南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/03/07 12:32 投稿番号: [39084 / 41162]
<<あなたは井家又一日記の真偽が南京大虐殺の真偽を決定する
と考えているようですが、
井家又一日記は本物なら重要な資料のひとつとなるでしょうが、
それだけが大虐殺の有無の決定的な証拠ではないでしょう。
ニセモノと判明したからといって
南京大虐殺が即全否定されたことにもなりません。>>

私も、当たり前のことを繰り返し説明する必要はないと思います。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/07 11:50 投稿番号: [39083 / 41162]
>もし文献偽作が確かなことになったら、中国やアメリカ自体、また日本との関係はどうなるか、ということ抜きに、現状を考えることはできないでしょう。
>それを証拠に、間違いなく事実だとして教えられていたその国の歴史はどうなるか、信じていた子供たちはどうなるか、なかなか面倒なことになりそうだと思います。
だから、先が見えないから、ことが進まないのではないか、と思います。
逆に、日記が本物だとわかったら、河村氏の発言は、失言として猛反撃に遭うのは、確実であるわけですから。

あなたは井家又一日記の真偽が南京大虐殺の真偽を決定すると考えているようですが、井家又一日記は本物なら重要な資料のひとつとなるでしょうが、それだけが大虐殺の有無の決定的な証拠ではないでしょう。ニセモノと判明したからといって南京大虐殺が即全否定されたことにもなりません。

>私のような一般市民の出る幕ではないでしょう。

一般市民もへちまもありませんよ。誰が言おうと正しいものは正しい、正しくないものは正しくない。それだけです。一般市民を言い訳に使ってはいけません。

団体にコンタクトするより秦郁彦さんとか水島聡(総?)さんとか渡部昇一さんとか直接個人に連絡したらどうですか。

老婆心ですがあなたの説明はくどくどしい。長たらしい。ひとりよがりで要点が不鮮明。もっと簡潔明瞭にまとめるべきだと思います。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/03/07 08:28 投稿番号: [39082 / 41162]
日記の現物がどこにあるか、です。

井家又一日記と、水谷荘日記は秦郁彦氏が手に入れたのはわかっている。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo10.htm l

偕行社編『南京戦史資料集』に収められたのもわかっている。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo.9.htm l

現物が偕行社にあるのなら、開示拒否はなさそうな気がしますが、
個人所有ならどうなるか。小野氏が発見したという日記などはどうなるか。

すべての日記の現物を確認するのが第一です。

それは私が言っていることです。「史料批判・要諦」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisigakukennkyuuhou.html

私のような一般市民の出る幕ではないでしょう。

河村氏に対するかつてのような攻撃がない、ことしかわからないのはもどかしいですが。

アメリカ文献も、全く検討する姿勢がなかったこと、、
また、戦史詳報などが漢字で書かれていること、
秦郁彦氏はアメリカ系であること、など考えると、
南京事件論争は、米中合作の可能性もある。

もし文献偽作が確かなことになったら、中国やアメリカ自体、また日本との関係はどうなるか、
ということ抜きに、現状を考えることはできないでしょう。

私はそういうことに詳しいわけではない。

詳しいわけではないけれども、国家の中枢の近くから出された偽造文書が、
他国に送られてその国の悪事の証拠になっていて、
それを強力に推進したのが、その国の当該事件のトップ研究者だった、
ということになれば、

それを証拠に、間違いなく事実だとして教えられていたその国の歴史はどうなるか、
信じていた子供たちはどうなるか、なかなか面倒なことになりそうだと思います。

だから、先が見えないから、ことが進まないのではないか、と思います。

逆に、日記が本物だとわかったら、河村氏の発言は、
失言として猛反撃に遭うのは、確実であるわけですから。

中国の反応も、以前とは違うようです。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/07 08:07 投稿番号: [39081 / 41162]
例外的用法が戦後の用法なんですよ、戦前には無かった用法ですからね。

間違いようがない、と言うことです。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/06 22:32 投稿番号: [39080 / 41162]
>これを見た時、私は仰天しました。

あなた(一人)が仰天したからといって件の日記が即ニセモノとはかぎりません。

>昭和10年平凡社『手紙講座』著名人170人の手書き手紙実例
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
    (「1894年以降に生まれた人の手書き文字」も参照してください)
>私ホームページに、昭和初期の偽作文書の史料批判実例を追加UPしたので見てください。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/kanoutennsinnkyoukomonnjohihann.html

こういうのは参考にはなりますが、絶対的な決め手ではないでしょう。

絶対的決め手となるのは例えば渡部昇一氏が挙げているヒトラーの偽日記です。筆跡鑑定の専門化が本物と断定したものですが、日記帳を綴じる糊を分析したところ新しいものと判明し決定的に覆されました。

「志満っ多」とか「てゐる」、「ている」とかは決定的な証拠ではないでしょう。例外の可能性もあるのですから。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/03/06 00:42 投稿番号: [39079 / 41162]
チャンネル桜からは返事がありましたか。水島さんの目に触れて無視ならあまり脈がないようですね。つまりあなたの妄想に近い。>

信者の言だな。(笑)

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/05 12:18 投稿番号: [39078 / 41162]
人数の上では限りなく全部に近く、知識の上では戦前のかな遣いを「全部」
忘れていた。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/03/05 11:07 投稿番号: [39077 / 41162]
昭和10年平凡社『手紙講座』著名人170人の手書き手紙実例
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
    (「1894年以降に生まれた人の手書き文字」も参照してください)

には、画数の多い数字の「大字」を使った例はゼロ、
「志満っ多」もゼロです。


特に「満」の字は、南京事件の昭和12年のころには69歳(1868年生)だった、
三宅花圃(女性)が、和歌の中で使っている1例があるだけです。

「満」の字は、普通の文章の中では、絶対に使わなかったのです。


優雅と美意識でもって使われるはずの文字が、
虐殺の証言日記に出てきたのですから、

これを見た時、私は仰天しました。


それから、
私ホームページに、昭和初期の偽作文書の史料批判実例を追加UPしたので見てください。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/kanoutennsinnkyoukomonnjohihann.html

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/05 09:15 投稿番号: [39076 / 41162]
だから絶対と言う事はないにしても、戦後の用法を戦前に知る人間は居ないし、其れを使うことはない。

