チベット

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 明日コキントウが早稲田大学で講演

投稿者: kitahamanya 投稿日時: 2008/05/07 22:12 投稿番号: [22722 / 30899]
>日本の学生も口止めされているんだろうが。

征火護送でのこれまでの行為を考えると、チベットと言った瞬間、
起こることが想像できるね。

報ステ、バ加藤千洋の発言

投稿者: humburg_300g 投稿日時: 2008/05/07 22:11 投稿番号: [22721 / 30899]
「日中双方に弱みがある」

なに云ってやがる。

中国にはチベット問題で致命的な弱みがあるが日本には何の弱みもない。

弱っているのはウータン首相だけだ、アホ!

Re: インド人からみった:下らない投稿

投稿者: hello_bonbon2006 投稿日時: 2008/05/07 22:11 投稿番号: [22720 / 30899]
>チベットと中国が別の国のように書いてありますが、わたしは内モンゴル>や東北地方と同じように中国の一部だと思ってきたのですが、もちろん沖>縄や北海道が日本の一部と同じように。

  君の考え方(魂胆)はよく分かる。歴史をさかのぼれば、例えばアメリカはインディアンのものだったし、ハワイにもハワイ王国があった。その当時、北海道にはアイヌ土着民族がおり、沖縄には琉球王朝もあった。

  で、中国では?詳しくはないが、「清」は漢民族ではなく、満州民族だった。と、いうことは中国は満州の一部だった???また、イギリスなど、列強国に相当蚕食された。

  即ち、それまで弱肉強食の戦いが各地でなされ、近世の帝国主義時代、植民地時代に、真に独立を保ったのは、アジアでは日本とタイだけだった。

  そして、評価は分かれるが、日本は第二次世界大戦で植民地解放を訴えて負けたが、戦後を境にして、国際社会では、国連憲章をはじめ、植民地解放、民族自決権が世界的合意、流れとなった。

  しかし、中国は戦後、チベットへ侵攻した。即ち、明らかに国連憲章、民族自決の原則に違反しているのだ。国連が動けないのは、中国とロシアが共に拒否権を発動する構えをしているからだ。

  しかも、チベット亡命政府が現存している。従って、今回のチベット騒動も、中国の単なる内政問題ではない。

  また、表面は近代化などを装っても、宗教弾圧、民族浄化などの陰湿な人権問題が指摘されている。

  即ち、21世紀の今日にあって、チベットの民族自決権や人権は当然なのに、中国はそれを弾圧し犯している。

  チベットは決して中国の一部でないことが、多少でも分かった?是非、反論を求める。

Re: 明日コキントウが早稲田大学で講演

投稿者: bloodhound1945 投稿日時: 2008/05/07 22:09 投稿番号: [22719 / 30899]
ここにもきっと早稲田の学生さんがいると思うんだ。

是非講演会の様子を聞かせてほしい。

Re: Re下らない投稿

投稿者: friend_of_a_window 投稿日時: 2008/05/07 22:03 投稿番号: [22714 / 30899]
中国の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

チベット民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F



中国による侵略と大虐殺
中華人民共和国成立後、毛沢東はダライ・ラマ14世と北京で会談したが、無神論を強要した。1951年、中国人民解放軍がチベットのうち、まだガンデンポタンのもとで中国の支配から自立していた西蔵に侵攻。チベット民族を大虐殺した後、十七ヶ条協定を締結、自国領として組み入れた。中国は「農奴の状態にあったチベット族を解放した」と自賛している。その後は、多数の漢民族をチベットに移住させ、文化・経済を支配。そして、チベット人との強引な混血による民族浄化を推し進めている。西蔵自治区の区都ラサは、既に漢族が多数派の状態にあると、チベット亡命政府は主張している(中国政府統計によるとラサ人口の八割が蔵族)。2006年7月1日、青蔵鉄道が開通し、漢民族のチベット弾圧はさらに拍車がかかるものと思われる。

中国人による支配を嫌ったチベット族は、ヒマラヤを越えて北インド・ムスリに脱出し、ダラムサラにチベット亡命政府を樹立すると共に、チベット人学校を設立し、民族文化の継承に努めている。日本にも、東京・新宿にダライ・ラマ亡命政府日本代表部を開設している。

今ココ↓
[編集] 現在
2008年3月14日、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶や市民の抗議行動が起こった。中心部の商店街から出火するなど、市街への被害も大きい。既に正確な人数を把握するのは困難なほどの犠牲者が出ており、亡命政府によると、16日時点で死者はほぼ100人近く、負傷者も400人を超えているとの見方を示した。現在、世界各国の中国大使館前で中国政府への抗議活動が繰り広げられている。

明日コキントウが早稲田大学で講演

投稿者: domo39jp 投稿日時: 2008/05/07 22:02 投稿番号: [22713 / 30899]
どういう形式で行われるか知らないが今の首相が無能な男だけに早稲田の学生に期待。
福田・コキントウ最悪コンビの共同声明のなかに「歴史を直視」とあるが、コキントウに当時の日本の大陸進出と現在の中国のチベット侵略がどう違うのか聞いてもらいたい。コキントウは人の国の歴史云々より自国の今の現実を直視した方がいいだろう。
まあ、明日の講演も呼ぶのはほとんど中国の留学生で日本の学生も口止めされているんだろうが。
とにかく明日、日本の次代をになう早稲田学生のレベルが試される!

日本人は中国の視点でものを見るべき

投稿者: black_beret1022 投稿日時: 2008/05/07 21:54 投稿番号: [22708 / 30899]
聖火リレーで問題が起きたときの韓国の毅然とした態度、皆さんはどう思い
ましたか?

