南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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続き

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/04/28 01:01 投稿番号: [27501 / 29399]
しかし性病だと分かっても、大山医院には薬が無かったので、治療はできませんでした。性病の治療法としては「六〇六号」という薬を静脈から注入するなどの方法がありましたが、この薬は高価で貴重な薬だったので、まったく使われませんでした。


医院では住民に処方する薬も欠乏している状況だったので、どうしようもなかったのです。


【検診の結果は院長先生から憲兵に直接伝えられました。】

私はそばで聞いていたのですが、先生は「ここに治療薬はないから、軍のほうで処方してくれ」とおっしゃっていました。ですが軍で薬を用意していたかどうかはわかりません。とにかく性病はどんどん人に感染するんですけど、彼女たちは性病との診断を受けて、その後はどうなったのでしょうかよくわかりません。


  将校の相手をするジュリ(遊女)たちは、同じ慰安婦でも朝鮮の人たちとは違って大山医院での検診はありませんでした。


何もできなくて

  嘉手納の朝鮮人慰安婦の慰安所は、嘉手納のムラウチの民家を利用していましたが、よく場所をかえていました。

ある日、往診の帰りに嘉手納のムラウチを歩いていると、民家の前に三〇人ぐらいの兵隊が並んでいました。


  その家の玄関には暖簾がかかっていて、みんな並んで、次々に入っていきましたよ。そして、終わったらどんどん帰っていく。後で考えたらあんまりにも残酷でね。だから、戦後このことを考えると、日本人って動物以下だと怒りがこみあげます。



  女の人に限らず、朝鮮半島の方から男の人たちも連れてこられていました。


彼らは比謝矼辺りで土方仕事をさせられていたのですが、夏の暑い日も、冬の寒い日も奴隷のように働かされて、ちょっとでも休んでいたら「また休んでいるのか、早くやれ」と怒られてね。私は先生と往診に出ることが多かったので、彼らの姿をよく見かけていました。


食事なんかは、いつ見ても硬くて味の無いカンパンだけ。それを二、三〇人でかたまって食べているのを見ると、何か持っていってたべさせたいと思うんですが、先生に「怒られるよ」と止められて、見ているだけしかできませんでした。


  大山医院は、読谷山村・北谷村・越来村を往診するほどの当時にしては大きな医院で、その二階は日本軍の隊長に貸していました。


隊長は威張りくさってはいましたが、食べ物なんかもふんだんに病院へ持ち込んできていて、それらは普通の人がとても食べられないようなおいしいものでしたよ。肉や魚を食べたり、果物の缶詰めなんかもありました。

http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05b/chap06/content/docu140.html


この他、沖縄の西表島など津々浦々・・女を連れ回した天皇の軍隊

少女・女性を使い捨てした天皇の軍隊

インドネシアで慰安所を作ったのに口をつぐむ
「元首相・・中曽根(たちくらみ日本)」
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