ゐとヰとを使う人間は居たようだね。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/05 03:40 投稿番号: [39075 / 41162]
>↑たしかに伝統かなづかいで押し通した人は何人もあったが、日本人全体の
パーセントで言えば微々たるものである。

だから絶対とか全部とかいえないのだ。

いる、ゐる、による真偽の鑑別法

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/05 02:29 投稿番号: [39074 / 41162]
「ゐる」で書かれていても本物とは限らない。偽作者が器用に「ゐる」を
使いこなしている場合があるから。

「いる」があれば、一つあるだけで偽作文書である。戦前の人は、「いる」
と書くことは絶対になかったから。ただし「要る」をかな書きにした場合は
別である。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/04 19:46 投稿番号: [39073 / 41162]
>三島由紀夫のように死ぬまで旧仮名遣いで通した作家もいるし、丸谷才一
だって旧仮名遣いだろう。

↑たしかに伝統かなづかいで押し通した人は何人もあったが、日本人全体の
パーセントで言えば微々たるものである。

昭和21.11.16.内閣訓令および内閣告示は当時の新聞社の大歓迎を受け、即時
に実行された。当時の新聞社は植字員が膨大な活字盤から活字を一個一個
拾って、版面を組立てていたから、漢字が1850字に制限されたことは大
助かりで、早速実行に移した。原稿に活字盤にない漢字があれば、植字員の
一存でかなに変えた。

当用漢字1850字と松坂式かなづかいは、誰にもわからぬ理由で人心に定
着し、文法の専門家が突き崩そうとしても微動だにしなかった。

在学生は先生から松崎式かなづかいと、1850字の漢字で文章を書くよう
に命令された。

現在では戦前の小説が松崎式かな遣いと、1850字の漢字に改められて出
版されている。原文のままではたいへん読みにくいのだそうだ。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/04 18:22 投稿番号: [39072 / 41162]
>↑日本人全体が松坂忠則式のかなづかいで書かれた新聞、雑誌、本を毎日読
むこと十年に達したころには、日本人全部が戦前は「兵隊さんがゐました」
だったことを完全に忘れた。

日本人全部が・・・完全に忘れた?ばかな。三島由紀夫のように死ぬまで旧仮名遣いで通した作家もいるし、丸谷才一だって旧仮名遣いだろう。それに現代日本人は中学高校で古文を習うから旧仮名遣いを書けないまでも一応読める。だから戦前は旧仮名遣いだったことを日本人全部が完全に忘れたとは言い切れない。

それを日本人全部がとか完全に忘れたとか断定するとは。台北に雪が降るかどうかなどというたわいの無い話ならともかく、南京大虐殺のような重大なことについて軽々に断定することは許されない。

Re: 動かしがたい証拠は?

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/03/04 18:19 投稿番号: [39071 / 41162]
>まだ出さないのかね共産支那(笑)


今回は、「鉄壁の証拠が山ほど有る」と豪語していたので期待していたのですが、全然出てこないのでがっかりです。


◆虐殺事件の証拠(資料)一覧◆

●済南事件
1.日本人犠牲者の名簿   ○あり
2.命令書   ×なし
3.当時の政府の認識   ○あり
(田中外相宛西田領事報告など○)

●通州事件
1.日本人犠牲者の名簿   ○あり
2.命令書   ×なし
3.当時の政府の認識   ○あり
(外務省の公式声明など○)

●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿   ×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書   ×なし
3.当時の政府の認識   ×なし
(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)

●カチンの森事件
1.ポーランド人犠牲者の名簿   ○あり
2.命令書その他公式文書   ○あり
(スターリンが命令し、内務人民委員部長官ラヴレンティ・ベリヤが命令書に署名○)
3.当時の政府の認識   ○あり
加害者のソ連   ○あり
被害者のポーランド   ○あり
濡れ衣を着せられたドイツ   ○あり
(事件3年後、収容所にいた元ポーランド軍将校、公務員、警察協力者、情報部員、憲兵隊員、獄吏等の遺骸を発見○)

●ホロコースト
1.犠牲者の名簿   ○あり
(犠牲者や強制労働者ら1750万人の名簿○)
2.命令書その他公式文書   ○あり
(ナチスの強制収容所などの実態が記述された約5千万件の公文書○)
3.当時の政府の認識   ○あり

●原爆投下
1.犠牲者の名簿   ○あり
2.命令書   ○あり
(7月25日、トルーマンの決定を受けてグローブスが作成した「原爆投下命令書」がワシントンの陸軍戦略航空軍司令官カール・スパーツに手渡され、ポツダムにいる陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルが承認し、陸軍参謀総長代理トーマス・T・ハンディがサインした公文書○)
その他、膨大な文書○や記録フィルムなどの資料   ○あり
3.当時の政府の認識   ○あり
(日本にも○、アメリカにも○、世界中の政府にも○、認識あり)

●ソ連による日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件
1.犠牲者の名簿   ○あり
(死亡年月日、死因、埋葬地など全員○。犠牲者は50万人超で、ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみ渡された)
2.命令書その他公式文書   ○あり
(マリク駐日大使がモロトフ外相に宛てた文書で、「1946年12月時点で、まだ生存している抑留日本人が105万人以上居る」と記載○)
3.当時の政府の認識
被害者の日本   ○あり
加害者のソ連   ○あり
第3国の米国   ○あり

Re: 「南京事件なかった」頑張れ!河村市長

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/03/04 18:01 投稿番号: [39070 / 41162]
>>河村「撤回も謝罪もしない」「南京事件はなかったと思っている」発言について>