中国は、日本に無理な注文をつけたり失礼な態度をとっても、余程のことが
ない限り日本が絶対に怒らないことをよく知っていますよ。
中国からみたら、日本はちっとも怖くありませんね。
何か問題が起きても、ちょっと恫喝したら、すぐ言うことをききますね。
駄々をこねたらすぐお金を出してくれるし、技術支援もしてくれますよ。
だから、領事館の襲撃や、海底油田の強引な開発も、平気でできますね。
冷凍餃子の問題も同じです。
あれ程酷い事件なのに、3ヶ月経っても全く進展ありません。
あり得ますか?
その一方で、北京五輪への協力はしっかり要請し、聖火リレーも満足のいく
結果を得ることができました。

しかし、中国は決して根っからのバカではありません。
とりわけ、近年の中国の日本に対する言動が、どれ程失礼なものかは充分に
理解しています。
もし、アメリカやロシア、西欧諸国などが相手だったら、絶対にこんな態度
はとりませんよ。
韓国みたいに、本気で噛みついてくる国にも、穏やかな対応をします。

中国にとって、日本は対等ではなく、常に見下ろせる相手なのです。
例え、日本の支援なくして中国が立ちゆかない現状であっても、この構図は
変わりませんね。
そんなバカな、と思う人がいたら、自分が中国政府の高官になった積もりで
中国の立場から日本を見つめてみて下さい。
必ず、違う世界が見えてくるはずです。

Let's try. Find truth.

◆支那事変(日中戦争)は侵略戦争か

投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/05/07 21:43 投稿番号: [22701 / 30899]
胡錦濤来日の直前にパンダが死亡…誰が見ても怪し過ぎるぞ。チベットの動物パンダを殺してまで友好を演出するな。
ここで怪しいと気づいた人は、以下を読んで更に一歩踏み込んで考えてみてほしい。

◆支那事変は中共の陰謀工作で勃発

支那事変に至る過程を丹念に調べると、共産党の延安移転後に連続して不可解な事件が起きていることが分かる。
①共産党討伐を優先して満州国を半ば許容していた蒋介石の国民党政府と、②事変不拡大方針堅持のはずの日本が、何者かによって無理やり戦争に引きずり込まれていった様子が下の年表から伺える。
----------
共産党延安移転:1936.6-10月 ← 蒋介石の討伐を避けるため江西省瑞金から陝西省延安へ敗走しつつ移転。
西安事件     :    12.12 → 共産党討伐軍を督励するため西安に入った蒋介石が旧満州軍閥の張学良に拘禁され、助命と交換で共産党への攻撃停止を呑まされた事件
盧溝橋事件    :1937.07.07 → 北支事変(※但し日本は戦線不拡大方針)http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/rokokyo.html
通州事件     : 07.29 → 国内世論沸騰("暴支鷹懲":当時の日本はアメリカの9.11状態に)http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/tsushu.html
第二次上海事変: 08.13 → 支那事変(※日本の意に反し華中に戦線拡大)http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html   (デリシャス冷珈琲氏ブログ)
第二次国共合作: 9月   → 11月までに 国民政府(蒋介石)重慶に移転
日本軍南京攻略: 12.13 → 直後から「南京虐殺」のプロパガンダ始まる(欧米、とくに米国に対して日本に制裁を加えるよう政治工作)
http://jp.youtube.com/watch?v=4LbVeadjSbo

----------
◆最初から謀られて通州の悲劇
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tusyu_jiken_1.html

>≪反日ムードの裏側≫
・孫子以来、中国政府の要諦とは謀略が第一であり、中央集権の統一メカニズムを維持するためにさかんに情報操作、政治宣伝、悪質な謀略を用いる。本気で武器を用いた殺し合いをするのは愚か、と孫子は説いた。<

※日本や欧米と違って中国はガチの戦は苦手で、北方民族やウイグルやチベットやイギリスや日本に実戦ではいつも完敗しています。あの大唐もタラス河畔でイスラム帝国に敗れたし、チベットの前身の吐蕃にも負けています。
そのかわり中国の政治家は謀略を常に張り巡らす。自分は力を温存し、相手を分断し内部に手を突っ込んで混乱させてから、おもむろに平らげることを上策とします。
大唐が高句麗や突厥を滅ぼした時もそうですし毛沢東が現体制を築いたときも同じ事をしています。
(おそらく楚漢抗争の時に勇猛果敢な項羽ではなく、謀略を駆使した劉邦の側が勝ったことが影響していると思います。また孫子呉子の兵法書にも戦は下の下策とありますし)
今、中国は盛んにダライラマを陥れる謀略戦を国際社会に対して仕掛けている。戦前の日本に対しても、同じことをしていたと思うんです。(当然今の日本に対しても、です)
昭和初期の日本の対中外交方針が迷走に迷走を重ねたのは、当時の日本人にも、今とそれほど変わらない中国に対する(中国の現実とは遊離した)甘い手心があったからだと思っています。(そういう意味で、日本も中国も全然昔と変わっていないと思います。)
中国に対する根拠のない手心や和平への期待と、現実の中国の無法さの合間で日本は翻弄され、その間に中国側にはアメリカへの謀略工作を着々と進められて、あの無謀な戦争に追い込まれていった…と私は思っています。
私達はそういう風には学びませんが(それどころか日本が一方的に悪かったとばかり教え込まれます)、それを示唆する資料は調べれば沢山あります。

◆満州事変の失敗はむしろ平和主義(ノイズマン氏)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=ED&action=m&board=1086165&tid=2bfa4r65a4a8a4ka4ab&sid=1086165&mid=70

◆チベットの件で中国の正体に気づいた人は、更に一歩考察を進めて欲しい

Re: 福田総理は中国の対応を高く評価

投稿者: toto_yumenosuke 投稿日時: 2008/05/07 21:40 投稿番号: [22699 / 30899]
福田じゃあねえ、せっかくイニシアチブとれるチャンスをあっさり捨てるんだから。

官僚の中の官僚と評されるだけのことはある。

さっさと消えて欲しい。

悪魔来日、「戦略的主従関係」強化

投稿者: usero_yaboo_hebaritsuki 投稿日時: 2008/05/07 21:38 投稿番号: [22695 / 30899]
  とうとう、かの“バイブル”にも載っていた、いや違った、“ヌスットラダムスのちょっとだけ予言”にもあった悪魔が日本に降臨した。
  悪魔“コ”は、日本各地の動物園に既にレンタル済みの「客寄せパンダを貸してやる」と抜かし、まずカネを踏んだくることから物事を決めにかかった。
  外務省「パンダ.ラマ」、いや違った、「パンダ.ラバー」こと「チャイナチャイナ」が『貸してちょうだい』と言ったとか言わなかったとか。出来レースだから、どっちしても昨年から決まっていた事だろうな。
  するってえと、“リンリン”は犠牲(者)か?
  ご冥福をお祈りするとともに、「お疲れ様」と言わせて頂こう。
  しかし、レンタル料は、一頭につき一億円という情報もある。
  あんちくしょう、なんだかんだ恩を売っておきながら、盗るものは盗っていやがったか。

