散させられた後、指導者達は地下活動を行った、勢力を結集し民族団結の地下活動を続けた。
反乱がインドネシア各地で勃発した。
1. アチェにおける反乱=1942年11月10日指導者はシャリル(日本軍に狙撃される)
2. 西部ジャワのシンガパルナでの反乱1944年2月25日指導者はザエナル・ムスタファ(逮捕
死刑)
3. 西部ジャワ
インドラマユでの反乱
カプロガン村の全民衆が蜂起他の村村に飛び火する。(日本軍の鎮圧)
4. 西部ジャワ
ロッベヌルでの反乱日本の残酷な行為を座視する事が出来ず武器を取って抵抗した、マドリャリアスの指導による。
5. 西部カリマンタン、ポンティアナックの反乱1943年10月16日に日本に対する反乱を計画する秘密会議が開かれた。がしかし、事前に情報が漏れ、多くの人々が逮捕され,殺害された。
6. 郷土防衛義勇軍による反乱
aフリタルにおける郷土防衛軍の反乱ショウーダンチュ(小隊長)のスプリヤディに指導された100人の兵士はカウィの山に立てこもり抵抗し、その後投降、逮捕、死刑に処せられた。
bアチェにおけるトゥウクハミドの反乱
ギユー軍の2小隊を指揮して日本に抵抗した。ハミドの家族全員が人質となりやむなく投降した。
cパンドラにおけるギユー軍兵士の反乱
日本軍が鎮圧
dチラチャップのグミリールでの郷土防衛義勇軍の反乱
この反乱はかなり強烈なものであった、スディルマン将軍、後にインドネシア独立後国軍大将となる
これらの反乱はいずれも日本軍に鎮圧されてはいるが、成果は、連合国軍の攻撃と戦っていた日本軍の力を削いだ事にある。
これは メッセージ 9263 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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でりちゃん、こっちに来る余裕はないだろ
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/21 23:10 投稿番号: [9268 / 29399]
>例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。これは米国が二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。
そう??
フィリピンの小学校の教科書には、以下のように書かれてますけど、(笑)
フィリピン
小学校4年生読本
「歴史」(タガログ語)
コンコルディア・C・フロレンチアB.バウティスタ編
レックス
フックストア発行
フィリピンの歴史におけるくらい時代は私達の国を日本国が占領した時です。
日本軍は来たばかりのころは自分達はフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。
日本人はアメリカと関係のあるもの全てをとり除きました。英語の代わりに日本語にしました。
彼らは人々の食糧や家財道具をはじめ乗り物や大きな家々をも取り上げました。
多くの人々が生活に困り、お腹を空かせていました。しかし、フィリピン人はマッカーサー将軍が戻ってくるのを信じていました。将軍がそう約束したからです。ゲリラ活動をしていた人、日本人と一緒になるのを嫌がった人たちは山にこもりました。ゲリラはしばしば日本軍と戦い、人々の希望となりました。
日本人はスパイがゲリラとみなした人々にとても残忍でした。捕らえた者たちを拷問し、閉じ込め,仲間の名前を言わせました。罰せられ殺された人達の中にはアバド・サントス裁判官、ウェンセスラオ・Q・ビンソン氏、ホセファ・リャネス・エスコーダ夫人、ラモン・ラントス医師らがいます。
マッカーサー将軍は約束を守りました、戻って来て、私達の国を日本人から救ってくれました。
*今日でもハポン(日本)
サカン(蟹股)は「悪」の代名詞になっていることを認識しておくべきでしょう。
サマット山頂に戦争記念館がある。
バターン半島の突端に「死の行進」を示す記念碑がある。
次はインドネシアか、マレーか、インドシナか、、
これは メッセージ 9263 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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それがどうした?
投稿者: chankoro_kirai 投稿日時: 2005/06/21 22:39 投稿番号: [9267 / 29399]
>南京大虐殺も従軍慰安婦強制連行も実際にあったのであり、これは世界の常識である<
世界の常識?
戦争だ、殺し合いもあるだろう。
それがどうした。
終わったことを嬉しそうに言うな。
バカ野郎。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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工作員引っ込め!
投稿者: hironomiya2003 投稿日時: 2005/06/21 22:03 投稿番号: [9266 / 29399]
>アジア諸国との友好と平和のためにもメディアや学校で事実を教える必要がある。
矢鱈に、アジア諸国等という言葉を使うな!
南京大虐殺とか従軍慰安婦強制連行などと事実捏造を言い募るのは、世界中で、シナ人、朝鮮人 の三馬鹿反日國家トリオのみ。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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大山中尉惨殺事件は蒋介石の命令
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/21 21:42 投稿番号: [9265 / 29399]
貴重な情報をありがとうございました。
とても参考になりました。
これは メッセージ 9262 (unhoo さん)への返信です.
