南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/04 09:31 投稿番号: [39066 / 41162]
>私のような、政治や外交の門外漢に、一々対応しても、今はまだ具合が悪いのだろう、などと、思っています。
どうでしょうか。三歳の幼児が言うことでも正しいことは正しいのです。
南京の問題など私の知っている限りでも1970年代から議論されています。まだ印象的なのは渡部昇一の『日本史から見た日本人・昭和編』です。そこで彼は南京大虐殺は虚構だというようなことを言っています。
渡部昇一さんに直接問い合わせたらどうですか。彼は1930年生まれだから「ている」と「てゐる」についてそれなりの認識があるでしょう。
これは メッセージ 39063 (nan*ka*no*ima さん)への返信です.
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内閣告示
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/04 09:25 投稿番号: [39065 / 41162]
わしが文部省訓令と言ったのは間違いで、正しくは[昭和21年11月16日
内閣告示]である。[
]の中味を検索すると、松崎忠則が当時の政府に働
きかけて出させた内閣告示がいろいろ出てくる。松崎はこれが目標だったの
でなく、漢字廃止に進むための中途行動にすぎなかった。松崎が頃合を見計
らって、漢字廃止への第二歩へ進もうとしたところ、上記告示の内容が国民
と社会に定着して、動かせぬ物にになり、松坂の漢字廃止論が実現不可能に
なった。
松崎が昭和21年に提出した新仮名遣いは、松崎の最終目標でなかったか
ら、杜撰なものだったが、それが国民と社会に定着したので、かな遣いが混
乱し、かなづかいの間違いが多くなったのである。
これは メッセージ 39064 (unh*o さん)への返信です.
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/04 03:08 投稿番号: [39064 / 41162]
「お」と「を」、「は」と「わ」を混同している人は戦前には「めったに」
なかった。「先生がいます」と書く人は戦前は「絶対に」なかった。
松坂忠則(1902ー1985)という狂熱的な漢字廃止論者が、敗戦ショ
ックで日本人が腑抜けの状態にあった時期に、昭和21年文部省に働きかけ
て、ゐ、ゑを廃止し、歴史的かな遣いを廃止し、漢字を1850字に制限す
る訓令を出させた。松坂はそれが漢字全廃への途中のつもりだった。
松坂が時を見計らって、漢字廃止のための次の手段を打とうとしたとき、国
民や日本社会に文部省の昭和21年の訓令の内容が定着し、松坂が押しても
引いても動かなかった。かくて松坂の、漢字廃止の企図は失敗した。
その後パソコンの進歩、普及により、日本、中国、台湾で独自に漢字が増加
しつつある。
これは メッセージ 39061 (koregaka さん)への返信です.
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/03/03 23:15 投稿番号: [39063 / 41162]
私が南京事件に関わり始めたのは、2010年尖閣諸島での漁船衝突事件以降です。
それ以前の日本のマスコミの反応の仕方は、
あいにく圏外という感じでしかなかったので、よくわかりません。
今は随分静かだと思うのです。
河村名古屋市長を声高に攻撃しそうな気がするのですが、そうではない。
以前とは、空気が違うのではないでしょうか。
何が空気を変えたのか。
私は、きっと、原文書の精査に長じた人達が、調査に動いてくれたのだと思います。
その結果、確実に偽文書が多数あることがわかったのだと思います。
私のような、政治や外交の門外漢に、一々対応しても、今はまだ具合が悪いのだろう、
などと、思っています。
これは メッセージ 39058 (koregaka さん)への返信です.
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動かしがたい証拠は?
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/03/03 22:43 投稿番号: [39062 / 41162]
まだ出さないのかね共産支那(笑)
これは メッセージ 1 (ザ・スーパー・愛国者 さん)への返信です.
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/03 21:20 投稿番号: [39061 / 41162]
>絶対の決め手である。
「お」と「を」、「は」と「わ」を混同している人も結構いますし。私はちょっと疑問ですね。
ただし、あれだけの達筆で混同しているなら問題ですね。
これは メッセージ 39059 (unh*o さん)への返信です.
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大正七年制定国語読本始の8ページ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/03 21:20 投稿番号: [39060 / 41162]
ハナ
ハト
マメ
マス
ミノ
カサ
カラカサ
カラスガ
ヰマス。
スズメガ
ヰマス。
ウシガ
ヰマス。
ウマガ
ヰマス。
ウシトウマガ
ヰマス。
ハサミガ
アリマス。
モノサシガ
アリマス。
ヒノシモ
アリマス。
オミヤガ
アリマス。
オテラガ
アリマス。
ヤクバモ
アリマス。
イヌガ
ヰマス。
シロイイヌトクロイイヌガ
ヰマス。
オヤネコトコネコガ
ヰマス。
コネコガ二ヒキ
ヰマス。
戦後の評価によれば、大正七年制定の国語読本は戦前の国語読本のうちで
最も優秀である。わしは昭和5年に小学1年生となり、この教科書で勉強
した。
これは メッセージ 39059 (unh*o さん)への返信です.
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/03 19:16 投稿番号: [39059 / 41162]
>「ている」と「てゐる」だって絶対の決め手かどうか。
↑絶対の決め手である。戦前に日本人が書いた文書に「ている」は絶対にな
かった。「いる」ならあったが、それは「要る」をかな書きにしたものであ
る。「居る」のかな書きは必ず「ゐる」であった。
小学1年の国語読本に、動物(人を含めて)は必ず「ヰマス」と書け、植物
と無生物は「アリマス」と書けと教えた。これはたいへんわかりやすくて、
先生が小学1年生にに教えるに造作もなかった。
戦後の偽造書でも「先生がゐます」と器用に偽造したものがある。だから
「ゐます」があっても本物とは限らない。しかし○○が動物なら「○○が
います」が一つでもあればアウト、偽文書である。
これは メッセージ 39058 (koregaka さん)への返信です.
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/03/03 09:46 投稿番号: [39058 / 41162]
チャンネル桜からは返事がありましたか。水島さんの目に触れて無視ならあまり脈がないようですね。つまりあなたの妄想に近い。いくつか不審な箇所がありますがそれなりに説明がつくのでしょう。「ている」と「てゐる」だって絶対の決め手かどうか。
これは メッセージ 39022 (nan*ka*no*ima さん)への返信です.
