NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/01/26 22:11 投稿番号: [28 / 28]
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これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/18 12:12 投稿番号: [27 / 28]
senkaku_island様:
昭和十年でした台北で台湾万博がありました。人気興行でアジアの諸国から参観にきました。その時戦後台湾の行政長官役の陳儀が蒋介石の命令で万博も参観に出かけてきました。陳儀は台湾が清に代わって日本の領土に成ったことがよかったと申しています。当時、博覧会の何処にも生蕃や塾蕃の見世物などはありませんでした。人気取りの高い見世物だと申すなら、この万博で当然だしていたでしょう。山地人の教育をすすめ近代化を進めた文明開化を総督が何故こんな展示などするでしょうか。NHKの強引なる報道偏見
の結果であります。
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/18 12:10 投稿番号: [26 / 28]
senkaku_island様:
昭和十年でした台北で台湾万博がありました。人気興行でアジアの諸国から参観にきました。その時戦後台湾の行政長官役の陳儀が蒋介石の命令で万博も参観に出かけてきました。陳儀は台湾が清に代わって日本の領土に成ったことがよかったと申しています。当時、博覧会の何処にも生蕃や塾蕃の見世物などはありませんでした。人気取りの高意味セものだと申すなら、この万博で当然だしていたでしょう。山地人の教育をすすめ近代化を進めた文明開化を総督が何故こんな展示などするでしょうか。NHKの強引なる報道偏見
の結果であります。
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/01/16 00:11 投稿番号: [25 / 28]
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/01/07 23:23 投稿番号: [24 / 28]
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/01/01 07:19 投稿番号: [23 / 28]
heitotakaohonors:
インドネシヤ沖のスラバヤ沖海戦、ソロモン海海戦、珊瑚礁海戦などでは
既に戦闘機、艦爆攻撃機などの操縦訓練を僅か1年くらいの未熟で若い
少年航空兵上がりが多く戦死しました。終いにはグライダーで訓練を受けた
操縦士もでてゆきました。複葉訓練機の練習が最高の機種でありました。
ラバウル航空隊の操縦者が精々熟練の残りであったとか。それでも物量は良質を凌ぎ東太平洋の制空権はほとんどなきにしとしい実情でした。勝利の戦機をつかんだときに和平工作と申したが、もういつでもはじめるべきでありました。軍部の中心連中はまだ勝てると国民をだまして沖縄の悲劇、原爆の
惨劇を受ける原因をつくりました。直接の原因を起こしたのは、やはり大本
営と軍部の将官たちと天皇陛下の側近たちの頑迷と自己欺瞞とからくりの悪始末でありました。平和はこんなときこそ大事です。でも平和、平和とさけんでも周辺諸国が制覇を期待しているからには、自国を防衛する準備と気概と愛国心がないと平和は維持されません。中国が経てきた、毛の大進撃と文革を思うとおぞましき略奪、粛清、奥地のチープレーバー、恥辱を受けた外モンゴル、チベットの二の舞となります。今流行りの中国での言葉は、財力に富む中国人の経営者に勤労心の高い日本人の労力が一番のよいコンビだとのことです。それでも仕方無いといいますか?断じて許しがたい漢人気質で
あります。
これは メッセージ 20 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/12/25 22:15 投稿番号: [22 / 28]
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/12/20 13:33 投稿番号: [21 / 28]
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/17 10:56 投稿番号: [20 / 28]
sennin0630様:詳しく記載していただきまして感謝。彼等英国東洋艦隊
は偵察機を持っていたが、援護戦闘機の援護なくしてアジアまで航行
そてきました。シンガポールにも英軍航空機が皆無で援護支援を依頼できなかったのですね。まさしく、1年半後の日本海軍の南太平洋でのソロモン海戦などのごとく、空からの援護なくしての殴りこみと同じ被害をだしたと同じでありました。航空機もなかったが操縦兵も未熟でありました。Midway Sea Battle以後、米軍機操縦兵が日本機との空中交戦で「ダックを打つが如し」と嘯いたそうです。すべて建前が揃っているときは断然強いのが、日本でありました。
これは メッセージ 19 (sennin_0630 さん)への返信です.
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/13 09:07 投稿番号: [19 / 28]
レパルス沈没
