入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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1939年 汪兆銘訪日の為の準備

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/11/04 15:15 投稿番号: [2029 / 2250]
塚本誠著   『ある情報将校の記録』
275〜277p


《 上海上陸後、汪氏は直ちにチョ民誼、周仏海、梅思平、高宗武らの同志と

意見を交換した結果、日本訪問を決意し、日本政府もまたこれを承認した。

私は、上海における任務を終了したので、汪氏一行の日本訪問について、

影佐大佐の希望、指示を聞き、東京に引きあげた。



汪氏一行の滞日中の世話は、すべて参謀本部第八課の担任となり、

岡田、樋口、私の同期生三人が、直接これに当たることになった。

まず、一行の宿舎選定に手を着けた。私の頭に駿河台の西園寺邸が浮かんだ。

当主公一氏は、松本重治さんらとともに梅工作の草分け的存在である。



私は樋口といっしょに万平ホテルで西園寺氏と会った。

氏は、滝野川の古河虎之助男爵邸を提案され、氏の斡旋で古河男爵も快諾、

汪精衛一行の大部分の人の宿舎が決定した。



高宗武の宿舎については、岡田から大谷重工業社長大谷米太郎氏に

お願いしたところ、向島の邸宅を快く提供された。



一行の食事については、樋口が帝国ホテルの犬丸徹三氏を訪ねてお願いしたが、

これまた快諾された。

古河、大谷、犬九三氏とも使用目的について詮索がましい質問は一言半句もなかった。

ある日、西園寺氏、樋口、私の三人で、滝野川区役所前にある古河邸へ下検分に行った。



構内は広く、邸宅は洋館、その内部は和洋折衷。

庭内には花壇、温室があり、表門から裏門へ自動車道が整備されており、

まったく間然するところがなかった。

私が、日本間の畳の堅さに驚いて、 「ここの畳は堅いネ」   というと、

「畳は堅いほどよいのだよ」   と、西園寺氏から笑われた。

畳は翌日には表替えがすんでいた。》
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