1938年11月20日 日華協議記録を作成
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/31 18:35 投稿番号: [1802 / 2250]
児島襄著
『日中戦争5』
文春文庫
182p
《 今井中佐は、十一月十八日、陸軍省軍務課長影佐禎昭大佐、
逓信省参与犬養健とともに上海にとび、
再び西、伊藤の二人をまじえて中国側の高、梅に会い、
二十日、前述の和平条件についての合意である
「日華協議記録」
を作成し、
日本側は影佐と今井、中国側は高と梅が調印した。
このとき、中国側は、特派員梅思平が香港、ハノイ、昆明経由で重慶にむかい、
「十二月五日以前」
に汪兆銘が重慶を出発するよう手配する、と述べた。
そして、特派員梅思平は、十一月二十九日に重慶入りの予定であったが、
二日早く、二十七日に重慶に到着した。
・・・・
183p
汪兆銘は、特派員梅思平をむかえると、
蒋介石が桂林に軍事委員会委員長桂林行営を開設するため、
十一月三十日に重慶をはなれる旨を語り、
十二月八日に重慶を
「脱出」
する、と述べた。
十一月三十日、蒋介石は予定どおりに桂林にむかったが、
この日、東京では同日の御前会議で
「日支新関係調整方針」
が決定された。
前述した上海会談の合意
「日華協議記録」
の内容に即したものであるが、
治外法権、租界の撤廃、二年以内の完全撤兵などの項目はなかった……。》
これは メッセージ 1800 (kir**gotowa**me さん)への返信です.
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