午後1時37分、宮内七三少佐率いる鹿屋航空隊の一式陸上攻撃機26機は積雲の切れ間から右方向に水上偵察機を発見、午後1時47-48分に雲下に出るとZ部隊を発見した。この水上機は、「レパルス」から発進したビル・クローザー准尉のスーパーマリン ウォーラス水上偵察機だった。『我れ航行の自由を失えり』の信号旗を掲げた「プリンス・オブ・ウェールズ」は、推進軸損傷のため20ノットで緩慢に左旋回し、「レパルス」は28ノットに増速すると右に急速転舵する。鹿屋航空隊第一中隊9機のうち、4機が「ウェールズ」を攻撃して右舷に魚雷3本・左舷1本命中を主張。5機が「レパルス」に向かい、左舷に魚雷1本を命中させて左舷機関室に浸水を生じさせた。続いて鹿屋航空隊第二中隊8機は、2機が「ウェールズ」を攻撃して右舷に魚雷1本命中を主張、6機が「レパルス」を攻撃し、「ウェールズ」に合計魚雷4-5本、「レパルス」に魚雷合計7-10本命中を主張している。これは魚雷命中の水柱を攻撃側が自機の戦果と誤認したものであり、鹿屋空第一中隊第二小隊長として本海戦に参加した須藤は、「レパルス」への魚雷命中は5-6本程度と推測している。「レパルス」に乗艦していた英国人記者によれば、最初に左舷へ魚雷2本(機関部浸水)、次に右舷中央部に2本、最後に1本が後部に命中したと記録している。また、命中したものの不発だった魚雷も目撃されている。鹿屋空第三中隊9機は「レパルス」に挟撃雷撃を行い、対空砲火で2機が撃墜された。この他に11機が被弾し、3機の被害は大きかった。対水雷防御に欠ける巡洋戦艦である「レパルス」は浸水が激しく、被雷から4分を経た午後2時3分(英軍時間12:33)、左舷に転覆して沈没した。駆逐艦「エレクトラ」が571名、「ヴァンパイア」がテナント艦長と従軍記者を含む225名を救助した。宮内少佐・鹿屋空雷撃隊総指揮官は『敵戦艦1隻撃沈、1隻は攻撃続行の要あり』と打電して帰途についた。
午後2時、美幌航空隊の九六式陸上攻撃機(武田中隊8機、大平中隊9機、各機500kg通常爆弾装備)が、雷撃を受けて炎上する英戦艦2隻上空に到達した。英軍によれば、最初に攻撃を行ったのは大平中隊である。大平中隊は何もない海面を誤爆して帰還したが、駆逐艦1隻を撃沈したと報告した。戦後、大平は「プリンス・オブ・ウェールズ」を狙って水平爆撃を行おうとしたが、初陣の爆撃手のミスにより、英戦艦のかなり手前の海面に投弾したと証言している。英戦艦乗組員が安堵したのも束の間、武田中隊は「プリンス・オブ・ウェールズ」に水平爆撃を行い、午後2時13分に後部主砲塔付近と左舷艦尾に命中を主張した(英軍によれば命中弾1、不落下弾1)。
「プリンス・オブ・ウェールズ」には、午後1時50分ごろ魚雷1本が艦首右舷に命中、2本目が艦橋右舷付近に命中、3本目は後部三番砲塔右舷付近に命中、4本目は右舷外側推進器軸付近に命中、「ウェールズ」の傾斜は回復したが1軸運転・最大発揮速力8ノットとなった。武田中隊が命中させた爆弾は「プリンス・オブ・ウェールズ」の最上甲板を貫通して艦内で炸裂、同艦の船体中央部の飛行機甲板は全体が盛り上がるほどの損傷を受け、さらに通称「シネマデッキ」に収容されていた負傷兵に多数の死者が出たほか、火災の煙が罐室に逆流・機関兵は退去した。武田大尉は「プリンス・オブ・ウェールズ」がシンガポールに帰航する可能性を考慮し、日本軍潜水艦により「プリンス・オブ・ウェールズ」にとどめを刺すよう要請して戦場を離脱した。もっとも、爆撃により英戦艦は最後の罐室を放棄したので、航行能力を完全に失っていた。日本軍航空隊が英軍駆逐艦を攻撃せず救助作業を妨害しなかったのは、単純に爆弾や魚雷を使い果たした上に燃料が少なかった為であり、戦後、須藤(一式陸攻雷撃隊)から事情を聞いた「ウェールズ」のゴーディ機関長は落胆している。
これは メッセージ 18 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/12 15:17 投稿番号: [18 / 28]
sennin0630様:
も少し戦局の悪い時期に英国東洋艦隊画喜望峰を回ってきたら、講和条約
申し込みをする時期であったかもしれません。だが開戦半歳で戦勝戦勝の
時期にはとても講和はできなかったのです。台湾の日日新聞で写真付の
魚雷攻撃で円を描いて逃げ回る、まさかと思った轟沈で終わったのがよかったのか悪かったのか戦争はそのままつずいたのです。国民学校の一人残らず
[プリンスウェルスとレパルス」の戦艦と巡洋艦の名前は覚えないと恥とおもわれました。護衛機の援護がないとこんなものでした。その後ミッドウエイ
島攻防戦では護衛機と偵察機の不足があんな犠牲をだしてしまいました。ブーゲンビル島での山本五十六元帥の戦死も護衛機の不足が原因でありました。しばらくすると、空爆機、戦闘機、艦爆機、艦載機の不足で古賀峰男連合艦隊司令もミンダナオに本部を移動する途中でスコールの中に巻かれて事故死しました。戦争に負けたが、精神では負けなかったのですね。臨時ニュースでラジオで台湾南部で聞いた悲報でした。
これは メッセージ 17 (sennin_0630 さん)への返信です.
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 14:25 投稿番号: [17 / 28]
午後1時20分、美幌航空隊第四中隊(高橋勝作大尉)の九六式陸攻8機が戦場に到達した。第四中隊も元山航空隊と同じく「レパルス」と「金剛」の見分けがつかず、撃たれてから英軍と確信した。午後1時27分、故障で魚雷投下に失敗した高橋機を除く7機は魚雷7本を投下するも「レパルス」は全て回避する。高橋中隊の損害は被弾小破3機で、魚雷投下行動を2度やりなおした高橋機の損害は大きかった。第四中隊は魚雷3本命中・左舷傾斜を主張するが、実際には命中していない。午後1時28分(1157)、「レパルス」のテナントは独断で無線封止を破り『発レパルス、宛関連全友軍艦艇。我敵機の雷爆撃を受けつつあり、至急空軍の援助を乞う、位置134NYTW22X09、時刻1158』と発信した。午後1時46分、11機のF2Aブリュースターバッファロー戦闘機がシンガポールを発進したが、到着見込みは午後2時30分以降であった。豊田穣は、午後12時30分までに英空軍が出動しなければ、日本軍航空隊の空襲までにバッファローがZ部隊上空に到達できないと指摘している。
これは メッセージ 16 (sennin_0630 さん)への返信です.