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切れてしまった。(続き)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/21 21:41 投稿番号: [9264 / 29399]
>シナ事変の終結など、、、、、?
>戦争拡大しておいて、終結目指したとは?何処に論理があるのでしょうか?
重慶の蒋介石に、英米が援蒋ルートを使って武器などを支援したため、なかなか支那事変は終結しなかった。
北部仏印に進駐して仏印経由の、南部仏印に進駐してビルマ経由の、援蒋ルートを遮断すればシナ事変が終結に向かうと考えたのは当然だ。
これは メッセージ 9263 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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>>死活求め、支那事変終結を目指した
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/21 21:39 投稿番号: [9263 / 29399]
>少しでも、日本政府がアジアの独立に貢献していれば、納得も出来ようが、アジアの独立を掲げた割に、独立を果たした国は無い、また、支援した国もない。
嘘ばかり吐くな。
―――――――――――――――――
日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。1935年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租借地を返還した。大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。
例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。これは米国が二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。ビルマは1943年8月1日に独立した。マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立された。ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。今日、インドの代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段ではなく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。
こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。しかし、フィリピンを例外として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をもっていたことは事実である。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
―――――――――――――――――
日本軍は、占領の僅か2〜3年間にアジア諸民族に教育と軍事訓練を施した。
これにより、アジア諸民族は、数百年間自分達を支配していた白人と戦う勇気と方法を身に付けた。
もし日本が欧米と同じように植民地にするつもりなら、軍事演習まで施す筈がない。
2605年8月17日インドネシア独立秘話
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/indonesia.html(一部抜粋)
第一になされた事は「民心の安定」でした。それは、今村司令官の発した「布告第1号」に見る事が出来ます。
1.日本人とインドネシア人は同祖同族である
2.日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
3.同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する
当時、植民地の住民にとって「共存共栄」等と言う言葉はとても信じられないものでした。なぜなら、欧米列強にとっての植民地とは、「支配者」と「被支配者」の関係でしかなかったからです。ところが日本軍は開口一番、「共存共栄」を唱えたのですから、住民が驚いたのも無理はありません。しかし、今村司令官の布告は終戦まで、決して破られる事はなかったのです。
ビルマ独立と日本軍
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/23.HTM(一部抜粋)
大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。
人物探訪:リカルテ将軍
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog156.html(一部抜粋)
昭和15(1940)年、ケソン大統領は訪米の帰途、横浜に立ち寄り、自らリカルテを訪ねて、帰国を求めた。リカルテはこう答えた。
「わしはフィリピンに星条旗がひるがえっているかぎり、その星条旗の下に帰ろうとは思わない。わしが祖国に帰る日は、祖国が完全に独立し、むかしわれわれが立てたあの革命旗が、堂々とだれはばかることなく立てられる日だ。」
その翌年、大東亜戦争が勃発し、リカルテは参謀本部の要請を受け、占領後の独立の約束をとりつけた後、75歳の老躯を駆って祖国に戻った。群衆は歓呼してリカルテ将軍を迎えた。
(参考)
私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9304/daitoua.htm>シナ事変の終結など、、、、、?
>戦争拡大しておいて、終結目指したとは?何処に論理があるのでしょ\xA4
これは メッセージ 9261 (yominokuni56 さん)への返信です.
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大山中尉ほか壹名の虐殺事件
投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/21 12:18 投稿番号: [9262 / 29399]
筆名岳騫という香港のジャーナリストが、1982年8月23日の『中央日報』に書いた文章に、蒋介石が命令して上海で日本の軍人を殺害させたいきさつが書いてある。『中央日報』は国民党の機関紙で、今でも発行されている。
その文章の表題は「記
蒋公両項偉大戦略」、文の内容は、蒋介石が七・七事変を局部で解決しないように、上海で戦争を引き起こしたのは偉大なる戦略だったというのである。全文原稿紙に6〜7枚見当、それを全部翻訳するのは手数がかかりすぎる。第一、おもしろくない。よって、肝心の部分だけを摘訳することにする。
この記事の筆者岳騫氏が1937年の上海事変のことについて、当時上海の国府軍の指揮官だった張發奎と談話したときに、張發奎は「那両個日本兵是我下令打死的、上海戦事実在是我們挑起的(あの二人の日本兵は、わしが下令して殺させたのだ。上海の戦争は実は我方が引き起こしたのだ)」と云った。岳騫は、なぜそんなことをしたのかと聞いた。張發奎笑ってこたえるには「我是奉令、為什麼我也不知道(わしは命令を受けたのだ。何のためだか、わしも知らぬ)」。それからしばらく経って、岳騫は胡伯玉将軍に会った。胡伯玉は当時中華民国の駐ベトナム大使で、帰国の度に香港を通るので、香港に住む岳騫は彼と談話する機会があった。あるとき岳騫が上海の事件について話しをしたところ、胡伯玉は微笑して「ni問我、算是問對了、知道内情的人、老先生之外可能只有我一人(君がわしに質問したのは、適当な人に質問したと云えよう。内情を知っているのは老先生のほかには、わしだけらしいからな)」。老先生とは蒋介石のことである。
まあこれだけにしておく。あとは蒋介石が戦争を拡大したことは、偉大なる戦略であって、蒋介石は孔明よりも偉い戦略家だと、くどくどと書いてあるだけだ。
これは メッセージ 9255 (unhoo さん)への返信です.
