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Re: 李香蘭

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/21 02:37 投稿番号: [80 / 1869]
夏の風001様:
日本でロケをしたのですか?鳥取県の砂丘をしようしたのかな?

1949年からのロケといえばまだ李香蘭は(山口淑子)は、中国には

早いから行きたくなかったかもしれません。池辺良も海軍中尉の復員

ですから、中国は出来るだけ避けたい国であったかも知れません。私の想像

でありますが。淑子さんは北京で養女となり中華の友だちと高女に通学、

其処で、出会った白系ロシヤ人の同級生(名前を忘れた)が戦後、淑子さんの
漢奸裁判で遠路会いに来てくれて、親元から戸籍謄本を人形の帯に入れて、牢屋
まで運んだお陰で無罪となったのですす。命の恩人ですが二人が再度会えた

のは確か1970年代の初めでありましたか(?)ちょっと遅すぎた感が

ありますね。

Re: 李香蘭

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/05/20 20:59 投稿番号: [79 / 1869]
ごめんなさい!!突然に〜〜

彼女が池辺良と共演した「暁の脱走」の舞台は
安徽省の合肥だという話を聞いたことがありますが
たしかではありません。<<<

舞台とありましたが、ストリーの舞台でしたら、解りませんが、撮影の舞台でしたら、全部日本で撮影しました。
砂丘のあるところで、中国の城壁やら、町やら、村やら、全部日本でした。

でも、それがあんまりにも、迫真で、感動しました。

Re: 李香蘭

投稿者: dattan0088 投稿日時: 2009/05/20 09:16 投稿番号: [78 / 1869]
屏東高雄さん

いやあ、李香蘭にそんな恋愛遍歴があったとは知りませんでした。
面白い話をありがとうございました。

けっこう「恋多き女」だったのですね。

彼女が池辺良と共演した「暁の脱走」の舞台は
安徽省の合肥だという話を聞いたことがありますが
たしかではありません。

数年前、合肥に行ったことがありますが
城壁は全部取り壊されていて変哲もない普通の都市でした。
李鴻章の故居だった公館がありましたね。

Re: 李香蘭

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/20 06:04 投稿番号: [77 / 1869]
dattan0088様:
李香蘭は戦時中二人の恋人がいました。一人はあの有名な松岡外相の息子
で東大法科卒の外務官吏と後の付き添い官吏でありました。二人とも南方戦線へ派遣され戦死しました。その前は台湾出身(台南)の映画監督で作家の
000でありました。上海で活躍した映画企業の経営の熟練者で通訳もした本島人です。戦後日系2世の彫刻家の野口イサムと結婚して米国でも日本でも住んだのですが。最後が貴方の指摘されたビルマ大使の『大鷹』外交官と
結婚していた当時に会われたのですね。ご主人が亡くなれらたので今はたまに映画や雑誌のアドバイスをされることもあるとか聞きます。当時の山口
淑子さんは50歳代でしたかね。
尚屏風と打ち込んで,風を消してから東をかいてください。屏東とでてきますので。サインを貰ったらよかったですね。

長谷川一夫

投稿者: dattan0088 投稿日時: 2009/05/20 00:06 投稿番号: [76 / 1869]
長谷川一夫の人気も凄かったですね。

私が生まれて2番目に見た映画が長谷川一夫の「上海の月」でした。

私は台湾でなく朝鮮で生まれ
中学2年で敗戦となり日本に帰るまでずっと朝鮮育ちでした。(今の北朝鮮)

田舎町で映画館はなく
ときどき巡回映画がまわってきて
小学校の校庭に布のスクリーンを立てて映写会を開きました。

ちょうど支那事変がはじまったころでしょうか
小学校に入ったかばかりだったと思います。

「上海の月」というのは(はっきり覚えていませんが)
長谷川一夫が日本人将校(?)役で
接近する中国人の女スパイ役が山田五十鈴でした。

子供心にも長谷川と山田の美貌がよほど印象に強かったのでしょう。
二人のアップのシーンなどは今でも忘れません。

長谷川一夫は実際は小太りで背が低かったそうですが
なにしろ戦前から戦中戦後にかけて日本映画の大御所でしたね。

Re: ●台湾歩きです、ご無沙汰です

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/05/19 23:50 投稿番号: [75 / 1869]
台湾歩きさん;こんばんは。メッセの相手が私のネームになっているので、ちょっと返答してみることにしました。

しかし、高砂族は凄い民族ですね。<<<
高砂は通称で、およそ九つの種族からなっています。みんな高山で生息していたので、山中での路を走るは平地の如く、よってマライシヤのジャングルでは、大変活躍できたのですね?

李香蘭

投稿者: dattan0088 投稿日時: 2009/05/19 23:42 投稿番号: [74 / 1869]
塀(土へんなし)東高雄さん、横レス失礼します。

李香蘭の名前が出てきたので懐かしさのあまり書き込みさせていただきます。

むかし実物の李香蘭にあったことがあります。

戦後、山口淑子になってからですが、
彼女が年下の外交官と熱烈な恋愛中のころです。

あれは昭和32年(1957)の春でしたか
仕事でビルマのラングーンに出張中
郊外の有名なニワトリ料理の店に行ったとき
隣の席に山口淑子がいたのでびっくりしました。

彼女の恋人の外交官が当時ラングーン大使館に勤務していて
彼女は忙しいスケジュールの中、
わざわざラングーンまで逢いに来ていたのです。
日本だとマスコミがうるさいからということもあったでしょう。

