1937年12月9日 ラーベの日記2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/21 18:40 投稿番号: [1845 / 2250]
《 そうこうしている間に、思い切った手を打ってみようということになった。
といっても私自身はあまり当てにしているわけではないのだが。
つまり、もう一度唐将軍に接触して、防衛を諦めるよう説得しようというのだ。
ところが、なんと唐は承知したのだ。
そちらが蒋介石委員長の許可をとりつけるなら、といって。
(そのためラーベはアメリカ人と中国人をそれぞれ二人つれて
アメリカの砲艦パナイに赴いた。彼らは二通の電報を打った。
一通は漢口の蒋介石に、もう一通は上海の日本の軍当局にあてたものである。
アメリカ大使に仲介を頼んだ蒋介石あての電報で、ラーベはつぎのように記している。
国際委員会は、安全区が設置された城壁内には攻撃をしかけないとの
日本軍当局による確約を望んでいる。
もしこれが得られれば、委員会は、人道的な理由により、
城壁内では軍事行動を起こさないよう中国当局に願いでるつもりである。
委員会は南京近郊のすべての軍隊に対して三日間の休戦を提案する。
その間、日本軍は現地にとどまり、中国軍は城壁内から撤退する
―
これらの電報には署名がある
「代表
ジョン・ラーベ」)
燃えさかる下関を通り抜けての帰り道はなんともすさまじく、
この世のものとも思われない。
安全区に関する記者会見が終わる直前、夜の七時にたどりつき、
どうにか顔だけは出せた。
・・・
暗闇のなかを負傷者が足を引きずるようにして歩いているのが見える。
看護する人はいない。医者も看護士も衛生隊も、もうここにはいないのだ。
鼓楼病院だけが、使命感に燃えるアメリカ人医師たちによって
どうにか持ちこたえている。
安全区の通りは大きな包みを背負った難民であふれかえっている。
旧交通部
(兵器局)
は難民のために開放され、たちまちはちきれそうになった。
われわれは部屋を二つ立ち入り禁止にした。兵器と弾薬を見つけたからだ。
難民の中には脱走兵がいて、軍服と兵器を差し出した。》
*
文中の ( ) 内の文は本にあるもので、たぶん訳者の註でしょう。
*
唐生智が日本の勧告を受け入れて無血開城すれば、
ラーベの心配など必要なくなるのですが、唐はそうしません。
自分で責任をとりたくないからラーベに電報させたのかも知れません。
*
難民を収容した兵器と弾薬のある旧交通部
(兵器局)
は、
12日夜、敗走中国兵によって放火され、地獄絵となります。
これは メッセージ 1841 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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