>中国がナゴヤのバカ市長の邸宅にピンポイントでミサイルを一発ぶち込めば、全て解決でしょうね。
>「中国が保有する核搭載可能弾道ミサイル」
>   名称              区分    射程            弾頭
東風3型(DF-3)CSS-2     MRBM   2,650km    2Mt熱核(水爆。広島型原爆132発分の威力)
東風3型改(DF-3A)       IRBM   2,800km    2Mt熱核(水爆。広島型原爆132発分の威力)
東風4型(DF-4)CSS-3     IRBM   4,750km    2Mt熱核(水爆。広島型原爆132発分の威力)
東風5型(DF-5)CSS-4     ICBM   12,000km   5Mt熱核(水爆。広島型原爆333発分の威力)
東風5型改(DF-5A)       ICBM   13,000km   5Mt熱核 or MIRV 150-350Kt核
東風11型(DF-11)CSS-7    SRBM   300km     90Kt核(広島型原爆6発分の威力)
東風15型(DF-15)CSS-6    SRBM   600km     20KtER(中性子爆弾) or 90Kt核(広島型原爆6発分の威力)
東風21型(DF-21)CSS-5    MRBM   2,150km    250Kt熱核(水爆。広島型原爆16発分の威力)
東風21型改(DF-21A)Mod2   MRBM   2,500km   20,90,150Kt核(広島型原爆1,6,10発分の威力)
東風31型(DF-31)CSS-9    ICBM   8,000km    1Mt熱核(水爆。広島型原爆66発分の威力) or MIRV
巨浪1型(JL-1)CSS-N-3    SLBM   2,150km     300Kt熱核(水爆。広島型原爆333発分の威力)
巨浪1型改(JL-1A) Mod1    SLBM   2,500km    20,90,150Kt核(広島型原爆1,6,10発分の威力



なるほど。
恐ろしいね。
やはり日本には核ミサイルが必要だよね。
日本は核ミサイルを持って核武装しないと、日本人の生命、財産、自由を守ることは出来ないね。
深川唐兵は、日本の核武装の必要性を訴えているんだね!

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/03/04 14:26 投稿番号: [39069 / 41162]
渡辺昇一ファンクラブというのが検索で出てきます。
ここへ問い合わせたら連絡できるのでしょうか。

「ゐる」についての認識くらいはお答えいただけるかもしれませんが、

「井家又一日記」を検索すればYAHOO掲示板が出てきて、
情報発信者に私のニックネームが出てきて、

最新書き込みにまでたどりつくのは、
かなり早いのではないかと思います。

私が連絡した所の、かなりのところがそうしたのであれば、
ここだって、人目にさらされている可能性もあります。


「井家又一日記」がニセモノかもしれない、ということになったら、
渡辺昇一氏はどうするでしょうか。

まずは、その顔の広さでもって、自分の印象を証拠だててくれる人を、
さがすのではないでしょうか。

そこで、まず間違いなくニセモノだとなったら、
他の日記はどうだ、と、大捜索・大調査が始まるでしょう。

私は、昭和10年頃の手書き文字に詳しい人は、全国でもいないようだと思う。
まとまった正しい資料は、せいぜい私がUPした、平凡社手紙講座くらいだと思います。

それを頼りに、数少ない明治以降の文書の読み手が検討することになるわけです。

そして、もし宇和田弥一日記をはじめ、他の日記にもニセモノ判定が出たら、
私は、これを解読した人物、発掘に関わった人物に、疑いがかかると思います。

藤原彰氏や、秦郁彦氏はその筆頭でしょう。
その背後にある勢力は、といえば、中国であり、アメリカでしょう。

中国やアメリカとの外交関係を再検討しなければならない時に、

ニセモノだ、と大々的にキャンペーンをやったら、
スパイ諸氏の逃亡は確実です。

今まで何をどうしていたか、後ろ盾はどこで、どのような組織があるのか、スパイ諸氏に聞くのが一番ですのに、
聞く為の証拠も固めない内に、逃亡されたら困るでしょう。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/04 12:16 投稿番号: [39068 / 41162]
>渡部昇一さんに直接問い合わせたらどうですか。彼は1930年生まれだ
から「ている」と「てゐる」についてそれなりの認識があるでしょう。

↑日本人全体が松坂忠則式のかなづかいで書かれた新聞、雑誌、本を毎日読
むこと十年に達したころには、日本人全部が戦前は「兵隊さんがゐました」
だったことを完全に忘れた。

戦後十年たったころ、昔台湾で公学校(台湾人の児童を収容する小学校)の
先生をしていた人が、昔の教え子の住所を探し当てて手紙を出した。そして
「私は今何々業をやっています」と書いたものだから、生徒から「先生老人
ボケしたのですか。昔私たちにゐますと書けと教えてくださったではありま
せんか」という返事を貰った。それでも昔はゐますだったことがなかなか
思い出せなかった。

台湾人は戦後松坂式のかなづかいで書かれた新聞、雑誌、本をあまり読んで
いなかったから、戦後十年ぐらいではまだ戦前の歴史的かな遣いを守って
いた。

Re: ◆国旗国歌条例 「制定に賛成が89%

投稿者: omaeha_no_ten 投稿日時: 2012/03/04 09:41 投稿番号: [39067 / 41162]
その11%の反対は「反日極左」と「在日」だろう。
しかし、89%の人は戦後生まれの日本人多くなり分かってきてる感じ。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/04 09:31 投稿番号: [39066 / 41162]
>私のような、政治や外交の門外漢に、一々対応しても、今はまだ具合が悪いのだろう、などと、思っています。

どうでしょうか。三歳の幼児が言うことでも正しいことは正しいのです。

南京の問題など私の知っている限りでも1970年代から議論されています。まだ印象的なのは渡部昇一の『日本史から見た日本人・昭和編』です。そこで彼は南京大虐殺は虚構だというようなことを言っています。

渡部昇一さんに直接問い合わせたらどうですか。彼は1930年生まれだから「ている」と「てゐる」についてそれなりの認識があるでしょう。

内閣告示

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/04 09:25 投稿番号: [39065 / 41162]
わしが文部省訓令と言ったのは間違いで、正しくは[昭和21年11月16日
内閣告示]である。[     ]の中味を検索すると、松崎忠則が当時の政府に働
きかけて出させた内閣告示がいろいろ出てくる。松崎はこれが目標だったの
でなく、漢字廃止に進むための中途行動にすぎなかった。松崎が頃合を見計
らって、漢字廃止への第二歩へ進もうとしたところ、上記告示の内容が国民
と社会に定着して、動かせぬ物にになり、松坂の漢字廃止論が実現不可能に
なった。

松崎が昭和21年に提出した新仮名遣いは、松崎の最終目標でなかったか
ら、杜撰なものだったが、それが国民と社会に定着したので、かな遣いが混
乱し、かなづかいの間違いが多くなったのである。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/04 03:08 投稿番号: [39064 / 41162]
「お」と「を」、「は」と「わ」を混同している人は戦前には「めったに」
なかった。「先生がいます」と書く人は戦前は「絶対に」なかった。

