1938年1月11日 和平関係の大本営御前会議
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2013/01/15 18:48 投稿番号: [2182 / 2250]
児島襄著
『日中戦争4』
263〜264p
《 一月十一日、政府、大本営首脳をあつめた御前会議がひらかれた。
近衛首相が回答期限を十日にしたのは、この日の御前会議が予定されていたので、
その前に中国側の姿勢を知っておきたい、と思ったからである。
だが、返事は来ない。
大本営御前会議は、日本にとっては、日露戦争いらいの行事である。
とかく 〝欲ぼけ〟 的に長期戦にはまりこむことをおそれた参謀本部が、
とくに強硬に開催を主張した。
このさい、情勢の変化に応じて転変しないよう、
はっきりと和平交渉の基本方針を確立しておく必要がある。
その方針を最重要のものとして
「確固不動」
にするには、
閣議や大本営・政府連絡会議ではなく、御前会議での決定こそ望ましいし、
また、ふさわしい……。
外務省や海軍、陸軍の首脳部の間には、御前会議をひらくほどのこともない
との意見が強かったが、参謀本部はがんばった。
第二課員堀場一雄少佐は、海軍省軍務局第一課長保科善四郎大佐と激論し、あわや、
「彼、逆上して短剣を抜きて迫らんか、余は水月をもって之に応ぜん」
と、身がまえる一幕もあったほどだが、ともかく御前会議開催にこぎつけたのである。
会議は、前年十二月二十一日の閣議で決定した和平条件を
「支那事変処理根本方針」
としたが、 「支那現中央政府」
が
「和ヲ求メ来ラザル場合」
の対策を、次のように規定した。
「帝国ハ、爾後
(じご)
之
(これ)
ヲ相手トスル事変解決ニ
期待ヲ掛ケズ……
之ガ潰滅ヲ図リ、又ハ
新興中央政権ノ傘下ニ
収容セラル如ク施策ス」
そして、中国側の回答期限を、あらためて
「一月十五日」
に設定した。
なぜ、十五日なのか。
一月二十日ごろに再開される第七十三帝国議会にそなえるためだ、と知り、
「血ノ気ノ多イ」
参謀本部第二課員堀場少佐は、またもカッとした。
「国家の運命を決する大事を、議会対策の便宜より割出す。
本末顛倒も甚しきものなり」》
つづく
これは メッセージ 2162 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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