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 14:05 投稿番号: [16 / 28]
午前11時45分、3番索敵機(機長・帆足正音予備少尉)が東洋艦隊主力を発見し、約15分の間に司令部に以下の3つの電文を打電した。
1.敵主力見ユ、北緯四度、東経一〇三度五五分、針路六〇度、一一四五
2.敵主力ハ三〇度ニ変針ス、一一五〇
3.敵主力ハ駆逐艦三隻ヨリナル直衛ヲ配ス、航行序列、キング型、レパルス、一二〇五
司令部はすぐさま各攻撃隊に電文を転送し、各攻撃隊は東洋艦隊主力めがけて殺到した。帆足は独断で索敵コースを変更しており、東洋艦隊の射撃を受けてから「敵発見」を報告するなど不手際があったが、その過失を問われることはなかった。
九六式陸攻の攻撃
攻撃にさらされる東洋艦隊。巧みな機動で爆撃を回避する「レパルス」と逆に集中攻撃を受ける「プリンス・オブ・ウェールズ」。英国東洋艦隊上空に最初に到達したのは、美幌航空隊の爆装隊の一部8機と、元山航空隊の雷装の、いずれも九六式陸攻隊だった。Z部隊は突如出現した8機の日本軍機に対空砲火を浴びせるが、効果はなかった。午後12時45分、美幌空陸攻隊8機(白井中隊)は「レパルス」を目標に各機2発搭載した250kg爆弾による水平爆撃を実施する。第二小隊二番機は第一弾投下直後に被弾したため第二弾を投下できず、別の1機も故障で投下ができなかったため、250kg爆弾計14発が投下された。このうち、最初の爆撃で1発が「レパルス」の右舷後部カタパルト付近に命中した。右舷後部飛行機格納庫甲板、海兵隊印居住区甲板を貫通し、装甲を施した下甲板で爆発した。爆風でダメージコントロール班員が多数死傷、副長は消火隊5隊を投入したが、艦内の火災は中々鎮火できなかった。飛行機格納庫ではカタパルト上の水上機1機が炎上し、海中投棄を行っている。最大の被害は、命中箇所直下の罐室で高圧蒸気管が破裂したことだった。このような事態になってもフリップスは英空軍に掩護を求めず、バッファロー戦闘機はシンガポールでの待機を続けた。
水平爆撃を行った美幌航空隊白井中隊が退避する中、元山航空隊九六陸攻隊16機(雷装)が東洋艦隊上空に到達する。フィリップス提督は日本軍機が雷撃を行えるとは考えておらず、「プリンス・オブ・ウェールズ」の反応は遅れた。英軍にとって不運なことに、対空火器として期待を集めたポンポン砲は頻繁に故障を起こした。日本軍航空隊は、第一中隊(石原薫大尉)9機と第二中隊(高井貞夫大尉)6機(第二小隊一番機はエンジン故障で帰投)の二手に分かれ、それぞれ「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」に雷撃を行った。第一中隊三番機は撃墜され、二番機(大竹典夫 一飛曹)は「プリンス・オブ・ウェールズ」が転舵を止めたため目標を見失い、直後に右旋回中の「レパルス」を狙った。第二中隊・高井中隊長は艦型が似ている巡洋戦艦「レパルス」と金剛型戦艦の区別がつかず[注 5]、英国国旗を確認してから雷撃を行った。「レパルス」はテナント艦長の巧みな操艦で8本の魚雷を全て回避した。午後1時14分、「プリンス・オブ・ウェールズ」に5本の魚雷が接近、左舷後方と左舷中央に魚雷2本(英軍記録魚雷1本が左舷後方)が命中した。ロースン副長は左舷中央の魚雷は命中ではなく自爆と推測、水圧により浸水が発生したが被害は限定的だった。これに対し、左舷後方に命中した魚雷は「プリンス・オブ・ウェールズ」に重大な損傷を与えた。魚雷命中による損傷に加え、衝撃で湾曲した左舷外側推進軸は回転する太鼓のバチの様に周囲を殴打して破壊の限りを尽くした。この時に隔壁が破壊されたため「プリンス・オブ・ウェールズ」は早くも多量の浸水を見るにいたり、左舷に10度傾斜、右舷2軸運転となり速力は20ノットに低下する。艦内では推進機軸管を伝って浸水が広がり、最下層甲板中部(缶室、機関室、機関科指揮所、発電機室)などにも浸水が及んで電力供給が途絶、後部4基の両用砲が旋回不能になり、対空射撃等に甚大な影響が出た。艦内電話は通じなくなり、通風が不十分となって機械室では熱射病で倒れる乗組員が続出、応急注排水装置が故障、操舵機も電力を絶たれ人力操舵となる。後部指揮所にいた士官は、たった1本の魚雷で「プリンス・オブ・ウェールズ」が致命傷を受けたことに「誰が不沈戦艦と名づけたんだ」とぼやいていた。「プリンス・オブ・ウェールズ」は重大な損傷を受けたにも関わらず、「レパルス」に被害を報告せず、「レパルス」テナント艦長は旗艦の動きと傾斜から損害を推測した。この他、魚雷1本が駆逐艦「エクスプレス」の付近で自爆した。
これは メッセージ 15 (sennin_0630 さん)への返信です.
