南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 『南京戦史』後の否定論プロパガンダ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/05 23:34 投稿番号: [27519 / 29399]
南京で虐殺があったという兵隊の証言は、殆どが実戦の報告書に即していないし、当時の諸外国の新聞記者の証言とも合致しない。

又当時の中国政府の新聞発表とも合致することが無い証言ばかりで、裏付けが取れない。

Re: 南京事件「自国兵士への虐待」から始ま

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/05 23:30 投稿番号: [27518 / 29399]
補給が不完全であることと、食糧が無かったことは関係が無いよね。

中国軍は退却時に糧食其の他凡てを焼き捨てて、日本軍に渡さない様にしたけども、日本軍が飢えることはなかったし、弾薬の補給も途絶えることはなかった。

Re: 『南京戦史』後の否定論プロパガンダ

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/05/05 20:15 投稿番号: [27517 / 29399]
『偕行』ねえ〜、中帰連の洗脳された帰還兵じゃないかいなぁ〜。

日本軍の所為にさせられた、シナ人の思うがマンマ〜。

お前も、謝罪しにシナ大陸に移り住めば〜?人肉食が21世紀になっても当り前の国に暮らして下さいね〜。

『南京戦史』後の否定論プロパガンダ

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2012/05/05 19:00 投稿番号: [27516 / 29399]
ポスト『南京戦史』時代の否定論プロパガンダ
Apes! Not Monkeys! はてな別館 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070516/p2 より

『偕行』が1984年から翌年にかけて連載した「証言による南京戦史」、およびそれをまとめた『南京戦史』、『南京戦史資料集I、II』は日本における南京事件論争史において一つの画期をなす出来事だったと言える。というのも、旧陸軍将校の親睦団体が収集した資料によって数万にのぼる捕虜、敗残兵の殺害があったこと、現地軍の幹部が軍紀の頽廃を認識していたことが異論の余地無く明らかになったからだ。

(中略)

こうした史料の存在が要点だけでもきちんと教えられていれば、「南京大虐殺は真っ赤な嘘」というのがそれこそ「真っ赤な嘘」であることは誰にでもわかる。だからこそ、『南京戦史』以降の南京事件否定論はいっそう狡猾にというか、巧妙にというか、悪質になってきているのである。

その基本的な戦略は3つに整理できよう。まず殺害したことが否定し切れない場合は正当化する。南京の中国軍将兵に捕虜資格はない、といった類いの議論である。捕虜資格がなければ殺してかまわないというのが非常識なはなしなのだが、だいたい「捕虜資格」をガチガチに限定して捕虜資格のない人間は殺してよいというなら、敗戦後降伏した日本軍の将兵は皆殺しにされても文句は言えなくなる。というのも、「捕虜にならない」はずの日本軍将兵を降伏させる為に、日本軍は彼らが「捕虜ではない」という立場を(もちろん方便としてだが)とったからである。

第二が、豊富な証拠を無視して(そしてそもそもそうした証拠があることを知らない人間に対しては証拠の存在を隠して)、やれ証拠写真は捏造だったなどといい募るというもの。今回の動画も同じパターンである。伊藤市議はまんまとこれに引っかかった(あるいは引っかかったふりをしている)わけ。これにはたいてい「南京事件はプロパガンダだから捏造」というおまけがつく。これがプロパガンダというものを(おそらくは意図的に)矮小化した認識に過ぎないことはすでに述べた。

第三は南京事件に「独自」の定義を与えて「ほら見ろ、定義通りの事件なんて起こってないじゃないか」というタイプ。虐殺の多くが城外でおこなわれたことは共通了解であるはずなのに、一生懸命国際安全区の中で起こったことを「データベース」化して「南京大虐殺はなかった」と主張したりするのがこのタイプ。しかし大規模な戦争犯罪を問題にするときに「定義」から入るというのは本末転倒である。個別的な事例を積み重ねる中で全体像が明らかになり、「総合するとかくかくしかじかのことがあったと言える」という認識に至るのがスジというもの。

南京事件「自国兵士への虐待」から始まった

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2012/05/05 18:58 投稿番号: [27515 / 29399]
■[南京事件]南京事件は、日本軍の「自国兵士への虐待」から始まった
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート) - http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20051202 より

南京侵攻の途上のことについて。

第十軍の憲兵、上砂少将の発言については何度も引用してきたが、これはある価値基準からすれば「日本軍による日本軍兵士による虐待」だと言って過言ではないように思う。

--------------------
第十軍の憲兵、上砂少将はこう述べています。

     「第一線部隊の携行糧秣は瞬く間に無くなり、補給は続かず、全く「糧食を
     敵による」戦法に出なけれはならない有様であって、勢い徴発によったので
     ある。

