公人は『歴史認識はしっかり』すべき(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/29 22:06 投稿番号: [39028 / 41162]
河村名古屋市長は
会見で、「南京事件はなかったのではないか」との
発言が、「南京大虐殺はなかったという持論を展開」 と報道されて、
「報道により南京では何もなかったように誤解された」 と釈明した。
そのうえで、「30万人とされるような 組織的な大虐殺は なかった
のではないか という趣旨だった」 という言い訳を 述べた。
河村市長発言に関しては、先に 東京新聞23日付の 社説を
引用したが、同じく、28日付の社説も 併記しておこう。
「河村市長発言 なぜ素直に 撤回しない」 と題する 論説だ。
この社説は、次のように 指摘している。
「当初の発言は、市長が 南京大虐殺はなかったと 公にしたと
受け止められる言葉である。 報道により南京市民の誤解を招いた
というのは、とんでもない 責任転嫁だ」
「南京で虐殺がなかった という研究者は ほとんどいない。」
「日中歴史共同研究の日本側論文も『集団的、個別的な虐殺事件が
発生し』 と明記する」
「市長自身『非戦闘員の殺害はあっただろう』 と認めており、
日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、
そう明言すべきであった」
「市長は 共同研究を 『学者の個人的見解』 と批判するが、
国や政治レベルで埋まらぬ 歴史認識の溝を、少しでも客観的に
埋めようとの知恵であった」
「中国主張の 『三十万人』 を市長が真っ向から否定しては、
南京市側は 率直な議論のテーブルには つけぬだろう」
「敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、
首長は 政治家であるとともに 自治体の リーダーでもある。
歴史的な 米中、日中国交正常化の扉を開いた ピンポン外交の
舞台である名古屋のトップの 公式発言としては 不適切だった。
日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が 公の交流を停止し、
記念行事や経済活動にも影を落とす」
「苦しい釈明ではなく、素直に 撤回できないものか」
正鵠を射た論説だと思えるが、問題は 単に 外交儀礼上のことに
とどまらない と思う。 日本の 著名な政治家の 見識が問われ、
ひいては 日本国民全体の資質が 疑われる問題 であるからだ。
河村市長の 言い訳は、社説が指摘するとおり じつに 見苦しい。
市長発言は、誰が どう聞いても「南京虐殺はなかった」 という
主張であり、それを いまさら 被害者数の問題に すり替えるのは、
姑息で、卑怯だ。
河村市長が 慌てて、不自然な言い訳を 吐き始めたのは 当然だ。
「南京事件はなかった」 という発言に まともに賛同する者は
少なくとも 歴史学に携わる識者に限れば 皆無に近く、自身の
不容易な発言に対しては、批判と反発が 拡大するばかりだからだ。
その発言が 大きく報道され、それを擁護する 石原東京都知事の
発言などが “衝撃的なニュース”として 大々的に報道されている。
そのこと自体、発言が「異常」 なものである との証拠なのだ。
発言が、「南京大虐殺はなかったという持論を展開」 と報道されて、
「報道により南京では何もなかったように誤解された」 と釈明した。
そのうえで、「30万人とされるような 組織的な大虐殺は なかった
のではないか という趣旨だった」 という言い訳を 述べた。
河村市長発言に関しては、先に 東京新聞23日付の 社説を
引用したが、同じく、28日付の社説も 併記しておこう。
「河村市長発言 なぜ素直に 撤回しない」 と題する 論説だ。
この社説は、次のように 指摘している。
「当初の発言は、市長が 南京大虐殺はなかったと 公にしたと
受け止められる言葉である。 報道により南京市民の誤解を招いた
というのは、とんでもない 責任転嫁だ」
「南京で虐殺がなかった という研究者は ほとんどいない。」
「日中歴史共同研究の日本側論文も『集団的、個別的な虐殺事件が
発生し』 と明記する」
「市長自身『非戦闘員の殺害はあっただろう』 と認めており、
日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、
そう明言すべきであった」
「市長は 共同研究を 『学者の個人的見解』 と批判するが、
国や政治レベルで埋まらぬ 歴史認識の溝を、少しでも客観的に
埋めようとの知恵であった」
「中国主張の 『三十万人』 を市長が真っ向から否定しては、
南京市側は 率直な議論のテーブルには つけぬだろう」
「敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、
首長は 政治家であるとともに 自治体の リーダーでもある。
歴史的な 米中、日中国交正常化の扉を開いた ピンポン外交の
舞台である名古屋のトップの 公式発言としては 不適切だった。
日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が 公の交流を停止し、
記念行事や経済活動にも影を落とす」
「苦しい釈明ではなく、素直に 撤回できないものか」
正鵠を射た論説だと思えるが、問題は 単に 外交儀礼上のことに
とどまらない と思う。 日本の 著名な政治家の 見識が問われ、
ひいては 日本国民全体の資質が 疑われる問題 であるからだ。
河村市長の 言い訳は、社説が指摘するとおり じつに 見苦しい。
市長発言は、誰が どう聞いても「南京虐殺はなかった」 という
主張であり、それを いまさら 被害者数の問題に すり替えるのは、
姑息で、卑怯だ。
河村市長が 慌てて、不自然な言い訳を 吐き始めたのは 当然だ。
「南京事件はなかった」 という発言に まともに賛同する者は
少なくとも 歴史学に携わる識者に限れば 皆無に近く、自身の
不容易な発言に対しては、批判と反発が 拡大するばかりだからだ。
その発言が 大きく報道され、それを擁護する 石原東京都知事の
発言などが “衝撃的なニュース”として 大々的に報道されている。
そのこと自体、発言が「異常」 なものである との証拠なのだ。
これは メッセージ 39027 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.