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 12:39 投稿番号: [15 / 28]
〇一二二 敵主力反転 針路一八〇度
この電文は全軍に向けて打電されたはずだったが、第三水雷戦隊が受信を確認したこと以外は第二艦隊司令部も含めて受信が確認されなかった。「伊58」は以後も接触を続け、午前1時45分、「レパルス」に向けて魚雷5本を発射したが、Z部隊の変針が重なり命中しなかった。「伊58」は浮上航走しつつZ部隊を追跡、以下の3通の電文を打電した。
1.我地点「フモロ」45[注 4]ニテ「レパルス」ニ対シ魚雷ヲ発射セシモ命中セズ 敵針路一八〇度 敵速二二節 〇三四一
2.敵ハ黒煙ヲ吐キツツ二四〇度方向二逃走ス 我之ニ触接中 〇四二五
3.我触接ヲ失ス 〇六一五
6時15分に打電された電文を最後に、Z部隊の動向は全くつかめなくなった。電文から推測するに、Z部隊は真南(180度)の方向に航行していると見られ、燃料不足の懸念から近藤信竹中将は午前8時15分「水上部隊の追撃を断念す」と打電[62]、小沢中将も潜水部隊による追跡を諦め、9日に続いて松永少将指揮下の陸攻部隊にZ部隊への攻撃を託すことになった。
戦闘経過: 日本軍の索敵 [編集]海軍第二十二航空戦隊(司令官:松永貞市海軍少将、司令部はサイゴン(現在のホーチミン)、第十一航空艦隊所属)
元山海軍航空隊(前田孝成大佐)
美幌海軍航空隊(近藤勝治大佐)
鹿屋海軍航空隊本隊(藤吉直四郎大佐、第二十一航空戦隊より応援で第二十二航空戦隊指揮下に入る)
山田部隊(山田豊中佐、第二十三航空戦隊より増派)
12月11日6時25分、まず松永は元山空第四中隊の九六式陸上攻撃機9機(中隊長、牧野大尉)を索敵任務に投入した。予想では4時間後に艦隊を発見できるはずであった。索敵機の発進後、攻撃隊も各基地から出撃する。索敵機からの報告を手がかりに、各航空隊が現場に急行する手はずが取り決められた。まず7時55分にサイゴンから元山航空隊(九六式陸攻26機。魚雷装備17機、爆弾装備9機)が出撃、続いて8時14分にはツドゥムから鹿屋航空隊(一式陸攻26機。全機雷装)が出撃、直後の8時20分にツドゥムから美幌航空隊(九六式陸攻33機。雷装8機、爆装25機)が出撃した。最後の機が離陸したのは9時30分のことであった。元山航空隊の雷装九六式陸攻1機はエンジン故障のため引き返した。連合艦隊旗艦戦艦「長門」では、山本五十六連合艦隊司令長官が「リナウン(レパルス)は撃沈できるが、キング・ジョージⅤ世(プリンス・オブ・ウェールズ)は大破だろう」と発言、三和義勇作戦参謀が2隻とも沈めると反論すると、山本は自論の正しさにビール10ダースを賭けた。
一方でZ部隊は朝になってから日本軍のコタバル上陸を知らされ、針路をコタバルに向けた。日の出は午前7時57分(現地時間0627)、まもなくZ部隊はレーダーで4つの反応を探知して接近したが、貨物船であった。午前8時15分、Z部隊はスーパーマリン・ウォーラス偵察機を発艦させてクアンタン方面を偵察したが、同方面は平穏で日本軍は存在しなかった。駆逐艦「エクスプレス」も海岸を偵察したが日本軍は存在せず、誤報にふりまわされたZ部隊は午前10時30分ごろシンガポールへの帰路についた。Z部隊は機雷原を避けるため、一旦北東へ向かい、それから南東に針路をとってアナンバス諸島の東方をまわってシンガポールへ向かう。後述の帆足機が「針路60度-30度-160度」と逐次報告したのは、この艦隊運動とされる。
日本軍も本命の東洋艦隊はなかなか発見できなかった。九六陸攻に比べ速力の出る一式陸攻部隊はシンガポール付近まで進出したという。11時13分、サイゴンに引き返す途中の4番索敵機が帰還中の「テネドス」(Z部隊より東南東130マイル)を発見して60kg爆弾2発を投下したが命中せず、英駆逐艦の位置を発信した[73]。午後12時14分、500kg爆弾を装備する元山航空隊第三中隊(二階堂大尉)の九六陸攻9機が戦艦「レパルス」と見誤って攻撃したものの命中弾は得られなかった。「テネドス」は負傷者1名を出したものの無傷でシンガポールに退避した。
これは メッセージ 14 (sennin_0630 さん)への返信です.
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Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 11:37 投稿番号: [14 / 28]
12月9日〜11日の動き:9日午後3時15分、潜水艦伊65がZ部隊を発見、以下の電文を打電した。
敵「レパルス」型戦艦二隻見ユ 地点「フモハ26」[注 3]、針路三四〇度 速力20節 一五一五
宇垣参謀長の「戦藻録」によれば、「伊65」のZ部隊発見地点はマレー半島プロコンドル島の196度225浬である。「伊65」は打電後も接触を続けたが、午後5時20分に一旦見失った。近藤信竹中将の第二艦隊には、午後5時25分に「レパルス型戦艦2隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻」という情報が入った。第二艦隊は反転南下した。「伊65」は午後6時22分に再度発見したもの、上空に水上偵察機(軽巡洋艦鬼怒搭載機)が出現したため潜航したので目標を見失った。空からは、第四潜水戦隊旗艦・軽巡洋艦「鬼怒」と第五潜水戦隊旗艦・軽巡「由良」の九四式水上偵察機、第七戦隊(栗田健男少将)旗艦・重巡洋艦「熊野」の零式水上偵察機が日没まで触接を続け、由良機が未帰還となった。
午後5時15分に東洋艦隊発見報告を受けた小沢中将は、船団はシャム湾に避退するよう命じ、基地航空部隊にZ部隊の捜索と攻撃を、そして艦隊にはただちに集結の上南下するよう命令した。松永貞市少将は攻撃隊3波を発進させた。陸攻部隊は爆弾を装備し、英戦艦にダメージを与えて日本軍艦隊を掩護する事が任務だったという。しかし、天候がますますひどくなり、やむなく松永少将は各隊に引き返すよう命令した。美幌空第二中隊(武田八郎大尉)は「鳥海」をZ部隊と誤認し、「敵艦隊見ゆ。オビ島の150度、90浬」と報告して吊光弾を投下する。仰天した小沢は松永少将あての電報「照明弾下にあるは味方なり」を連送信して攻撃中止と陸攻隊全機帰投を命じ、これは小沢が本海戦で発した数少ない命令の一つである。
その頃、Z部隊ではスコールにも恵まれ順調に航行を続けていた。「プリンス・オブ・ウェールズ」のレーダーは日本軍水上偵察機を捉えていたが、フィリップスは船団攻撃の決意を変えず、以下の命令を出している。