     然しこの徴発たるや、徴発令に基く正当な徴発は、現地官民共に四散している
     ため実行不可能で、自然無断徴用の形となり、色々の弊害を伴った。この情勢
     を見ていた軍経理部長は、「こんな無茶な作戦計画があるものか、こんな計画
     では到底経理部長としては補給担当の責任は持てないから、離任して内地へ帰
     えらして貰う」といきりたった程で、参謀長田辺盛武少将の口添えでその場は
     おさまったが…」
     http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050430

兵士に食糧を与えない。立派な虐待です。兵士はどうするか。中国の民間人(農民)から奪うしかありません。10万人の兵士が食糧を奪う。大変な犯罪ですが、これは個々の兵士の責任の問題ではない。

加えて南京戦に送り込まれた兵士の大半は、上海事変の戦闘に従軍した兵士です。激戦を経て日本に帰れると思ったのに、次の戦闘に送り込まれる。そして食糧も与えられない。気が荒れて当然です。

こういう虐待を自軍兵士にしている以上、個々の兵士の不法行為は(たとえどんな規模でも)劣悪な食糧状況、精神状況に追い込んだ日本軍にも「少なからぬ」責任があると、私は考えます。
--------------------

※なお、総司令官の松井石根大将は、南京戦後

--------------------
上海附近作戦の経過に鑑み南京攻略戦開始に当り…我軍の南京入城に当り幾多我軍の暴行奪掠事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならさるに至れるや。

是思ふに

一、上海上陸以来の悪戦苦闘か著く我将兵の敵愾心を強烈ならしめたること。

二、急劇迅速なる追撃戦に当り、我軍の給養其他に於ける補給の不完全なりしこと。

等に起因するも亦予始め各部隊長の監督到らさりし責を免る能す
--------------------

と、「幾多我軍の暴行奪掠事件」の原因の一つに「我軍の給養其他に於ける補給の不完全」があったとはっきり述べている。

Re: ★本邦「梅毒」500年史

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/05 08:47 投稿番号: [27514 / 29399]
来年四月中旬「フランクフルト」研究所に開催の「サルバルサン」標準決定会議に北研秦佐八郎博士を又同五月初「コペンハーゲン」研究所に開催の梅毒血清反応統一会議に伝研長與所長を三、四ヶ月の予定にて佐伯博士の待遇により招請し度き旨両会議関係者よりの希望に基づき医務局長より鶴見へ内交渉ありたる趣に付至急両博士の諾否問い合わせの上御回電を請う

↑昭和二年のことだね。

日本の医学は当時世界最先端を行っていたからね。

Re: ★本邦「梅毒」500年史

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/05 08:31 投稿番号: [27513 / 29399]
本年三月十日送第三三号を以て本年九月白耳義比律悉府に於いて開設する瘡毒(梅毒)伝播予防に関する萬国会議は帝国政府より代表者派遣の件は照会之趣了承今回御都合宜しく代表者派遣致し度尤も東京帝国大学医科大教授土肥慶義よりは会に論文提出の段申出候・・・・云々

↑各国とも梅毒には悩まされていたんだね。

ちなみに明治三十二年のことだよ。

Re: ★本邦「梅毒」500年史

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/05 08:03 投稿番号: [27512 / 29399]
明治十四年梅毒専門病院の府県別数

東京府   公立   2   私立   2

京都府   公立   1   私立   0

大阪府   公立   1   私立   0

神奈川県公立   6   私立   0

兵庫県   公立   1   私立   0

長崎県   公立   13   私立   0

新潟県   公立   17   私立   0

埼玉県   公立   1   私立   0

千葉県   公立   5   私立   0

茨城県   公立   6   私立   0

群馬県   公立   11   私立   0

栃木県   公立   0   私立   0

三重県   公立   6   私立   0

愛知県   公立   3   私立   0

静岡県   公立   8   私立   0

山梨県   公立   0   私立   0

滋賀県   公立   1   私立   0

岐阜県   公立   0   私立   0

長野県   公立   3   私立   0

宮城県   公立   0   私立   0

福島県   公立   6   私立   0

岩手県   公立   0   私立   0

青森県   公立   8   私立   0

山形県   公立   0   私立   0

秋田県   公立   6   私立   0

福井県   公立   0   私立   0

石川県   公立   0   私立   0

鳥取県   公立   0   私立   0

島根県   公立   7   私立   0

岡山県   公立   2   私立   0

広島県   公立   1   私立   0

山口県   公立   0   私立   1

徳島県   公立   1   私立   0

愛媛県   公立   3   私立   0

高知県   公立   0   私立   0

福岡県   公立   5   私立   1

大分県   公立   1   私立   0

熊本県   公立   2   私立   0

鹿児島県   公立   2   私立   0

沖縄県   公立   0   私立   0

陸軍省   官立   0

海軍省   官立   0

文部省   官立   0

開拓省   官立   3

↑もっとお勉強して頂戴な。

Re: ★本邦「梅毒」500年史

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/05 07:37 投稿番号: [27511 / 29399]
明治三十九年山口県大島郡○○村