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◆国旗国歌条例 「制定に賛成が89%」
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 21:07 投稿番号: [39057 / 41162]
【eアンケート】
国旗国歌条例
「制定に賛成が89%」
2011.6.30 22:00
「国旗国歌条例」について、7563人(男性6211人、女性1352人)から回答がありました。
「この条例制定に賛成か」については89%が「賛成」で、「『国旗国歌を否定するなら公務員を辞めればいい』との橋下徹府知事の発言に同意するか」という設問には、90%が「同意する」と答えています。「他の自治体でも同様の条例が必要だと思うか」については、86%が「必要だ」としています。
(1)この条例制定に賛成か
89%←YES
NO→11%
(2)「国旗国歌を否定するなら公務員を辞めればいい」との橋下徹府知事の発言に同意するか
90%←YES
NO→10%
(3)他の自治体でも同様の条例が必要だと思うか
86%←YES
NO→14%
公務員の当然の義務
大阪・男性会社員(41)「国際社会に通用する人材をつくるには、他国に対する敬意が必要。自国の国歌、国旗に敬意を払えない人間が、他国に敬意を持てるわけがない」
東京・男性公務員(36)「国民と国家に忠誠を誓うのは、公務員の当然の義務。国旗のデザインや国歌の歌詞に反感を覚えるかどうかは全く別の論題だ」
愛知・主婦(33)「国旗国歌を尊重し、国歌斉唱時に起立するのはどこの国でも当然であり、公務員であれば尚更だ。しかし、今の日本では、当たり前のことができていない以上、条例はやむを得ないと思う」
ベトナム在住・男性会社員(49)「海外では、その国の祭日や記念日には必ず国旗を掲揚して祝う。もし糾弾する人がいれば変人か他国民と思われるだけ。そんな当たり前のことができない現状に、危機感を持つべきだ」
東京・男性自営業(25)「大学生ならいざ知らず、未熟な子供に教師が自分の意見を提示しても、生徒は意見をためらい、経験の差で丸め込まれるだけ。子供が疑問を抱えたときに考えの幅を示すのが教育者の役割だ」
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/39057.html
◆民主国で国旗・国歌はどう扱われているか
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:52 投稿番号: [39056 / 41162]
民主的な考えが政治に採用されている国では,憲法などで学問・思想・言論などの自由が保障され,教育内容は,国家や宗教から独立しています.
そして学問的な真理に基づいた自由・中立なものでなければならないという考えが一般的です.
そのような国では,国旗に対して敬意を払う,国歌斉唱の時は起立脱帽が常識とされているのです.
日教組では,ごく一部の事件をことさら大きく取り上げ,アメリカがどうだのフランスがどうだのといいますが,実際はどうでしょうか.
(以下SAPIO1998年8月26日号・9月2日号より引用)
アメリカでは,小学校に入ったその日から,各教室に掲げられている国旗に対して,毎朝『プレッジ・アレージエンス』と呼ばれる忠誠の誓いの言葉を朗誦させられる.
アメリカの小学校入学者のための「ガイド・ブック」にも,次のような説明が必ずといっていいくらい載っている.
「我々の学校における国旗:アメリカの学校は,星条旗と同様にナショナルであることを忘れてはなりません.全米の学校に国旗がひるがえり,すべての教室に国旗が掲げられています.学校は国家と共にあり,国家は学校と共にあるのです.毎朝,始業の際に,全生徒が右手を左胸にあてて,厳かに“我は誓うアメリカ合衆国の旗に忠誠を尽くすことを・・・・・・”と声高らかに異口同音に朗唱することは,国民として最低限度の義務なのです」
ドイツでは,
「黒・赤・金」の三色に染め抜かれた国旗に対する強い執着を持っている.事実上の『憲法』である『基本法』の第22条にハッキリと国旗についての法的根拠を示し,これに反するいかなる冒涜行為も許さない厳しい空気が統一後のドイツにシッカリとタガをはめている.
フランス国民が自己のアイデンティティーを重要視することは,フランス語保護政策ひとつを見ても容易に理解できる.
幼児期からの徹底的な国旗・国歌教育も有名で,アルフォンス・ドーデの『最後の授業』(ドイツの侵略を前にした命がけのアイデンティティー保持授業)という小説などその典型的なものとして,今でも広く小学校の教材として使われている.
フランスばかりでなく,ドイツも,イタリアも,オランダも,ベルギーも,アイルランドも,ハンガリーも・・・・・,ヨーロッパのほとんどの国々が,それぞれの思いを込めて“三色旗”を国旗として崇敬するようになったのです.
また,多くの国では「国旗は国民統合のシンボルであり,魂である」という認識が強い.従って,各国国民は自国の旗を守ろうとし,物心両面からそれを傷つけようとするものに対しては集団的な制裁を加えようとする傾向が見られる.だから「行き過ぎてリンチ(私刑)など不測の事態を招いてはいけない」という,どちらかといえば侮辱する側を守る意味から,敢えて「法による規制」の網をかけている国も少なくはない.
ちなみに世界で100か国以上が憲法で国旗に関する規定を明記している.日本はこの規定がない例外的な先進国である.ところが外国国章損壊罪(刑法92条)はある.
「外国に対し侮辱を加うる目的を以て其国の国旗其の他の国章を損壊,除去又は汚穢したる者は2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処す但外国政府の請求を待て其罪を論す」
つまり,日本は外国旗を燃やせば罰することができるが,日の丸を燃やしても罰せられない,という奇妙な国だといえる.