松坂忠則(1902ー1985)という狂熱的な漢字廃止論者が、敗戦ショ
ックで日本人が腑抜けの状態にあった時期に、昭和21年文部省に働きかけ
て、ゐ、ゑを廃止し、歴史的かな遣いを廃止し、漢字を1850字に制限す
る訓令を出させた。松坂はそれが漢字全廃への途中のつもりだった。

松坂が時を見計らって、漢字廃止のための次の手段を打とうとしたとき、国
民や日本社会に文部省の昭和21年の訓令の内容が定着し、松坂が押しても
引いても動かなかった。かくて松坂の、漢字廃止の企図は失敗した。

その後パソコンの進歩、普及により、日本、中国、台湾で独自に漢字が増加
しつつある。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/03/03 23:15 投稿番号: [39063 / 41162]
私が南京事件に関わり始めたのは、2010年尖閣諸島での漁船衝突事件以降です。

それ以前の日本のマスコミの反応の仕方は、
あいにく圏外という感じでしかなかったので、よくわかりません。

今は随分静かだと思うのです。

河村名古屋市長を声高に攻撃しそうな気がするのですが、そうではない。

以前とは、空気が違うのではないでしょうか。

何が空気を変えたのか。

私は、きっと、原文書の精査に長じた人達が、調査に動いてくれたのだと思います。
その結果、確実に偽文書が多数あることがわかったのだと思います。

私のような、政治や外交の門外漢に、一々対応しても、今はまだ具合が悪いのだろう、
などと、思っています。

動かしがたい証拠は?

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/03/03 22:43 投稿番号: [39062 / 41162]
まだ出さないのかね共産支那(笑)

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/03 21:20 投稿番号: [39061 / 41162]
>絶対の決め手である。

「お」と「を」、「は」と「わ」を混同している人も結構いますし。私はちょっと疑問ですね。

ただし、あれだけの達筆で混同しているなら問題ですね。

大正七年制定国語読本始の8ページ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/03 21:20 投稿番号: [39060 / 41162]
ハナ

ハト   マメ   マス

ミノ   カサ   カラカサ

カラスガ   ヰマス。
スズメガ   ヰマス。
ウシガ   ヰマス。
ウマガ   ヰマス。
ウシトウマガ   ヰマス。

ハサミガ   アリマス。
モノサシガ   アリマス。
ヒノシモ   アリマス。

オミヤガ   アリマス。
オテラガ   アリマス。
ヤクバモ   アリマス。

イヌガ   ヰマス。
シロイイヌトクロイイヌガ   ヰマス。
オヤネコトコネコガ   ヰマス。
コネコガ二ヒキ   ヰマス。

戦後の評価によれば、大正七年制定の国語読本は戦前の国語読本のうちで
最も優秀である。わしは昭和5年に小学1年生となり、この教科書で勉強
した。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/03 19:16 投稿番号: [39059 / 41162]
>「ている」と「てゐる」だって絶対の決め手かどうか。

↑絶対の決め手である。戦前に日本人が書いた文書に「ている」は絶対にな
かった。「いる」ならあったが、それは「要る」をかな書きにしたものであ
る。「居る」のかな書きは必ず「ゐる」であった。

小学1年の国語読本に、動物(人を含めて)は必ず「ヰマス」と書け、植物
と無生物は「アリマス」と書けと教えた。これはたいへんわかりやすくて、
先生が小学1年生にに教えるに造作もなかった。

戦後の偽造書でも「先生がゐます」と器用に偽造したものがある。だから
「ゐます」があっても本物とは限らない。しかし○○が動物なら「○○が
います」が一つでもあればアウト、偽文書である。

Re: 中国製の偽造日記

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/03 09:46 投稿番号: [39058 / 41162]
チャンネル桜からは返事がありましたか。水島さんの目に触れて無視ならあまり脈がないようですね。つまりあなたの妄想に近い。いくつか不審な箇所がありますがそれなりに説明がつくのでしょう。「ている」と「てゐる」だって絶対の決め手かどうか。

◆国旗国歌条例 「制定に賛成が89%」

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 21:07 投稿番号: [39057 / 41162]
【eアンケート】
国旗国歌条例   「制定に賛成が89%」
  2011.6.30 22:00

「国旗国歌条例」について、7563人(男性6211人、女性1352人)から回答がありました。

  「この条例制定に賛成か」については89%が「賛成」で、「『国旗国歌を否定するなら公務員を辞めればいい』との橋下徹府知事の発言に同意するか」という設問には、90%が「同意する」と答えています。「他の自治体でも同様の条例が必要だと思うか」については、86%が「必要だ」としています。

(1)この条例制定に賛成か

89%←YES   NO→11%

(2)「国旗国歌を否定するなら公務員を辞めればいい」との橋下徹府知事の発言に同意するか

90%←YES   NO→10%

(3)他の自治体でも同様の条例が必要だと思うか

86%←YES   NO→14%


公務員の当然の義務


  大阪・男性会社員(41)「国際社会に通用する人材をつくるには、他国に対する敬意が必要。自国の国歌、国旗に敬意を払えない人間が、他国に敬意を持てるわけがない」

  東京・男性公務員(36)「国民と国家に忠誠を誓うのは、公務員の当然の義務。国旗のデザインや国歌の歌詞に反感を覚えるかどうかは全く別の論題だ」

  愛知・主婦(33)「国旗国歌を尊重し、国歌斉唱時に起立するのはどこの国でも当然であり、公務員であれば尚更だ。しかし、今の日本では、当たり前のことができていない以上、条例はやむを得ないと思う」

  ベトナム在住・男性会社員(49)「海外では、その国の祭日や記念日には必ず国旗を掲揚して祝う。もし糾弾する人がいれば変人か他国民と思われるだけ。そんな当たり前のことができない現状に、危機感を持つべきだ」

  東京・男性自営業(25)「大学生ならいざ知らず、未熟な子供に教師が自分の意見を提示しても、生徒は意見をためらい、経験の差で丸め込まれるだけ。子供が疑問を抱えたときに考えの幅を示すのが教育者の役割だ」

◆民主国で国旗・国歌はどう扱われているか

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:52 投稿番号: [39056 / 41162]
民主的な考えが政治に採用されている国では,憲法などで学問・思想・言論などの自由が保障され,教育内容は,国家や宗教から独立しています.

そして学問的な真理に基づいた自由・中立なものでなければならないという考えが一般的です.