梅毒患者数(年とは才を表す)

二年以下   2人

三年以下   4人

四年以下   1人

五年以下   3人

十年以下   1人

十五年以下2人

二十年以下5人

三十年以下   23人

四十年以下   20人

五十年以下   16人

六十年以下   1人

他の性病
三年以下    1人

十年以下    5人

二十年以下   3人

三十年以下   2人

四十年以下   4人

五十年以下   1人

六十年以下   6人

↑正確な資料を読もうね、お馬鹿君。

★本邦「梅毒」500年史

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/05/05 02:40 投稿番号: [27510 / 29399]
  ★・・まずは上の画像を見てほしいわけですが。
  東京裁判の被告席に並ぶ東條英機(手前)と思想家・大川周明。大川は民間人として唯一「A級戦犯」で起訴されるんですが、1947年4月9日、正式に裁判から除外されました。


  なぜかというと、裁判中、大川は東條英機の頭をはたいたり、奇声を発するなどして常識を逸した行動をとっていたからです。大川は梅毒による精神障害と診断されました。(頭をはたく映像はこちら)

  梅毒は、戦後にペニシリンが出回るまで、ほとんど完治できない性病として恐れられてきました。いったいどれくらい日本で蔓延していたのか?   まずは『解体新書』を出した杉田玄白に聞いてみたいと思います。

・・・

・・

  ちなみに日清戦争直前には、
「兵隊さんの間に梅毒が盛に蔓るとて種々八釜(やまか)しく」(『都新聞』明治26年)
  などと書かれるようになり、軍隊でも梅毒が大きな問題となってきたことがわかります。


『坂の上の雲』あたりを読むと日本兵の活躍に心躍らされるわけですが、

実際は性病に悩む軍隊だったわけです。


  治療法は水銀以外にヨウ素が使われましたが、ともに危険で、1910年、秦佐八郎らによってサルバルサン(有機ヒ素剤)が開発されたものの、効果は不十分でした。
  結局、怪しい民間治療薬が幅をきかせることになります。・・



http://www.tanken.com/baidoku.html


ま、忙しい看護婦が、606号と呼んでも少しも不自然では無いね。

ペニシリンで治療してもらえなかった状況だったから、死亡した慰安婦たちも数えきれない位いたでしょう。

「慰安所=強姦所」を造り、若い女性・少女たちを虐殺した天皇の軍隊だった。

慰安所を作ったと自ら証言し、その裏付けの証拠も出てきた中曽根首相は、相変わらず頬かむりのままでね。

Re: 大山医院の看護婦として・・沖縄の慰安

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/05/01 00:34 投稿番号: [27509 / 29399]
兵一時間当たり1.8円と言うことだね。

此の税金という部分が慰安婦の取り分。

Re: 大山医院の看護婦として・・沖縄の慰安

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/04/30 19:42 投稿番号: [27508 / 29399]
12割?

Re: 続き

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/30 13:44 投稿番号: [27507 / 29399]
http://www.k2.dion.ne.jp/~drkimura/ko.files/image004.jpg

六〇六号というサルバルサンの宣伝。

大正四年以降は国内では「アルサミノール」という商品名で国内生産されたんだよ。

六〇六号などと大正時代の呼称を使うなど、先ず有り得ないと思うけどね、如何にいい加減な証言かが判る一例だね。

Re: 大山医院の看護婦として・・沖縄の慰安

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/28 11:35 投稿番号: [27506 / 29399]
沖縄の慰安所

慰安所の買価は左の如く暫定す

一時間
兵    4.00圓
下士官5.00
将校   6.00

23時以降翌日朝迄
将校   15.00圓
佐官   20.00

本買価には12割の税を含む

Re: 大山医院の看護婦として・・沖縄の慰安

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/28 11:24 投稿番号: [27505 / 29399]
当時の梅毒治療薬は、1910年ドイツ人と日本人医師秦佐八郎が発明したサルバルサンである。

サルバルサンは抗生物質が登場するまでは梅毒に対する唯一の治療薬であった。

Re: 続き

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/28 11:06 投稿番号: [27504 / 29399]
昭和七年

今般「バチェラー・オブ・メヂシン・ベチェラー・オブ・シビル・ロー   イー・エス・リー」氏より学術研究の見地より別紙写しの通り本邦に於ける性病予防及び治療の方法並び其の効果関係統計等を問い合わせ来たるに付官警官庁又は学術関係に移牒の上御返事相煩わせ度し