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死活求め、?支那事変の終結
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/21 06:43 投稿番号: [9261 / 29399]
>この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。
アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
確かにアジアに与えた影響は大きいと言わざるを得ない、、がしかし、その全ては敗戦による結果論の域を出ることはない(笑)
少しでも、日本政府がアジアの独立に貢献していれば、納得も出来ようが、アジアの独立を掲げた割に、独立を果たした国は無い、また、支援した国もない。
全ては対米戦に利用しようとしただけで終わっている。
つまり、アジアの民衆は強盗にはいられて、鍵をかける習慣を身につけたと言うことでしょう。
過大の評価は日本軍の無責任な行動を誤って評価することになる。
>死活求め、支那事変の終結目指した仏印進駐
シナ事変の終結など、、、、、?
戦争拡大しておいて、終結目指したとは?何処に論理があるのでしょうか?
これも結果論か(笑)
火を消すのに水とガソリンを間違えてかけてしまった?と言うことのようです。(笑)
これは メッセージ 9260 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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死活求め、支那事変の終結目指した仏印進駐
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/20 23:22 投稿番号: [9260 / 29399]
>南仏印へ侵攻すればアメリカとの戦いは避けられないと、軍上層部は判断していながら、インドネシア、フィリッピンの石油など軍需物資獲得に動いたのでしたよね(笑)
●仏本国が独に降伏したので、仏領インドシナ総督は対日関係を好転させるために仏印経由の蒋介石支援ルートの遮断を日本側に申し入れた。
日本はシナ事変を早期に終結させるために援蒋ルートの遮断を要求していたので歓迎し、援蒋ルート遮断の実行を確認するためにフランスとの協定に基づいて仏印に進駐した。(1940年9月23日)
すると、米国は屑鉄の対日輸出を全面的に止めた。
●さらに、タイと仏印との間で国境紛争が起こると、日本は、間に立って停戦協定を成立させ、東京のタイ・仏印国境紛争調停会議で調停が成功し1941年年3月11日タイ・フランス平和条約が成立。
すると、米英は苦々しく思い、ますます経済制裁を強めようとした。
当時、日本が最も多く石油を買っていた相手先は米国だったが、米国は理不尽にも戦争を続けさせる支那を支援し日本へ制裁をしたため、日本は南部仏印に進駐する約1年前の1940年7月からから米国に代わる石油供給源を求めようとして蘭印政府と交渉を始めた。
ところが蘭印政府は、既に米国政府から対日圧迫の協力を求められており、日本へは強硬姿勢を貫いた。
米国は、日本と蘭印間で交渉が行われている最中に、日本軍侵入の際にはすべての油田を破壊する命令を現地米総領事が出し、米陸軍も80機の戦闘機を派遣した。
英・米・蘭の結託で日本にとって必要な資源が手に入らなくなり、その為、日本は南方に資源を確保する必要に迫られた。
日本は、戦略物資の豊富な南部仏印が、米英に占領される事態を予防するために南部仏印への進駐に踏み切った。(1941年7月28日)
日本の全面屈服か戦争かを求めていた米国は、石油の全面禁輸、日本資産の凍結という報復手段に出た。(1941年8月1日)
しかも、南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。
米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。
●日本の南部仏印進駐のもう一つの要因で、実は最大に目的は、「援蒋ルートを遮断してシナ事変を解決する」ことだった。
英国はビルマルートから支那に武器の輸送を盛んに行なっていた。
南部仏印進駐も英国によるビルマ経由の援蒋ルートを遮断してシナ事変を解決するために仏印政府と交渉して平和裏に行った。
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参謀本部の田中第一部長は手記に、「仏印、タイを我が軍事的結合圏内にすみやかに編入するため、取りあえず、仏印南部に所要の兵力を進駐させる必要がある。
その目的は全仏印の実質的把握…更にタイに、にらみを利かせ…情勢に応じてはビルマに進駐する為の基地とするにある。これによって対支封鎖の陣形は完成される」
と書いている。
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また御前会議の理由書にも
「…最近米国ヲ中心トスル英米蘭支ノ戦略態勢強化…若シ帝国トシテ速ヤカニ之ニ対抗スル措置ヲ執ルコトナク…
日ヲ閲スルニ於テハ…支那事変ノ
解決ハ更ニ遷延スヘク…帝国トシテハ此ノ際仏印・タイ全域ニ渉リ帝国ノ軍事的地歩ヲ先制確保スル要極メテ緊切ナリ…」
とある。
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つまり、真の目的は支那事変の解決だった。
ただその前に英米蘭の妨害があるわけで、日本が生きていくために必要な石油や鉱物資源などを止められ、売ってくれなきゃ、腕ずくでも取るしかなかった。
>ですから、なんら、文化的遺産など他国の植民地宗主国ほど現地には残してはおりません、ほとんど、破壊、経済疲弊と、人的搾取しかしていませんからね(笑)
日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。
アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
これは メッセージ 9258 (yominokuni56 さん)への返信です.