そのような国では,国旗に対して敬意を払う,国歌斉唱の時は起立脱帽が常識とされているのです.

日教組では,ごく一部の事件をことさら大きく取り上げ,アメリカがどうだのフランスがどうだのといいますが,実際はどうでしょうか.

(以下SAPIO1998年8月26日号・9月2日号より引用)

アメリカでは,小学校に入ったその日から,各教室に掲げられている国旗に対して,毎朝『プレッジ・アレージエンス』と呼ばれる忠誠の誓いの言葉を朗誦させられる.

アメリカの小学校入学者のための「ガイド・ブック」にも,次のような説明が必ずといっていいくらい載っている.

「我々の学校における国旗:アメリカの学校は,星条旗と同様にナショナルであることを忘れてはなりません.全米の学校に国旗がひるがえり,すべての教室に国旗が掲げられています.学校は国家と共にあり,国家は学校と共にあるのです.毎朝,始業の際に,全生徒が右手を左胸にあてて,厳かに“我は誓うアメリカ合衆国の旗に忠誠を尽くすことを・・・・・・”と声高らかに異口同音に朗唱することは,国民として最低限度の義務なのです」


  ドイツでは,

「黒・赤・金」の三色に染め抜かれた国旗に対する強い執着を持っている.事実上の『憲法』である『基本法』の第22条にハッキリと国旗についての法的根拠を示し,これに反するいかなる冒涜行為も許さない厳しい空気が統一後のドイツにシッカリとタガをはめている.

  フランス国民が自己のアイデンティティーを重要視することは,フランス語保護政策ひとつを見ても容易に理解できる.

幼児期からの徹底的な国旗・国歌教育も有名で,アルフォンス・ドーデの『最後の授業』(ドイツの侵略を前にした命がけのアイデンティティー保持授業)という小説などその典型的なものとして,今でも広く小学校の教材として使われている.

  フランスばかりでなく,ドイツも,イタリアも,オランダも,ベルギーも,アイルランドも,ハンガリーも・・・・・,ヨーロッパのほとんどの国々が,それぞれの思いを込めて“三色旗”を国旗として崇敬するようになったのです.

  また,多くの国では「国旗は国民統合のシンボルであり,魂である」という認識が強い.従って,各国国民は自国の旗を守ろうとし,物心両面からそれを傷つけようとするものに対しては集団的な制裁を加えようとする傾向が見られる.だから「行き過ぎてリンチ(私刑)など不測の事態を招いてはいけない」という,どちらかといえば侮辱する側を守る意味から,敢えて「法による規制」の網をかけている国も少なくはない.

  ちなみに世界で100か国以上が憲法で国旗に関する規定を明記している.日本はこの規定がない例外的な先進国である.ところが外国国章損壊罪(刑法92条)はある.
「外国に対し侮辱を加うる目的を以て其国の国旗其の他の国章を損壊,除去又は汚穢したる者は2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処す但外国政府の請求を待て其罪を論す」
 
つまり,日本は外国旗を燃やせば罰することができるが,日の丸を燃やしても罰せられない,という奇妙な国だといえる.

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑨

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:30 投稿番号: [39055 / 41162]
都新聞の小池秋羊記者は、こう述べています。「食糧がなく飢餓状態で、食糧をくれ、とわれわれにすがりつく人もいました。私たちの宿舎には発見された米が何俵もありましたので、難民区のリーダーを宿舎に連れていき、米や副食品などを大八車二台分やりました」

  南京の病院で勤務していたアメリカ人、ジェームズ・マッカラム医師は1937年12月29日の日記にこう書いています。「(安全区に入ってきた日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本兵がいました。私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました」(東京裁判   速記録210)
  さらに、こう書いています。「12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横断して集まるのを目撃しました。あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を携帯して帰って来ました」。「日本人の善行を一つ報告しなければならない。とても気持ちのよい日本人が最近病院にやってきた。彼らに患者の食料の不足を告げたところ、きょう、百斤の豆と牛肉を持ってきてくれた。この一ヵ月というもの肉は食べられなかったので、この贈り物は大歓迎だ。他に欲しいものはないかと言ってくれた」(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p263)

  また南京戦により、12月13日の南京陥落からしばらくは、南京市街は水道も電気もとまり、夜は真っ暗といった状態でした。しかし翌年1月元旦から南京全市に、電燈がともり、水道がよみがえりました。1938年1月3日付の朝日新聞によると、電気については日本人技術将校以下80名と中国人電工70名の協力、また水道も同様に150名の編成で、不眠不休で取り組んだ結果であるといいます。また1月3日には、多くの南京市民が日の丸と中国の五色旗を振り、市街で「南京自治政府」(リーダーは中国人)の発足を祝っています。

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑧

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:29 投稿番号: [39054 / 41162]
市民・捕虜と日本兵の交流・温情

  南京を占領した日本兵たちの、市民や捕虜に対する態度は実際はどのようなものだったのでしょうか。以下は彼らの証言です。

「敵の大軍は、わが軍のために完全に撃破されました。見れば、幾十となく敵の死体がころがっております。中にはまだ虫の息でうねっておる者さえおります。これを見られた隊長が、『苦しいか、今、薬をやるぞ』と何かやられますと、一兵士は目を開けて、『水、水』と、かすれた声で哀願しました。誰かが水を飲ませてやりますと、両手を合わせ涙をたたえ、『謝、謝』(シェーシェー)と伏し拝みました。……今までにわが中隊では幾十人となく、敵兵を救い、郷里に帰してやりました。その中には中隊のために骨身を惜しまず、弾丸下もものともせず、じつに勇敢によく働いた者もたくさんあります。そして彼らが郷里に送り帰される時は、別れを惜しんで泣いて別れるのでした」(歩兵第47連隊:大分   第2中隊   伍長S・S)(『1937南京攻略戦の真実p.165)

