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1937年12月5日の揚子江啓開作戦

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/31 18:30 投稿番号: [1801 / 2250]
戦史叢書   『中国方面海軍作戦1』   459〜460p


《 五日の経過、   江陰付近の南岸一帯は完全に我が手に帰し、

北岸の残敵も少数となった模様であった。

クーパーバンク付近は四日の探掃で、機雷礁の存在が確実となった。



江陰北水道啓開

前路警戒隊は、クロッシング付近に集結して啓開作業の掩護態勢をとり、

舟艇をもって逐次北水道を略掃するよう命ぜられ、

第二十四駆遂隊の各艇内火艇一隻計四隻をもって五日   11:30〜18:30   掃海作業し、

その結果クーパーバンク・ビーコンの距岸一五〇米から南方約五〇米間隔に

機雷四個確認拘束、その南方約五〇米の機雷三個

(四日   「八重山、安宅」   小掃海隊発見)   と共に計七個の機雷に浮標を付けた。



そして六日朝から掃海を続行し、右機雷を処分するに決した。

また陸戦隊員を揚陸して機雷衛所を捜索したが、衛所及び敵兵を見なかった。



南水道の清掃

「保津、勢多」   及び掃海隊の曳船四隻は福姜沙水路の清掃を続行し、

南水道閉塞線での清掃を完了した。

宮里大佐指揮の特別作業隊は閉塞線上に可航水路を発見した。

「保津」   は午後、閉塞線下流近距離に転錨した。



四日〜五日の南岸偵察成果    四日   「保津」   から上陸した聯合陸戦隊は

同日長山を占領し、機雷管制所を捜索したが発見し得ず、五日朝撤退し帰艦した。

「保津」   艦長は五日午後、陸軍部隊と連絡を遂げ巫山山頂に

陸戦隊員を駐泊させ、陸軍との連絡に当たらせた。



南岸調査の結果、粛山電電学校に数種の機雷   (触発及び視発)   多数あり、

江岸に敷設準備中の視発機雷十数個があることを知った。

また管制用電纜   (でんらん:ケーブル)   らしいものが粛山江岸に一本、

長山江岸に二本あり、長山には電纜を引っ込んだ管制所らしいものを認めた。



第二、 第三掃海隊編入、 「八重山」除かる

五日付、第二、第三掃海隊が第一警戒部隊に編入された。

第二掃海隊は天塩丸、間宮丸、雄基丸、高砂丸、安宅丸

及び第一、第二、第三玉園丸の計八隻、

第三掃海隊は八幡丸及び第一、第二、第三、第六、第七博多丸の

計六隻の特設掃海艇で掃成されていた。

「八重山」   は第一警戒部隊から除かれた。》
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