尚本人の特に承知したしとしてして来たれる点は

一.性病予防に関し一般青年又は学校生徒に教育を施すことありや
   陸海軍に於いて同上教育を受けることありや

二.「カロメル」油又は過マンガン酸洗浄等は本邦にて一般に行われ居るや
   遊郭に洗浄所ありや

三.性病罹病患者の割合
   陸海軍兵士罹病者数
   若し之等の統計に変化あらば其の原因

四.関係法令の罹病者数に及ぼせる影響如何
   関係官庁は現在の予防施設にて満足せるや

五.其の他参考事項

回答
一.性病に関し一般青年に教育を施すことありや
   性病予防に関しては一般青年に対し後援会の開催、予防心得書、ポスター配布等に依り性教育を施しツツアリ、昭和五年中に於ける講演会回数1,821聴講者数584,747にして予防心得書及びポスター配布数は238,961なり、この講演会は官公署其の他衛生関係団体に於いて主催せられたり

二.「カロメルクリーム」又は過マンガン酸加里洗浄等は本邦にて一般に行われ居るや、遊郭に洗浄設備ありや
   過マンガン酸加里溶液の洗浄は昭和三年花柳病予防法施行以来鋭意これが励行に努力しつつあり、予防薬としては前記以外海軍式青酸酸化汞軟膏、陸軍式青酸酸化汞軟膏等を一般国民に体しても推奨しつつあり
   洗浄設備は遊郭に其の設けあり

三.性病罹病患者の割合
   壮丁一千人に対する患者数

   大正十一年   梅毒   2.73   淋病   11.11   軟性下疳   3.62
   昭和六年    梅毒   1.82   淋病    6.17   軟性下疳   0.65

四.関係法規の罹病者数に及ぼせる影響如何、関係官庁は現在に予防施設にて満足せるや
   昭和三年以来花柳病予防法施行以来漸次減少の傾向にあり陸軍の壮丁花柳病患者数を見るも明瞭なり
   予防施設に関しては未だ満足するに至らず今後施設の拡充を図らんと欲す

Re: 大山医院の看護婦として・・沖縄の慰安

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/28 10:21 投稿番号: [27503 / 29399]
性病検査は受けないと慰安所で働けませんから、自主的に検査を受けました、これは一般の郭でも同じです、朝鮮人の罹患率は高い方ですからね。

Re: 続き

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/04/28 04:52 投稿番号: [27502 / 29399]
コピペ馬鹿は、夜更けに貼り絵をしたのか。

ご苦労なこった。

続き

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/04/28 01:01 投稿番号: [27501 / 29399]
しかし性病だと分かっても、大山医院には薬が無かったので、治療はできませんでした。性病の治療法としては「六〇六号」という薬を静脈から注入するなどの方法がありましたが、この薬は高価で貴重な薬だったので、まったく使われませんでした。


医院では住民に処方する薬も欠乏している状況だったので、どうしようもなかったのです。


【検診の結果は院長先生から憲兵に直接伝えられました。】

私はそばで聞いていたのですが、先生は「ここに治療薬はないから、軍のほうで処方してくれ」とおっしゃっていました。ですが軍で薬を用意していたかどうかはわかりません。とにかく性病はどんどん人に感染するんですけど、彼女たちは性病との診断を受けて、その後はどうなったのでしょうかよくわかりません。


  将校の相手をするジュリ(遊女)たちは、同じ慰安婦でも朝鮮の人たちとは違って大山医院での検診はありませんでした。


何もできなくて

  嘉手納の朝鮮人慰安婦の慰安所は、嘉手納のムラウチの民家を利用していましたが、よく場所をかえていました。

ある日、往診の帰りに嘉手納のムラウチを歩いていると、民家の前に三〇人ぐらいの兵隊が並んでいました。


  その家の玄関には暖簾がかかっていて、みんな並んで、次々に入っていきましたよ。そして、終わったらどんどん帰っていく。後で考えたらあんまりにも残酷でね。だから、戦後このことを考えると、日本人って動物以下だと怒りがこみあげます。



  女の人に限らず、朝鮮半島の方から男の人たちも連れてこられていました。


彼らは比謝矼辺りで土方仕事をさせられていたのですが、夏の暑い日も、冬の寒い日も奴隷のように働かされて、ちょっとでも休んでいたら「また休んでいるのか、早くやれ」と怒られてね。私は先生と往診に出ることが多かったので、彼らの姿をよく見かけていました。


食事なんかは、いつ見ても硬くて味の無いカンパンだけ。それを二、三〇人でかたまって食べているのを見ると、何か持っていってたべさせたいと思うんですが、先生に「怒られるよ」と止められて、見ているだけしかできませんでした。