◇◇◇

『遺棄兵器「やっぱり手掘り」〜 機械開発7億ムダ(内閣府転換 爆発の危険高く)(PCI絡む事業)』
  コンサルタント大手「パシフィックコンサルタンツインターナショナル」(PCI)の特別背任事件の舞台となった中国での遺棄化学兵器処理事業で、内閣府が化学兵器の発掘方法について、これまで準備していた機械による遠隔操作から手作業での掘り出しに方針転換したことがわかった。発掘機械の開発などに投じられた国費は7億円以上。「手作業の方がコスト面で優れている」というのが理由だが、機械方式は当初から爆発の危険性が高いと指摘されており、同事業の迷走ぶりを象徴している。

  遺棄化学兵器処理事業を担当する内閣府の担当室は1999年の発足以来(当時は総理府)、兵器の大半が遺棄されている中国吉林省ハルバ嶺での発掘.回収を、機械で遠隔操作する方式を軸に検討してきた。
  事故が起きても人的被害が軽減できることや、手作業では化学兵器禁止条約が期限とした2007年(その後2012年に延長)までに事業を終えるのは難しいなどが理由で、風圧で土砂を吹き飛ばし、可動式のアームで化学兵器をつかむ機械が有力とされた。
  これに対し担当室が設置した01年9月の検討会で、専門家が「機械式の場合、爆発する恐れが大きい」と主張。03年度には国土交通省が神奈川県寒川町での化学兵器の回収を機械掘りで行って失敗したが、担当室はそれでも機械化にこだわり、昨年10月には機械発注に向けメーカーなどからの意見募集も実施した。
  ところが、07年までに行われたハルバ嶺以外の14地点での小規模な発掘事業では、手作業によって計4万発以上の化学兵器を回収できた。このため担当室で発掘方式を見直したところ、(1)化学弾の腐食が激しく、力加減が難しい機械でつかむと破損する恐れがある(2)機械化でも発掘.回収施設の建設に相当な時間がかかる――などを理由に、年内にハルバ嶺で手作業での試掘を始めることを決めた。
  関係者によると、機械による発掘を進めるため、内閣府がPCIの共同企業体などに払ったコンサルタント料や実験費用は7〜9億円に上る。
  今回の方針転換について担当室は「1000億円近い費用が必要な機械化に比べ、事業費の抑制にもつながる」としている。しかし、化学兵器に詳しい自衛隊OBは「少し考えれば機械でやるのは無理だと分かるはず」と批判。担当室の元幹部も「期限内の回収にこだわるあまり、適正なコストを追求してこなかった」と従来の方針に問題があったことを認めている。

(5月7日付読売新聞夕刊)

【投稿者記】
  「化学兵器は中国に譲渡済みだ」と何度も言っている。ところが、日本が処理をすることが勝手に決められ、処理事業費を日本が全額負担することになっている。今回だけがムダ金なのではなく、事業そのものがムダなのだ。

【関連投稿】
別トピ【1】:「福田康夫内閣」でトピック検索
別トピ【2】:「維新政党」でトピック検索
別トピ【3】:「国家解体」でトピック検索

『対外利権、ODAに続き、アジア開発銀行も』
(#21262)
(【1】:#253395)
(【2】:#786)
『PCI、中米ODAでリベート』
(【1】:#215054)
(【2】:#705)
『遺棄兵器処理、独占受注廃止、それだけか(1)〜(8)』
(【1】:#170666.#170669〜72.#170679〜80.#170683)
(【2】:#578〜85)

【関連投稿ツリー】
『「日本自治区化」推進』
(#22436)
(【1】:#257549)
(【2】:#801)
(【3】:#250)

※本投稿では、中点(なかてん)を「.」(全角ピリオド)で記述しています。携帯から「PCサイトビュア機能」を利用して投稿する際に、中点が「文字化け」するため、やむを得ず代用しています。

Re: Re下らない投稿

投稿者: naisho2006 投稿日時: 2008/05/07 21:36 投稿番号: [22694 / 30899]
>吐蕃王朝                7〜9世紀
>グゲ王国           842年〜1630年
>グーシ・ハーン王朝    1642年〜1724年

いずれも中原王朝の蕃邦ないし属国、独立国ではない。

福田総理は中国の対応を高く評価

投稿者: black_beret1022 投稿日時: 2008/05/07 21:34 投稿番号: [22693 / 30899]
福田総理の談話。

「チベット問題に対する、中国のねばり強い努力を高く評価する。」

いちいち口にはしませんけど、世界の国々はもう、日本をまともな国として
相手にしませんね。
日本は、いっそアメリカ合衆国に併合してもらったらどうですか?

言論自由

投稿者: lafaw2003 投稿日時: 2008/05/07 21:32 投稿番号: [22692 / 30899]
今後中国で野党をつくる予定、いまよりもっと自由になるはず。中国共産党もすでに野党「国民党」を許容しているが、国民党は知識人の塊で、なにも行動しない人間が多い。今後民主党をつくりたいね。応援してね

Re: Re下らない投稿

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 21:28 投稿番号: [22690 / 30899]
//>基本的ところから間違っている。
>チベットはただ一日でさえ、独立したことも無ければ、他国に独立国として承認されたことも無い。

  どこが基本的ところから間違っているのか?教えて欲しい。チベットが独立国だったことは、humburgさんが一連の国名を列記している。これが間違っているのか?//


私の投稿ではありません

Re: Re下らない投稿

投稿者: hello_bonbon2006 投稿日時: 2008/05/07 21:22 投稿番号: [22686 / 30899]
「インド人からみった・・」の一連の投稿に対し、僕が、で、中国がチベットを支配する権利がどこにある?と基本的なことを指摘・反論したところ、当の投稿者のyorika3さんは、以下の回答を寄せた。

>ごもっとも
>私は別に正しいとは思いませんが参考にまで

  しかし、君は執拗にも次のように述べている。

>基本的ところから間違っている。
>チベットはただ一日でさえ、独立したことも無ければ、他国に独立国として承認されたことも無い。

  どこが基本的ところから間違っているのか?教えて欲しい。チベットが独立国だったことは、humburgさんが一連の国名を列記している。これが間違っているのか?

