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膠着状態の上海戦線1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/04/02 15:46 投稿番号: [794 / 2250]
井本熊男著   『 支那事変作戦日誌 』   芙蓉書房出版   151〜152p


《第三師団主力は九月十七日までに、前記九月九日の位置から
右翼方面は約六キロ、左翼方面は約四キロ前進した。

一日四百メートル乃至 (ないし) は百メートルの前進である。 連続不断の激闘で、
一面の敵陣地を、一枚一枚鱗 (うろこ) を剥 (は) ぐように奪取しての前進であった。



第十一師団の天谷支隊は、大連に上陸することなく、
八月下旬青島東方の洋上で待機させられていたが、

青島上陸は行わないことに決定せられたため、
九月一日の大命で上海に向った。


同支隊は九月四、五日頃呉淞に上陸し、師団主力に復帰するため、
宝山城附近を経て前進中、九月七、八日頃月浦鎮周辺において、

頑強に抵抗する数線の敵陣を攻撃して多大の損害を出しつつ、九月十七日、
羅店鎮東南地区において第十一師団主力の左翼に近く進出した


( 後に軍作戦主任参謀西原大佐の言によれば、天谷支隊は上海上陸後
十日間に三千四百名の兵力が九百名となった )。

その他第三、第十一師団主力においても、
右九月十七日までの戦闘において莫大な損害を出した。

上海の陣地攻撃間に、この両師団の歩兵は当初出征したものは
殆ど全部死傷し、補充員によって置き換えられた程であった。

これは日露戦争後、経験のない大損耗であった。
筆者の同期生で、中隊長として参戦した八名は、全員この戦闘で戦死した。》


*   天谷支隊が青島に上陸しなかったのは、居留民が引揚げて、
   その必要性がなくなったからでしょう。

*   そして、上海の犠牲の多さは、派出した人数が
   余りに少なすぎた為と言えます。


つづく
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