1937年12月13日 虐殺されていた日本兵
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/10/04 18:52 投稿番号: [1942 / 2250]
12月13日から、日本軍は南京城内に入るが、
この時、虐殺された日本兵の死体が見つかった。
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生きたまま焼かれた日本兵
上海派遣軍第九師団山砲連隊第七中隊
中隊長代理大内義秀氏の宣誓供述書より
《十二月十三日午後、私達は光華門の城壁を占領したが、入城は許されず、
憲兵と一部の小部隊が入城した。
その日、城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。
これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人の捜索を厳命した。
私の部下に犯人はいなかった。
死体を検死した軍医は、これは少なくとも十時間以前の犯行であるから、
日本軍の入城前であり、日本兵が捕虜となり、
支那軍によって焼かれたものであろうと判定した。》
(冨士信夫著
『「南京大虐殺」
はこうしてつくられた』
210p)
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10日に第九師団・第六旅団・第36連隊の第一大隊が光華門城壁に
日章旗を立ててから、3日間頑張っていたから、
犠牲者は彼らの内の誰かかも知れない。
また、別の残酷死体も見つかっている。
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手足を立木に縛られ銃殺された日本兵
第三師団野砲兵第三連隊第一大隊観測班長・大杉浩の宣誓供述書より
《十二月十三日夕刻頃、南京の南方の城門から城内に入ったが、
そこには彼我の戦死体が点々と散在して居ましたが、
その中に一人の日本兵が手足を立木に縛られた儘(まま)、
身に数弾を受けて死んでゐました。
私は一見して、俘虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたものと感じ、
縄を切って地上に下ろしておきました。
城壁の近くには支那軍の戦死体が相当数ありましたが、
常民の死体は見なかった。》
(冨士信夫著
『「南京大虐殺」
はこうしてつくられた』
175p)
新愛知新聞 ・ 南正義記者の証言
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十二月十三日ですか、先頭の部隊と共に中山門から城内に入り、
中山東路を進むと、街路樹のプラタナスに日本兵が吊るされていて
大騒ぎになりました」
日本兵がですか。
「そうです。後でわかったのですが、通済門か光華門で戦いがあり、
そこで捕まった日本兵らしいのです。それを中山東路につれてきて、
殺して、プラタナスの木に吊るしたものです。
下から火であぶってありました」
何体くらいですか。
「私が見たのは二、三体です。すぐプラタナスから下ろしました。
それを見た兵隊たちはカーッとなりましてね。
それでなくとも敵愾心がありますから」
(阿羅健一著
「南京事件」
日本人48人の証言127p)
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こんな事をされたら、日本兵の中国投降兵に対する態度が、
悪くなるだろう事は、容易に想像がつく。
これは メッセージ 1939 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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