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑨
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:30 投稿番号: [39055 / 41162]
都新聞の小池秋羊記者は、こう述べています。「食糧がなく飢餓状態で、食糧をくれ、とわれわれにすがりつく人もいました。私たちの宿舎には発見された米が何俵もありましたので、難民区のリーダーを宿舎に連れていき、米や副食品などを大八車二台分やりました」
南京の病院で勤務していたアメリカ人、ジェームズ・マッカラム医師は1937年12月29日の日記にこう書いています。「(安全区に入ってきた日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本兵がいました。私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました」(東京裁判
速記録210)
さらに、こう書いています。「12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横断して集まるのを目撃しました。あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を携帯して帰って来ました」。「日本人の善行を一つ報告しなければならない。とても気持ちのよい日本人が最近病院にやってきた。彼らに患者の食料の不足を告げたところ、きょう、百斤の豆と牛肉を持ってきてくれた。この一ヵ月というもの肉は食べられなかったので、この贈り物は大歓迎だ。他に欲しいものはないかと言ってくれた」(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p263)
また南京戦により、12月13日の南京陥落からしばらくは、南京市街は水道も電気もとまり、夜は真っ暗といった状態でした。しかし翌年1月元旦から南京全市に、電燈がともり、水道がよみがえりました。1938年1月3日付の朝日新聞によると、電気については日本人技術将校以下80名と中国人電工70名の協力、また水道も同様に150名の編成で、不眠不休で取り組んだ結果であるといいます。また1月3日には、多くの南京市民が日の丸と中国の五色旗を振り、市街で「南京自治政府」(リーダーは中国人)の発足を祝っています。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑧
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:29 投稿番号: [39054 / 41162]
市民・捕虜と日本兵の交流・温情
南京を占領した日本兵たちの、市民や捕虜に対する態度は実際はどのようなものだったのでしょうか。以下は彼らの証言です。
「敵の大軍は、わが軍のために完全に撃破されました。見れば、幾十となく敵の死体がころがっております。中にはまだ虫の息でうねっておる者さえおります。これを見られた隊長が、『苦しいか、今、薬をやるぞ』と何かやられますと、一兵士は目を開けて、『水、水』と、かすれた声で哀願しました。誰かが水を飲ませてやりますと、両手を合わせ涙をたたえ、『謝、謝』(シェーシェー)と伏し拝みました。……今までにわが中隊では幾十人となく、敵兵を救い、郷里に帰してやりました。その中には中隊のために骨身を惜しまず、弾丸下もものともせず、じつに勇敢によく働いた者もたくさんあります。そして彼らが郷里に送り帰される時は、別れを惜しんで泣いて別れるのでした」(歩兵第47連隊:大分
第2中隊
伍長S・S)(『1937南京攻略戦の真実p.165)
「(南京への途上)露営のとき、私は道路の警戒を命ぜられました。特に監視すべき方向はこの方向と道路上をさすと、指したところに忽然と姑娘が現われて、窈窕(ようちょう)たる姿態が楚々(そそ)として、この方に来るじゃありませんか。誰だって面食らいます。……『日本の兵隊さんね』、流暢な日本語なんです。年の頃27、8、聞いてみると、上海から逃げてきたけれど、皆殺されたり、はぐれたりして、これは支那軍のほうにいると危ないと思い、やってきたという。
『日本語はどこで覚えた』と聞くと、『長崎に4年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた』と言います。……いろいろ調べられるけれども、くさいところは無いらしい。ちょうど中隊に通訳がいなくて何かと不自由していたこととて、通訳代わりに使うことにしましたが、炊事をさせると日本人の味の好みを心得て、乙なところをみせる。所帯慣れしているから、兵隊に程良く愛嬌を振りまく。皆で大切にしたものです。
ときには宵待草(よいまちぐさ)や、荒城の月を聞かせてくれました。毎日の行軍も宿営も楽しみでした。……しかし、南京へ南京への猛追撃に、我々に伍して行けるはずがない。中隊長殿が見かねて上海の方へ帰されたが、その日の行軍のけだるいこと、道の遠いこと、足の重いこと、皆考え込んでしまっていました。
『おい、きついなあ』『うん』。返事も上っすべり。誰かが思い出し風に、『変なこと言いっこなしよ、皆兄弟じゃないか』と彼女の口真似をすれば、とたんに爆笑がわいたものです」(歩兵第13連隊:熊本
第11中隊
歩兵曹長K・S)(同p.190-192)
「私が洗面していると、前にきて頭をぴょこんと下げ、『兵隊さん、おやよう』とはっきりした日本語で、支那人から挨拶されました。不審に思ってよく聞くと、『大阪に18年間いました』という。……(彼の相談に乗ってあげると)彼は一時間ばかりして喜んで戻ってきました。そして言うことには、『家族も安心しました。長男が27歳になっていますが、長男も日本語が上手に話せます。皆の者に「日本軍が来たからもう安心しておれ」と、言ってきました』と、いかにも落ち着いたものです。齢は50歳くらいでしたが、達者な男で、南京攻撃、安慶上陸から漢口攻略まで、1年3ヶ月の間、日本軍のため忠実につとめ、大きな功績を残して行きました」(第2野戦病院
T・Y)(同)
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑦
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:29 投稿番号: [39053 / 41162]
日本兵による悪事の証言の信憑性
ところで、日本兵たちの犯した犯罪について、虐殺肯定派がしばしば引用するのが、松岡 環著『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』です。この本には、日本兵が中国で犯してきたという数々の非道な行ないが、102名の元・兵士の証言の形で書かれています。しかしこの本に関し、亜細亜大学の東中野修道教授はこう批判しています。
「百二名の兵士はみな『匿名』『仮名』なのである。……誰が証言内容に責任を持つのか。証言内容が真実かどうか第三者的に検証できないようでは、客観的報道、客観的記録とは言いがたい。……百歩譲って『証言』が事実だとしても、彼らの多くは憲兵の目を逃れて軍紀違反の違法行為を繰り返しながら処罰を免れてきた悪運強き戦争犯罪人でしかなかったことを明らかにしただけなのである」(『諸君』平成十四年十一月号)。
また歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平氏は、この本をこう評しています。
「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。まともな話をする人には行かないようです。確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」(「正論」平成14(2002)年11月号
阿羅健一著「南京戦・元兵士102人の証言」のデタラメさ)
また、アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約10日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べています(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。ところが、竹本忠雄教授(筑波大学)、大原康男教授(国学院大学)によれば、彼の所属する部隊は陥落2日後の12月15日には南京から転進していて、この人物が10日間も南京に残留したはずがありません。実際彼自身、のちに取材に応じて「記者が何かおもしろいことはないかと聞いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定しています。
また曽根一夫という人物は「手記」を出版し、そのなかで南京戦と南京陥落後の虐殺事件の実行と、目撃談を書いている(『続・私記南京虐殺』など)。しかし、この人物は手記のなかで自らを歩兵の分隊長と称しているが、実際は砲兵の初年兵でした。また、入城式には彼の属する部隊の一部が参加しただけで、部隊そのものは南京城内に入ってもいません。従って、彼が書いているような虐殺を南京やその近郊で見ることも実行することも不可能であったのです。南京戦中、行動をともにした戦友もそうした虐殺行為を目撃・実行することはあり得ないと証言しています。つまり、曽根の「手記」そのものがまったくの創作だったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑥
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:28 投稿番号: [39052 / 41162]
虐殺はなかったとする証言
当時の南京を実際に知る多くの人々は、南京で「虐殺はなかった」と証言しています。
