入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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12月25日 石川達三南京へ向け出発

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/11/23 13:51 投稿番号: [1049 / 2250]
12月25日   石川達三は南京への取材のため、東京を発ちました。

『生きている兵隊』 中公文庫の後ろの方の   “「解説」   半藤一利”   204p   より引用



《 各雑誌は作家の現地特派という企画で競い合うことになる。

『中央公論』   は七月にもう尾崎士郎、林房雄を中国に派遣している。

同じく   『主婦の友』   は吉尾信子を送った。

九月には   『日本評論』   から榊山潤がでかけ、その報告がそれぞれの誌面を派手に飾った。

負けてはならじと   『文藝春秋』『改造』   などの各誌がそれにつづいた。

厳しい検閲のもとに、がぜん戦意を高める現地報告、従軍記、ルポルタージュが、

主流という情勢になっていく。



このとき、その二年前に第一回芥川賞を受けた気鋭の作家石川達三が

「俺が全然こんなのとは違った従軍記を書いてみせる」   と、

ひそかな野望を抱いたとしても、なんら奇怪   (おか)   しいことではない。


「毎日読む記事が画一的なんで腹が立ちました。戦争というものは、こんなものではない。

自分の目で確かめたいと思っているところへ、中央公論特派員の話があったのです」


と、石川は語っているが、とにかく、こうしてかれは中国戦線へ従軍することになる。

十二年十二月二十五日に東京を発ち、神戸から軍用貨物船で出港、・・・》



石川達三は、どうも、他の人達の穏和な記事が気に食わず、

残虐な光景を書きたかったようですね。

彼の小説は、最初から、そういう意図で取材され、まとめられていたのなら、

上海・南京戦の実態を表わしているとは言えません。



半藤氏は、石川達三の南京行きを   「従軍」   と書いていますが、

これは、従軍ではないでしょう。

別に、軍にくっついて行ったわけでもないし、

彼が、行った時には、上海戦も南京戦も終わっていました。

彼は、適当に、現地で話しを聞き、破壊の後を見、死体を見ただけです。

あとは、最初の想いのままに残虐話を作り上げただけでしょう。



こういう、でっち上げ話が、後に、善人心の日本人や、

松井大将の南京戦の見方に影響を与えたと言うべきでしょう。

松井大将は南京戦の総大将ですから、彼の言は、真実としてとられますが、

彼は、南京戦のときは、蘇州にいて現場を見ていません。

彼が後に見たのは、中国軍が、脱走の際に同士討ちをやって出来た死体です。

その同士討ちの事は、松井大将どころか、突入した日本軍も知らないのですから、

後から来たものは、日本軍がやったと勘違いするでしょう。



その死体に遭遇した日本兵も、これ幸いに、それを戦果として計上したでしょう。

そして、沢山の敵を殺したと自慢した水増し数字が、

戦後、虐殺の根拠とされたわけです。


愚かなことに。
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