Re: 英国東洋艦隊(Z部隊)出撃
投稿者: sennin_0630 投稿日時: 2011/12/12 11:37 投稿番号: [14 / 28]
12月9日〜11日の動き:9日午後3時15分、潜水艦伊65がZ部隊を発見、以下の電文を打電した。
敵「レパルス」型戦艦二隻見ユ 地点「フモハ26」[注 3]、針路三四〇度 速力20節 一五一五
宇垣参謀長の「戦藻録」によれば、「伊65」のZ部隊発見地点はマレー半島プロコンドル島の196度225浬である。「伊65」は打電後も接触を続けたが、午後5時20分に一旦見失った。近藤信竹中将の第二艦隊には、午後5時25分に「レパルス型戦艦2隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻」という情報が入った。第二艦隊は反転南下した。「伊65」は午後6時22分に再度発見したもの、上空に水上偵察機(軽巡洋艦鬼怒搭載機)が出現したため潜航したので目標を見失った。空からは、第四潜水戦隊旗艦・軽巡洋艦「鬼怒」と第五潜水戦隊旗艦・軽巡「由良」の九四式水上偵察機、第七戦隊(栗田健男少将)旗艦・重巡洋艦「熊野」の零式水上偵察機が日没まで触接を続け、由良機が未帰還となった。
午後5時15分に東洋艦隊発見報告を受けた小沢中将は、船団はシャム湾に避退するよう命じ、基地航空部隊にZ部隊の捜索と攻撃を、そして艦隊にはただちに集結の上南下するよう命令した。松永貞市少将は攻撃隊3波を発進させた。陸攻部隊は爆弾を装備し、英戦艦にダメージを与えて日本軍艦隊を掩護する事が任務だったという。しかし、天候がますますひどくなり、やむなく松永少将は各隊に引き返すよう命令した。美幌空第二中隊(武田八郎大尉)は「鳥海」をZ部隊と誤認し、「敵艦隊見ゆ。オビ島の150度、90浬」と報告して吊光弾を投下する。仰天した小沢は松永少将あての電報「照明弾下にあるは味方なり」を連送信して攻撃中止と陸攻隊全機帰投を命じ、これは小沢が本海戦で発した数少ない命令の一つである。
その頃、Z部隊ではスコールにも恵まれ順調に航行を続けていた。「プリンス・オブ・ウェールズ」のレーダーは日本軍水上偵察機を捉えていたが、フィリップスは船団攻撃の決意を変えず、以下の命令を出している。
1.わが目標はシンゴラ沖にして、日本軍上陸部隊支援部隊中主力艦は金剛ただ一隻なるものの如し。他に愛宕級3、加古級1、神通級2の各型巡洋艦と駆逐艦多数あり。
2.本長官は明早朝、敵の航空攻撃を受ける以前に敵上陸支援部隊を奇襲せんとするも、これに先立って金剛と遭遇するときは優先的にこれと戦い撃滅せんとす。
3.1800(東京時間午後7時30分)信号を待ちて針路を320度とし、さらに1930(午後9時)280度に変針し、24ノットに造即すべし。その後は10日1600(午後5時30分)C地点(アナンバス諸島付近)に於いて集合し得る如く行動せよ。
4.明日0745(午前9時15分)を期しシンゴラ突入を決行す。攻撃後は東方に避退す。
5.10日未明以前に駆逐艦3隻を分離帰投せしめ、その後は戦艦のみにて突撃す。全軍の武運を祈る。
フィリップスは駆逐艦「テネドス」が燃料不足気味だったため、午後6時30分に艦隊から分離、単艦でシンガポールに引き返させた。その際、テネドス艦長に対し10日朝に無線封止を解除し、アナンバス諸島東方に連合国軍巡洋艦・駆逐艦を集結させるよう求めている。その後もZ部隊はシンゴラ沖の日本軍上陸船団を目指したが、午後9時45分頃にZ部隊前方5マイルに青い閃光を確認する。これは武田機が投下した吊光投弾であり、シンガポールのパリサー参謀長から受信した「本日午後の航空偵察によれば、コタバル付近の海面に戦艦1、最上型巡洋艦1、駆逐艦11及び輸送船多数集結中なり」との報告を検討した結果、針路をシンゴラから南東のコタバルに変更した。Z部隊と小沢艦隊の距離は23マイルに接近しており、豊田穣は「プリンス・オブ・ウェールズ」のレーダー(25マイル)が「鳥海」を捉えなかったことを不思議な事と指摘している。午後10時30分、フィリップスは作戦中止とシンガポール基地に戻り戦力再編を行うことを伝達した。12月10日午前1時、Z部隊はパリサー参謀長より日本軍がクアンタンに上陸したとの入電があり、フィリップスはシンガポールの帰路中に日本軍輸送船団を砲撃することを決意する。だがクアンタン日本軍上陸は誤報であり、Z部隊はかえって日本軍空襲圏内にとどまることになった。
翌12月11日午前1時22分、同じく同海域でZ部隊の動向を見張っていた潜水艦「伊58」が、右20度600メートルの至近距離に駆逐艦のようなものを発見し潜航した。直後、針路180度で航行中の戦艦を発見し、以下のように打電した。