たとえば、南京の日本大使館で働いていた外交官補の福田篤泰(ふくだ・とくやす)氏は、日本軍による南京占領の当時を振り返って、こう語っています。「日本軍に悪いところがあったことも事実である。しかし20万、30万の虐殺はおろか千単位の虐殺も絶対にない。……いわば衆人環視の中である。そんなこと(虐殺)などしたら、それこそ大問題だ。絶対にウソである。宣伝謀略である」(田中正明『南京虐殺の虚構』35-37頁)
日本軍と共に南京に入った東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンは、こう語っています。「私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たことがなければ、兵隊から聞いたこともありません。虐殺があったなんて、あり得ないことです。死体はたくさん見ています。敗残兵がたくさんいましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したことはあるでしょう。しかしそれは、南京へ行く途中、クリークで何度も見ている死体と同じですよ」(阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』p.42)
東京日日新聞の佐藤振寿カメラマンも、こう語っています。「虐殺は見ていません。12月16、7日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集ってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません」(同p.53)
福岡日日新聞の三苫(みとま)幹之介記者には、お嬢さんが一人おり、南京には家族で赴任していたので、お嬢さんは1年生から5年生まで南京の日本人小学校に通っていました。彼女に南京大虐殺のことを来てみると、こういう答えでした。「そんな話は全然聞いたことがありません。あちらでは近所の支那人の子供ともよく遊びましたが、彼らからもそのような噂すら聞きませんでした」(同p.138-141)
歩兵第13連隊(熊本)第4中隊のU中尉はこう語っています。「抗州湾上陸以来、私は(中国の)女たちが、墨や油や泥を顔や手足に塗り、ことさらに臭気を放つようなボロをまとって、わが軍の入城を迎えるのを知っております。彼女らは、なるべく醜悪に見えるように努めていました。……日本の兵隊は支那の軍閥の兵隊とは全然素質が違うのだ、ということが了解できると、それから徐々に生地を出し始める。黒い顔が白くなり、汚い服がきれいな服に変わるのであります。南京の難民地区でも、私はやはりそうした女の移り変わる姿を見ることができました」(東中野修道『1937南京攻略戦の真実』p.124)
南京攻略戦に参加した野砲兵第22連隊長・三国直福大佐は、こう証言しています。「昭和13年8月にまた南京に戻ってきました。この時も虐殺があったという話は聞いていません。もう日本人の商人もたくさん来ていました。南京の街は朗らかでした。町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありませんでした」
第十軍参謀・谷田勇(たにだ・いさむ)大佐は、こう証言しています。「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。したがって課長以下、日中官民と接触して、これを理解し、かつ中支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはななだ多くなっていった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/39052.html
◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑤
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:13 投稿番号: [39051 / 41162]
捕虜は虐殺されなかった
一方、虐殺肯定派がよく引用するものに、第16師団長・中島今朝吾(なかじま・けさご)の日記があります。とくに12月13日に捕虜にした7000〜8000人の中国兵についての次の記述です。
「この7000〜8000人、これを片づけるには相当大きな壕がいるが、なかなか見当たらない。一案として100人、200人などに分割してのち、適当な箇所に誘って処理する予定だ」(現代文に修正)
つまり、この大量の捕虜を殺害して壕に埋めてしまおう、という処理予定を考えたともとれる内容です。当時はたしかに、ただでさえ食糧の調達など大変でしたから、このような大量の捕虜を一体どうしたらいいのか、ということは確かに大問題でした。それで、中にはこうした考えを持つ者もいたようです。
けれども、中島日記をみても、彼ら捕虜を実際に殺害したという記述はありません。また当時の日本軍の記録をみると、この7000〜8000人の捕虜は結局殺害されず、捕虜収容所に送られたことがわかるのです。当時の膨大な資料の集大成である『南京戦史』(偕行社)は、様々な資料を引用し、こう結論しています。
「これらを総合すると、堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことは明らかである」(P324)
また資料によれば、当時南京の捕虜収容所は、これら7200人の捕虜を含む、計1万人ほどの捕虜を受け入れたとなっています。彼らの多くは、そののち釈放され、故郷に帰されました。あるいは苦力(クーリー)として労役に雇われた者も多く、また後に上海の捕虜収容所に移送された者もいました。
さらに、そのうち約2000名は、のちに汪兆銘の親日政権の南京政府軍に編入されました。その中に、劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将もいました。彼は南京安全区に潜んでいたところを摘発され、しばらく苦力として使われていましたが、1940年に南京に成立した汪兆銘政府において和平救国軍の軍長となった人です。
また中島今朝吾・師団長の言葉の中に「大体捕虜はせぬ方針なれば」というのがあったことが、よく指摘されます。実際、大量の捕虜をかかえこむことは大変なだけですから、捕虜は少ないほうがいいわけですが、「捕虜はせぬ方針」について、大西 一 参謀はこう述べています。
「それは、銃器を取りあげ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」 (「正論」61.5 阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)
さらに大西参謀は軍命令、師団命令で捕虜殺害命令など絶対に出ていない、と断言しています。資料をみても、捕虜殺害の記録はありません。また支那事変当時の日本の新聞にも、釈放されて故郷に帰る中国兵たちが荷物を持ち、ニコニコ顔で写真におさまっている姿などが載っています。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造④
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:12 投稿番号: [39050 / 41162]
もう少し中国兵の行動をみてみましょう。
日本軍が南京に達する以前に、蒋介石は、すでに早々と南京から脱出していました。また南京防衛をまかされた唐生智将軍も、敗北色濃くなったとき、敵前逃亡して南京から出てしまいました。残された中国兵らには混乱が走りましたが、敗戦が決定的となったとき、中国兵らには3つの選択肢がありました。
一つは、降伏することです。降伏すれば「捕虜」として扱われることになります。
二つ目は、南京から逃げ出すことです。そのとき、日本軍に殺されるかもしれません。また中国には、「督戦隊」というものがありました。これは戦いを督促する中国人部隊で、背後にいて、戦場から逃げ出す中国兵を見つけると撃ち殺す兵士たちなのです。逃げる中国兵を撃ち殺す中国兵です。そんな非人間的な部隊が、中国にはありました。ですから、南京から逃げ出そうものなら、彼らに撃ち殺されるかもしれません。
実際に、中国督戦隊に撃ち殺された中国兵たちが多くいました。ダーディン記者は、南京城壁の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を形成していた中国兵の死体を目撃しています。これは日本軍が殺した中国兵ではなく、中国督戦隊に殺された中国兵だったのです。なぜならダーディン記者は戦後、こう語っています。
「これは、この門から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(1987年8月14日のインタビュー、質問者は笠原十九司、伊原陽子。『南京事件資料集
アメリカ関係資料編』P571
青木書店)
つまり、それは中国督戦隊によって殺された中国兵らの死骸だったのです。
そして中国兵に残された三つ目の道は、軍服を脱ぎ捨て、民間人に扮して、安全区の中に身を隠すことでした。少なからぬ兵士たちがこの道を選びました。
そのため日本軍は、南京占領後、この民間人に扮した中国兵たちの掃討作戦を行ないました。そして次々に摘発しましたが、武器を隠し持っているなど危険な中国兵たちは、発見されると、処刑されました。市街戦の準備とみなされたのです。その数は数千人に達しました。
問題は、これが国際法上、合法か否かです。しかし、こうした不法な戦闘員の処刑はどこの国でも慣習的に行なわれていたことであり、また「ハーグ陸戦法規」(1907年)にも定められていたことで、明らかに合法的でした。つまり、兵士は明確に兵士とわかるよう軍服を着用しなければならず、また武器は隠さず公然と携帯しなければならないのです。
その法規を守らなければ、捕らえられても「捕虜」としての保護は受けられません。法を守らない者は、法の保護を受けられないのです。彼らは「不法戦闘員」として扱われ、処刑されても仕方ないというのが国際法上の理解でした。こうした点で、数千人の「不法戦闘員」の処刑は、「捕虜の処刑」でも「捕虜の虐殺」でもなく、合法的なものだったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:12 投稿番号: [39049 / 41162]
