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1939年4月 塚本氏参謀本部付を命ぜられる

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/04 18:58 投稿番号: [1943 / 2250]
塚本誠著   『ある情報将校の記録』
258p


《 昭和十四年四月、突然私は大本営陸軍部兼参謀本部付を命ぜられ、

台湾を離れることとなった。転任の理由は皆目わからない。》


262〜263p

《 参謀本部に着いた私は第二部第八課勤務を命ぜられた。

いうまでもなく、このポストは情報幕僚関係のもの、

私は情報勤務関係者として取り扱われているらしい。

第八課というのは第二部各課の特殊工作を専掌する課である。



課長臼井茂樹大佐   (30期)   とは初対面であるが、班長武田功中佐、

白木真澄中佐、太田梅一郎少佐は市ヶ谷台時代からよく知っている先輩、

中堅課員四人はいずれも同期生、岡田芳政、多田督知、大牟田盛幸、樋口浚である。



岡田は対中工作関係事務を処理する主任者で、私が着任すると、

「まず頭の髪を伸ばして何処へでも行けるよう準備しておれ」   といい、

対中工作の現況を説明してくれた、当時、対中工作というのは四つあった。



「竹工作」(呉佩風工作)   =   北京にいる大迫通貞少将が担当、

「蘭工作」 =   上海にいる和知鷹二大佐の担当する対李宗仁、白崇禧工作、

「菊工作」 =   台湾にいる山本募大佐の対福建黄大偉工作、それに

「梅工作」 =   影佐禎昭大佐の対汪精衛工作、というのがそれである。



そのうちで最も筋の通り、具体性のあるのが影佐大佐担当の汪精衛工作であった。

現に私の着任した当時、影佐大佐は五相会議の指令に基づいて、山下汽船の

北光丸に乗り仏印河内   (ハノイ)   に汪精衛の救出に向かっていたのである。

当時の五相会議のメンバーは総理平沼騏一郎、外相有田八郎、

蔵相石渡荘太郎、陸相板垣征四郎、海相米内光政であった。》
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