敵「レパルス」型戦艦二隻見ユ 地点「フモハ26」[注 3]、針路三四〇度 速力20節 一五一五
宇垣参謀長の「戦藻録」によれば、「伊65」のZ部隊発見地点はマレー半島プロコンドル島の196度225浬である。「伊65」は打電後も接触を続けたが、午後5時20分に一旦見失った。近藤信竹中将の第二艦隊には、午後5時25分に「レパルス型戦艦2隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻」という情報が入った。第二艦隊は反転南下した。「伊65」は午後6時22分に再度発見したもの、上空に水上偵察機(軽巡洋艦鬼怒搭載機)が出現したため潜航したので目標を見失った。空からは、第四潜水戦隊旗艦・軽巡洋艦「鬼怒」と第五潜水戦隊旗艦・軽巡「由良」の九四式水上偵察機、第七戦隊(栗田健男少将)旗艦・重巡洋艦「熊野」の零式水上偵察機が日没まで触接を続け、由良機が未帰還となった。
午後5時15分に東洋艦隊発見報告を受けた小沢中将は、船団はシャム湾に避退するよう命じ、基地航空部隊にZ部隊の捜索と攻撃を、そして艦隊にはただちに集結の上南下するよう命令した。松永貞市少将は攻撃隊3波を発進させた。陸攻部隊は爆弾を装備し、英戦艦にダメージを与えて日本軍艦隊を掩護する事が任務だったという。しかし、天候がますますひどくなり、やむなく松永少将は各隊に引き返すよう命令した。美幌空第二中隊(武田八郎大尉)は「鳥海」をZ部隊と誤認し、「敵艦隊見ゆ。オビ島の150度、90浬」と報告して吊光弾を投下する。仰天した小沢は松永少将あての電報「照明弾下にあるは味方なり」を連送信して攻撃中止と陸攻隊全機帰投を命じ、これは小沢が本海戦で発した数少ない命令の一つである。
その頃、Z部隊ではスコールにも恵まれ順調に航行を続けていた。「プリンス・オブ・ウェールズ」のレーダーは日本軍水上偵察機を捉えていたが、フィリップスは船団攻撃の決意を変えず、以下の命令を出している。
1.わが目標はシンゴラ沖にして、日本軍上陸部隊支援部隊中主力艦は金剛ただ一隻なるものの如し。他に愛宕級3、加古級1、神通級2の各型巡洋艦と駆逐艦多数あり。
2.本長官は明早朝、敵の航空攻撃を受ける以前に敵上陸支援部隊を奇襲せんとするも、これに先立って金剛と遭遇するときは優先的にこれと戦い撃滅せんとす。
3.1800(東京時間午後7時30分)信号を待ちて針路を320度とし、さらに1930(午後9時)280度に変針し、24ノットに造即すべし。その後は10日1600(午後5時30分)C地点(アナンバス諸島付近)に於いて集合し得る如く行動せよ。
4.明日0745(午前9時15分)を期しシンゴラ突入を決行す。攻撃後は東方に避退す。
5.10日未明以前に駆逐艦3隻を分離帰投せしめ、その後は戦艦のみにて突撃す。全軍の武運を祈る。
フィリップスは駆逐艦「テネドス」が燃料不足気味だったため、午後6時30分に艦隊から分離、単艦でシンガポールに引き返させた。その際、テネドス艦長に対し10日朝に無線封止を解除し、アナンバス諸島東方に連合国軍巡洋艦・駆逐艦を集結させるよう求めている。その後もZ部隊はシンゴラ沖の日本軍上陸船団を目指したが、午後9時45分頃にZ部隊前方5マイルに青い閃光を確認する。これは武田機が投下した吊光投弾であり、シンガポールのパリサー参謀長から受信した「本日午後の航空偵察によれば、コタバル付近の海面に戦艦1、最上型巡洋艦1、駆逐艦11及び輸送船多数集結中なり」との報告を検討した結果、針路をシンゴラから南東のコタバルに変更した。Z部隊と小沢艦隊の距離は23マイルに接近しており、豊田穣は「プリンス・オブ・ウェールズ」のレーダー(25マイル)が「鳥海」を捉えなかったことを不思議な事と指摘している。午後10時30分、フィリップスは作戦中止とシンガポール基地に戻り戦力再編を行うことを伝達した。12月10日午前1時、Z部隊はパリサー参謀長より日本軍がクアンタンに上陸したとの入電があり、フィリップスはシンガポールの帰路中に日本軍輸送船団を砲撃することを決意する。だがクアンタン日本軍上陸は誤報であり、Z部隊はかえって日本軍空襲圏内にとどまることになった。
翌12月11日午前1時22分、同じく同海域でZ部隊の動向を見張っていた潜水艦「伊58」が、右20度600メートルの至近距離に駆逐艦のようなものを発見し潜航した。直後、針路180度で航行中の戦艦を発見し、以下のように打電した。
これは メッセージ 13 (sennin_0630 さん)への返信です.
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