1937年12月12日 海軍の揚子江啓開
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/10 18:32 投稿番号: [1885 / 2250]
戦史叢書
『中国方面海軍作戦1』
466〜467p
《 十二日の経過
烏龍山下流まで進撃
烏龍山付近下流まで右岸は陸軍天谷支隊の一部が進出して残敵掃蕩中であるが、
左岸一帯は敵陣地であり、遡江部隊の進撃を極力阻止せんとする模様であった。
近藤指揮官は前衛部隊
(二見、熱海、掃六、掃一、掃三.掃四号)、
主力部隊
(山風、海風、江風、安宅、掃二、掃五号)
の順に
08:30
進撃を開始、鎮江から下江して来た
「保津、比良、勢多」
と共に、
都天廟砲台及び付近の残敵の猛射を反撃、
かつ途中左岸一帯の敵陣地密集部隊と交戦、
これを撃破制圧しつつ全軍一丸となって砲台下を強行通過した。
この間、神川丸機及び陸軍天谷支隊の有効な協力があり、
猛烈な機銃の反撃はあったが、砲台は沈黙を守っていた。
10:10
ころ、令により
「掃六、掃三号」
は掃海具を揚収して分離し、
先頭部隊の
「保津、勢多」
に合同、烏龍山水道に急速進出し、
閉塞線の偵察及び同付近下流の泊地掃海を実施することとなった。
陸岸の敵陣地を砲撃しつつ前進し
12:30
ころ烏龍山閉塞線付近に到着し
予定作業に移ったが、北岸の劉子口付近から
野砲、機銃、小銃の猛射を受け、これと交戦した。
この際
「保津」
は命中弾を受け左舷機故障、
「掃六、掃三号」
も敵弾の集中砲火を受け、掃海不能となり
12:30
ころ掃海索を一時投棄した。
更に掃六号は後部艦橋に、掃三号は艇長室水線付近に、
それぞれ被弾し負傷者発生、一時避退し応急修理を行った。
15:30
ころ、主隊は閉塞線付近に到着した。
第二十四駆逐隊並びに神川丸機及び二聯空機は、
烏龍山砲台及び北岸陣地の砲爆撃を実施した。
同夜、
23:00
ころから諸岡少佐指揮の工作隊は安宅の高速艇に乗り、
「勢多」
掩護の下に閉塞線に接近し、
閉塞船をつなぎとめていたワイヤーを切断し、箱舟やジャンクを取り除き、
約三時間後幅三〇〇米の可航水路を啓開した。》
これは メッセージ 1869 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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