「(南京への途上)露営のとき、私は道路の警戒を命ぜられました。特に監視すべき方向はこの方向と道路上をさすと、指したところに忽然と姑娘が現われて、窈窕(ようちょう)たる姿態が楚々(そそ)として、この方に来るじゃありませんか。誰だって面食らいます。……『日本の兵隊さんね』、流暢な日本語なんです。年の頃27、8、聞いてみると、上海から逃げてきたけれど、皆殺されたり、はぐれたりして、これは支那軍のほうにいると危ないと思い、やってきたという。
  『日本語はどこで覚えた』と聞くと、『長崎に4年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた』と言います。……いろいろ調べられるけれども、くさいところは無いらしい。ちょうど中隊に通訳がいなくて何かと不自由していたこととて、通訳代わりに使うことにしましたが、炊事をさせると日本人の味の好みを心得て、乙なところをみせる。所帯慣れしているから、兵隊に程良く愛嬌を振りまく。皆で大切にしたものです。
  ときには宵待草(よいまちぐさ)や、荒城の月を聞かせてくれました。毎日の行軍も宿営も楽しみでした。……しかし、南京へ南京への猛追撃に、我々に伍して行けるはずがない。中隊長殿が見かねて上海の方へ帰されたが、その日の行軍のけだるいこと、道の遠いこと、足の重いこと、皆考え込んでしまっていました。
  『おい、きついなあ』『うん』。返事も上っすべり。誰かが思い出し風に、『変なこと言いっこなしよ、皆兄弟じゃないか』と彼女の口真似をすれば、とたんに爆笑がわいたものです」(歩兵第13連隊:熊本   第11中隊   歩兵曹長K・S)(同p.190-192)

「私が洗面していると、前にきて頭をぴょこんと下げ、『兵隊さん、おやよう』とはっきりした日本語で、支那人から挨拶されました。不審に思ってよく聞くと、『大阪に18年間いました』という。……(彼の相談に乗ってあげると)彼は一時間ばかりして喜んで戻ってきました。そして言うことには、『家族も安心しました。長男が27歳になっていますが、長男も日本語が上手に話せます。皆の者に「日本軍が来たからもう安心しておれ」と、言ってきました』と、いかにも落ち着いたものです。齢は50歳くらいでしたが、達者な男で、南京攻撃、安慶上陸から漢口攻略まで、1年3ヶ月の間、日本軍のため忠実につとめ、大きな功績を残して行きました」(第2野戦病院   T・Y)(同)

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑦

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:29 投稿番号: [39053 / 41162]
日本兵による悪事の証言の信憑性

  ところで、日本兵たちの犯した犯罪について、虐殺肯定派がしばしば引用するのが、松岡 環著『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』です。この本には、日本兵が中国で犯してきたという数々の非道な行ないが、102名の元・兵士の証言の形で書かれています。しかしこの本に関し、亜細亜大学の東中野修道教授はこう批判しています。
  「百二名の兵士はみな『匿名』『仮名』なのである。……誰が証言内容に責任を持つのか。証言内容が真実かどうか第三者的に検証できないようでは、客観的報道、客観的記録とは言いがたい。……百歩譲って『証言』が事実だとしても、彼らの多くは憲兵の目を逃れて軍紀違反の違法行為を繰り返しながら処罰を免れてきた悪運強き戦争犯罪人でしかなかったことを明らかにしただけなのである」(『諸君』平成十四年十一月号)。
  また歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平氏は、この本をこう評しています。
  「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。まともな話をする人には行かないようです。確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」(「正論」平成14(2002)年11月号   阿羅健一著「南京戦・元兵士102人の証言」のデタラメさ)
  また、アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約10日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べています(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。ところが、竹本忠雄教授(筑波大学)、大原康男教授(国学院大学)によれば、彼の所属する部隊は陥落2日後の12月15日には南京から転進していて、この人物が10日間も南京に残留したはずがありません。実際彼自身、のちに取材に応じて「記者が何かおもしろいことはないかと聞いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定しています。
  また曽根一夫という人物は「手記」を出版し、そのなかで南京戦と南京陥落後の虐殺事件の実行と、目撃談を書いている(『続・私記南京虐殺』など)。しかし、この人物は手記のなかで自らを歩兵の分隊長と称しているが、実際は砲兵の初年兵でした。また、入城式には彼の属する部隊の一部が参加しただけで、部隊そのものは南京城内に入ってもいません。従って、彼が書いているような虐殺を南京やその近郊で見ることも実行することも不可能であったのです。南京戦中、行動をともにした戦友もそうした虐殺行為を目撃・実行することはあり得ないと証言しています。つまり、曽根の「手記」そのものがまったくの創作だったのです。

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑥

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:28 投稿番号: [39052 / 41162]
虐殺はなかったとする証言

  当時の南京を実際に知る多くの人々は、南京で「虐殺はなかった」と証言しています。
  たとえば、南京の日本大使館で働いていた外交官補の福田篤泰(ふくだ・とくやす)氏は、日本軍による南京占領の当時を振り返って、こう語っています。「日本軍に悪いところがあったことも事実である。しかし20万、30万の虐殺はおろか千単位の虐殺も絶対にない。……いわば衆人環視の中である。そんなこと(虐殺)などしたら、それこそ大問題だ。絶対にウソである。宣伝謀略である」(田中正明『南京虐殺の虚構』35-37頁)

  日本軍と共に南京に入った東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンは、こう語っています。「私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たことがなければ、兵隊から聞いたこともありません。虐殺があったなんて、あり得ないことです。死体はたくさん見ています。敗残兵がたくさんいましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したことはあるでしょう。しかしそれは、南京へ行く途中、クリークで何度も見ている死体と同じですよ」(阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』p.42)

  東京日日新聞の佐藤振寿カメラマンも、こう語っています。「虐殺は見ていません。12月16、7日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集ってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません」(同p.53)

  福岡日日新聞の三苫(みとま)幹之介記者には、お嬢さんが一人おり、南京には家族で赴任していたので、お嬢さんは1年生から5年生まで南京の日本人小学校に通っていました。彼女に南京大虐殺のことを来てみると、こういう答えでした。「そんな話は全然聞いたことがありません。あちらでは近所の支那人の子供ともよく遊びましたが、彼らからもそのような噂すら聞きませんでした」(同p.138-141)

  歩兵第13連隊(熊本)第4中隊のU中尉はこう語っています。「抗州湾上陸以来、私は(中国の)女たちが、墨や油や泥を顔や手足に塗り、ことさらに臭気を放つようなボロをまとって、わが軍の入城を迎えるのを知っております。彼女らは、なるべく醜悪に見えるように努めていました。……日本の兵隊は支那の軍閥の兵隊とは全然素質が違うのだ、ということが了解できると、それから徐々に生地を出し始める。黒い顔が白くなり、汚い服がきれいな服に変わるのであります。南京の難民地区でも、私はやはりそうした女の移り変わる姿を見ることができました」(東中野修道『1937南京攻略戦の真実』p.124)

