1937年12月 幕府山捕虜逃がし失敗射殺1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/07 18:46 投稿番号: [2034 / 2250]
両角業作
手記より
《 十二月十七日は松井大将、鳩彦王各将軍の南京入場式である。
万一の失態があってはいけないとういうわけで、
軍からは
「俘虜のものどもを“処置”するよう」
・・・
山田少将に頻繁に督促がくる。
山田少将は頑としてハネつけ、軍に収容するように逆襲していた。
私もまた、丸腰のものを何もそれほどまでにしなくともよいと、
大いに山田少将を力づける。処置などまっぴらご免である。
しかし、軍は強引にも命令をもって、その実施をせまったのである。
ここに於いて山田少将、涙を飲んで私の隊に因果を含めたのである。
しかし私にはどうしてもできない。 いろいろ考えたあげく
「こんなことは実行部隊のやり方ひとつでいかようにもなることだ、
ひとつに私の胸三寸で決まることだ。よしと期して」
田山大隊長を招き、ひそかに次の指示を与えた。
「十七日に逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸に集合せしめ、
夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、解放せよ。
これがため付近の村落にて舟を集め、また支那人の漕ぎ手を準備せよ」
もし、発砲事件の起こった際を考え、二個大隊分の機関銃を配属する。
十二月十七日、私は山田少将と共に軍旗を奉じ、南京の入場式に参加した。
馬上ゆたかに松井司令官が見え、次を宮様、柳川司令官がこれに続いた。
信長、秀吉の入城もかくやありならんと往昔を追憶し、
この晴れの入城式に参加し得た幸運を胸にかみしめた。
新たに設けられた式場に松井司令官を始め諸将が立ち並びて聖寿の万歳を唱し、
次いで戦勝を祝する乾杯があった。
この機会に南京城内の紫金山等を見学、夕刻、幕府山の露営地にもどった。》
つづく
これは メッセージ 2006 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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