  大山医院は、読谷山村・北谷村・越来村を往診するほどの当時にしては大きな医院で、その二階は日本軍の隊長に貸していました。


隊長は威張りくさってはいましたが、食べ物なんかもふんだんに病院へ持ち込んできていて、それらは普通の人がとても食べられないようなおいしいものでしたよ。肉や魚を食べたり、果物の缶詰めなんかもありました。

http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05b/chap06/content/docu140.html


この他、沖縄の西表島など津々浦々・・女を連れ回した天皇の軍隊

少女・女性を使い捨てした天皇の軍隊

インドネシアで慰安所を作ったのに口をつぐむ
「元首相・・中曽根(たちくらみ日本)」

大山医院の看護婦として・・沖縄の慰安所

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/04/28 00:58 投稿番号: [27500 / 29399]
★玉城※※(旧姓上地   儀間・※※)昭和二年生

朝鮮人慰安婦の性病検診

  大山医院には、朝鮮人慰安婦の人たちが定期的に性病検診のため連れてこられていました。一か月に一回から二週間に一回の割合で、一〇人から一五人ぐらいの女性たちが、憲兵に強制的に引っ立てられて来ました。その扱われ方といったら、まるで動物を追い立てるみたいなやり方でした。


  朝鮮人慰安婦はみな美しい娘たちで、色白ですらりとした姿がとても印象的でした。どうやら年のころも十六、七歳と、私と同い年ぐらいに見えました。


  今日でこそ、彼女たちは強制的に慰安婦にさせられたんだとわかりますが、当時は全く知りませんでした。


憲兵は彼女たちのことを「自分で望んで朝鮮から商売に来ている」と私たちに説明しました。私はそれを聞いて「どうしてこんなに美しいお嬢さんたちが、沖縄のような遠いところで、こんな商売をしなければならないんだろうか」と不思議でたまりませんでした。


また、彼女たちの多くは暗い表情でうな垂れていたり、またある者はあからさまな反抗を示していました。それを見ると「自分で望んで来てる筈なのにどうしてなのだろうか」と何かしら腑に落ちない気がしていましたが、それほどには気にとめていないんですね。あの頃は戦時中で、人のことをゆっくり考えている余裕はなかったんです。


  慰安婦の一人に、とてもイジグヮー(気)が強い人がいました。性病の検診ですから若い娘には恥ずかしくて嫌だったんでしょう。診察台に絶対にのらないと、病院の中を逃げまわったりしていつも反抗していました。


【すると憲兵が追いかけて、怖い顔をして、冷たく厳しい声で「なんで、お前、どうしたんだ。行け、やれ」そう言って慰安婦を殴るんですよ。】

私はびっくりして「あんなにまでして。嫌がっているのに、検診もさせなければいいのに」と思いました。かわいそうな彼女たちに話かけたいんだけど、言葉も分からないので、ただ彼女たちにつけられている日本名を呼んで、「こっちに寝なさい、服を脱いでここに来て」など、看護婦としての業務に関わることをジェスチャーを交えて伝えるのが精いっぱいでした。


また彼女たちの方でも、私たち看護婦に対してすら反発心を持っていたように思います。当然ですね、日本人にあんな目に遭わされていたんですから。


【それでも、反抗的な態度をとった者が叩きのめされてからは、残りの人はみな「はい」と言って私たちの指示にも従いました。】


朝鮮人「慰安婦」の性病検診

  こうした屈辱的な検診の結果、朝鮮人慰安婦の中に梅毒や淋病などの性病に感染している人が四、五人いることが判明しました。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 20:50 投稿番号: [27499 / 29399]
気が動転して脳内出血を起こした、脳死君。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/04/23 20:16 投稿番号: [27498 / 29399]
奥宮氏の手記でよほど気が動転したらしいな。完全に逝ってやがんの(藁

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 18:25 投稿番号: [27497 / 29399]
陸軍軍曹石尾文一外一名叙勲取消ノ件 右謹テ裁可ヲ仰ク 昭和十六年九月八日 内閣総理大臣公爵近衛文麿 昭和十六年九月六日 曩ニ陸軍軍曹石尾文一外一名ハ積年勲労ニ依リ叙勲ノ件発令相成候処右ニ関シ左記各肩書ノ事由判明セル趣ヲ以テ各頭書ノ叙勲取消方各主管長官ヨリ上奏有之調査ヲ遂クルニ今更不都合ノ次第ニハ候ヘ共申立ノ通取消相成様致度此段上申ス 記 発令昭和十六年五月九日 昭和十一年二月十七日附処刑懲役八月