1.わが目標はシンゴラ沖にして、日本軍上陸部隊支援部隊中主力艦は金剛ただ一隻なるものの如し。他に愛宕級3、加古級1、神通級2の各型巡洋艦と駆逐艦多数あり。
2.本長官は明早朝、敵の航空攻撃を受ける以前に敵上陸支援部隊を奇襲せんとするも、これに先立って金剛と遭遇するときは優先的にこれと戦い撃滅せんとす。
3.1800(東京時間午後7時30分)信号を待ちて針路を320度とし、さらに1930(午後9時)280度に変針し、24ノットに造即すべし。その後は10日1600(午後5時30分)C地点(アナンバス諸島付近)に於いて集合し得る如く行動せよ。
4.明日0745(午前9時15分)を期しシンゴラ突入を決行す。攻撃後は東方に避退す。
5.10日未明以前に駆逐艦3隻を分離帰投せしめ、その後は戦艦のみにて突撃す。全軍の武運を祈る。
フィリップスは駆逐艦「テネドス」が燃料不足気味だったため、午後6時30分に艦隊から分離、単艦でシンガポールに引き返させた。その際、テネドス艦長に対し10日朝に無線封止を解除し、アナンバス諸島東方に連合国軍巡洋艦・駆逐艦を集結させるよう求めている。その後もZ部隊はシンゴラ沖の日本軍上陸船団を目指したが、午後9時45分頃にZ部隊前方5マイルに青い閃光を確認する。これは武田機が投下した吊光投弾であり、シンガポールのパリサー参謀長から受信した「本日午後の航空偵察によれば、コタバル付近の海面に戦艦1、最上型巡洋艦1、駆逐艦11及び輸送船多数集結中なり」との報告を検討した結果、針路をシンゴラから南東のコタバルに変更した。Z部隊と小沢艦隊の距離は23マイルに接近しており、豊田穣は「プリンス・オブ・ウェールズ」のレーダー(25マイル)が「鳥海」を捉えなかったことを不思議な事と指摘している。午後10時30分、フィリップスは作戦中止とシンガポール基地に戻り戦力再編を行うことを伝達した。12月10日午前1時、Z部隊はパリサー参謀長より日本軍がクアンタンに上陸したとの入電があり、フィリップスはシンガポールの帰路中に日本軍輸送船団を砲撃することを決意する。だがクアンタン日本軍上陸は誤報であり、Z部隊はかえって日本軍空襲圏内にとどまることになった。
翌12月11日午前1時22分、同じく同海域でZ部隊の動向を見張っていた潜水艦「伊58」が、右20度600メートルの至近距離に駆逐艦のようなものを発見し潜航した。直後、針路180度で航行中の戦艦を発見し、以下のように打電した。
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英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 11:01 投稿番号: [13 / 28]
英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
Z部隊兵力
戦艦:プリンス・オブ・ウェールズ
巡洋戦艦:レパルス
駆逐艦:エレクトラ、エクスプレス、テネドス、ヴァンパイア(この艦はオーストラリア籍)
この他にシンガポールには軽巡洋艦や駆逐艦が存在したが、いずれも修理中や低速などの理由でZ部隊には加わらなかった。この時までに、米太平洋艦隊が真珠湾で受けた損害の大きさは明らかになっており、その増援は望めなかった。トーマス・フィリップス提督はシンガポールの極東軍総司令部で航空掩護を求めたが結論は出ず、提督は午後3時50分に「ウェールズ」に戻ると作戦計画を練った。東洋艦隊司令部は、日本軍輸送船団を撃滅することで日本軍の機先を制し、日本軍が体勢を建て直す間に英軍は増援を待つという方針を立てる。ところが英国空軍司令部はコタバル飛行場から撤退したこともあり、フィリップスに対し哨戒と艦隊上空警戒を約束できなかった。「プリンス・オブ・ウェールズ」が抜錨してまもなく、空軍司令官は『遺憾なるも、戦闘機による護衛不可能』と連絡している。それでも東洋艦隊は12月8日午後8時25分にシンガポールを出撃した。事前に英国東洋艦隊の存在があまりにも宣伝されすぎたため、また極東英連邦国民に「危機になれば東洋艦隊が出撃する」と長年にわたって約束していたため、面子の関係からも出撃しないわけにはいかなかったのである。マレー半島とアナンバン諸島の間に日本軍が機雷を敷設していたためZ部隊はマレー半島沿いに北上することが出来ず、同諸島東方を迂回して日本軍輸送船団に向けて進撃した。
英軍は前述のように日本軍航空機の性能を過小評価していたため空襲による危険は大きくなく、また主力艦が致命的な被害を受けることもないだろうと判断していた。そのときまでに作戦行動中に空襲で沈められた最も大きな軍艦は重巡洋艦だった。もっとも、かつて「プリンス・オブ・ウェールズ」を砲撃戦で大破させたドイツ戦艦「ビスマルク」がフェアリー ソードフィッシュの雷撃によって舵とスクリューを破壊され、間接的に撃沈に追い込まれた事例は存在する。
一方、日本海軍の戦力としてこの方面には近藤信竹中将指揮の第二艦隊があり、金剛型戦艦「金剛」と「榛名」がいた。近代化改装を受けてはいたが、両艦とも艦齢30年になる老艦であり、また元来巡洋戦艦だったため、兵装・装甲の厚さも最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」より劣っていた。このため、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」に砲撃戦を挑むことは想定していなかった。また戦闘が始まったときは日本の戦艦部隊は北に離れており、海戦には間に合わず、戦艦同士の砲戦は起こらなかった。ただし後の調査で、両軍艦隊は一時「プリンス・オブ・ウェールズ」の主砲射程圏まで接近していたことが明らかになっている。他にも重巡洋艦や水雷戦隊もあったが、砲力の差は如何ともしがたく、万が一の際は水雷攻撃に全力を傾けるつもりであった。いずれにせよ、8日および12月9日には敵情報が入ってこなかったことから「特に敵情に変化はなし」と判断。「金剛」「榛名」以下の艦隊はカムラン湾に引き上げて燃料補給を実施することした。輸送船団護衛の任にあった小沢治三郎中将(重巡洋艦鳥海座乗)指揮の南遣艦隊(巡洋艦及び水雷戦隊など)も、上陸部隊を乗せた輸送船団の護衛を終えてカムラン湾に引き返しつつあった。
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マレー沖海戦
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 09:46 投稿番号: [12 / 28]