軍服を脱ぎ捨て民間人に化けた中国兵たち
捕虜の虐殺はあったか、という問題について見てみましょう。
この問題をみるために、まず、中国兵とはどんな兵士たちだったか、についてみてみたいと思います。中国兵は、じつは国際法感覚のほとんどない兵士たちでした。
多くの日本兵たちが「軍服を着ていない中国兵」たちを目撃しています。
たとえば橋本以行(はしもと・もちつら)氏は、南京攻略戦の最中、揚子江岸で見た中国兵たちについて、「小銃や機銃を大事に携行していても、正規兵の服装をした者は一人も見当たらない」(証言による『南京戦史』10、130頁)と語っています。また彼ら揚子江岸の中国兵らは、降伏勧告にも応えず、戦闘を続けたので、日本軍は攻撃を続行。中国兵はジャンク舟に乗って逃げようともしましたが、多くは溺死し、遺体は下流の揚子江岸にうち上げられました。
その写真が残っていますが、この写真がのちに虐殺肯定派の人々によって「南京大虐殺の証拠写真」として使われました。しかしそれは戦死体だったのです。
また南京の城壁内で、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、「軍服を一斉に脱ぎ捨てる中国兵たち」に出くわしています。
「私は一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。多くの兵士は下関へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。小路に走りこんで便衣(民間人の普通の服)に着替えてくる者もあった。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」(ニューヨーク・タイムズ
1937年12月22日付)
また南京陥落後、南京城壁内へ入った日本兵たちもみな、この「脱ぎ捨てられた中国兵の軍服」が街路の至るところに散乱しているのを目撃しています。彼ら中国兵は、民間人になりすますために、軍服を脱ぎ捨て、民間人の服に着替えたのです。民間人の服を盗む者もいれば、民間人を撃ち殺して衣服をはぎ取る者も多くいました(南京のジェームズ・エスピー副領事の報告)。
このように軍服を脱ぎ捨てて民間人に扮した中国兵が死んだとき、その死体は、死体だけを見た者には「民間人の虐殺死体」に見えたでしょう。ですから、こうした中国兵の行動は、日本軍の側に多くの誤解を生じさせる元となったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:11 投稿番号: [39048 / 41162]
南京入城に際し、新聞記者たちも同行
南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
また南京で実際にどのようなことがあったか、日本の当時の新聞を閲覧してみても、よくわかります。そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿などが、写真入りで解説されています。また、平和回復を知って南京に戻ってくる住民、中国の負傷兵を手当する日本の衛生兵たち、再び農地を耕し始めた農民たち、そのほか多くの写真が記事と共に掲載されています。
それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と、日本兵たちの心と心の交流の姿なのです。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいっても、これらは到底「大虐殺」があったという都市の光景ではありません。
蒋介石は一度も「南京大虐殺」に言及せず
中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人です。しかし彼は、日本軍が攻めてきたことを知ると、南京の防衛はさっさと部下にまかせて、南京を出てしまいました。そののち終戦に至るまで、蒋介石は中国人民向けに何百回ものラジオ演説を行なっています。ところが、その中で彼はただの一度も、「南京で大虐殺があった」等のことは言っていません。もし大虐殺があったのなら、これは非常に不自然なことです。蒋介石の認識の中にも「南京大虐殺」はなかったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造①
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/03/02 20:11 投稿番号: [39047 / 41162]
1937年12月、日本軍は支那事変を終結させるため、南京へ侵攻。12月13日にそこを占領しました。いわゆる「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に数十万人単位の人間(市民や捕虜)が日本軍によって南京で虐殺されたとする説です。中国共産党が公式に述べてきたものとしては、その数30万人。中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられています。
この「南京大虐殺」は、日本でも戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、そののち多くの人々を巻き込み、教科書にまで書かれ、日本人の「自虐史観」の根底に置かれてきました。しかし今日では、このような30万人もの大虐殺は実際にはなかったことが、多くの証拠によって明らかになっています。
日本兵たちによるある程度の犯罪はありました。しかし、それはどこの国の軍隊にもある程度のものであり、むしろ南京での日本軍の活動をみてみると、非常に人道的なもののほうが多く目につきます。
日本軍が南京を占領したとき、中国兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込みました。そのため日本軍は、掃討作戦を行なわなければなりませんでした。日本軍は彼らを見つけだしたとき、武器を隠し持っているなど特に反抗的な不法戦闘員数千名を処刑しました。国際法では、こうした不法戦闘員は「捕虜」としての扱いを受けることができず、処刑されても致し方ないとされているからです。こうした不法戦闘員の処刑が、誤って「捕虜の虐殺」と伝えられた面があります。
また安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、日本軍になかなか捕まらず、民間人に化けて安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、それを日本兵のしわざに見せかけたり、あるいは被害者を脅迫して「日本兵が犯人」と言わせるなど、反日工作を繰り返していた者たちがいました。こうした反日工作により、あたかも日本兵が残虐の数々を繰り返していたかのように伝えられた面があります。
そうした事情はありますが、いわゆる「南京大虐殺」はなかったのです。以下、その証拠をみてみましょう。
南京に戻ってきた住民
南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。
日本軍の南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表しています。そののち日本軍は12月13日に南京を占領しました。それから5日後、12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。また12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」に言及、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表しているのです。
住民が戻ってきました。上智大学の渡部昇一教授によると、南京陥落から1ヶ月後に日本軍が約「25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っています。
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Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿者: tyousennokusoboke 投稿日時: 2012/03/02 00:04 投稿番号: [39046 / 41162]
あげ
これは メッセージ 1 (ザ・スーパー・愛国者 さん)への返信です.
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在日fukagawatoheiは生活保護受給者
投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2012/03/01 13:10 投稿番号: [39045 / 41162]
まず間違いない。ウイークデイに朝から晩までパソコンに取り付いている。
日本人から生活保護を受けながら、日本人を罵倒するだけの書き込みに血道を上げる。
在日とはそんなヤツラである。
<
在日fukagawatoheiの狂気の真の理由
>
在日同胞の婚姻状況(民団統計
2007年)
婚姻件数
8889
同胞間婚姻
847(
9.5%)
外国人との婚姻
(90.4%)
内日本人との婚姻
妻
(24.8%)
夫
(63.0%)
合計
(87.8%)
その他外国人
(
2.5%)
日本人と結婚する女性と結婚できない男性の比率が高いことを意味する。
ここ十年この傾向は変らない。
在日fukagawatohei狂気の真の理由はこれである。
従軍や南京で議論するのは無意味なのである。
これは メッセージ 39041 (fuk*g*wa*ohei さん)への返信です.