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>民間からの突き上げ
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/20 06:28 投稿番号: [9259 / 29399]
>政府が結んだ日露戦争講和条約が不満で、日比谷焼き討ち事件が発生したが、このことは欲が民間から起こったのだという感じをあたえる。
領土獲得不足、賠償金獲得不足をスローガンに日比谷公園へ集まった群衆は政府への大きな圧力となったようです。
司馬遼太郎氏によると、日露戦争の実態が世間に正しく、報道されていれば、この様な惨事は、、また、後の悲劇は防げてのではないかと、書かれています、また、TV放映でも言われています。
日露戦争は勝つには勝った戦争ですが、あと一歩、遅れていれば、大陸の日本軍は弾は無く、食料も無く、ほぼ全滅の状況の中での、海戦勝利により、起死回生の勝利を収めてのであって、ほっと胸をなで下ろしたにすぎない勝利だったのです、、と。
それを政府も、新聞も大々的に勝利を誇示し、報道したため、その後の戦争にも影響することとなりました。ということだそうですよ。
それから、日本人の武士道も日露戦争を境に失われたとも言われておりました。
失われたと言うよりも、その電流値がカナリ低くなったと、、
武士道とは己の責任の取り方ではないかと、、己で判断し、間違っていれば、腹を切る、、、これが武士道の規範であると、、。
日本人は武士道精神を少なからず、遺伝子として皆、持っている、、が、その数値が低くなっている、その数値を上げる努力が必要ではないか。
これは メッセージ 9255 (unhoo さん)への返信です.
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後始末が大変でしょうね(笑)
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/20 06:13 投稿番号: [9258 / 29399]
>>で、金も物資もなく、アメリカと戦わねばならず、その軍事物資を手に入れる為に、原産国を侵略し続けなければ、戦争遂行を維持できない状況においてしまったのでした。(笑)
>「原産国を侵略」とか言っているようじゃ全然分かっていないね。
当時、日本は軍事物資の80%以上を米英蘭の3カ国からの輸入に頼っていた。
3カ国が普通に売ってくれれば、何の問題もなかった。
対米戦争の為の軍需物資を調達している敵対国になんで、石油など、売らなきゃならないのでしょうかね?(笑)
南仏印へ侵攻すればアメリカとの戦いは避けられないと、軍上層部は判断していながら、インドネシア、フィリッピンの石油など軍需物資獲得に動いたのでしたよね(笑)
対米戦争の為の軍需物資獲得が日本軍の侵略行為でしたよね。
ですから、植民地政策とはカナリかけ離れた強奪政策じゃなかったかと思いますよ。ですから、なんら、文化的遺産など他国の植民地宗主国ほど現地には残してはおりません、ほとんど、破壊、経済疲弊と、人的搾取しかしていませんからね(笑)
だから、日本政府は謝罪するのですよ。
お分かりですね(笑)
これは メッセージ 9256 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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大山中尉惨殺事件は蒋介石の命令
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/20 00:48 投稿番号: [9257 / 29399]
>なお、上海で大山中尉と、随行の下士官が虐殺された事件は、その時期に国府軍の上海方面司令官だった張發奎が部下に命じてやらせたのであって、張發奎は蒋介石の直命を受けたのだそうだ。このことは蒋介石の死後、民国七十一年(1982)八月二十三日の『中央日報』に、記事がある。
これは、初めて知りました。
大変、勉強になりました。
これは メッセージ 9255 (unhoo さん)への返信です.
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後始末が大変なのは、yominokuni56
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/20 00:45 投稿番号: [9256 / 29399]
>デマカセばかりじゃ後始末が大変ですね(笑)
オマエにだけは言われたくない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9
oa29ta4n13&sid=1143582&mid=6016>トラウトマン和平行作のことらしいが、南京攻略が成功したので、和平交渉は日本側が依頼しておきならば、キャンセルしたのですよね。南京が簡単に手にはいったから、、ね。
まったく意味不明。
オマエは、以前、11月2日に広田外相が仲介を依頼して日本側の和平条件を提示したことを「トラウトマン和平行作」と称していた。
「キャンセル」とか「南京が手に入った」とか、いったい何のこっちゃ?
