1939年2月15日 中支軍にわたりをつける
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/09/10 18:41 投稿番号: [1886 / 2250]
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
64〜66p
《 そのころ、中支那派遣軍の司令部は南京に置かれていた。
特工をやるためには、まず中支軍の協力と援助を求めなければならない。
うまく中支軍にわたりをつけなければ、呉佩孚工作の二の舞いを演じることになる。
そこで私は南京に着くなり、まず中支軍司令部を訪ねた。
たしか二月十五日ごろであった。
そして特工の目的を説明して軍の援助を頼んだが、幕僚の大部分は懐疑的で、
とくに維新政府を直接指導していた連中は呉佩孚工作の例をあげて、
華中に国民党の更生運動を起こすことに強く反対した。
しかし、謀略関係の課長だった高橋坦大佐
(終戦時、北支那方面軍参謀長)
だけは
こういってくれた。
「今の場合、出先の中支軍が特工の可否を、いまさらとやかくいってはならない。
大本営はすでに特工を援助すると決心した。
大本営から特工と連絡するよう命ぜられた晴気君は、軍に挨拶に来ただけです。
この工作がこれからどう推移するかわかりませんが、私は是非成功させたいと思います。
中支軍としては、租界の抗日分子を粛清するためだけでも、特工を援助すべきです」
私は高橋大佐の言葉が涙が出るほどうれしかった。
階級が低いために、私がいいたくても口に出せなかったことを
代わって述べてくれたからである。
そのとき、
「ちょっとうかがいますが、
丁黙邨がもしも敵だったときは、どういうことになりましょう」
陸大を出てすぐ政治に首を突っ込んだ一人の若い幕僚だった。
私はこの小生意気な大尉参謀の無礼な言葉をなじる前に、
中央部の決定を口先だけで批判して、
その実行を阻害してはばからない生意気、半可通な幕僚が中支軍にもいると知って、
日本のためにも残念に思った。
「責任のない第三者が無躾けにそんなことを口にするとはもっての外だ。
失敬千万なやつだ」
怒気をふくんだ高橋大佐の声が、たちまちそうした反対論を叩きつぶした。
一座は白けきって発言するものはもうだれもいない。
やがて軍司令官、山田乙三中将が決裁を下した。
「高橋君、上海の憲兵隊と特務機関に特務工作に協力するよう、すぐに命令したまえ」
鶴の一声であった。これで中支軍の意向もこちらの希望通りに決定したのだ。
厚く礼をいって部屋を出かかった私は、山田司令官に後ろから呼びとめられた。
「君、たいへん難儀なことを考え出したものだね。
責任は重いよ。途中でへこたれないようにしっかりやりたまえ。
決して短気を起こしてはいけないよ」
激励と同情をたたえた山田軍司令官のこの言葉に、私は思わずまぶたを熱くした。》
つづく
これは メッセージ 1884 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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