  それらの点をはっきりさせないで、いい加減なことは投稿しないほうがいい。

  ウソを云っているなら、人を惑わすだけでなく、自分の人間性を自分で貶めていることになる。

Re: インド人からみったチベット(12)

投稿者: toto_yumenosuke 投稿日時: 2008/05/07 21:20 投稿番号: [22685 / 30899]
他人のHPをちゃっかりコピペする君はwadatsumi君かい?

http://cruel.org/economist/tibet.html

★謀略・捏造にまみれた中国共産党★

投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/05/07 21:19 投稿番号: [22684 / 30899]
チベットの件で中国の正体に気づいた人は、更に一歩考察を進めて欲しい

◆外国に浸食された日本
http://www.youtube.com/watch?v=qmShx7fK-ys
http://www.youtube.com/watch?v=y76FypRNPsk
http://www.youtube.com/watch?v=c6YDpVfXcmU
http://www.youtube.com/watch?v=v7eeRAxsLtM
http://www.youtube.com/watch?v=7ltMjv8u_fg

・憲法/教育にbuilt-inされた洗脳工作が戦後続いている
・東大法学部が洗脳工作のターゲットになってきた
・スパイ防止法規は、東大法学部出の有力政治家/弁護士/学者の猛反対で潰されてきた

◆なぜ日本人には歴史の真相が届かないのか
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1018.html

>戦後の日本人が大変歪んだ歴史観をもってしまい、いまだに歴史の真実を大変知りにくくなっている要因として、次の四点があると思います。
一つは、戦後半世紀の間、歴史資料の公開が、きわめて一方的で大変偏っていた、という構造があったということです。日本側の資料は敗戦の時に押収されていますし、連合国、戦勝国の資料のうち、まともな資料は五十年経たなきゃ出てきません。
また、戦後も日本人の歴史観を歪めるため、数々の意図的な、謀略のようなことが行われてきたことです。「慰安婦問題」の吉田清治のように、やってないことまでもやったという人たちが次々と出てくる。
それによって歴史が歪曲される構造があった。
二つ目は、「歴史利権」と私は言っているんですが、学者、マスコミ、出版界という知識人社会が一つになって、特定の解釈をする出版物しか出版させない、或いは学説として流布させないという利権構造があり、強い「タブーの世界」がそこに出来上がっているということがあります。
それから三つ目は、これは日本人として決して卑下すべきことじゃないんですが、日本文明の特質と言っていいほど「誠」、つまり真実というものに対する素直な姿勢ですね。
疑うことを知らない、そういう独特の国民精神の在り方みたいなものが、戦後の日本では国をおとしめるような解釈をする勢力に逆用されてしまった。
四つ目は、旧連合国の政治意思ですね。戦後の日本の歴史学界というものは、聞きしに勝る売国というか裏切りの精神で、自分の国の事は百パーセント以上に悪く言いたい。
いってみれば「吉田清治症候群」といってもよいような風潮が蔓延した。しかし、そこから抜け出そうとすると、日本周辺のいまだに戦勝国と称している国々が、日本の台頭、特に安全保障面、或いは憲法問題等で日本が普通の当たり前の国になろうとする思考を押さえる為に歴史問題をカードとして多用してきた。 <

日本だけでなく戦前の米国も共産勢力の謀略に踊らされて日米開戦に突入したとすると、結局は日米両国が陰謀工作の被害者なのであるが、米のほうはより力が強いために、戦勝国としての名誉と利権にあずかれ、より力の弱い日本は、現代に及ぶまで事実に基づかない不名誉と中傷を被っていることになる。(なお、台湾に追い払われた蒋介石の国民党も、1949年秋以降1970年代半ばまで国際社会から切り離されて共産党独裁下で塗炭の苦しみを味わった中国"国"民も被害者と言える)我々は、もういい加減に自虐的な史観を我々に押し付けてきた構造に気付き、そこから解放されるべきである。

◆中国共産党の「対日政治工作」
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/spy_boshi_1.html

このような文章は、私でも数年前には一笑に付していたであろう。
しかし豪で約1万人の中共工作員がいる事を亡命中国人が告白した。
韓国は北朝鮮スパイの浸透で10年に渡って親北政権が続き、おかしな方向に国が進んでしまった。
日本でも公安調査長トップや日弁連会長が北朝鮮に取り込まれていた事が明らかになった。
現在の日本の政治状況から見て、多数の政治家・マスコミ等が中国等の謀略に組み込まれていると考える方が理に適っている。

★コピペ大歓迎

↓元メッセージ参照:更に詳しい資料あり

Re: インド人からみった:下らない投稿

投稿者: gosan5963 投稿日時: 2008/05/07 21:18 投稿番号: [22680 / 30899]
チベットと中国が別の国のように書いてありますが、わたしは内モンゴルや東北地方と同じように中国の一部だと思ってきたのですが、もちろん沖縄や北海道が日本の一部と同じように。

インド人からみったチベット(12)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 21:14 投稿番号: [22678 / 30899]
大チベット」を目指して
同じく重要な点として、かれは何度も「六百万人のチベット人」なる発言をしている。そして国策による移住政策と漢化政策によって、チベット人を自国で「少数民族」に貶めたという誤った攻撃を中国に加えている。だが事実は公式の国勢調査を見ても外国の識者や専門家にきいてもわかる通り、チベット自治区の92パーセント以上はチベット人だ。ダライ・ラマは、中国社会主義国家が「ホロコースト」を実施してチベット人百万人以上を虐殺したとすら主張している。

  かれは「大チベット」再興を要求した。これは「チョルカ・スム」として知られ、「ウツァング、カム、アマド」地域を含む。これは20世紀初頭にイギリスが行った悪名高い試みである「外チベット」と「内チベット」を再現しようというに等しい。それは中国の主権を弱め、外チベットに対する中国の「不介入」を要求し、ラサのチベット政府に僧院の統括権を与えて、内チベットの自治体首長任命権すら要求するものだ。(ダライ・ラマは明らかに亡命先のインドに配慮してはっきりと要求はしていないものの、かれの言う「大チベット」は論理的にはラダクも含む――これはかつてンガリの一部であり、何度もカシミールの侵略を受け、19世紀にはカシミール配下に置かれ、やがてカシミールの一部として1846年にイギリスのインド支配に併合されている)。