  南京攻略戦に参加した野砲兵第22連隊長・三国直福大佐は、こう証言しています。「昭和13年8月にまた南京に戻ってきました。この時も虐殺があったという話は聞いていません。もう日本人の商人もたくさん来ていました。南京の街は朗らかでした。町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありませんでした」

  第十軍参謀・谷田勇(たにだ・いさむ)大佐は、こう証言しています。「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。したがって課長以下、日中官民と接触して、これを理解し、かつ中支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはななだ多くなっていった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑤

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:13 投稿番号: [39051 / 41162]
捕虜は虐殺されなかった

  一方、虐殺肯定派がよく引用するものに、第16師団長・中島今朝吾(なかじま・けさご)の日記があります。とくに12月13日に捕虜にした7000〜8000人の中国兵についての次の記述です。
  「この7000〜8000人、これを片づけるには相当大きな壕がいるが、なかなか見当たらない。一案として100人、200人などに分割してのち、適当な箇所に誘って処理する予定だ」(現代文に修正)
  つまり、この大量の捕虜を殺害して壕に埋めてしまおう、という処理予定を考えたともとれる内容です。当時はたしかに、ただでさえ食糧の調達など大変でしたから、このような大量の捕虜を一体どうしたらいいのか、ということは確かに大問題でした。それで、中にはこうした考えを持つ者もいたようです。
  けれども、中島日記をみても、彼ら捕虜を実際に殺害したという記述はありません。また当時の日本軍の記録をみると、この7000〜8000人の捕虜は結局殺害されず、捕虜収容所に送られたことがわかるのです。当時の膨大な資料の集大成である『南京戦史』(偕行社)は、様々な資料を引用し、こう結論しています。
  「これらを総合すると、堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことは明らかである」(P324)
  また資料によれば、当時南京の捕虜収容所は、これら7200人の捕虜を含む、計1万人ほどの捕虜を受け入れたとなっています。彼らの多くは、そののち釈放され、故郷に帰されました。あるいは苦力(クーリー)として労役に雇われた者も多く、また後に上海の捕虜収容所に移送された者もいました。
  さらに、そのうち約2000名は、のちに汪兆銘の親日政権の南京政府軍に編入されました。その中に、劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将もいました。彼は南京安全区に潜んでいたところを摘発され、しばらく苦力として使われていましたが、1940年に南京に成立した汪兆銘政府において和平救国軍の軍長となった人です。
  また中島今朝吾・師団長の言葉の中に「大体捕虜はせぬ方針なれば」というのがあったことが、よく指摘されます。実際、大量の捕虜をかかえこむことは大変なだけですから、捕虜は少ないほうがいいわけですが、「捕虜はせぬ方針」について、大西 一 参謀はこう述べています。
  「それは、銃器を取りあげ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」 (「正論」61.5 阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)
  さらに大西参謀は軍命令、師団命令で捕虜殺害命令など絶対に出ていない、と断言しています。資料をみても、捕虜殺害の記録はありません。また支那事変当時の日本の新聞にも、釈放されて故郷に帰る中国兵たちが荷物を持ち、ニコニコ顔で写真におさまっている姿などが載っています。

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造④

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:12 投稿番号: [39050 / 41162]
もう少し中国兵の行動をみてみましょう。

  日本軍が南京に達する以前に、蒋介石は、すでに早々と南京から脱出していました。また南京防衛をまかされた唐生智将軍も、敗北色濃くなったとき、敵前逃亡して南京から出てしまいました。残された中国兵らには混乱が走りましたが、敗戦が決定的となったとき、中国兵らには3つの選択肢がありました。
  一つは、降伏することです。降伏すれば「捕虜」として扱われることになります。
  二つ目は、南京から逃げ出すことです。そのとき、日本軍に殺されるかもしれません。また中国には、「督戦隊」というものがありました。これは戦いを督促する中国人部隊で、背後にいて、戦場から逃げ出す中国兵を見つけると撃ち殺す兵士たちなのです。逃げる中国兵を撃ち殺す中国兵です。そんな非人間的な部隊が、中国にはありました。ですから、南京から逃げ出そうものなら、彼らに撃ち殺されるかもしれません。
  実際に、中国督戦隊に撃ち殺された中国兵たちが多くいました。ダーディン記者は、南京城壁の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を形成していた中国兵の死体を目撃しています。これは日本軍が殺した中国兵ではなく、中国督戦隊に殺された中国兵だったのです。なぜならダーディン記者は戦後、こう語っています。
  「これは、この門から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(1987年8月14日のインタビュー、質問者は笠原十九司、伊原陽子。『南京事件資料集   アメリカ関係資料編』P571   青木書店)
  つまり、それは中国督戦隊によって殺された中国兵らの死骸だったのです。
  そして中国兵に残された三つ目の道は、軍服を脱ぎ捨て、民間人に扮して、安全区の中に身を隠すことでした。少なからぬ兵士たちがこの道を選びました。
  そのため日本軍は、南京占領後、この民間人に扮した中国兵たちの掃討作戦を行ないました。そして次々に摘発しましたが、武器を隠し持っているなど危険な中国兵たちは、発見されると、処刑されました。市街戦の準備とみなされたのです。その数は数千人に達しました。
  問題は、これが国際法上、合法か否かです。しかし、こうした不法な戦闘員の処刑はどこの国でも慣習的に行なわれていたことであり、また「ハーグ陸戦法規」(1907年)にも定められていたことで、明らかに合法的でした。つまり、兵士は明確に兵士とわかるよう軍服を着用しなければならず、また武器は隠さず公然と携帯しなければならないのです。
  その法規を守らなければ、捕らえられても「捕虜」としての保護は受けられません。法を守らない者は、法の保護を受けられないのです。彼らは「不法戦闘員」として扱われ、処刑されても仕方ないというのが国際法上の理解でした。こうした点で、数千人の「不法戦闘員」の処刑は、「捕虜の処刑」でも「捕虜の虐殺」でもなく、合法的なものだったのです。

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造③

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:12 投稿番号: [39049 / 41162]
軍服を脱ぎ捨て民間人に化けた中国兵たち

