入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1938年1月14日 ラーベの日記2 返書

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/23 18:43 投稿番号: [2198 / 2250]
《ラーベの返書   一九三八年一月十四日   於南京

  W・マイアー社長の一九三八年一月三日付の書状に関して


ドイツ大使館を通じてお手紙いただきました。

昨年、漢口へ行くようにとのご連絡をいただきましたが間にあいませんでした。

電報が届いたとき、ドイツ人たちはすでにクトゥー号で発ったあとだったのです。

また韓さん一家をはじめ、中国人従業員はみなオフィスに避難しておりましたので、

彼らを見捨てることはできないと考えておりました。



あのときお返事しましたように、

私は安全区を設置するために当地で発足した国際委員会の代表を引き受けました。

現在ここは二十万人もの中国人非戦闘員の最後の避難場所になっています。

これを組織するのは必ずしも容易な仕事ではありませんでした。

しかも日本から全面的には承認を得られず、

中国軍上層部が、ぎりぎりまで、

つまり南京から逃げ出すまで部下と共にここに駐留していたために、

いっそう困難になりました。



今まで、給食所や食糧の配給所などを設置して、

安全区にひしめいている二十万人の市民をどうにか養ってこられました。

ところが今度、

「難民の保護は新しく設立された自治委員会が引き継ぐ。よって米販売所を閉鎖すべし」

との命令が日本軍から出されたのです。

市内に秩序が回復し、南京を出る許可が下りましたらそちらに参ります。

今までのところ、申請はすべて却下されています。



安全区委員会の解散まで私が当地にとどまることをお許し下さいますよう、

遅ればせながらお願い申し上げます。

というのも、わずかとはいえ、我々外国人の存在が大ぜいの人々の禍福を左右するからです。

十二月十二日以来、私の家と庭だけでも六百人以上の極貧の難民たちがおります。

たいていは庭の藁小屋に住んでおり、毎日支給される米を食べて生きています。

  ナチ式敬礼をもって                 ジョン・ラーベ 》



*   ラーベに会社から、南京から引き揚げて来いという指令が来たようですね。

   彼は、会社の命令で南京に赴任していた事を忘れているようです。
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