  かれは「中国軍」つまり人民解放軍が大チベットから撤退すべきだと要求し、「チベットの武装解除を保証するために地域平和会議が招集されるべきだ」と主張している。ダライ・ラマ十四世の思い通りにいけば、中国の四省を分割することで単一の「脱漢化」だれた行政区が構築され、中国領の四分の一を配下に治めることになる。ちなみにチベット自治区は中国の 1/8 を占める。

  そしてかれは、インドをこの政治的野望に巻き込もうとさえした。あるときかれはセミナーで、「チベットに対する主権は、中国よりはむしろインドが持つべきである」と発言しているのだ。

パンチェン・ラマ十一世
  伝統的な宗教的権威の行使を装いつつ、かれは他にも政治的な挑発を行っている。1995 年にダライ・ラマは、インドに亡命中に先手を打って、当然ながら会ったこともないゲンドゥン・チューキ・ニマという 6 歳の男児をパンチェン・ラマ十一世として「認知」した。だが 1995 年に中国中央政府は、ダライ・ラマとパンチェン・ラマを指名し認知する何世紀も昔からの権利を行使して、パンチェン・エルデニとしてギェンツェン・ノルブの即位を承認した。(ちなみにゲンドゥン・チューキ・ニマとその家族は行方不明となり、後に中国政府が拉致連行を認めた。現在行方が知れない。)

インド人からみったチベット(11)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 21:12 投稿番号: [22677 / 30899]
反中国の政治家としてのダライ・ラマ
  中国指導層は長きにわたり、ダライ・ラマは単なる宗教指導者としてのみ評価はできないし、宗教的な側面がその主要な役割とさえ言えないと評価してきた。かれが単なる有力な宗教指導者なら、信教の自由を全市民に保証している中国憲法の枠組みに十分おさまる。だがダライ・ラマ十四世は、「大チベット」を中国から奪い去ろうと企む老獪な政治家だと評価されている――反共分離主義的政治家であり外部とのつながりの豊富な人物なのだ。

  ダライ・ラマの実績を見れば、確かにこの評価はうなずける。当初、かれは1951年の中国によるチベットの平和的解放(これは十年後にインドがゴアを平和的に解放したのに比肩できる)を受け入れた。そして「中央人民政府と西藏地方政府の西藏平和解放に関する協議」(いわゆる「十七か条協定」)を不本意ながらも受け入れ、支持した。この協定の主要な内容は、チベットを統一中国の一部として議論の余地なく認めるということだった。そしてチベット地域政府が人民解放軍に協力し、そのかわり既存の政治体制とダライ・ラマ及びパンチェン・ラマの地位と機能、権限を維持するということだった。そしてまた、驚くほどリベラルな条項として、地元政府が「自分の条件に応じて改革を進め」、それについて「中央当局からは何ら強制をしない」との規程さえあった。

分離主義的な活動
  だがインド亡命後、ダライ・ラマとそのカシャック(内閣)はその分離主義色をあらわにする。かれはチベットを「独立国」と宣言。1959年にはネルー首相の助言にもかかわらず、国連がチベットに介入するよう働きかけた。1960年には、ネパールにおける「Religious Garrisons of Four Rivers and Six Ranges」の再結成を呼びかけ、中国国家に対する軍事活動に加わることとなった。かれの「チベット亡命政府」は、「将来におけるチベット憲法草案」とそのフロント組織により、露骨に違法活動を行うと同時に、チベット人たちが「インドにおける反中国的な政治活動を行う」のを認めないというインドの長きにわたる政策をも無視し続けている。

  過去30年にわたり、高次の政治決定にしたがってダライ・ラマは世界を旅し、チベット問題の国際化に対する支援を取り付けようとして、「満足のいく公正な解決」のために各種の「現実的」な提案をおこなってきた。たとえば1987年にアメリカ議会への演説の中で発表された五項目和平プラン、そしてそれをさらに詳細にした1988年の通称ストラスブール提案。そしてストラスブール提案で表明された見解について1991年に「中国の指導層がこの問題について閉鎖的で否定的な」態度を取っているからとして「個人としてのコミットメント」を撤回するとの発言。そして1992年に訒小平に送った感情を逆撫でするプロパガンダ的な公開書簡などだ。

  その主要な発言において、ダライ・ラマはチベットが古来より独立国だったという立場をとっている。そしてそれがアジアの中核において地域の安定を保証する戦略的な「緩衝国」だったと述べる。さらにその「独立主権」を中国をはじめどんな外国勢力にも「移譲」したことはないという。そして中国のチベット支配は「植民地」勢力による「占領」である、と。そして「チベット人民は一度も国家独立主権の喪失を受け入れてはいない」と。

インド人からみったチベット(10)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 21:10 投稿番号: [22676 / 30899]
チベットのパラドックス
  物静かで内気な宗教指導者は、1959年の武装蜂起によりチベットを逃亡するまで君臨し、その後1960年以来信奉者たちとダラムサラ――インドの「リトル・ラサ」――を拠点にしてから、完璧な公的存在と世界旅行者になった。1989 年ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ十四世は、もっぱらチベット問題を国際的な議題として、世界的、中国内部、さらには印中関係において維持し続けている。

  政治的にはチベットはパラドックスとなっている。

  まず世界中でチベットの地位について異を唱える国や政府は一つたりともない。どの国も、チベットを中国の一部として認知しているし、ダラムサラにあるダライ・ラマの「亡命政府」にちょっとでも法的認知を与えている政府も一つもない。カシミールの法的地位について国際的な合意がないのとは好対照だ。

  チベットに関し、インドの立場は大きく進歩を遂げている。もともと英国植民地時代にははっきりした態度を取らない方針だったが、2003年にインド首相の訪中に際して印中関係に関する取り決めの一部として、インドは「一つの中国」政策を明確に認知し、「チベット自治区が中華人民共和国の領土の一部」であると認めている。またチベット人が「インド国内で反中国的な政治活動に従事すること」を禁ずるとつけ加えている。その後の政権も、2005年の温家宝首相訪印に際しての共同声明でこの立場を再確認している。

  一方で、チベットが政治問題であるのもまちがいない。これは頭の痛い国際的な側面を持っているし、中国の指導層や人民にとっての懸念であり、また国際的にも、そして部分的には国内でも、世論を分裂させてしまっている。