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 18:14 投稿番号: [27496 / 29399]
昭和参年観月参十一日記付 刑余者ニ選挙被選挙檐ヲ附与セサル理由 刑余者ヲ改化遷善シテ一般ノ良民ト伍セシメンカ為ニハ刑余者ニ対スル身分上ノ制限ヲ撤廃セシムルコトハ刑事政策上極メテ緊要ナル事項ニ属スト雖衆議院議員ノ選挙檐補選挙檐ハ最モ尊重スヘキ檐利ナルヲ利余は得ノ如キ苟モ破廉恥ノ罪質ニ依リ処刑セラレタル者又ハ反社会性ノ箸シキ者ヲ欠格者ト為スハ相当トセラレタルモノニシテ且他ノ各種ノ法刑上ノ資格トノ檐衡ヲモ顧慮スルノ要刀リ依而今日之ヲ改ムルカ如キハ相当考慮ヲ要スト認ム (一)刑余者ノ資格ニ開スル内国法今

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 18:11 投稿番号: [27495 / 29399]
睦仁 内閣総理大臣公爵三條實美 海軍大臣伯爵西郷従道 勅令第百二十号 海軍生徒手当金規則 第一条 海軍兵学校生徒ニハ一日二十銭ノ手当ヲ給シ海軍軍医学校及主計学校生徒ニハ一日十八銭ノ手当金ヲ給ス 第二条 手当金ハ被服其他日用物品ノ費用ニ充ツルモノトス 第三条 傷痍疾病ニ罹リ病院ニ入ル者若クハ昇校セサル者ニハ手当金十分ノ一ヲ給ス 第四条 処刑罰留置収禁拘留逃亡若クハ逓伝護送中ノ者其他事故ヲ以テ在校セス若クハ昇校セサル者ニハ手当金ヲ給セス 第五条 品行不正課業怠惰又ハ試験成績不良ニ因リ生徒ヲ免シタル者ハ既ニ給与シタル手当金ヲ償還セシム

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 18:09 投稿番号: [27494 / 29399]
処刑という言葉の意味を知らんとトンデモナイ誤解をするという見本だね、脳死君。

しょ‐けい【処刑】 [名](スル)刑に処すること。

日本の刑法では此の意味にしか使って居ないよ戦前は、脳死君。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 18:06 投稿番号: [27493 / 29399]
一連の処刑の記録は誰も知らない、命令も知らない、夢物語、脳死君。

処刑とは処罰をすることで、死刑とは意味が違う、幼稚園的日本語の理解力、脳死君。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 17:41 投稿番号: [27492 / 29399]
長江を血の河にするにはどれほどの人間の血が必要なんだろうね、数㎞もある河に於いて、脳死君。

血など見る間に流れて出血さえ解らんだろう、脳死君。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 17:38 投稿番号: [27491 / 29399]
新聞も違いを犯す、唐変木は確信的に間違いを犯す、嘘吐く君。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/04/23 17:10 投稿番号: [27490 / 29399]
このような処刑が、南京占領から二週間近くを経た後の二十五日と二十七日に手際よく
行なわれていた。もっとも二十六日と二十五日前と二十七日後にどのような処刑が
行なわれていたかは分からなかったが(註   第三○旅回長佐々木到一少将の手記によれば、
十二月二十四日までに約一万五千人以上、十二月二十四日から翌年一月五日贖までに
数千人の処刑をしたとのことである)、二日間のことから察して、それが戦場にありがちな、
一時的な、興盲状態での対敵行動であるとは私には思われなかった。この日もまた、
一連の処刑が、ある種の統制のとれた行動であるように感じた。
  私は、この二目間に下関で見た合計約二十台分の、言いかえれぱ、少なくとも合計
五百人以上の中国人の処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。もっとも、
どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、人それぞれに見解の相違が
あるかも知れないが。
  それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体のこととも考え合わせて、
正確な数字は分からなかったが、莫大な数の中国人の犠牲者があったのではないか、
と考えざるをえなかった。
  そうだとすれば、それは、明らかに、国際法上の大間題ではないかと思われた。が、
当時の私には、そのことを突っ込んで検討する時間的な余裕がなかった。その後間も
なく、私自身が作戦飛行に従事せねばならなかったからであった。
  下関での第二日目の処刑場を確認したのち、本来の遺体捜索活動に移った。そして、
下問付近を見回ってから、再び福一江門から城内に入り、主として、市内の北西部と
中心部にある難民区を調査した。
  城内では、幹線道路の両側を、なしうる限り、約一千メートルの問隔をおいて支線に
入って、日本機の消息を間いて回った。難民区には大勢の中国人がいて、車から見た
限りでは、平時の中国の他の都市とあまり変わらないようであった。そこでは、一軒の
民家に日本機一機が墜落して、家族全員が死亡したとの気の毒な話を聞いた。が、
機体は片付けられていたし、搭乗員の遺体は他に持ち去られていた。
  その後、市の南部にある中華門を出て、雨花台方面を調査したところ、計九名の遺体を
発見することができた。二人は九六式艦爆の搭乗員で、七人は九六式陸攻の搭乗員であった。
いずれも土葬で、立派な木製の棺に納められていた。私はそのような手厚い取り扱いを
してくれた紅卍会の人々に感謝せずにはいられなかった。
  この日、多くの中国人と接触したが、城内でも、城外でも、多くの人々が積極的に、
私の質問に答えてくれた。また、雨花台方面の道路で出会った農民たちは、笑顔さえ
浮かべ、頭を下げて、われわれに挨拶をしていた。それは、わが国の地方の農村にも
よくある光景と同じであった。