マレー沖海戦
マレー沖海戦(マレーおきかいせん)とは、第二次世界大戦列びに太平洋戦争の初期の1941年12月11日に、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。
日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈し、この方面での初期作戦上で大成功をおさめた。また、当時の「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識を覆した。当時の世界の海軍戦略である大艦巨砲主義の終焉を告げる出来事として海軍史上に刻まれている。
彼我の情勢 :1930年代の極東に対するイギリスの基本防衛計画は、来襲する敵(日本軍)をシンガポール要塞で防御し、その間に主力艦隊を回航して制海権を得ようというものだった。幾度かの計画変更の後、1941年4月には米・英・蘭の間で協定が結ばれ、米国は艦隊を派遣して地中海のイタリア艦隊を抑制し、英国は東洋艦隊を極東に派遣するという方針を確認する。ウィンストン・チャーチル英国首相・国防相はキング・ジョージ5世級戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、レナウン級巡洋戦艦1隻、空母1隻の派遣を提案したが、海軍大臣は反対した。英軍海軍当局は、極東での日本の脅威に対応するためにネルソン級戦艦2隻、リヴェンジ級戦艦4隻、空母「ハーミス」、「アーク・ロイヤル」、「インドミタブル」を送る計画であり、新鋭のキング・ジョージ5世級戦艦2隻は、ドイツ海軍ビスマルク級戦艦「ティルピッツ」の出撃に備えて英国本国のスカパフローから動かすつもりはなかった。これに対しチャーチルは高速戦艦を中心とした遊撃部隊を送って抑止力とすることを強く主張する。チャーチルは大和型戦艦の存在を気にかけていたという。最終的に、キング・ジョージ5世級の一艦である「プリンス・オブ・ウェールズ」、レナウン級巡洋戦艦「レパルス」、空母「インドミタブル」、護衛の駆逐艦「エレクトラ」、「エクスプレス」、「エンカウンター」、「ジュピター」からなるG部隊が編成された。「プリンス・オブ・ウェールズ」は10月23日にスカパフローを出港、11月16日南アフリカのケープタウン、セイロン島を経て1941年12月8日の太平洋戦争開戦直前の12月2日にシンガポールのセレター軍港に到着した。「プリンス・オブ・ウェールズ」はマレー駐屯陸軍司令官パーシバル中将に出迎えられ、各国報道陣に公開されて英連邦諸国民に安心感を与えた。
その一方、空母「インドミタブル」は11月13日にジャマイカ島近海で座礁事故を起こし、合流できなかった。かわりに小型空母「ハーミーズ」の合流が決定したが、ダーバンで修理中のため、合流できなかった。フィリップス提督は自軍の戦力に不安を感じ、リヴェンジ級戦艦「リヴェンジ」、「ロイヤル・サブリン」、クイーン・エリザベス級戦艦「ウォースパイト」の12月20頃までに派遣するよう希望している。航空機に関して英軍参謀本部は「日本軍機とパイロットの能力はイタリア空軍と同程度(英軍の60%)」と想定し、マレー防衛計画に336機の配備を決定したが、実際には半数程度しか配備されていなかった。これはチャーチル首相がソビエト連邦に大量の航空機を供給していたからである。
日本軍は英国東洋艦隊の実情を把握しており、また対策をとっていた。12月7日、シンガポールの北東約300kmにあたるアナンバス諸島とマレー半島東岸のチオマン島の間に特設敷設艦「辰宮丸」が機雷を敷設、さらに第四・第五潜水戦隊の潜水艦12隻が哨戒していた。宇垣纏連合艦隊参謀長は「ウェールズをやっつけたら、次はジョージ5世でも6世でも良い」と陣中日誌「戦藻録」に記録している。実際に日本軍は松永貞市少将の第二十一航空戦隊(美幌航空隊
ツドモー基地:九六式陸上攻撃機27、元山航空隊
サイゴン基地:九六陸攻27)を南方に進出待機させ、新たに鹿島航空隊の一式陸上攻撃機54機を配備して英国東洋艦隊を待ちうけていた。12月8日の早朝、ハワイの真珠湾攻撃より70分早く、日本軍はタイ国の国境に近いマレー領コタバルに陸軍部隊を上陸させた(大本営もこのコタバル上陸をもって、対米英蘭豪への宣戦を布告したと報じた)。この部隊は、マレー半島を南下してイギリスの極東における根拠地、シンガポールを攻撃予定であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6
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シンガポール攻略
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 09:20 投稿番号: [11 / 28]
シンガポール攻略
2月8日、日本軍はジョホール海峡を渡河しシンガポール島へ上陸した。主要陣地を次々奪取し、11日にブキッ・ティマ高地に突入するが、そこでイギリス軍の砲火を受け動けなくなった。15日、日本軍の砲弾が底をつき、攻撃中止もやむなしと考えられていたとき、イギリス軍の降伏の使者が到着した。水源が破壊され給水が停止したことが抗戦を断念した理由であった。
シンガポール攻略戦での日本軍の戦死は1,713名、戦傷3,378名。イギリス軍は10万人が捕虜となった。これはアメリカ独立戦争におけるヨークタウンの戦い以来のイギリス軍史上最大規模の降伏であり、近代のイギリスにおいて歴史的な屈辱であった。
影響:日本軍は驚異的な速度でマレー半島を進撃し、イギリス軍を急追して開戦以来70日でシンガポールを陥落させた。日本軍は戦前から周到な準備を重ね、陸軍の進撃を海軍と航空部隊が支援し(ただし第3飛行集団は作戦後半になって蘭印方面へ転用された)、また歩兵、工兵、戦車がよく協力しあった。日本軍の南方作戦は順調なスタートを切り、その後3月にはジャワ島、5月にはビルマを制圧して、太平洋戦争開戦時に於ける作戦目標を達成した。
一方、イギリス軍は敵を軽視して準備不足のまま戦争に突入した。隷属化においた植民地から調達した多民族からなる軍隊はまとまりを欠き、陸海空相互の協力も不十分であった。シンガポールの陥落はイギリスのアジア植民地支配の転換点となり、植民地帝国としてのイギリスの崩壊を決定づけた。アジアでは民族主義が高揚し、太平洋戦争後のアジアにおいて、これまでの様なイギリスの地位は長くは持たなかった。マレーは1957年にマラヤ連邦としてイギリスから独立する。
