南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: バカウヨ御用達新聞の記事

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/04/23 17:04 投稿番号: [27488 / 29399]
奥宮 正武(おくみや まさたけ、1909年7月27日 - 2007年2月22日)は、日本の海軍軍人、
航空自衛官。最終階級は海軍中佐、空将。

『わたしの見た南京事件   PHP研究所出版』より

●二度見た虐殺の現場

そこでその付近を捜索した後、玄武門外に出た。そこには広大な玄武湖があった。
ところが、そこで、目もあてられないような惨状を目撃した。湖岸やそこに近い湖上に
数え切れないほどの数の中国人の死体が投棄されていたからであった。どうしてこのような
ことになったか、と尋ねようとしたが、付近には人影がなかった。が、このことは、それまでの
南京で異常な事態が発生したことを示唆していた(註   十三日、一部の部隊がここで敗残兵を
処刑したとの記録があるが、私の見たところではそれだけではないようであった)。
  玄武門から再び城内に入り、近くにあった広い道路を北進しながら、付近を調査すること
にした。その後、西進したり、南進したり、また西進したりしているうちに、市の中心部と
下関(しゃーかん)を結ぶ中山北路に出た。そこで、その道路を北西進しているうちに
拒江門についた。そして、そこから三たび城外に出て、下関とその付近を捜索することにした。
  下関は、南京と揚子江の対岸にある浦口とともに、交通の要衝であった。浦口は、私が
上海着任直後に、最初に、爆撃したところでもあった。下関にはかなり大規模な停車場と
開源碼頭(波止場)があった。そこで、その付近を見回っているうちに、陸軍部隊が多数の
中国人を文字通り虐殺している現場を見た。
  碼頭の最も下流の部分は、揚子江にそって平坦な岸壁があり、やや広い敷地を挟んで
倉庫群があった。そして、その倉庫群の中に、約三十名の中国人を乗せた無蓋のトラックが
次々と消えていた。不思議に思ったので、何が起こっているかを確かめようと、警戒中の
陸軍の陸軍の哨兵にことわって、構内に入った。私が海軍の軍服を着た将校であったこと、
海軍の車から降りてきたこと、軍刀や拳銃で身を固めていたためであろう、私の動きを
阻止する者はいなかった。また付近には報道関係者などの姿はなかった。
  構内の広場に入って見ると、両手を後ろ手に縛られた中国人十数名が、江岸の縁に
そって数メートル毎に引き出されて、軍刀や銃剣で惨殺されたのち、揚子江上に投棄
されていた。
  岸辺に近いところは、かなり深く、目に見えるほどの速さの流れがあったので、ほとんど
の死体は下流の方向に流れ去っていた。が、一部の死にきれない者がもがいているうちに、
江岸から少し離れたところにある浅瀬に流れついていたので、その付近は血の川となって
いた。そして、死にきれないものは銃撃によって、止めが刺されていた。
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