奥山正武「私の見た南京事件」p33-41

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/04/23 17:07 投稿番号: [27489 / 29399]
  この一連の処刑は、流れ作業のように、極めて手順よく行なわれていた。大声で指示する
人々もいなかった。そのことから見て、明らかに陸軍の上級者の指示によるものであると
推察せざるをえなかった。したがって、部外者である私が口を出す余地はないと感じた
次第であった。
  そこで、私は、付近にいた一人の若い陸軍士官に、尋ねた。
「なぜこのようなことをするのか」
  答えて日く、
「数日前の夜、一人の勇敢な中国人が、わが陸軍の小隊長級の若い士官十名か十一名かは
分かりませんが寝ている寝室に侵入して、全員を刺殺したそうです。そこで、彼らの
戦友や部下たちが、報復のために、その宿舎の付近の住民を処刑しているとのことです」
  彼の説明が正しかったか否かは私には分からなかった。あるいは、そう説明するように
教えられていたのか知れなかった。
  その日、私は、しばらく一連の処刑を見たほか、合計十台のトラックが倉庫地帯に入る
のを確認したのち、現場から退去した。そして、その後は、主として、市内の東部を捜索
しながら飛行場へ帰った。
  人間とは不思議な性格を持っているようである。最初に下関で処刑を見た時には、
私は甚だしい衝撃を受けた。ところが、しばらくその場にいると、次第に異常さを
感じなくなった。処刑をしている将兵たちの中にも同様に感じていた者がいたかも
知れない。その場の雰囲気は、平時には考えられないほど特異なものであった。
  また、現場にいた将兵の中には、上海から南京に至るまでの間に、自らの上官、同僚、
部下などを失ったための憤りにも似た特異な感情を持っていた人々がいたことであろう。
  ところが、そのような異常な感情は軍人や男たちばかりにあるのではなかった。昭和
七年の上海事変が一段落したのち戦跡を見て回ったさい、私は、その場に居合わせた
上海在住の日本人の若い女性たちが、放置されていた中国兵の死体を指差しながら、私が
それまでに想像だにしていなかったような言葉を使って、平然としていたからであった。
  二十六日には、隊務のために、基地を離れることができなかった。

  2   第二日目

  十二月二十七日。この日は市内の西部を重点的に見回る予定であった。が、前々日の
光景があまりにも鮮明に記憶に残っていたので、念のために、まず、再び下関に行く
ことにした。
  下関の処刑場に近づくと、この日もまた、城内の方から、中国人を乗せた無蓋の
トラックが、続々とやってきて、倉庫地帯に消えていた。
  再び、警戒中の哨兵にことわって、門を入ったところ、前々日と同じような処刑が
行なわれていた。そこで、ある種の疑間が生じた。
  それは、
「多数の中国人を、大した混乱もなく、どうして、ここまで連れてくることができるか」
ということであった。
  そこで、処刑場の入口付近にいた一人の下士官に、その理由を尋ねた。ところが、彼は、
何のためらいもなく、
「城内で、戦場の跡片付けをさせている中国人に、〃腹のすいた者は手を上げよ〃と
言って、手を上げた者を食事の場所に連れていくかのようにして、トラックに乗せて
いるとのことです」
  と説明してくれた。
  そこで、更に、
「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
と質間したところ、
「上官から、弾薬を節約するために、そうするように命じられているからです」
との答が返ってきた。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/04/23 17:04 投稿番号: [27488 / 29399]
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年7月27日 - 2007年2月22日)は、日本の海軍軍人、
航空自衛官。最終階級は海軍中佐、空将。