  この頭の痛い側面は、各種の客観的・主観的要因の相互作用からきている。ダライ・ラマの宗教的カリスマと、チベット仏教のイコン的国際地位の組み合わせ、その長寿と辛抱強さ、植民地主義者や西側勢力をはじめ、過去半世紀にわたりかれが支持してきたイデオロギー・政治的な狙い、かれの相当な資産と世界的な投資、世界各国のチベット亡命者たちが拠出するリソース、文化大革命期(1966-1976) に、チベットを含む中国全土で行われた文化的・人的被害の甚大さ、ダライ・ラマ個人とその事務所を中心に結集している「チベット独立」運動の、中道とはほど遠い性格、かれがハリウッドやメディア、立法者など西欧社会での影響力の高い人々に対してかれが持つ結びつき、そして進歩的なインド人の立場から最も頭が痛いのが、「チベット亡命政府」の活動がインドから行われているという事実だ。

胡錦涛=西蔵的屠殺鬼

投稿者: choro_virtue 投稿日時: 2008/05/07 21:03 投稿番号: [22675 / 30899]
胡錦涛=不自由主義者

Re: Re下らない投稿

投稿者: humburg_300g 投稿日時: 2008/05/07 21:01 投稿番号: [22674 / 30899]
>チベットはただ一日でさえ、独立したことも無ければ、他国に独立国として承認されたことも無い。

いやいや立派な独立国だったらしいよ。

吐蕃王朝                7〜9世紀
グゲ王国           842年〜1630年
グーシ・ハーン王朝    1642年〜1724年

Re: 中国共産党=土匪

投稿者: choro_virtue 投稿日時: 2008/05/07 21:01 投稿番号: [22673 / 30899]
そうかねえ。言論の自由や信教の自由についてどうかね?

Re: ★祝 天皇陛下も 胡主席来日を喜ばれ

投稿者: ojyamashimasudes 投稿日時: 2008/05/07 20:59 投稿番号: [22669 / 30899]
>いやぁ〜、今日はめでたい日ですねぇ〜

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20080507/20080507-00000047-nnn-soci.html


ネットウヨは、天皇とか、どうでもいいと、思ってるから、

このタイトルじゃ、釣れないと思うよ。

チベット問題◆まずこれだけは知ろう

投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/05/07 20:54 投稿番号: [22667 / 30899]
再三の掲示ですが、チベットの実状について周知徹底願います。

◆大高未貴さんのチベット・レポート
http://www.youtube.com/watch?v=YZv-BDiYhNg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=nmytj1JO0TA&feature=related

◆チベット:悲劇の物語
http://fr.youtube.com/watch?v=0VRneGYpaXc

※英語のみ・55分43秒と長いが、非常に貴重な映像
  特に、43分過ぎの文化大革命時の破壊された寺院の映像から先は是非見るべし。作り物ではない真のチベット人の表情が写されている。
   "Never believe the Chinese, never. Tell the Dalai Lama, not to come back."(46分過ぎ)
  1989年のラサでの騒乱時の映像、ダライラマのノーベル賞受賞式の映像もある。
 
◆チベットの現状報告−ルントック氏に聞く
http://www.youtube.com/watch?v=bKazlTkS6tc&NR=1

◆チベット問題   大高未貴氏に聞く ※●を外す
http://kukkuri.j●pn.org/boyakikukkuri2/log/eid287.html

"中国認定"のパンチェン・ラマ11世とは中共の捏造した偽ラマのことです。ダライ・ラマの認定した本物のパンチェン・ラマは中共に拉致されて行方不明です。

◆世界最年少の政治囚:誘拐されたパンチェン・ラマ
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/index.html

◆Why are we silent (リチャード・ギア他がチベット救援呼びかけ)
http://www.youtube.com/watch?v=r58Jtg8GY2o&feature=user

◆チベット亡命政府によるチベット領域の主張
(チベット自治区だけが本来のチベットではない←ここでも中共の欺瞞)
http://www.tibethouse.jp/about/outline.html

私は今から11年前(1997年)にネパール側からチベット〜ゴルムド〜西安〜返還直後の香港へと旅行しました。
4月〜10月くらいまでネパール・チベット間の国境が通行可能で、カトマンズのホテル街で外国人を募って、10数人集まると現地人のガイド付きで1週間かけてラサに向けて出発するトヨタハイエースを使った乗り合いツアーが当時ありました。
カトマンズからラサへ行く途中、チベット第二の街シガツェや第三の街ギャンツェを通りました。
この時初めて知ったのがパンチェン・ラマという第二の活仏。これはダライ・ラマの転生者の認定役兼教育役です。
シガツェはパンチェン・ラマの本拠地で、歴代のパンチェン・ラマの聖遺体が拝観できます。
先代のパンチェン・ラマはダライ・ラマがインドに亡命した後もチベットに残って文化大革命時の迫害等に耐えつつ1989年に逝去しました。
その転生者の認定権は歴史的にダライ・ラマにあり、この時もインドにいるダライ・ラマから認定がありましたが、中国政府はそれを拒否して勝手に両親が共産党員の別人物をパンチェン・ラマと認定し、北京で教育しています。(ダライ・ラマ認定のパンチェン・ラマは中共に拉致され所在不明です。)
私が行った11年前にはチベットの各寺院や街頭には、この偽パンチェン・ラマ少年の写真が掲げられており、チベットの人達は、ダライ・ラマではなく、この偽ラマに宗教的敬意を捧げることが強要されていました。
(チベットの人達は、当然ながらそれが偽物であることを知っています)
ダライ・ラマは既に高齢で、もし逝去した場合北京で育てられたこの偽パンチェン・ラマが次のダライ・ラマの転生者を認定することになり、そうなればチベットの自治獲得運動は一気に頓挫してしまうことでしょう。そしてそれは単に政治的な運動の頓挫に留まらず、長い歴史を持ったチベットという一文明の死ともいえる行為になるでしょう。
11年前ですらラサの街では、店先に出ている女将さんはチベット顔でも、奥にいる店主は漢族っぽいという場合が目だっていました。

⇒チベット問題は中共政府の本質を示す典型例です。我々は決してこのような非道な民族浄化を許すべきではありません。

↓元メッセージ参照:更に詳しい情報あり

Re下らない投稿

投稿者: naisho2006 投稿日時: 2008/05/07 20:53 投稿番号: [22666 / 30899]
>基本的質問:例えチベットがどんなに貧しく遅れ、奴隷制であったとしても、他国(中国)が支配する権利がどこにある?