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誹謗しかできない阿呆
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/03/01 12:41 投稿番号: [39044 / 41162]
こういうのを人間の屑と言う。
もともと屑だが(笑)
これは メッセージ 1 (ザ・スーパー・愛国者 さん)への返信です.
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Re: 英雄田中軍吉氏の300人斬り
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/01 12:39 投稿番号: [39043 / 41162]
君は聡明ではないようだね、聡明な遺族を晒し者にしているよ、脳死寸前だね。
これは メッセージ 39042 (fuk*g*wa*ohei さん)への返信です.
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英雄田中軍吉氏の300人斬り
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/01 11:29 投稿番号: [39042 / 41162]
(wiki参照)
田中軍吉は、映画監督の亀井文夫の知人とかで、東宝映画『戦ふ兵隊』に出演しています。
『戦ふ兵隊』は問題視され、戦前には公開されませんでしたが、『皇兵』の巻頭写真には映画のスチールが掲載されています。また、映画では肉声も聞くことが出来ます。
ある本によりますと、田中軍吉は戦後になって、店頭に本人が中国で捕虜を斬殺している写真を飾っていたところ、GHQに知られ戦犯となったとあります。
裁判では2枚の写真が証拠となりましたが、1枚は斬首の瞬間、もう一枚は、「右手上段」に日本刀を振り上げている写真です。写真の人物が本人であることは認めたと判決文にあります。
なお、「百人斬り競争」裁判の原告支援者によりますと、田中軍吉の遺族にも訴訟へ参加するように勧めたが断られたとのことです。
(無用な恥をさらすことを避けた、田中氏の遺族は聡明です。)
これは メッセージ 1 (ザ・スーパー・愛国者 さん)への返信です.
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へたれバカ市長反省
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/03/01 11:08 投稿番号: [39041 / 41162]
名古屋市の河村たかし市長が、南京事件を否定した自身の発言について「礼儀を欠いた」と関係者に反省の言葉を漏らしていることが24日、
分かった。
27日の定例記者会見で、発言について遺憾の意を示す方向で検討している模様だ。
ただ、発言の撤回はしない方針で、事態収拾につながるかは微妙だ。
河村市長は24日、記者団に「市民に迷惑がかかるのは心が痛む。市民の生活を守るのが市長の責任」と発言の影響拡大への懸念を表明した。
関係者によると、中国で発言への批判が高まっていることについて、河村市長は当初は静観する構えだった。
しかし、24日に中国主要メディアで報道されたことから、戸惑いを見せ始めたという。
南京市にいる日本人に悪影響が出たり、名古屋市への中国人観光客減少などに波及する可能性について市長は周囲に相談。
「名古屋市役所を表敬訪問した南京市幹部に自分の意見を話したのは礼儀を欠いた行為だった」と述べたという。【三木幸治、福島祥】
Yahoo!ニュース
毎日新聞 2月25日(土)2時31分配信
〔反省ならサルでもできるわ(嘲笑)〕
これは メッセージ 1 (ザ・スーパー・愛国者 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/39041.html
Re: 公人は『歴史認識はしっかり』すべき(
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/01 08:58 投稿番号: [39040 / 41162]
名古屋の市長は当然のことを言ったまで。
一般国民に資料が在ることを隠そうとする、左傾(中国贔屓)の国会議員が居ることが許せないですね。
日本の立場は正確な資料を元にすれば、自ずと南京事件などは夢想に過ぎないと云うことが鮮明になる。
和田罪の様に史実を語る正式な書類を無視し、胡散臭い伝聞を史実とする様な、日本の犯罪を捏造することに加担することは許されることでは無い。
南方の食糧問題に関しても和田罪の嘘が鮮明となった。
南京虐殺に関しても、正確な資料を出すことが出来ず、単に伝聞、兵士の捏造された似非日記、等を元にするしか無く、何等史実を説明することが出来ず、常に抽象的感情的説明しか出来ない。
これは メッセージ 39026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 中国製の偽造日記
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/03/01 08:51 投稿番号: [39039 / 41162]
日記と公文書の比較というのは、日記に書かれた事件(イベント)が実際軍の命令で行われたか、軍は実際其の場所に兵を派遣したのか、等々のことを比較することです。
是等の比較により無かったこと、在ったこと、勘違い、情報の乱れが明らかになるんです。
先日入手した兵隊日記は当時の軍の資料とも合っています。
書体に関しては、出征当初は比較的丁寧に書かれていますが、戦地に於いてはすごく簡略化されていますね、然し良く軍の資料とは合致します。
これは メッセージ 39025 (nan*ka*no*ima さん)への返信です.
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Re: 「君が代」裁判の判決をうけて思うこと
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/03/01 01:00 投稿番号: [39038 / 41162]
>「君が代」については、大日本帝国憲法下の歴史的経緯に照らし
歴史的経緯どうこうなら大日本帝国憲法の改正したものが今の日本国憲法つまりはもと同じだと。
>憲法上の保護を
受ける。
受けるかどうか別にして社会人として雇用契約を結んでいる以上、上司に言われたことに従う義務があるのだがね。
>論を待たない
それ以前にただの給料泥棒であることは論を待たない
>思想信条の自由、内心の自由を
尊重することこそ、
民主主義の要諦であることを、心底から訴えたい
と思う。
そういうのは国や公的機関が保障して初めて実現できるものなのだが。ましてその国や公的機関から給料もらっている人間が上司の言うことを無視し、しかも式典などで他者にまで迷惑をかけるのはすでに自由ではなく単なるわがままでありその区別もつかない輩に自由のなんたるかを語る資格はありませんが。
これは メッセージ 39029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 公人は『歴史認識はしっかり』すべき(
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/02/29 23:49 投稿番号: [39037 / 41162]
南京事件関連のこれまでの研究者は、
歴史学の基本を知らないようです。
これは メッセージ 39028 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 公人は『歴史認識はしっかり』すべき(
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/02/29 23:46 投稿番号: [39036 / 41162]
我が国の、南京事件に関する代表的な研究者たちが、
その研究法において、
誰の目にも明らかな矛盾を含んだやり方をしていたことがわかった場合、
なぜそのようなことをするのか、と、研究者たちの思考背景が気になります。
これまでの研究者たちへの信頼は、土台から崩されることになるのではありませんか?