>日本の農民が中国領土を耕していたのを保護するために戦争したと言われます。
>か?(笑)
>こういうのは一方的とは言わないんじゃないですかね(笑)
支那で畑を耕していた日本の農民を一方的に攻撃すれば、「一方的」と言うんだよ。
>あげくの果てに世界制覇、八紘一宇という大きな目標を掲げ、世界征服を目論だのでした。
偽書と判明済みの「田中上奏文」とソックリの言い分だな。
>で、金も物資もなく、アメリカと戦わねばならず、その軍事物資を手に入れる為に、原産国を侵略し続けなければ、戦争遂行を維持できない状況においてしまったのでした。(笑)
「原産国を侵略」とか言っているようじゃ全然分かっていないね。
当時、日本は軍事物資の80%以上を米英蘭の3カ国からの輸入に頼っていた。
3カ国が普通に売ってくれれば、何の問題もなかった。
これは メッセージ 9253 (yominokuni56 さん)への返信です.
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民間からの突き上げ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/19 23:56 投稿番号: [9255 / 29399]
>その突き上げって具体的には?
___________________________________
具体的な例を挙げるほどには研究していない。「戦争開始のときに、日本の政府や軍部に領土拡張の計画がなかった」ことに気がついたばかりなのでね。
政府が結んだ日露戦争講和条約が不満で、日比谷焼き討ち事件が発生したが、このことは欲が民間から起こったのだという感じをあたえる。
「八紘一宇」という日本書紀の字句がスローガンになったのは、支那事変が始まってから一年たってからだ。「行け八紘を宇となし・・・」という愛国行進曲を、わしは昭和13年の夏休みに内地(日本)に旅行したときに、旅行中に初めて聞いた(註、わしは台湾に住む台湾人)。昭和12年7月7日以前にそんなスローガンはなかった。
蒋介石の次男の蒋緯国は、日本敗戦後、日本へ乗り込んで、日本の軍部に中国侵略の計画があったかどうか、証拠を探したが、全くないとわかった。このことを蒋緯国自身が台湾の新聞に寄稿している。蒋緯国がその文を書いた目的は「日本には戦争計画がなかったが、蒋公(蒋介石を指す)は始めから計画があった。だから勝てたのだ」と、蒋介石の偉大さを宣伝するためだった。
なお、上海で大山中尉と、随行の下士官が虐殺された事件は、その時期に国府軍の上海方面司令官だった張發奎が部下に命じてやらせたのであって、張發奎は蒋介石の直命を受けたのだそうだ。このことは蒋介石の死後、民国七十一年(1982)八月二十三日の『中央日報』に、記事がある。わしの手元にその記事の切り抜きがある。記事の筆者は岳騫という香港の論述家で、この記事もまた蒋介石がいかに偉大だったかを述べるために書かれた。
これは メッセージ 9251 (dodonnamonk さん)への返信です.
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ヨミさん、お尋ねします
投稿者: nigari1985 投稿日時: 2005/06/19 20:52 投稿番号: [9254 / 29399]
ヨミさんは、いつの時点が正しい最終の
国境とお考えですか?
ヨミさんのお考えをお願いします。
これは メッセージ 9253 (yominokuni56 さん)への返信です.
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教えます?。deliciousicecoffeeさん(笑)
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/19 17:56 投稿番号: [9253 / 29399]
あんた、こんな質問に答えてる暇無いのとチャウノ(笑)
かなり追いつめられているようですがね(笑)
デマカセばかりじゃ後始末が大変ですね(笑)
>上海戦の後(南京戦の前)の11月2日に広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼して提示した日本側の条件にも、南京戦で勝利した後に提案した和平案にも、領土の要求なんてありませんでした
トラウトマン和平行作のことらしいが、南京攻略が成功したので、和平交渉は日本側が依頼しておきならば、キャンセルしたのですよね。南京が簡単に手にはいったから、、ね。
>支那事変は、支那軍が一方的に日本軍や日本人居留民や外国人や支那住民を攻撃して虐殺した戦争であり、日本軍は防衛のために戦っていただけです。
日本の農民が中国領土を耕していたのを保護するために戦争したと言われます。
か?(笑)
こういうのは一方的とは言わないんじゃないですかね(笑)
日本政府は自衛の為に、仮想敵国全てを占領する目的で戦っておりました。
あげくの果てに世界制覇、八紘一宇という大きな目標を掲げ、世界征服を目論だのでした。で、金も物資もなく、アメリカと戦わねばならず、その軍事物資を手に入れる為に、原産国を侵略し続けなければ、戦争遂行を維持できない状況においてしまったのでした。(笑)
ですから資源を求めて、東南アジア諸国へも手と足を伸ばさなければならなかったのです。イナゴの大量発生のごとく、侵略した国々を破壊、破滅させながら戦争を続けたのでした。、、ですよね(笑)
これは メッセージ 9252 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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教えます。dodonnamonkさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/19 15:26 投稿番号: [9252 / 29399]
>よく判らないのですが、日本が戦争したのは、日本という国を広げたかったから、ということですが、ナゼ広げたかったんですか?