基本的ところから間違っている。
チベットはただ一日でさえ、独立したことも無ければ、他国に独立国として承認されたことも無い。

あったら教えてくれ。

Re: インド人からみった:下らない投稿

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 20:41 投稿番号: [22664 / 30899]
ごもっとも
私は別に正しいとは思いませんが参考にまで

いよいよですな

投稿者: bannzaioioi 投稿日時: 2008/05/07 20:36 投稿番号: [22660 / 30899]
4564

Re: インド人からみった:下らない投稿

投稿者: hello_bonbon2006 投稿日時: 2008/05/07 20:30 投稿番号: [22655 / 30899]
基本的質問:例えチベットがどんなに貧しく遅れ、奴隷制であったとしても、他国(中国)が支配する権利がどこにある?

  チベット国内で民衆の内乱でもあったのか?どのような口実で中国がチベットを攻め、篭絡したか知っているのか?

  いくら中国がチベットの近代化に尽力したとしても、民族自決の原則の下、チベットに主権を戻さない限り、決して感謝されることもないし、国際社会からも容認されないのは明らかだ。

  それらの原則を語らないまま、下らない投稿をするな!

Re: 日本自民党=日本自滅党

投稿者: lafaw2003 投稿日時: 2008/05/07 20:26 投稿番号: [22654 / 30899]
日本自民党=日本自滅党

Re: 中国共産党=土匪

投稿者: lafaw2003 投稿日時: 2008/05/07 20:24 投稿番号: [22653 / 30899]
やあ、石原慎太郎より全然マシ

インド人からみったチベット(9)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 20:24 投稿番号: [22652 / 30899]
チベット亡命政府」なるもの
  では「チベット独立運動」の未来はどうだろうか?

  「亡命チベット」なる用語は、ダラムサラに本拠を置く「チベット亡命政府」が使っているもので、インドをはじめ数カ国に分布する、ダライ・ラマの支持者とされる15万人ほどを指す。ダライ・ラマは「活仏」であり、2007年6月6日に七二歳となったが、過去数年で何度か健康上の問題を見せている。当のダライ・ラマ自身が、自分の死について各種の発言を行うことで、未来についてはっきりしない部分を広めてしまっている。ときには、自分が最後のダライ・ラマになるかもしれないと述べたし、この制度を終わらせるために「民主的」な方式を提案したりさえしている。だが一方では「わたしが亡命中に死んだら、そしてチベット人民がダライ・ラマ制度を存続させたいと願うなら、わたしの生まれ変わりは中国配下の土地では生まれないだろう(中略)生まれ変わりは(中略)外部の自由世界で生まれるだろう。これは絶対の自信をもって言える」。こうした発言は、チベット仏教の生まれ変わり教義のような神秘的宗教的領域においてさえ(そして21世紀の信者にはなかなか信じがたいものだが)、ダライ・ラマのアプローチは明らかにイデオロギーと政治に左右されている、ということをはっきり示している。

  宗教指導者としてのダライ・ラマは、確かに世界で最も顔の知られた人物だ。ローマ法王やホメイニ師にも並ぶ知名度だろう。ただしかれは、このどちらよりずっと長いこと世界の檜舞台に上がっているのだが。その双肩には何世紀もの歴史がのしかかっている。というのもかれは、明皇帝に忠誠を誓っていた蒙古の領主が16世紀に始めた「生まれ変わり」の14代目なのだ。かれは名誉称号である「ダライ」(海)を、ゲルグ派の「活仏」に与えて三代目ダライ・ラマを作り上げた (それに先立つ二人のダライ・ラマは死後にその地位を与えられた)。

  歴史的記録を見れば、ダライ・ラマという制度が政治宗教的な超権力の「化身」であり、しかもそれは中国の中央政府によって認知され、お墨付きをもらった結果としてできたものだとわかる。それが始まったのは17世紀半ば、偉大なダライ・ラマ五世が北京の清朝皇帝を表敬訪問し、正式な地位と黄金の任命書、および権力の金印を与えられたときに始まる。ダライ・ラマ十三世は、ずるがしこく信用できない政治的な役者であり、中国中央政府と介入主義的な植民地イギリスとの間で立ち回り、しばしば後者と手を結んだ。おもしろいことに1940年2月22日にテンジン・ギャツォがダライ・ラマ十四世としてポタラ宮殿で即位したとき、それに必要な証明書や認定のハンコは蒋介石の中国国民党政府からきており、さらに蒋介石は即位式の費用をまかなうために40万銀ドルを用立てているのだ。

Re: 胡錦涛=西蔵的屠殺鬼

投稿者: choro_virtue 投稿日時: 2008/05/07 20:24 投稿番号: [22651 / 30899]
お前、紅訌だな。

インド人からみったチベット(8)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 20:23 投稿番号: [22650 / 30899]
ヒルトンのシャングリラ
  そしてチベット自治区の外にあるチベット人コミュニティも、明らかに中国の経済発展の恩恵をこうむっている。 西寧は、超近代的なビルと商業複合ビルが伝統や古きものと共存しているが、まさにそれを実証するものとなっている。中国南西部の雲南省にある迪慶チベット族自治州も、驚異的な変貌をとげている。2001 年にはこの州の主要都市Zhongdian は公式にシャングリラと改名した。ジェイムズ・ヒルトンが1933年の小説「失われた地平」で有名にした伝説の土地にちなんでのことだ。この郡もまたシャングリラを名乗り、このブランドは内外の観光客を大量にこの地に呼び寄せている。

1997 年からの 10 年でシャングリラの経済は年率平均 12 パーセントで成長し続けたという。そして過去5年だと平均年間成長率は 20 パーセントをくだらない。Zhongdian などで出会った若いチベット人の中には、インドの難民キャンプで育ちながら、中国の大経済発展で運試しをしようと帰国した人々がいた。そのうち三人は力をあわせて、カンパキャラバン冒険旅行社を設立し、それが大繁盛している。またトレンディなエスニックレストランも開店し、次には豪華ホテルなどさらに収益をあげる商売に手を出そうとしている。

