捕虜の扱い
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2009/05/28 19:16 投稿番号: [32 / 2250]
よく通説では、日本は宣戦布告していないから、支那事変を正規の戦争とみなしていない。
従って、捕まえた敵の兵を捕虜とみなさない。
だから、片っぱしから、殺した、という話になっていますが、
ここ、上海では、必ずしもそうではないようです。
上陸作戦の露払いをした、海軍陸戦隊の竹下部隊は、20名近い中国軍将兵を捕まえています。
( 北博昭著『日中開戦』61p ) (8月23日の話)
その写真は
毎日新聞社刊『不許可写真1 』の24pに載っています。(8月23日づけで)
また、塚本誠氏の『ある情報将校の記録』204pには
浦東(プートン) 方面からの砲撃も激しく、一迫撃砲弾は目の前の俘虜収容所になっている
寺に命中したが軽傷者二名ですんだ。( 8月18日の話 )
とありますから、捕虜収容所はキチンと作られていたようです。
また、塚本氏は
楊樹浦地区には電気・瓦斯会社等が多く、これに各国の権益がいり混っていた。
この地帯に対し中国軍は砲、爆撃を加えてくるのであった。
私はまずわが警備地域に残留している中国人を蘇州河以南へ移すことに努力する。
それは残留中国人が日本人からスパイや便衣隊に疑われて迫害をうけた例が第一次上海事変当時に多かったからである。
現に戦闘開始後憲兵隊には陸戦隊から毎日二十名近くの中国人が疑いをかけられて送り込まれる。
すぐ放置するわけにもいかぬから、それを一応調べた上で工部局警察に引き渡す。
無辜の民を捕えておくことはできない。
(『ある情報将校の記録』203p )
と書いています。
彼の行動は、一般に言われているところの、残虐な日本軍とは、正反対のようです。
優しい、通州事件の処理と同じ傾向にあります。
そして、北博昭著『日中開戦』66〜67pには
昭和十二年九月末ごろに陸軍は上海の楊樹浦の眉州に俘虜の収容所を設けて
中国軍の士官一名、准士官二名、下士官二名、兵一八名を収容中、
国際赤十字社のドワットヴィユへ報告されているともあります。
これが、上海租界内の捕虜取扱いの現状のようです。
これは メッセージ 30 (kireigotowadame さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/ffea4ca4fcf9qbfma4kfn5febbv7obfbfaj5doc0a47a4dea47a4ga4a6_1/32.html