1939年 土肥原機関を訪れた二人の中国人
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/08/20 18:39 投稿番号: [1844 / 2250]
晴気慶胤著
『上海テロ工作76号』
毎日新聞社
24〜26p
《 何の飾りもない寒々とした部屋に、暖炉だけが赤々と燃えていた。
こぢんまりした重光堂の応接間であった。
外務書記官、清水董三氏が、ここへ二人の若い中国人の客を連れこんでいた。
国民党員だというが、何の用かわからない。
それは呉佩孚工作が北支軍の直訴電報で全くゆきづまってしまった翌日のことであった。
土肥原中将は清水書記官が紹介してきた未知の客との会見を
珍しくも承諾したのである。
約束した時刻は、朝の九時ちょうどであった。
重光堂にはじめて客として訪れた二人の中国人が、
清水書記官に体を心持ち寄せながら、端然と腰をおろしている。
一人はねずみ色の背広に派手なネクタイをしめ、年のころ三十四、五、
額は広く理知的だったが、眼は蛇のように冷たく光り、
みるからに陰惨な、かみそりのような感じであった。
その男は丁黙邨 (ていもくそん) と名乗った。
李士群 (りしぐん) と呼ぶ、もう一人の中国の礼服姿の男は、
それより少し若かったが、色白のふっくらとした美男子で、瞳は明るく澄み、
一見朗らかそうで、およそ丁黙邨とは対照的であった。
わざと中国服にくつろいだ土肥原中将が、ゆったりと歩を運んで静かに現れた。
つやつやとした童顔には
呉佩孚工作の失敗を心痛したいましがたまでの苦悶はあとかたもない。
中国人の客二人はすぐ立ちあがって威儀を正し、うやうやしくこれを迎えた。
だが、そこには軍使となって敵陣に単騎乗りこんだ古武士のように、
恭謙のうちにも容易にゆずらないといった凛然とした気迫を見せていた。
「私が土肥原です。ようこそいらっしゃいました」
土肥原将軍はなめらかな中国語で愛想よく椅子をすすめ、
中国風にひとりひとりに煙草をすすめて丁寧に火をつける。
天衣無縫とでもいおうか、何の作為もない振る舞いだが、
仕草のはしばしには客をもてなす真心が国境や地位の違いを越えてにじみ出て、
ちょっと気負って見えた無名の若い中国人も、
そのなごやかなふん囲気にいつとはなしに温かくうちとけていた。
土肥原の名は中国では土匪の原と発音されて、
中国の軍閥時代から満州事変の初期にかけて、ものすごい謀略家だと
中国では恐れられたが、その伝説的な悪謀だけを聞いた中国の人々は、
彼を悪鬼のようにのろい、憎んでいた。
今度の二人の客も、さだめし荒々しい将軍の風貌を心に描きながら
重光堂を訪れたのであろうが、実際に会ってみると、
それはとんでもない見当違いであったことがわかったらしい。
李士群は後になって
「土肥原さんがあんなおだやかな人だったとは思いがけなかった」
と当時の印象を私に物語ったことがある。
清水書記官は約束の時間から少し遅れたのを
「今日もテロがあって、非常線で止められましたので……」 とわびてから、
土肥原中将に初対面の二人を紹介して、訪問の目的を述べた。
「両君はわれわれの同志です。日華の将来について閣下の高説を承りたいのだそうです」
それから清水書記官は二人の素性の説明にとりかかった。》
つづく
24〜26p
《 何の飾りもない寒々とした部屋に、暖炉だけが赤々と燃えていた。
こぢんまりした重光堂の応接間であった。
外務書記官、清水董三氏が、ここへ二人の若い中国人の客を連れこんでいた。
国民党員だというが、何の用かわからない。
それは呉佩孚工作が北支軍の直訴電報で全くゆきづまってしまった翌日のことであった。
土肥原中将は清水書記官が紹介してきた未知の客との会見を
珍しくも承諾したのである。
約束した時刻は、朝の九時ちょうどであった。
重光堂にはじめて客として訪れた二人の中国人が、
清水書記官に体を心持ち寄せながら、端然と腰をおろしている。
一人はねずみ色の背広に派手なネクタイをしめ、年のころ三十四、五、
額は広く理知的だったが、眼は蛇のように冷たく光り、
みるからに陰惨な、かみそりのような感じであった。
その男は丁黙邨 (ていもくそん) と名乗った。
李士群 (りしぐん) と呼ぶ、もう一人の中国の礼服姿の男は、
それより少し若かったが、色白のふっくらとした美男子で、瞳は明るく澄み、
一見朗らかそうで、およそ丁黙邨とは対照的であった。
わざと中国服にくつろいだ土肥原中将が、ゆったりと歩を運んで静かに現れた。
つやつやとした童顔には
呉佩孚工作の失敗を心痛したいましがたまでの苦悶はあとかたもない。
中国人の客二人はすぐ立ちあがって威儀を正し、うやうやしくこれを迎えた。
だが、そこには軍使となって敵陣に単騎乗りこんだ古武士のように、
恭謙のうちにも容易にゆずらないといった凛然とした気迫を見せていた。
「私が土肥原です。ようこそいらっしゃいました」
土肥原将軍はなめらかな中国語で愛想よく椅子をすすめ、
中国風にひとりひとりに煙草をすすめて丁寧に火をつける。
天衣無縫とでもいおうか、何の作為もない振る舞いだが、
仕草のはしばしには客をもてなす真心が国境や地位の違いを越えてにじみ出て、
ちょっと気負って見えた無名の若い中国人も、
そのなごやかなふん囲気にいつとはなしに温かくうちとけていた。
土肥原の名は中国では土匪の原と発音されて、
中国の軍閥時代から満州事変の初期にかけて、ものすごい謀略家だと
中国では恐れられたが、その伝説的な悪謀だけを聞いた中国の人々は、
彼を悪鬼のようにのろい、憎んでいた。
今度の二人の客も、さだめし荒々しい将軍の風貌を心に描きながら
重光堂を訪れたのであろうが、実際に会ってみると、
それはとんでもない見当違いであったことがわかったらしい。
李士群は後になって
「土肥原さんがあんなおだやかな人だったとは思いがけなかった」
と当時の印象を私に物語ったことがある。
清水書記官は約束の時間から少し遅れたのを
「今日もテロがあって、非常線で止められましたので……」 とわびてから、
土肥原中将に初対面の二人を紹介して、訪問の目的を述べた。
「両君はわれわれの同志です。日華の将来について閣下の高説を承りたいのだそうです」
それから清水書記官は二人の素性の説明にとりかかった。》
つづく
これは メッセージ 1842 (kir**gotowa**me さん)への返信です.