日本は、上海戦が始まる前の1937年8月9日に予定されていた和平会談で提案するハズだった和平条件にも、上海戦の後(南京戦の前)の11月2日に広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼して提示した日本側の条件にも、南京戦で勝利した後に提案した和平案にも、領土の要求なんてありませんでした。
戦闘には常に勝っており、勝った方から提案した和平案に領土の要求がなかったのですから、領土を目的に戦争をしなかったことは明白です。
支那事変は、支那軍が一方的に日本軍や日本人居留民や外国人や支那住民を攻撃して虐殺した戦争であり、日本軍は防衛のために戦っていただけです。
これは メッセージ 9248 (dodonnamonk さん)への返信です.
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>横レスへの横レス
投稿者: dodonnamonk 投稿日時: 2005/06/19 13:13 投稿番号: [9251 / 29399]
>>よく判らないのですが、日本が戦争したのは、日本という国を広げたかったから、ということですが、ナゼ広げたかったんですか?
___________________________________
>↑上の文を読んで気が付いたが、日本は領土を広めるために戦争したことはなかった。戦争が始まったときは、政府にも、大本営にも、領土獲得の計画は存在しなかった。ただ戦争に勝った後、欲が出てきたのだ。欲は民間から出た。「われわれの父、兄、息子を殺したのに、領土を取らないでは済むまい」と政府を突き上げたのだ。
民間から出た、というのはどういう資料を見ると、そう判断できるのでしょうか?
その突き上げって具体的には?
政府が、それで方針を決めたと判断する資料などは、どういうものでしょうか?
これは メッセージ 9250 (unhoo さん)への返信です.
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横レスへの横レス
投稿者: unhoo 投稿日時: 2005/06/19 03:24 投稿番号: [9250 / 29399]
よく判らないのですが、日本が戦争したのは、日本という国を広げたかったから、ということですが、ナゼ広げたかったんですか?
___________________________________
↑上の文を読んで気が付いたが、日本は領土を広めるために戦争したことはなかった。戦争が始まったときは、政府にも、大本営にも、領土獲得の計画は存在しなかった。ただ戦争に勝った後、欲が出てきたのだ。欲は民間から出た。「われわれの父、兄、息子を殺したのに、領土を取らないでは済むまい」と政府を突き上げたのだ。
これは メッセージ 9248 (dodonnamonk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/9250.html
完成された歴史
投稿者: saihatenokunimade555 投稿日時: 2005/06/19 01:03 投稿番号: [9249 / 29399]
過去の歴史?
において捏造は、多々あった。それは、時間差、年代差を利用して価値観のその差を短縮し過去を現在に引っ張り込みあたかも現在の其の時々の思考を同一にもっていこうとするもの。それにより擬似的なものから体験的なものそして先験的なものによって思考が事実として認識しはじめる。
宗教などもそうであるように捏造が進めば進むほどその完成度は高くなる。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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横レスです。came_sennninnさん。
投稿者: dodonnamonk 投稿日時: 2005/06/18 15:46 投稿番号: [9248 / 29399]
教えてください。
よく判らないのですが、日本が戦争したのは、日本という国を広げたかったから、ということですが、ナゼ広げたかったんですか?
以下、came_sennninnさんの発言
*******************************
>「狭い日本、そんなに急いで・・」の言葉ある様に、そもそもは「領土」と言いますか、日本と言う国を広げたい為の事だったのでしょう。
>しかし、そんなんことは只の「自慰行為」でしかなかったのが現実なんですね
<日本は国土を広めたかったと言う為に戦争をしたのですかい。
>当然のことでしょ?
>国内の領土争い(戦国時代)の事だって同じレベルなのでは?
そういった考えと同じ様な人間が戦争を始めたのであり、その矛先が海外(中国や韓国を始めとする、今の言い方ではアジアグループ?)であったに過ぎない。
>どんな形であろうが、力で(戦争で)ねじ伏せる方法を取った日本のやり方が、結果的にどうであったのか?
>又、そういう行動に移行する基に成ったのが何なのか、その事を知る必要あるのでは?
>戦争に限らず、争いには何らかの理由を付けたがる(起こす側は)のですから、それを知らないまま、言い合っても・・・どうなのかなー・・?
