1939年5月31日 汪兆銘来日
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/05 18:58 投稿番号: [2031 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
210〜211p
《 五月三十一日
汪兆銘一行は、上海、佐世保経由の日本海軍機で、来日した。
一行の受入れは、参謀本部第八課
(臼井茂樹大佐)
が担任し、
宿舎は、肺病をわずらう元亜州司長高宗武に向島の大谷米次郎別邸、
残りの一同には滝野川の古河虎之助男爵邸が用意されていた。
警備は、参謀本部付の丸山孝雄准尉が担当し、
食事と身のまわりの世話は、「帝国ホテル」
支配人犬丸徹三がひきうけた。
犬丸支配人は、とくに要請されなかったが、コック、ボーイ、理容師たちを
宿舎におくりこみ、一行の離日まで外出を禁止させた。
汪兆銘と日本政府首脳との会談は、
六月十日に予定されそれまでは一行は宿舎で休養した。》
塚本誠著
『ある情報将校の記録』
277p
《 汪氏一行滞在中、古河夫人不二子さんは、毎日各室の花を、
人の気づかぬ間に生け替えておられた。
夫人は西郷従道大将の次女であった。
帝国ホテルの犬丸氏は、一行入居の直前、コック、ボーイ、理容師を古河邸に送りこみ、
一行離日の日まで、これを邸内に詰め切らせた。
所要の食料品は、毎日トラックで搬入された。
格別要請もしないのに、秘密保持の配慮が、私には身にしみてありがたかった。
一行離日の前夜、一行および関係者は古河邸に参集、会食することになった。
樋口は、その席にシャンパンを
−
と思い、犬丸氏に申し出たところ、
「この仕事には、担当の支配人ひとりしか関係させていない。
また名目は、ある篤志家の傷痍軍人慰安会ということにしてある。
シャンパンなどとはもってのほかです」
という返事だった。
当時の政・財界知名士の国事に対する無言の協力、その心がまえ、
意気ごみは、今思い出しても頭がさがる。》
これは メッセージ 2029 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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