兵站に関しては、日本軍はイギリス軍から鹵獲した食糧、燃料、軽火器等を活用した。糧食は日本軍のものより味も良く兵士たちは「チャーチル給養」と名づけて喜んだという。現地での徴発も円滑であった。当時マレーには500万の人口が居住し、食糧は豊かであった。このようにして日本軍は補給部隊に依存することなく軽快に行動できた(後日、日本軍は人口希薄で食糧生産の乏しいガダルカナルやニューギニアでは飢餓に苦しんだ)。
なお、この際にイギリス軍のホーカー ハリケーンやブリュースターF2A バッファローなどの主力戦闘機や、ロッキードハドソンなどの輸送機が完全な状態のまま多数鹵獲され、後に日本本土に送られ性能テストなどに使用された。
マレー作戦で日本軍は初めて英印軍と対戦した。難なくこれを破ったことで、「中国軍より弱い。果敢な包囲、迂回を行えば必ず退却する」(牟田口中将)という認識を持った。
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ジットラ陣地突破、及び、マレー半島進撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 08:56 投稿番号: [10 / 28]
ジットラ陣地突破
第5師団はマレー半島北端のタイ王国の領内のシンゴラおよびパタニに上陸した。日本軍は、アジアにおける日本以外で唯一の独立国であり、親日的なタイに対する攻撃意図は全くなく通過を申し入れるのみであったが、中立を守ろうとするタイ軍との間で一部で小競り合いも起きた。プレーク・ピブーンソンクラーム首相と坪上貞二駐タイ大使との間で、12月8日中に日本軍通過を認める協定が締結され、日本軍はタイ領を通過した。第5師団の先頭を突き進むのは佐伯静雄大佐率いる捜索第5連隊(騎兵部隊から改編された機械化部隊)に砲兵・工兵を加えた佐伯挺身隊581名であった。
イギリス軍はタイ経由の日本軍侵攻を警戒しており、開戦直後にタイ領南部へと侵攻し、タイ警察の抵抗を排除して防衛線を築いていた。しかし、進撃してきた佐伯挺身隊により、短時間で突破されてしまった。
イギリス軍はタイとマレーの国境近くのジットラには、ジットラ陣地(ジットラライン)と呼ばれる防御陣地を構築していた。狭隘な地形を利用しており、英印軍第6、第15旅団からなる兵力6,000、装甲車90両が展開、強固さは小マジノ線とも称された。日本の第5師団はジットラ陣地での戦闘を予想して半年にわたって演習を重ねていた。10日、佐伯挺身隊は戦車を先頭にタイ・マレー国境を通過。11日にアースンの国境陣地を突破しさらに進撃の最中、12日未明予期せず砲撃を受ける。佐伯挺身隊は東側の敵陣地に夜襲をかけ一角を占領、夜が明けるとその場所こそがジットラ陣地であった。12日昼間は猛烈な砲撃を受けるが午後には歩兵部隊も到着。その夜の夜襲を決意し準備を進めていたところ、午後5時に英印軍はジットラ陣地から全面退却した。
ジットラ陣地をわずか1日で、しかも581名の佐伯挺身隊が突破するとは大本営ですら驚愕した勝利であった。佐伯挺身隊の戦死27、戦傷83。英印軍の捕虜は1,000名以上。この勝利により山下中将は作戦のスケジュールを繰り上げた。
マレー半島進撃
マレー半島のイギリス軍は軽く抵抗して時間を稼ぎながら、大小250本の河川にかかる橋梁を逐次爆破し後退した。日本軍は、当時のマスコミが「銀輪部隊」と名づけた自転車部隊を有効活用し、進撃を続けた。日本軍の歩兵は自転車に乗って完全装備で1日数十キロから100キロ近くを進撃し、浅い川であれば自転車を担いで渡河した。戦前からこの地域には日本製の自転車が輸出されていたため部品の現地調達も容易であった。
馬や自転車を活用した日本軍であったが、重砲や車両の前進には橋梁の修復が不可欠であり、第25軍の進撃速度はすなわち橋梁の修復速度であった。この作業には各師団の工兵隊と独立工兵連隊とが文字通り不眠不休であたった。西海岸では舟艇機動も効果を発揮した。20人乗りの舟艇30隻を用意して運び込み、十数回にわたって海上をつたってイギリス軍の背後を奇襲した。マレー半島西岸の制海権はいまだイギリス側にあったが、イギリス海軍はこれに対して何の手も打たなかった。
年が明けて1月6日、日本軍はスリムでイギリス軍の堅陣にぶつかった。ここで戦車第6連隊の島田豊作少佐は戦車の機動力を頼りとする戦車夜襲を決行する。島田は7日午後11時から、九七式中戦車と九五式軽戦車が中核となった夜間突撃を敢行した。これにより1日で全縦深を突破し、逃げ遅れた英印軍1個師団を包囲し壊滅させた[5]。イギリス軍のクアラルンプール防衛計画は崩壊し、12日に同市は放棄された。
1月14日にはイギリス軍を追撃中の向田支隊(戦車第1連隊基幹)がグマスでオーストラリア第8師団の逆襲を受け壊滅するという一戦もあった。1月中旬、近衛師団が前線に到着し、疲労した第5師団に代わって第一線に立った。19日、近衛歩兵第5連隊第2大隊はバクリで英印軍第45旅団と対戦し、大柿大隊長以下6割の死傷者を出しながらも英印軍を殲滅、第45旅団長を戦死させた。
ジョホール・バル到達:1月末、日本軍はマレー半島最南端のジョホール・バルに迫り、イギリス軍はマレー半島内での抗戦をあきらめシンガポール島内へ退却した。1月31日、最後の部隊がジョホール・バルを脱出し、工兵隊がマレー半島とシンガポール島とを結ぶ土手道(コーズウェー)を爆破した。同日、第5師団と近衛師団の先頭部隊は相次いでジョホール・バルに突入、ここにマレー半島での戦闘は終結した。
日本軍は12月8日の上陸から55日間で、95回の戦闘を行い250本の橋梁を修復しつつ1,100キロを進撃した。海上機動も650キロに及んだ。日本軍の損害は戦死1,793、戦傷2,772。イギリス軍は遺棄死体5,000、捕虜8,000を数えた。
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コタバル強襲上陸
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 08:23 投稿番号: [8 / 28]
コタバル強襲上陸
マレー半島東岸は断崖地形が続き、上陸作戦が可能な海浜はイギリス領東北端のコタ・バルか、タイ王国領内のみであった。イギリス軍はコタバルに1個旅団を配置しトーチカ陣地を構築していた。コタバルへの上陸作戦の方法としては、制空権を奪取した上で敵陣へ準備砲爆撃を加えるという正攻法も検討されたが、マレー作戦全体の所要日数を考えればそのような時間の余裕はなかった。かくして準備砲爆撃なしにいきなり敵前への上陸を敢行するという強襲上陸が決行された。