『わたしの見た南京事件   PHP研究所出版』より

●二度見た虐殺の現場

そこでその付近を捜索した後、玄武門外に出た。そこには広大な玄武湖があった。
ところが、そこで、目もあてられないような惨状を目撃した。湖岸やそこに近い湖上に
数え切れないほどの数の中国人の死体が投棄されていたからであった。どうしてこのような
ことになったか、と尋ねようとしたが、付近には人影がなかった。が、このことは、それまでの
南京で異常な事態が発生したことを示唆していた(註   十三日、一部の部隊がここで敗残兵を
処刑したとの記録があるが、私の見たところではそれだけではないようであった)。
  玄武門から再び城内に入り、近くにあった広い道路を北進しながら、付近を調査すること
にした。その後、西進したり、南進したり、また西進したりしているうちに、市の中心部と
下関(しゃーかん)を結ぶ中山北路に出た。そこで、その道路を北西進しているうちに
拒江門についた。そして、そこから三たび城外に出て、下関とその付近を捜索することにした。
  下関は、南京と揚子江の対岸にある浦口とともに、交通の要衝であった。浦口は、私が
上海着任直後に、最初に、爆撃したところでもあった。下関にはかなり大規模な停車場と
開源碼頭(波止場)があった。そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の
中国人を文字通り虐殺している現場を見た。
  碼頭の最も下流の部分は、揚子江にそって平坦な岸壁があり、やや広い敷地を挟んで
倉庫群があった。そして、その倉庫群の中に、約三十名の中国人を乗せた無蓋のトラックが
次々と消えていた。不思議に思ったので、何が起こっているかを確かめようと、警戒中の
陸軍の陸軍の哨兵にことわって、構内に入った。私が海軍の軍服を着た将校であったこと、
海軍の車から降りてきたこと、軍刀や拳銃で身を固めていたためであろう、私の動きを
阻止する者はいなかった。また付近には報道関係者などの姿はなかった。
  構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人十数名が、江岸の縁に
そって数メートル毎に引き出されて、軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江上に投棄
されていた。
  岸辺に近いところは、かなり深く、目に見えるほどの速さの流れがあったので、ほとんど
の死体は下流の方向に流れ去っていた。が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、
江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので、その付近は血の川となって
いた。そして、死にきれないものは銃撃によって、止めが刺されていた。

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/04/23 16:51 投稿番号: [27487 / 29399]
>長江河岸に整列した、中国兵を見たと言う軍艦に乗っていた水兵も居ないし、先に占領した部隊も見て居ないし、長江河岸を占領した陸戦隊の目撃もない、夢もも語りでしか無かった>

異議があるなら3K新聞にしてみたらぁ〜(爆

Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 16:48 投稿番号: [27486 / 29399]
長江河岸に整列した、中国兵を見たと言う軍艦に乗っていた水兵も居ないし、先に占領した部隊も見て居ないし、長江河岸を占領した陸戦隊の目撃もない、夢もも語りでしか無かった、嘘吐く君。

バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/04/23 15:56 投稿番号: [27485 / 29399]
1976年12月17日付サンケイ新聞

- QUOTE -

全世界を震え上がらせた蛮行

日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長江(揚子江)岸に整列させた、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。

虐殺の対象は軍隊だけではなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千人の婦人が、大型トラックで運び出され、暴行のあと、殺害された。

日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、日本の新聞に大きく報道された。

虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中にうめ、軍用犬に襲いかからせる”犬食の刑”、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる”鯉釣り”、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火のなかに放りこむ”ブタの丸焼き”−など、など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。

こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は二ヵ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。

『倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。

それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。』(一九三八年一月二十二日の日記)

南京に住む外国人たちで組織された難民救済のための国際委員会は、日本軍第六師団長・谷寿夫にたいし、放火、略奪、暴行、殺人など計百十三件の具体的事例を指摘して、前後十二回にわたって厳重な抗議を提出したが、谷寿夫は一顧だにしないばかりか、逆に、血塗られた南京の状況を映画やフィルムに収め、日本軍の”戦果”としてほめたたえたのである。

- UNQUOTE -

動機は性的不満の在日fukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/04/23 12:26 投稿番号: [27484 / 29399]
fukagawatoheiが書き込みに血道を上げる動機は性的な不満である。

読むだけムダ    (大笑

Re: 南京大虐殺を目撃した日本人記者

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/23 11:32 投稿番号: [27483 / 29399]
目撃はされていないよ、嘘吐く君。

Re: 南京大虐殺を目撃した日本人記者

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/04/23 09:29 投稿番号: [27482 / 29399]
>目撃したけど

やっぱり、目撃してたんですね、南京大虐殺を。(納得)

Re: 南京大虐殺を目撃した日本人記者

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/04/20 18:49 投稿番号: [27481 / 29399]
目撃したけど証拠は皆無、白昼夢でも見たんだろうね、嘘吐く君。

南京大虐殺を目撃した日本人記者

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/04/20 17:12 投稿番号: [27480 / 29399]
これは博学で有名なニャンコチャンダモン氏の投稿です:

2012/ 4/19 16:23 [ No.39703 / 39719(嘘トピ)
投稿者   nya**otyan*dam*n

当時毎日新聞社会部陸軍報道班員鈴木二郎氏の「私はあの“南京の悲劇”を目撃した」という貴重な回顧録がある。
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