1937年12月17日ラーベの日記3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/05 18:52 投稿番号: [2030 / 2250]
《 軍政部の向かいにある防空壕のそばには中国兵の死体が三十体転がっている。
きのう、即決の軍事裁判によって銃殺されたのだ。
日本兵たちは町をかたづけはじめた。
山西路広場から軍政部までは道はすっかりきれいになっている。
死体はいとも無造作に溝に投げこまれた。
午後六時、庭にいる難民たちに莚
(むしろ)
を六十枚持っていった。
みな大喜びだった。日本兵が四人、またしても塀をよじ登って入ってきた。
三人はすぐにとっつかまえて追い返した。
四人目は難民の間をぬって正門へやってきたところをつかまえ、
丁重に出口までお送りした。やつらは外へでたとたん、駆け出した。
ドイツ人とは面倒を起こしたくないのだ。
アメリカ人の苦労にひきかえ、私の場合、たいていは、
「ドイツ人だぞ!」
あるいは
「ヒトラー!」
と叫ぶだけでよかった。
すると日本兵はおとなしくなるからだ。
きょう、日本大使館に抗議の手紙を出した。それを読んだ福井淳
(きよし)
書記官はどうやら強く心を動かされたようだった。
いずれにせよ福井氏はさっそくこの書簡を最高司令部へ渡すと約束してくれた。
私、スマイス、福井氏の三人が日本大使館で話し合っていると、
リッグズが呼びに来て、すぐ本部に戻るようにとのこと。
行ってみると、福田氏が待っていた。発電所の復旧について話したいという。
私は上海に電報を打った。
(後略)
》
*
公用以外は日本兵の外出が禁止されているのに、なぜラーベの家に出没できる。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏は
「私達は十二月十五日、南京に入城し、支那軍の兵営に分宿し、
各隊は衛兵を立て兵の外出を禁止したので、
公用の将校以外は、各個に外出した兵はない。」
(富士信夫著
『「南京大虐殺」はこうして作られた』
210p)
と証言している。
それに停電しているから、夜は真っ暗、南京に不案内な日本兵は、
ウロウロしたら道が判らなくなって帰れなくなるだろう。
そんな事になったら、便衣兵に虐殺される。危なくてウロつけない。
それに、翌日は慰霊祭、その次の日より、南京を去らなければならないのだ。
その準備があるのに、悪さをしている暇はない筈だが。
こういう事が出来るのは、南京を知り尽している者では?
例えば、中国人とか。
これは メッセージ 2028 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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