その研究者たちの成果を土台にして表明した政府公式見解については、
日本政府も、再検討するのは当然だと思います。
私達のこれまでの認識も、再検討せざるを得ないのではないでしょうか。
どうして、これらの研究者たちの研究成果を元にして、
今まで通りに考えなければならないのでしょう。
それよりも、これまでの研究者たちが省略した研究作業について、
早急に検討し直し、
また、その作業の信頼性の確保のために、
あらゆる努力を払うことが、
非常に大切なことではないでしょうか。
これは メッセージ 39027 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 公人は『歴史認識はしっかり』すべき(
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/02/29 22:53 投稿番号: [39035 / 41162]
テレビはBSの録画中心にしか見ないので、よくわからないのかもしれませんが、
テレビでこの問題を積極的に取り上げて、論じていた番組って、ありましたか?
南京大虐殺事件は、書き手が、
1、日記類、2、米軍返却の資料、
この二つを、証拠物件として、そのまま使った結果ばかりです。
1と2が、本当に本物かどうか、という判定作業は、全くなされておりません。
研究者たちは、
検閲が非常に厳しく、南京虐殺の情報は日本へは入ってこなかった、
と強調しますが、
南京虐殺の証言日記は、検閲をくぐりぬけたことになっています。
そしてどの研究者も、どうやって持ち込んだか、という疑問には、
見事に口をつぐんでいます。
これを研究と言うなら、そのやり方自体が、完全に矛盾を含んでいます。
秦郁彦氏、藤原彰氏、笠原十九司氏、吉田裕氏、本多勝一氏、小野賢二氏、
どうして誰も何も言ってこなかったのでしょう?
これは メッセージ 39026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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動かしがたい証拠がある
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/02/29 22:51 投稿番号: [39034 / 41162]
>中国外務省の洪磊副報道局長は20日、「南京大虐殺には動かしがたい証拠がある」
どんな証拠だろう。楽しみだな。
wadatumi_voice21やshoujoujiは当然証拠を出してくれと働きかけるよな(笑)
これは メッセージ 1 (ザ・スーパー・愛国者 さん)への返信です.
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Re: 「君が代」裁判の判決をうけて思うこと
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/02/29 22:39 投稿番号: [39033 / 41162]
こういう馬鹿が出るのを最高裁判決は危惧されていた。
職務命令は合憲で違反すれは戒告は当然との判断が確定した。
即ち今後も違反すれば処罰されるのは当然と言う事だ。
不起立以上の愚行を繰り返した阿呆は戒告以上の処分が認められたろうが。
不起立だけでは戒告以上は出せないが、
それ以上の事をやれば戒告以上の処分を出しても構わないと言う事。
(行為と処分のバランスと言う課題はあるが)
大阪市の条例案はその辺りをちゃんと踏まえている。
残念だったな。
これは メッセージ 39029 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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追記だ
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/02/29 22:32 投稿番号: [39032 / 41162]
共産支那は河村氏の発言の直後に「絶対的な証拠」があると言っていたな。
ぐだぐだつまらない事を書いてないでさっさと出して貰え。
そうすれば馬鹿みたいな連続投稿する必要もなくなるかも知れないぞ(嘲笑)
これは メッセージ 39026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 公人は『歴史認識はしっかり』すべき(
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/02/29 22:28 投稿番号: [39031 / 41162]
相変わらず阿呆だなお前は。
「南京大虐殺」なんてのは共産支那にとっての政治的ドグマなんだよ。
>日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計が
ある」
河村氏の発言は全然外れていないな。
二万人とすればほぼ全てが戦闘の犠牲者だ。
共産支那が主張する「南京大虐殺」の定義を理解してから書け。
これは メッセージ 39026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 公人は『歴史認識はしっかり』すべき(
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/02/29 22:12 投稿番号: [39030 / 41162]
シナ人が日本人の一般人を極悪なる虐殺を行った事は、全くの無視。
我が罪だけを悔やんでいれば宜しかろう〜。
何ら、有る有る詐欺の如く、証明すら出来ない南京大虐殺に何時までも謝罪当り前の、クズな日本人?でっか〜。
これは メッセージ 39026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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「君が代」裁判の判決をうけて思うこと
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/29 22:07 投稿番号: [39029 / 41162]
先月16日、最高裁判所
第一小法廷は、東京都内の教諭ら
約170人が、入学式などの
国歌斉唱の際に
起立斉唱、
あるいは伴奏を命じる校長の命令に従わなかったことを理由に
停職、減給などの処分の取消し及び国家賠償を求めた訴訟の
上告審判決で、職務命令は
憲法19条に違反しないことを
前提としつつ、「減給や停職には過去の処分歴や本人の態度に
照らして慎重な考慮が必要」
であるとの判断を示した。
その上で、停職の2人のうち1人と減給の1人の処分を取り消し、
一方で
「学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は
裁量権の範囲内」
とも判断し、戒告を受けた
教諭らの処分を
取り消した2審判決を破棄し、逆転敗訴とした。
「君が代」については、大日本帝国憲法下の歴史的経緯に照らし、
起立・斉唱・伴奏に抵抗があると考える国民が少なからず存在する。
当然ながら
こうした考え方も
憲法上の保護を
受ける。
「君が代」の起立・斉唱・伴奏行為は
日の丸・君が代に対する
敬意の表明を
その不可分の目的
とするものであるから、
卒業式等で
これらの行為を
命令で強制することは、
思想・良心の自由を
侵害するものであることは
論を待たない。
したがって、今回の判決が
戒告処分を
容認した点は
批判されるべきものだが、過去の不起立などによる処分の
累積で
停職、減給とされた
合計2人について
「処分は重過ぎて社会観念上著しく妥当性を欠く」
として
取り消した点は、注目されるべきだろう。
この判決は、不起立等の行為が
教員個人の歴史観
ないし
世界観等に由来するものにとどまり、式典の積極的な妨害に
及ばない場合は、戒告処分が累積しても
より重い減給以上の
処分を選択するのは違法である
との判断を示したものであり、
「君が代」
不起立に対する
処分の濫用に
一定の歯止めを
かけたもの
と評価し得る。
この点について、判決に補足意見を付した櫻井龍子裁判官は、
起立斉唱することに
自らの歴史観・世界観との間で
