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1937年12月4日 揚子江啓開作戦

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2012/07/27 18:51 投稿番号: [1793 / 2250]
戦史叢書   『支那事変   陸軍作戦1』   423p


《 上海派遣軍

四日、第十三師団は一部

(歩兵第二十六旅団長沼田重徳少将の指揮する歩兵三大隊、山砲兵一大隊基幹) を

もって揚子江水路開放ならびに石荘鎮−靖江−泰興道遮断のため、

揚子江を渡河して靖江を占領し、 主力は江陰付近を出発し、

江陰 −常州 − 奔牛鎮 − 孟河城 − 鎮江道を鎮江付近に前進し、

揚子江左岸地区に向かう作戦を準備させた。》



戦史叢書   『中国方面海軍作戦1』   458〜459p


《 四日の経過    四日、江陰要塞占領の確報があったが、巫山、

長山両砲台付近の状況はつまびらかでなかった。

この日 10:30、旗艦安宅はベントビーコン付近まで進出した。



「保津」   は   「八重山、粟、栂、蓮」   の聯合陸戦隊   (坂本大尉以下八六名)   を乗せて

09:00 出港、10:55 巫山の北東約一浬に仮泊、同地で上陸させ、

巫山砲台方面の敵情偵察、管制機雷用電纜   (でんらん:ケーブルの事)   の

発見処分及び陸軍との連絡に任じさせた。



一方   「粟、栂、蓮」   も 09:00 出港、正午ころ巫山の北方約二浬付近まで進出して

「保津」   と協力、陸戦隊の掩護に任じ、13:30 ビッグツリー浮標付近に帰着した。



「八重山」   はクーパーバンク南西にある管制機雷の位置付近の清掃計画を立て、

同艦分隊長を指揮官とし、 「八重山、安宅」   内火艇各一隻をもって小掃海隊を編成、

08:00   出発、15:20   クーパーバンク南西予想敷設線の掃海を開始し、

機雷三個を拘束した。

しかし処分するに至らず、うち一個に位置浮標を入れた。

特別掃海隊   (林少佐指揮・特掃四)   は保津艦長指揮の下に

福姜沙港水路の清掃及び航路標識設置を実施した。



神川丸機は終日、ビッグツリーの上流一、七〇〇米一帯の江中に爆弾を投下、

機雷原を暗探したが誘爆を見なかった。


また前路警戒隊指揮官は   「蓮」   に北水道の略掃を命じたが、同艦長は

「現場の操艦困難で見込みなく、また水深浅く現有掃海具では掃海不能である」

旨を報告した。



「寧海」の捕獲    保津艦長上田光治中佐は   12:15、内火艇で水路探索のため同艦発、

江陰閉塞線の南端と陸岸との間を縫うて封鎖線を突破、

我が爆撃を受け大破し江陰対岸に坐礁中の中国巡洋艦   「寧海」   を捕獲した。


この間敵陣地から機銃射撃を受け、後檣   (しょう)   上に負傷兵一名を

残したまま内火艇は避退、 「保津」   に帰艦した。

よって   「保津」   は14:55 発、 15:20 閉塞線を突破、

八★   (土+于)   港の敵陣を銃砲撃しつつ   「寧海」   に近接し前記兵を収容のうえ

18:25 閉塞線を突破し、巫山錨地に帰投した。

同夜、艦長は江陰方面陸軍部隊と連絡のため七名を上陸させた。

一行は第十三師団と連絡をとり、五日朝帰艦した。



第二十四駆逐隊は三日午後佐世保発、四日 17:00 クロッシング着、

「八重山」   と交代して前路警戒隊の任務を継承した。

「八重山」   は任務を解かれ下江した。》
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