*******************************
これは メッセージ 9233 (came_sennninn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/9248.html
>渫水県の殺戮
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/06/18 07:56 投稿番号: [9247 / 29399]
県誌についての記述を見つけましたので、
その内容をそのままコピーさせていただきます。
>県誌や中国側発行書籍からの引用、証拠としての引用提示が甚だ多いのですが、その資料の正体たるや以下
のような恐ろしいものなのです。
『高淳県誌』、高淳県地方誌編纂委員会縞、江蘇古籍出版社、一九八八年
『腥風血雨ーー侵華日軍江蘇暴行録』、江蘇文史資料編輯部、江蘇省政協文史資料委員会、一九九五年
『江寧県誌』、江寧県地方誌編纂委員会、档案出版社、一九八九年
『江補県誌』、江補県地方誌編纂委員会、河海大学出版社、一九九五年
『句容県誌』、句容県地方誌編纂委員会、江蘇人民出版社、一九九四年
「日軍侵占句容期間暴行緑」、句容市誌斑公室、一九九七年
『江涌抗日蜂火』、中共江補県党史資料収集弁公室、一九八六年
『{さんずいに栗}水県誌』、{さんずいに栗}水県地方誌弁公室、江蘇古籍出版社、一九八七年
旧字体を新字体に変更した部分有り。
すべて一九八〇年代後半から一九九〇年代のものです。いくらエセ学者でも学者という字が入っているのですからせめてもう一段ぐらいソースを追ったらどうなのでしょうか。あるいは「中国の旅」のように、どこの誰それの証言ぐらい書いたらどうなのでしょうか。
資料批判は全くなし、する能力もないのでしょうが、もうエセ学者とも言えない
単なる
中国傀儡宣伝売文屋
なので>はないですか。あきれ果てます。
笠原さんはこの資料を基に本を書かれていますので
資料自体が信憑性にかけるということですね。
なお、「牧原信夫上等兵の陣中日記」についてもはなはだ疑問点が多く検証なしに事実とするのはいかがなものかな。
これは メッセージ 9246 (yominokuni56 さん)への返信です.
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渫水県の殺戮。(中国方面海軍作戦)
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/18 07:02 投稿番号: [9246 / 29399]
(渫水県の殺戮)
11月29日りっ水に中国軍総司令部があるという情報を得て、海軍航空隊の戦闘機、爆撃機計36機が相次いでりっ水市街を攻撃した。(中国方面海軍作戦)
昼食時の突然空襲に、県城は一瞬にして地獄絵と化し、投下爆弾により家屋の破壊、火災の発生、逃げ出した民衆の群れに爆弾が投下され、機銃掃射による殺戮が行われた。
防空壕にも爆弾は命中し避難していた100余名の命が失われている、一時間あまりの空襲で市民1200余名、倒壊家屋5000間(数千戸)が破壊された(県誌)
句容県における虐殺行為
12月4日午前8時40分丹陽を攻略した第16師団(京都師団長中島今朝吾中将)の先頭が句容(南京から約50km)の東方約15kmにある睨塘村に侵攻、南京戦区に突入した。(飯沼守日記)
句容は南京外囲防御陣地線の主要な県城であり、東部はトーチカで防御を固め、城内には砲兵学校があった。国民党軍が睨塘の西の句容に通じる橋を爆破したため侵攻を阻まれた第16師団所属の歩兵第30連隊はその日、睨塘村に宿営することになった。
そこで、村民虐殺事件が発生した。
村民の避難順序は、中国国内戦の経験から、殺害されるか連行される危険のある、青年男子が真っ先に遠くへ避難し、次に女、子供が避難し、殺害されるおそれの少ない老人が家と家畜、作物を守るために残るとうパターンを実行していた。
日本軍が睨塘村にやって来たとき、女や老人、子供はまだ、避難はしていなく、進入してきた日本軍の銃声を聞き、慌てて、女や子供は夕闇にまぎれて逃亡した。
日本軍は逃げ遅れた村民と他所から逃げてきた難民など40数名を捕らえ、睨安仁という村民の家に押し込めて、火をつけ、焼き殺してしまった。
翌朝9時頃
日本軍の部隊が国民党軍の捕虜も含めた他村の村人約80名を捕縛し、句容公路(丹陽〜句容)沿いに連行し、機関銃で全員を射殺した。
日本軍は村を去る前に村落に放火し、全村八〇余戸は全て焼失した。
睨塘村虐殺事件は120余名が殺害されたが多くは他村の農民で、睨塘村民は7人が犠牲となり、そのうち2名が女性であった。(句容県誌)(日本軍侵占句容期間暴行録)
12月5日朝9時頃
日本軍の一部隊が句容県城の北にある本湖村に食料徴発と部落掃蕩にやって来た。
これを遠くから見ていた村民は、てっきり国民党の軍隊と思いこみ、村の自衛団約30名に招集をかけ、槍や刀を持って、集合し、整列して歓迎しようとしたところ、全員捕縛されてしまった。
付近で捕らえられた青壮年男子も加えて40数名が村の酒醸造小屋に押し込められ、火をはなたれて、焼き殺されてしまった。
当時満16歳であった万仁勝だけがただ一人やけどを負いながらも生き延びている。
農村では通信手段が全く無かったので、街道から離れた村では日本軍の侵攻に全く、気づかず、このような悲劇が起きている。
これは メッセージ 9177 (yominokuni56 さん)への返信です.