  捕虜の虐殺はあったか、という問題について見てみましょう。
  この問題をみるために、まず、中国兵とはどんな兵士たちだったか、についてみてみたいと思います。中国兵は、じつは国際法感覚のほとんどない兵士たちでした。
  多くの日本兵たちが「軍服を着ていない中国兵」たちを目撃しています。
  たとえば橋本以行(はしもと・もちつら)氏は、南京攻略戦の最中、揚子江岸で見た中国兵たちについて、「小銃や機銃を大事に携行していても、正規兵の服装をした者は一人も見当たらない」(証言による『南京戦史』10、130頁)と語っています。また彼ら揚子江岸の中国兵らは、降伏勧告にも応えず、戦闘を続けたので、日本軍は攻撃を続行。中国兵はジャンク舟に乗って逃げようともしましたが、多くは溺死し、遺体は下流の揚子江岸にうち上げられました。
  その写真が残っていますが、この写真がのちに虐殺肯定派の人々によって「南京大虐殺の証拠写真」として使われました。しかしそれは戦死体だったのです。
  また南京の城壁内で、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、「軍服を一斉に脱ぎ捨てる中国兵たち」に出くわしています。
  「私は一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。多くの兵士は下関へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。小路に走りこんで便衣(民間人の普通の服)に着替えてくる者もあった。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」(ニューヨーク・タイムズ   1937年12月22日付)
  また南京陥落後、南京城壁内へ入った日本兵たちもみな、この「脱ぎ捨てられた中国兵の軍服」が街路の至るところに散乱しているのを目撃しています。彼ら中国兵は、民間人になりすますために、軍服を脱ぎ捨て、民間人の服に着替えたのです。民間人の服を盗む者もいれば、民間人を撃ち殺して衣服をはぎ取る者も多くいました(南京のジェームズ・エスピー副領事の報告)。
  このように軍服を脱ぎ捨てて民間人に扮した中国兵が死んだとき、その死体は、死体だけを見た者には「民間人の虐殺死体」に見えたでしょう。ですから、こうした中国兵の行動は、日本軍の側に多くの誤解を生じさせる元となったのです。

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造②

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:11 投稿番号: [39048 / 41162]
南京入城に際し、新聞記者たちも同行

  南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
  アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
  また南京で実際にどのようなことがあったか、日本の当時の新聞を閲覧してみても、よくわかります。そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿などが、写真入りで解説されています。また、平和回復を知って南京に戻ってくる住民、中国の負傷兵を手当する日本の衛生兵たち、再び農地を耕し始めた農民たち、そのほか多くの写真が記事と共に掲載されています。
  それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と、日本兵たちの心と心の交流の姿なのです。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいっても、これらは到底「大虐殺」があったという都市の光景ではありません。

蒋介石は一度も「南京大虐殺」に言及せず

  中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人です。しかし彼は、日本軍が攻めてきたことを知ると、南京の防衛はさっさと部下にまかせて、南京を出てしまいました。そののち終戦に至るまで、蒋介石は中国人民向けに何百回ものラジオ演説を行なっています。ところが、その中で彼はただの一度も、「南京で大虐殺があった」等のことは言っていません。もし大虐殺があったのなら、これは非常に不自然なことです。蒋介石の認識の中にも「南京大虐殺」はなかったのです。

◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造①

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:11 投稿番号: [39047 / 41162]
1937年12月、日本軍は支那事変を終結させるため、南京へ侵攻。12月13日にそこを占領しました。いわゆる「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に数十万人単位の人間(市民や捕虜)が日本軍によって南京で虐殺されたとする説です。中国共産党が公式に述べてきたものとしては、その数30万人。中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられています。
  この「南京大虐殺」は、日本でも戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、そののち多くの人々を巻き込み、教科書にまで書かれ、日本人の「自虐史観」の根底に置かれてきました。しかし今日では、このような30万人もの大虐殺は実際にはなかったことが、多くの証拠によって明らかになっています。
  日本兵たちによるある程度の犯罪はありました。しかし、それはどこの国の軍隊にもある程度のものであり、むしろ南京での日本軍の活動をみてみると、非常に人道的なもののほうが多く目につきます。
  日本軍が南京を占領したとき、中国兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込みました。そのため日本軍は、掃討作戦を行なわなければなりませんでした。日本軍は彼らを見つけだしたとき、武器を隠し持っているなど特に反抗的な不法戦闘員数千名を処刑しました。国際法では、こうした不法戦闘員は「捕虜」としての扱いを受けることができず、処刑されても致し方ないとされているからです。こうした不法戦闘員の処刑が、誤って「捕虜の虐殺」と伝えられた面があります。
  また安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、日本軍になかなか捕まらず、民間人に化けて安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、それを日本兵のしわざに見せかけたり、あるいは被害者を脅迫して「日本兵が犯人」と言わせるなど、反日工作を繰り返していた者たちがいました。こうした反日工作により、あたかも日本兵が残虐の数々を繰り返していたかのように伝えられた面があります。
  そうした事情はありますが、いわゆる「南京大虐殺」はなかったのです。以下、その証拠をみてみましょう。

南京に戻ってきた住民

  南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。
  日本軍の南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表しています。そののち日本軍は12月13日に南京を占領しました。それから5日後、12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。また12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」に言及、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表しているのです。
  住民が戻ってきました。上智大学の渡部昇一教授によると、南京陥落から1ヶ月後に日本軍が約「25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っています。

Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

投稿者: tyousennokusoboke 投稿日時: 2012/03/02 00:04 投稿番号: [39046 / 41162]
あげ

在日fukagawatoheiは生活保護受給者

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/03/01 13:10 投稿番号: [39045 / 41162]
まず間違いない。ウイークデイに朝から晩までパソコンに取り付いている。

日本人から生活保護を受けながら、日本人を罵倒するだけの書き込みに血道を上げる。

在日とはそんなヤツラである。

<   在日fukagawatoheiの狂気の真の理由   >

在日同胞の婚姻状況(民団統計   2007年)

婚姻件数       8889
同胞間婚姻       847(   9.5%)
外国人との婚姻        (90.4%)
内日本人との婚姻    妻    (24.8%)
           夫    (63.0%)
          合計    (87.8%)
その他外国人         (   2.5%)

日本人と結婚する女性と結婚できない男性の比率が高いことを意味する。
ここ十年この傾向は変らない。

在日fukagawatohei狂気の真の理由はこれである。

従軍や南京で議論するのは無意味なのである。
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