1939年 汪担ぎ出しに反対する日本人
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/21 15:19 投稿番号: [1988 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
207〜208p
《 だが、香港から出張してきた総領事田尻愛義は、
影佐大佐の話を聞くと、汪政権構想に猛反対した。
田尻総領事は、香港で汪夫人陳壁君の張発奎軍抱き込み工作の失敗を実見し、
汪兆銘にたいする不評も承知した。
不評の基調は、汪兆銘が
「裏切り者」
だという点にあったが、
総領事自身も、汪兆銘の経歴を回顧してその印象を深め、
脱出行についても疑惑を強めていた。
日本の傀儡にならぬと強調しながら
「傀儡の長」
になろうとするのは、
「自分を裏切るばかりか中国人を欺く」
ことではないか。
「私に言わせれば、彼には自分の一身の利害があるだけで、
もう中国、中国人のための平和幸福の目標をすてている。
全占領地域にわたる政府をつくりたいというのは、
蒋
(介石)
との対抗意識のあらわれ以外の何ものでもない」
田尻総領事は、汪兆銘が脱出前に約束したことはなにひとつ実現していない、
彼が次に日本を裏切らないという保証はない、と指摘して、影佐大佐に勧告した。
「臍
(ほぞ)
をかまない用心が肝心である。
今度の謀略の恩返しとしては、
礼を厚くして彼を下野外遊させるのが最善の策だ」
東京でも
−
参謀本部戦争指導班の堀場中佐が、
汪政権はたんなる蒋介石政府にたいする
「対立政権」になり、
かえって戦いを
「長期大持久戦」
にするだけだ、と判断し、
次長中島鉄蔵中将に進言した。
「汪兆銘に対し、
『卿今回の微行の真意は共感諒承せり。
願くは直ちに重慶に至り、日本の真意を伝へたる上、
改めて公然全権として再来せられんことを−』
と
回答し、停戦使節としての機能を発揮せしむべし」
しかし、田尻総領事の勧告も、堀場中佐の進言も、
事態の進展を阻止することはできなかった。
「漢口作戦以来既に半年、四囲の情勢は戦勢停止の状態に焦慮を感じ、
新局面の転回を待望するの空気支配的なり」
という事情であり、前述したように、
軍部は汪兆銘歓迎の意を影佐大佐にもつたえ、
その受入れ準備をいそいでいたからである。》
これは メッセージ 1985 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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