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南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実無根
投稿者: cluiten66 投稿日時: 2005/06/18 00:25 投稿番号: [9245 / 29399]
事実なら早く証拠を出してください。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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納得致しました。
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/06/17 21:28 投稿番号: [9244 / 29399]
そう言う意見を、言ったら右翼呼ばわりの社会であります。
如何せん、敗戦国と言う宿命を背負った日本は何時までも謝罪しなければ許せないと言う隣国、まあ、はっきり言って民度が低いレベルと同じ様な価値観になる事を恐れる者ではあります。
教育制度はやはり、修身を取り入れての改革が必要と思います。
色々、意見を有難う御座いました。
これは メッセージ 9233 (came_sennninn さん)への返信です.
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虐殺否定論
投稿者: yousunwai 投稿日時: 2005/06/17 19:03 投稿番号: [9243 / 29399]
「虐殺否定論というのは、南京で日本軍兵士の犯罪が一件もなかったとか、中国兵の処刑が一件もなかったという主張ではなく、中国側主張の”軍事行動とは無関係に数十万市民を殺害した”という事件の存在を否定しているのです。」
日本人の皆、間違えないでね。戦争では、人は死ぬ。それについては、認めてるし、謝罪もしてるし、賠償もしてる。
賠償については、中国人がいらないと言ったので、ODAを代わりにした。これは、実質賠償で良いと思う。
左巻きの日本人は、中国人の手先となって、日本の世論を撹乱しようとしている。
日本の教科書に載っている中国関連の全ては、もう一度、再検討が必要かも。
中国人のうそを信じ込んでいる先生が多すぎる。うそを教える先生とアサヒ新聞には要注意だ。
これは メッセージ 9232 (yominokuni56 さん)への返信です.
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>>神田ガード下・新宿西口繁華街の小姐
投稿者: chan_to_chon 投稿日時: 2005/06/17 13:42 投稿番号: [9242 / 29399]
>>まさか日本国がビザを発行しているからといって『日本国の関与があった』
>50年後に請求してくるでしょう。日本政府が関与した悪質な行為として。日本を貶めたい日本国籍○○人の変な人権屋は、「売春を強要した」「保護しなかった」と騒ぐのでしょう。
私もそう思います。
半島の寄生民族は自国の公文書に賠償は終わっていると明記しているにも関わらず、個人賠償は別だとタカリってくるし・・
大陸のダニ民族も同様の思考回路。しかしなによりも我等日本人が自浄作用をもって対応しなくてはならないのが、エセ人権派とプロ市民団体のクズ達。
街頭で喚き散らす捨民議員に『拉致問題の責任をどうするんだ?』と質問したら『それは政府与党の問題です』と答えたのには通行人の殆どが苦笑し、呆れていた。そそくさとその議員は逃げて行ったけどネ。
こういう種類の日本人が支那や半島の捏造・歪曲を助け助長しているんだろうなと思いますネ。いっそ支那や半島に帰化しろといいたいが、こういう粘着質のオタク系は絶対にしない。日本が住みやすい国だと一番良く知っているから。
。
これは メッセージ 9230 (asia1867 さん)への返信です.
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中国の教科書
投稿者: miraisatoru21 投稿日時: 2005/06/17 12:51 投稿番号: [9241 / 29399]
中国の教科書の記述。
日本政府が「侵略したアジア各国の人民に本当の謝罪をしていない」
「右翼勢力が日本の歴史教科書を改悪している」
なるほど、と思った。
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.
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自らをバカ言う中共人
投稿者: yn970 投稿日時: 2005/06/17 01:28 投稿番号: [9240 / 29399]
あんたの言ってることって文革でシナ人同士殺し合った状況をそのまんま言ってるだけじゃん。
こりもせず中共はいまだに虐殺を繰り返してるけどwww
空想話するまえにシナ畜に殺された、いまだに殺され続けてるチベット人の惨状を受け止めるべきなんじゃないの?
中共シナ畜同士殺し合おうとかってだけどwww
これは メッセージ 9239 (bakabakabakakabaka さん)への返信です.
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>混血児
投稿者: bakabakabakakabaka 投稿日時: 2005/06/17 00:47 投稿番号: [9239 / 29399]
>日本軍が支那女を片っ端から強姦したなら何故に混血児がいないのか?
The answer
1、強姦後、銃剣で刺し殺された
2、南京大虐殺のように、穴を掘らせて生き埋めにした
3、辛うじて逃げ延びたが、精神的苦痛がもとで流産してしまった
4、強姦によるショックで、出産に至るのでに自殺に追い込まれた
これは メッセージ 9238 (falungong19890604 さん)への返信です.
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