インド人からみったチベット(12)
投稿者: yorika3 投稿日時: 2008/05/07 21:14 投稿番号: [22678 / 30899]
大チベット」を目指して
同じく重要な点として、かれは何度も「六百万人のチベット人」なる発言をしている。そして国策による移住政策と漢化政策によって、チベット人を自国で「少数民族」に貶めたという誤った攻撃を中国に加えている。だが事実は公式の国勢調査を見ても外国の識者や専門家にきいてもわかる通り、チベット自治区の92パーセント以上はチベット人だ。ダライ・ラマは、中国社会主義国家が「ホロコースト」を実施してチベット人百万人以上を虐殺したとすら主張している。
かれは「大チベット」再興を要求した。これは「チョルカ・スム」として知られ、「ウツァング、カム、アマド」地域を含む。これは20世紀初頭にイギリスが行った悪名高い試みである「外チベット」と「内チベット」を再現しようというに等しい。それは中国の主権を弱め、外チベットに対する中国の「不介入」を要求し、ラサのチベット政府に僧院の統括権を与えて、内チベットの自治体首長任命権すら要求するものだ。(ダライ・ラマは明らかに亡命先のインドに配慮してはっきりと要求はしていないものの、かれの言う「大チベット」は論理的にはラダクも含む――これはかつてンガリの一部であり、何度もカシミールの侵略を受け、19世紀にはカシミール配下に置かれ、やがてカシミールの一部として1846年にイギリスのインド支配に併合されている)。
かれは「中国軍」つまり人民解放軍が大チベットから撤退すべきだと要求し、「チベットの武装解除を保証するために地域平和会議が招集されるべきだ」と主張している。ダライ・ラマ十四世の思い通りにいけば、中国の四省を分割することで単一の「脱漢化」だれた行政区が構築され、中国領の四分の一を配下に治めることになる。ちなみにチベット自治区は中国の 1/8 を占める。
そしてかれは、インドをこの政治的野望に巻き込もうとさえした。あるときかれはセミナーで、「チベットに対する主権は、中国よりはむしろインドが持つべきである」と発言しているのだ。
パンチェン・ラマ十一世
伝統的な宗教的権威の行使を装いつつ、かれは他にも政治的な挑発を行っている。1995 年にダライ・ラマは、インドに亡命中に先手を打って、当然ながら会ったこともないゲンドゥン・チューキ・ニマという 6 歳の男児をパンチェン・ラマ十一世として「認知」した。だが 1995 年に中国中央政府は、ダライ・ラマとパンチェン・ラマを指名し認知する何世紀も昔からの権利を行使して、パンチェン・エルデニとしてギェンツェン・ノルブの即位を承認した。(ちなみにゲンドゥン・チューキ・ニマとその家族は行方不明となり、後に中国政府が拉致連行を認めた。現在行方が知れない。)
同じく重要な点として、かれは何度も「六百万人のチベット人」なる発言をしている。そして国策による移住政策と漢化政策によって、チベット人を自国で「少数民族」に貶めたという誤った攻撃を中国に加えている。だが事実は公式の国勢調査を見ても外国の識者や専門家にきいてもわかる通り、チベット自治区の92パーセント以上はチベット人だ。ダライ・ラマは、中国社会主義国家が「ホロコースト」を実施してチベット人百万人以上を虐殺したとすら主張している。
かれは「大チベット」再興を要求した。これは「チョルカ・スム」として知られ、「ウツァング、カム、アマド」地域を含む。これは20世紀初頭にイギリスが行った悪名高い試みである「外チベット」と「内チベット」を再現しようというに等しい。それは中国の主権を弱め、外チベットに対する中国の「不介入」を要求し、ラサのチベット政府に僧院の統括権を与えて、内チベットの自治体首長任命権すら要求するものだ。(ダライ・ラマは明らかに亡命先のインドに配慮してはっきりと要求はしていないものの、かれの言う「大チベット」は論理的にはラダクも含む――これはかつてンガリの一部であり、何度もカシミールの侵略を受け、19世紀にはカシミール配下に置かれ、やがてカシミールの一部として1846年にイギリスのインド支配に併合されている)。
かれは「中国軍」つまり人民解放軍が大チベットから撤退すべきだと要求し、「チベットの武装解除を保証するために地域平和会議が招集されるべきだ」と主張している。ダライ・ラマ十四世の思い通りにいけば、中国の四省を分割することで単一の「脱漢化」だれた行政区が構築され、中国領の四分の一を配下に治めることになる。ちなみにチベット自治区は中国の 1/8 を占める。
そしてかれは、インドをこの政治的野望に巻き込もうとさえした。あるときかれはセミナーで、「チベットに対する主権は、中国よりはむしろインドが持つべきである」と発言しているのだ。
パンチェン・ラマ十一世
伝統的な宗教的権威の行使を装いつつ、かれは他にも政治的な挑発を行っている。1995 年にダライ・ラマは、インドに亡命中に先手を打って、当然ながら会ったこともないゲンドゥン・チューキ・ニマという 6 歳の男児をパンチェン・ラマ十一世として「認知」した。だが 1995 年に中国中央政府は、ダライ・ラマとパンチェン・ラマを指名し認知する何世紀も昔からの権利を行使して、パンチェン・エルデニとしてギェンツェン・ノルブの即位を承認した。(ちなみにゲンドゥン・チューキ・ニマとその家族は行方不明となり、後に中国政府が拉致連行を認めた。現在行方が知れない。)
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