>>死活求め、支那事変終結を目指した
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/21 21:39 投稿番号: [9263 / 29399]
>少しでも、日本政府がアジアの独立に貢献していれば、納得も出来ようが、アジアの独立を掲げた割に、独立を果たした国は無い、また、支援した国もない。
嘘ばかり吐くな。
―――――――――――――――――
日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。1935年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租借地を返還した。大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。
例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。これは米国が二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。ビルマは1943年8月1日に独立した。マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立された。ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。今日、インドの代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段ではなく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。
こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。しかし、フィリピンを例外として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をもっていたことは事実である。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
―――――――――――――――――
日本軍は、占領の僅か2〜3年間にアジア諸民族に教育と軍事訓練を施した。
これにより、アジア諸民族は、数百年間自分達を支配していた白人と戦う勇気と方法を身に付けた。
もし日本が欧米と同じように植民地にするつもりなら、軍事演習まで施す筈がない。
2605年8月17日インドネシア独立秘話
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/indonesia.html
(一部抜粋)
第一になされた事は「民心の安定」でした。それは、今村司令官の発した「布告第1号」に見る事が出来ます。
1.日本人とインドネシア人は同祖同族である
2.日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
3.同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する
当時、植民地の住民にとって「共存共栄」等と言う言葉はとても信じられないものでした。なぜなら、欧米列強にとっての植民地とは、「支配者」と「被支配者」の関係でしかなかったからです。ところが日本軍は開口一番、「共存共栄」を唱えたのですから、住民が驚いたのも無理はありません。しかし、今村司令官の布告は終戦まで、決して破られる事はなかったのです。
ビルマ独立と日本軍
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/23.HTM
(一部抜粋)
大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。
人物探訪:リカルテ将軍
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog156.html
(一部抜粋)
昭和15(1940)年、ケソン大統領は訪米の帰途、横浜に立ち寄り、自らリカルテを訪ねて、帰国を求めた。リカルテはこう答えた。
「わしはフィリピンに星条旗がひるがえっているかぎり、その星条旗の下に帰ろうとは思わない。わしが祖国に帰る日は、祖国が完全に独立し、むかしわれわれが立てたあの革命旗が、堂々とだれはばかることなく立てられる日だ。」
その翌年、大東亜戦争が勃発し、リカルテは参謀本部の要請を受け、占領後の独立の約束をとりつけた後、75歳の老躯を駆って祖国に戻った。群衆は歓呼してリカルテ将軍を迎えた。
(参考)
私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9304/daitoua.htm
>シナ事変の終結など、、、、、?
>戦争拡大しておいて、終結目指したとは?何処に論理があるのでしょ\xA4
嘘ばかり吐くな。
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日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。1935年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租借地を返還した。大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。
例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。これは米国が二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。ビルマは1943年8月1日に独立した。マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立された。ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。今日、インドの代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段ではなく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。
こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。しかし、フィリピンを例外として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をもっていたことは事実である。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
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日本軍は、占領の僅か2〜3年間にアジア諸民族に教育と軍事訓練を施した。
これにより、アジア諸民族は、数百年間自分達を支配していた白人と戦う勇気と方法を身に付けた。
もし日本が欧米と同じように植民地にするつもりなら、軍事演習まで施す筈がない。
2605年8月17日インドネシア独立秘話
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/indonesia.html
(一部抜粋)
第一になされた事は「民心の安定」でした。それは、今村司令官の発した「布告第1号」に見る事が出来ます。
1.日本人とインドネシア人は同祖同族である
2.日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする
3.同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する
当時、植民地の住民にとって「共存共栄」等と言う言葉はとても信じられないものでした。なぜなら、欧米列強にとっての植民地とは、「支配者」と「被支配者」の関係でしかなかったからです。ところが日本軍は開口一番、「共存共栄」を唱えたのですから、住民が驚いたのも無理はありません。しかし、今村司令官の布告は終戦まで、決して破られる事はなかったのです。
ビルマ独立と日本軍
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/23.HTM
(一部抜粋)
大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。
人物探訪:リカルテ将軍
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog156.html
(一部抜粋)
昭和15(1940)年、ケソン大統領は訪米の帰途、横浜に立ち寄り、自らリカルテを訪ねて、帰国を求めた。リカルテはこう答えた。
「わしはフィリピンに星条旗がひるがえっているかぎり、その星条旗の下に帰ろうとは思わない。わしが祖国に帰る日は、祖国が完全に独立し、むかしわれわれが立てたあの革命旗が、堂々とだれはばかることなく立てられる日だ。」
その翌年、大東亜戦争が勃発し、リカルテは参謀本部の要請を受け、占領後の独立の約束をとりつけた後、75歳の老躯を駆って祖国に戻った。群衆は歓呼してリカルテ将軍を迎えた。
(参考)
私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9304/daitoua.htm
>シナ事変の終結など、、、、、?
>戦争拡大しておいて、終結目指したとは?何処に論理があるのでしょ\xA4
これは メッセージ 9261 (yominokuni56 さん)への返信です.