  中国共産党の現在の関心は、「調和的社会」の建設にあり、中国の「平和な台頭」の発想はダライ・ラマですら歓迎している。これは 2006 年にダライ・ラマ法王の特使ロディ・ギャルツェン・ギャリが行った演説から推測される。

  産業発展、サービス産業、教育の発展、さらには農業と牧畜の近代化、十分な雇用、全面的な貧困削減、先進的な環境保護プログラム、チベット人民の言語、文化、信仰、憲法に規定された自治権の尊重により、台頭する中国は明らかにこの自立した波乱含みの地域を全面的に発展させるだけの力を持っている。これほどの大国が、その増大するリソースを全国人口の 0.21 パーセントしかいない地域に集中させる機会はまずないだろう。しかもその人口 281 万人は、中国国土の八分の一を占める地域に散在しているのだ。

中国共産党=土匪

投稿者: choro_virtue 投稿日時: 2008/05/07 20:22 投稿番号: [22647 / 30899]
中国共産党はどうなんだ?

インド人からみったチベット(7)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 20:22 投稿番号: [22644 / 30899]
旧体勢
  ダライ・ラマの神聖政治期には、土地をはじめほとんどの生産手段は、三種類の地主に押さえられていた――役人、貴族、高位のラマ僧だ。かれらは人口のわずか五パーセントでしかない。チベット人の大半は農奴や奴隷であり、1951 年には百万人にのぼった。かれらは極貧にあげぎ、主人の領有する土地の付属物とされ、教育も保健も個人の自由も、一切の地位や権利もなかった。そして無給の労働(ウラグ)を強制され、すさまじい地代を搾り取られていた。

  農業は焼き畑式。近代産業はないも同然。交通輸送はもっぱら動物や人間の背。人生はおおむね悲惨で短く、病気が猖獗をきわめ、人口は停滞し、平均寿命は 36 歳。旧チベットでは、僧侶や尼が人口の一割を占めていた。この抑圧的な封建神権制の頂点にいたのが、ダライ・ラマという制度にして個人なのだった。

  1951 年以前のチベットには、まともな学校はなかった。千年前から続く、仏教経典学習と部分的にチベット語に特化した僧院学校が教育の主要形態だった。僧院の外には役人に対してごく基本的な教育――読み書き算数と仏典暗唱――を提供する学校はないわけではなかったが、その生徒数は千人以下。当然ながら、文盲率は九割以上だった。

  これほど劣悪な社会経済状況から出発すれば、発展が早いのも当然だろう。武装蜂起とダライ・ラマの逃亡で引き起こされた 1959 年の民主改革により、農奴制と地主至上主義は廃止され、社会主義制度が段階的にチベットに導入された。これも紆余曲折があり、導入をあまりに急がせようとする「極左」的な試みもあった――特に 1966-1977 年の文化大革命は、中国の他の部分と同様に、チベットにおいても人生、経済、教育、宗教、文化的伝統にとって大幅で嘆かわしい被害を与えてしまった

  多くのチベット人は 1961-1965 年を物質的生活の「黄金時代」として記憶しているが、チベットの生活と仕事を一変させたのは、1978 年以降の経済改革と開放政策、および政治面での最近の進展だ。中国のトップ指導者だちは、自国の「西部開発」のためにもっとずっと尽力できたはずだと公式に認めている。特にチベットにはもっと支援できたはずだ、と。この地域に開発主導政策を新たに適用しはじめたのは訒小平だった。胡耀邦は 1980 年に重要なチベット視察を行い、チベット開発の優先度をさらに上げた。そして10年後に 江沢民が視察訪問を行っている。

  胡錦涛自身、十年以上にわたって、チベットに隣接する貴州省における中国共産党組織者として活動しており、その後は中国共産党チベット自治区地域委員会の書記をつとめている。

  だが通常のチベット家庭の多くで見られるのは、毛沢東の肖像だ――かれはいまだに旧封建体制の地主や僧侶たちから農奴百万人を解放してくれた存在と考えられているからだ。また多くのチベット家庭は、ダライ・ラマ十四世の肖像と、パンチェンラマ十世と十一世の肖像を同時に掲げても特に矛盾は感じないようだ。これは2000年に訪問時には見られなかったものであり、チベットの社会政治状況が自治区内外でずっとゆるやかになってきていることを示している。

インド人からみったチベット(6)

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 20:20 投稿番号: [22643 / 30899]
僧院は明らかに旧世界に属するものだが、ここにも近代化のしるしはたくさん見られる。西寧近郊の16世紀に建立されたKumbum僧院にいっても、ラサ近くの15世紀のセラ僧院に出かけても、雲南省迪慶チベット族自治州の17世紀ソンザンリンにでかけても、僧たちは伝統的な袈裟を着て、チベット仏教固有の様式化された身振りを交えた形式で経典について議論をしている。だが一方では携帯電話を持ち、聖なる部屋へのカメラ持ち込み料金を徴収し、衛星テレビを眺めて、観光客のために演じる。
チベット近代化のハブでもあるシガツェ市の北西郊外には、歴代パンチェン・ラマのいる壮大なタシフンゴ僧院がある。15世紀に、ツォカンパ師の弟子で初代ダライ・ラマ(ただし死後に与えられた称号)でもあるゲンドゥン・ドゥプが建立したものであり、チベット仏教主流のゲルグ派の主要僧院6つの一つだ。パンチェン・ラマ十世――かれはダライ・ラマ十四世とはちがってチベット国内にとどまり、中国政府と協力してチベットにために建設的な努力をする道を選んだ――の墓のある記念ホールにカメラを持ち込むには、125元の料金がいる。メインのカメラに加えて二台目の小型デジカメを使おうとすると、若い僧が目ざとくそれを見つけ、もう125元払わないと二台目はダメだと告げられた。

Re: 胡錦涛=西蔵的屠殺鬼

投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 20:19 投稿番号: [22642 / 30899]
????????????

小泉、石原=政治泥棒

投稿者: lafaw2003 投稿日時: 2008/05/07 20:13 投稿番号: [22641 / 30899]
小泉、石原慎太郎は日本の国賊、日本人の税金で賄っている二家、日本のためにやったことは一つもない。
国を玩具として遊んだだけ、日本人よ、よく考えろ!
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)