強い葛藤を感じる職員が、式典のたびに
不起立を
繰り返すことで
処分が加重され不利益が増していくと、
「自らの信条に忠実であればあるほど心理的に追い込まれ、
上記の不利益の増大を受忍するか、自らの信条を捨てるか
の選択を迫られる状態に置かれる」
として、このように
過酷な結果を
職員個人にもたらす
懲戒処分の加重量定は
法の許容する懲戒権の範囲を逸脱すると厳しく批判している。
大阪では、橋下市長が市議会に提案していた
市立学校の行事で
教職員に「君が代」の起立斉唱を義務付ける条例案について、
「大阪維新の会」と自民・公明党は昨日、一部修正で合意した。
市議会は
3党で
過半数を超えている。
条例案は
昨年6月、府議会の「維新」過半数で強行された
「君が代」起立強制条例と
同様の内容であり、
憲法19条で保障された「思想・良心の自由」を侵害する暴挙だ。
改めて、東京都、立川市及び
大阪市を含め、
広く
教育行政担当者に対し、教職員に
君が代斉唱の際の
起立・斉唱・伴奏を含め
「国歌」を強制することのないよう
強く望みたい。
思想信条の自由、内心の自由を
尊重することこそ、
民主主義の要諦であることを、心底から訴えたい
と思う。
これは メッセージ 39028 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/39029.html
公人は『歴史認識はしっかり』すべき(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/29 22:06 投稿番号: [39028 / 41162]
河村名古屋市長は
会見で、「南京事件はなかったのではないか」との
発言が、「南京大虐殺はなかったという持論を展開」
と報道されて、
「報道により南京では何もなかったように誤解された」
と釈明した。
そのうえで、「30万人とされるような
組織的な大虐殺は
なかった
のではないか
という趣旨だった」
という言い訳を
述べた。
河村市長発言に関しては、先に
東京新聞23日付の
社説を
引用したが、同じく、28日付の社説も
併記しておこう。
「河村市長発言
なぜ素直に
撤回しない」
と題する
論説だ。
この社説は、次のように
指摘している。
「当初の発言は、市長が
南京大虐殺はなかったと
公にしたと
受け止められる言葉である。
報道により南京市民の誤解を招いた
というのは、とんでもない
責任転嫁だ」
「南京で虐殺がなかった
という研究者は
ほとんどいない。」
「日中歴史共同研究の日本側論文も『集団的、個別的な虐殺事件が
発生し』
と明記する」
「市長自身『非戦闘員の殺害はあっただろう』
と認めており、
日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、
そう明言すべきであった」
「市長は
共同研究を
『学者の個人的見解』
と批判するが、
国や政治レベルで埋まらぬ
歴史認識の溝を、少しでも客観的に
埋めようとの知恵であった」
「中国主張の
『三十万人』
を市長が真っ向から否定しては、
南京市側は
率直な議論のテーブルには
つけぬだろう」
「敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、
首長は
政治家であるとともに
自治体の
リーダーでもある。
歴史的な
米中、日中国交正常化の扉を開いた
ピンポン外交の
舞台である名古屋のトップの
公式発言としては
不適切だった。
日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が
公の交流を停止し、
記念行事や経済活動にも影を落とす」
「苦しい釈明ではなく、素直に
撤回できないものか」
正鵠を射た論説だと思えるが、問題は
単に
外交儀礼上のことに
とどまらない
と思う。
日本の
著名な政治家の
見識が問われ、
ひいては
日本国民全体の資質が
疑われる問題
であるからだ。
河村市長の
言い訳は、社説が指摘するとおり
じつに
見苦しい。
市長発言は、誰が
どう聞いても「南京虐殺はなかった」
という
主張であり、それを
いまさら
被害者数の問題に
すり替えるのは、
姑息で、卑怯だ。
河村市長が
慌てて、不自然な言い訳を
吐き始めたのは
当然だ。
「南京事件はなかった」
という発言に
まともに賛同する者は
少なくとも
歴史学に携わる識者に限れば
皆無に近く、自身の
不容易な発言に対しては、批判と反発が
拡大するばかりだからだ。
その発言が
大きく報道され、それを擁護する
石原東京都知事の
発言などが
“衝撃的なニュース”として
大々的に報道されている。
そのこと自体、発言が「異常」
なものである
との証拠なのだ。
これは メッセージ 39027 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/39028.html
公人は『歴史認識はしっかり』すべき(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/29 22:05 投稿番号: [39027 / 41162]
名古屋市長の南京大虐殺についての発言は歴史的事実に反する。
南京大虐殺とは、37年12月、中国への
侵略戦争の中で
旧日本軍が
当時の中国の首都・南京を
武力攻撃・占領し、
中国軍兵士だけでなく、一般市民を
虐殺した事件だ。
市民の殺害、婦女の強姦、放火、略奪などの残虐行為は
占領後
2カ月にわたり
続けられた。
犠牲者は
30万人以上とも
それ以下とも言われるが、
日本軍による虐殺は
国際的にも認められた紛れもない事実だ。
それは
当時の日本政府・軍の当局者の証言でも
明らかだ。
当時の外務省東亜局長だった
石射猪太郎は
回顧録
『外交官の一生』
の中で、日記の一節を
紹介し、
「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。」
「掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か」
と書いている。
外務省外交史料館に所蔵されている
当時の中支那方面軍司令官
松井石根陸軍大将の日誌には、南京入城の際、「幾多我軍の暴行奪掠
事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならさるに至れるや」
という事実が
はっきりと記されている。
こうした資料をはじめ、膨大な証拠を調査したうえで、日本政府も
公式見解として、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があった」
という事実そのものは
否定できない
と表明せざるを得ないのだ。
日本政府が認めている事実に
背を向け、南京事件は「なかった」
などというのは、政治家としての資質が
厳しく問われる問題だ。
今年は
日中国交正常化40周年だ。
日中両国は
「日中国民交流友好年」
と位置付け、
両国各地で
交流と友好のイベントが
企画されている。
今年を真の日中友好の年にするためにも、歴史を直視しない
恥ずべき政治家の発言を
野放しにすべきではない
と思う。
南京事件と向き合うことは、日本人が軍国主義時代の残虐行為を
直視し、二度とくりかえさない決意を
世界に発信することだ。
過去の過ちを省みる行為は、けっして
恥ではない。
人間は、誰もが
成長過程で
必ず過ちや失敗を
経験する。
そのこと自体が
不名誉なことではない。
それは、個人も国家も
同様だ。
どの民族、どこの国にも
血なまぐさい侵略や
人権侵害など
“負の歴史”は
存在する。
日本だけが
特別なのではない。
問題は、過去の行為そのものではない。
その事実に対して
いかに勇気をもって向き合えるのかが
問題なのだ
と思う。
自分の過ちを真摯に反省し、それを教訓として語れる人間こそ
人々から
信頼され、尊敬される。
それに対して、自分は
過ちなど起こさない、常に正しく、
尊敬されるべき人間であると
専ら自画自賛ばかりする者は
蔑まれこそすれ、敬愛に値するとは
誰も
思わないだろう。
これは メッセージ 39026 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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