第18師団歩兵第56連隊を基幹とする佗美支隊5,300名は、淡路山丸、綾戸山丸、佐倉丸の3隻と護衛艦隊(軽巡川内基幹の第3水雷戦隊)に分乗し、12月8日未明(日本時間)にコタバルへ接近した。波高は2メートルを超え上陸用舟艇への移乗は困難を極めた。午前1時30分、コタバルの海岸線で英印軍第8旅団6,000名との交戦が始まった。
第1次上陸部隊の松岡大隊、数井大隊と那須連隊長は予想外の激しい抵抗を受け両大隊長とも負傷し、中隊長以下多数の死傷者を出した。第2次上陸部隊の中村大隊と佗美支隊長は運悪くトーチカ正面に突き当たり中村大隊長は上陸と同時に戦死した。イギリス空軍も出撃し、淡路山丸は多数の命中弾を受け炎上沈没、太平洋戦争に於ける被撃沈第1号となった。綾戸山丸、佐倉丸も被弾し、船団は一時退避を余儀なくされた。
佗美支隊は苦戦しながらも8日正午までに橋頭堡を確保し、8日夜には大雷雨を衝いて夜襲により飛行場を制圧。9日昼にコタバル市内を占領した。上陸作戦による戦死320、負傷者538、舟艇も多数を失ったものの作戦は成功した。佗美支隊はその後、1月3日までに東海岸の要衝クアンタンを制圧し、第25軍主力と合流した。
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マレー作戦
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 07:49 投稿番号: [7 / 28]
マレー作戦
マレー作戦(マレーさくせん, 馬来作戦, 日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。日本の対英米開戦後の最初の作戦である。
1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切った。
大東亜戦争開戦時における日本軍の戦略目標は、オランダ領東インド(現インドネシア)の資源地帯の占領であったが、そこに至るには手前に立ちはだかるイギリスの植民地であるシンガポールを攻略する必要があった。シンガポールは戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを基幹とするイギリス東洋艦隊の根拠地であり、またイギリスの東南アジアにおける植民地支配の中心拠点として、イギリスの抵抗に手を焼くドイツも日本軍による攻略を切望するところであった。
シンガポールは日英同盟の破棄以降、イギリスによって防御設備の強化が進められ、「東洋のジブラルタル」とも称されていた。海に面した南側には戦艦の主砲並みの15インチ(38センチ)砲をはじめとする重砲群とトーチカ群が構築され難攻不落の要塞となっていた。北側のジョホール海峡側の防備は手薄であったが、マレー半島が天然の防壁となると考えられていた。
上陸可能地点であるタイ領内のシンゴラ(ソンクラ)からシンガポールまでは1,100キロの距離があり、半島を縦断する道路は一本道で、両側には鬱蒼たるジャングルとゴム林が広がっていた。さらに半島には大小250本の河川が流れ、橋梁を破壊すれば容易に軍隊の進撃を阻止できると考えられた。その間にイギリス軍はシンガポール北側の防備を強化することができると考えていた。
日本軍が持つことのできる時間的余裕は長くはなかった。大本営は、「マレー半島を70日以内で縦断してシンガポールを攻略する」という目標を立て、作戦準備を開始した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%9C%E6%88%A6
これは メッセージ 6 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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Re: 大本営陸海軍部発表
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/12/10 17:13 投稿番号: [6 / 28]
マレー半島の東北部のコタバルとゆう寒村に12月8日朝2時15分に荒波を超えてりくぐんが上陸しました。真珠湾攻撃より1時間ははやい時間でありました。ここから一挙に南下してシンガポールをめざしました。マレーの進撃は自転車による銀輪部隊が有名でした。西海岸を近衛師団が南下したのです。勝ち戦の真珠湾攻撃を開戦の奔りとしますが、本とはコタバル上陸が
戦端の一でありました。
これは メッセージ 5 (maotaoton_001 さん)への返信です.
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大本営陸海軍部発表
投稿者: maotaoton_001 投稿日時: 2011/12/08 16:56 投稿番号: [5 / 28]
これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: 井上和彦・台湾取材12のポイント
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/12/07 01:34 投稿番号: [4 / 28]
NHKは、タイワンに不友善な政策を採っています。だから、台湾の光明面を、
紹介するはずないです。
これは メッセージ 3 (senkaku_islands さん)への返信です.
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井上和彦・台湾取材12のポイント
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2011/12/06 22:15 投稿番号: [3 / 28]
これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: NHKの大罪 アジアの一等国【台湾】
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2011/12/05 23:12 投稿番号: [2 / 28]
新たて、台湾に強く応援ありがとうございます。
これに類するもの、また、見つけたら、貼り付けてください。
日大友好に。大きくプラスするのだから〜〜〜
これは メッセージ 1 (senkaku_islands さん)への返信です.
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