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1939年6月8日 蒋介石 汪を売国漢奸と規定

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/07 18:52 投稿番号: [2035 / 2250]
児島襄著   『日中戦争5』
211p


《 蒋介石が、汪一行の渡日を知ったのは、六月二日である。

「長日、汪逆兆銘竟率同周仏海、梅思平諸逆、飛抵日本東京、進行売国勾当」

これまでに述べたように、蒋介石は、くり返して汪兆銘の訪日を阻止しようとした。

中国内、あるいは日本および日本占領地外にいる限り、

なお国家を捨てた形にはならず、

一般国民にたいする影響も格別に大きくはないと判断されるからである。



だが、国民党副総裁が敵国日本に走ったとなれば、事態は一変する。

汪兆銘を   「裏切り者」   とみなすのが一般的であろうが、

それほどの要人が日本に味方するのはそれだけの理由があるはずだ、

国民政府に誤りがあるのではないか、との観測も誘発されかねない……。

蒋介石は、六月八日、汪兆銘を   「売国漢奸」   と規定し、

その逮捕を   「全国軍政各機関」   に下令した。




晴気慶胤著   『上海テロ工作76号』   毎日新聞社
123〜124p


《 重慶政府では、敵国日本に媚を売った汪兆銘の処分について硬軟の意見が対立していた。

国民党の元老や穏健派は、処分を急げば重慶から汪を完全に絶縁することになると反対し、

しばらく処分を保留するよう蒋介石に嘆願する一方、

汪には和平運動をやめてこれ以上日本に接近しないように勧告した。



抗戦強硬派と共産党は汪を厳罰に処せよと主張したが、

汪の東京訪問を知っていよいよ激昂し、その即時処分を強硬に要求してやまなかった。

その結果、六月八日、汪兆銘およびその一党に対し、遂に逮捕令が公布された。

しかし、新中央政府をつくろうと決心した汪兆銘は、逮捕令を一笑に付した。》
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