1937年12月17日 松本重治氏の南京行
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/06 18:42 投稿番号: [2032 / 2250]
松本重治著
『上海時代・下』
245〜246p
《 私は、スウェター二枚の上に、 「同盟」
本社が送ってよこした冬用の
従軍服を着用し、リュックに身廻り道具をぶち込み、
ジョン・ケジックが贈ってくれたホワイト・ホースの小壜も
忘れずに持って、約束の時間に北停車場に行った。
探堀報導部長は、この夏ごろ着任して以来、幾度か私ら記者たちと語り合ったり、
いっしょに前線の視察に行ったりした、気の置けぬ人柄であった。
彼は九州の殿様の末裔とのことで、小さな深堀城址が
まだ熊本か長崎の附近にあると聞いたが、
何となくおっとりしており、親切な、かつユーモアたっぷりの人物でもあった。
車中で、隣席にいた若い軍医が
「上仲軍医中尉です」
と自己紹介する。
友人捕松佐美大郎の夫人のふきさんの弟で、
聖路加病院勤務中であったのを徴用されたという人であった。
名前を聞けば、以前にも、東京で、一、二度だけ会ったことのある人だが、
戦地では、友人知人と会うと、とくに人懐こく感ぜられるのは、
私ばかりではないだろうと思った。
深堀中佐が、私のため、缶詰類や、その他の食料品を車中に持ち込んでくれたので、
私もホワイト・ホースを出して、お互いに飲みながら、
四方山
(よもやま)
の雑談で愉しく時を過した。
夜になると車中はひどく寒いので、毛布を六枚ももらって寝た。
汽車はときどき停車したり、またゆっくりと走り出したりするわけで、
翌十八日朝、南京に着いた。
「同盟」
の従軍記者が、あらゆる苦労をしてきたのに、私らの場合は、
当時の情況からみれば全くの大名旅行であって、相済まんと思った。
着く前に、今日は陸海軍の合同慰霊祭があると探堀中佐が知らせてくれたので、
「ぜひ特別に参列させてもらいたい」
と申し込んだ。
松井最高司令官の顔も見たかったからであった。》
*
松本氏は汽車で行ったと言うが、この時期汽車でいくのは無理だった。
汽車の開通は鎮江のトンネルが不通のため12月22日からで、
入城式、慰霊祭参列の人々は、海軍艦艇に便乗して下関から上陸している。
(板倉由明著
『本当はこうだった南京事件』
303pより)
だから、この話は2月のできごとの記憶違いとなる。
これは メッセージ 2016 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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