本当はサインしてもらいたかったのですが
せっかくの逢う瀬を邪魔しては悪いと思い
ちょっと目が合ったとき軽く会釈をしただけです。

向こうはびっくりしたようですが
それでも愛嬌良く答えてくれました。

その外交官は背が高くてハンサム
その後二人はめでたく結婚されました。

今となってはなつかしい思い出です。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/19 23:32 投稿番号: [73 / 1869]
蔦…ですね。
イメージは蛇口につないだホースでしょうか。

飛行機がジャングルに墜落したときのサバイバルシュミレーションに
新たな行動が加えられました(^^)

映画やドラマでは、主人公が洞窟のようなところを見つけて
そこで狂ったように水をガブ飲みしたり
洞窟の天井から落ちてくる水滴を飲むシーンがありますが
あまり現実的ではなさそうですね。

偶然果物が転がっていることも、そうそうなさそうです。

実際、飛行機墜落事故でただ1人ジャングルから生還した少女は
ポケットにもっていた缶入りのドロップのおかげで
生き延びることができた、といっていました。

飛行機に乗る際は念のためポッケに甘いお菓子を、ですかね。

長谷川一夫さんは「昭和の二枚目俳優特集」などで
拝見したことがありますよ。
時代劇の印象しかありませんでしたが、現代劇でもヒット作があったのですね。

李香蘭も知っています。気品ただよう「正統派美人」ですね。
チャイナ服を彼女くらい素敵に着こなせたら
どんなにいいでしょう…。

「波乱の生涯」とか「歴史に翻弄された女優」とか
スペシャルドラマを何度も見ました。
いろんな女優さんが、李香蘭の役を演じましたが
香蘭本人が一番美人です。

蘇州夜曲と支那の夜は、いろんな歌手の方がカバーしているようですね。
いまどきの歌にはない、シンプルでとても美しいメロディーだと思います。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/19 03:25 投稿番号: [72 / 1869]
isamu table1363様:
ジャングルの中での冷たいのみみずの確保は『つた=蔦」をさがします。

その一方の端をちぎるか切ると直ぐ底へ口をちかずけます。冷たい

綺麗な水が流れ込んできます。雨水がおおよそですからきれいですね。

今の都会の雨水は危ないかもしれませんが。空前の大ヒットとなった

映画『支那の夜』の中で李香蘭が歌ったのがこの『蘇州夜曲」と

『支那の夜」でありましたね。長谷川一夫を知っていますね。三週間

連続放映で観客がはみ出していた人気でありました。一夫は女性に人気

があり、香蘭は男性に人気がありました。観客の入りは男性6割で女性

が4割でありました。

●台湾歩きです、ご無沙汰です

投稿者: sinntennseikuu 投稿日時: 2009/05/19 01:09 投稿番号: [71 / 1869]
私のトピ、忙しくて消えてしまいましたね。

ありがとうございます。

しかし、高砂族は凄い民族ですね。

感動しました。

陸軍特別志願兵の募集に600倍もの、40万人もの若者がかけつけたとか。

凄いことです。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/18 23:35 投稿番号: [70 / 1869]
ジャングルではどうやって飲み水を確保するのですか?
植物の茎をカットして滴り落ちる水を飲む方法は
テレビで見たことがあります。

ジャングルで銃撃戦に参加しなくてもいい
恵まれた国家と時代に生を受け
感謝しなければと痛感します。

しかし、もし自分が搭乗した飛行機が墜落して
ジャングルを彷徨う破目になったら
どうやって生き延びるか、たまに想像することがありますよ。


渡辺はま子さんは素晴らしい歌手ですね。

女性とは思えない行動力の持ち主です。
彼女のおかげで収容されている戦犯の減刑・日本への送還が
実現した経緯を読みました。
彼女もまた、多くの日本軍人の命を助けたんですね…。

別件でテレサ・テンさんのことを調べていたら
そこでも渡辺はま子さんが紹介されていました。

偶然にも自分が今、ピアノで練習している「蘇州夜曲」を
二人ともカバーして持ち歌にされていました。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/17 05:19 投稿番号: [69 / 1869]
isamu table1363様;
貴方が読んだとおりであります。一視同仁であったのです。比島のルソン

島に在るモンテンルパ市の郊外に日本軍人戦犯所がありました。

「ああモンテンルパの夜更けて』の歌は渡辺弘子さんのヒット曲になり、

慰問旅行の許可がでない比島政府と交渉を重ねてとうとう実現したのです。

その勇気は当時は国民は感激しました。昭和28年でもまだ戦犯は居た

のですね。18人が死刑執行となり岡の上に墓があるそうです。本間雅晴、

山下奉文司令官

の墓も其処にあるのでしょう。今はここと群馬県の高崎市とが姉妹都市

であります。日本軍の連隊長と部下の救出に敢闘した高砂部隊は連隊長を

駆逐艦まで運び無事に乗せたのを確認して前線に出て行きました。多くの

感謝状をもらっています。当時では仮に300メートル進むのに一日かかる

酷い環境と悪い食料状況で多くに餓死がでていたときです。小鳥、野豚、昆

虫、蛇、などを捕まえるのは高砂族の日常茶飯事でありましたが日本軍人に

は出来ない芸当でありました。ジャングルで飲める水を手にする方法を

しっていますか?

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/15 16:51 投稿番号: [68 / 1869]
高砂族の兵士は日本軍人に
感謝され、信頼され、尊敬されていた。
心を一つにし闘った戦友(とも)であり、同志であった、とありました。

そこにはもう支配する側、される側の民、差別、侮蔑など
存在しなかったと信じています。

密林深くでは日本軍人の前に出て闘い
夜のジャングルを歩ける能力を持つ高砂族兵士たちは
闇斬りを繰り返し、アメリカ軍を恐怖におとしいれたりと、
決して一歩も引かない勇猛果敢さで多くの日本兵の命をも救ったんですね。
食料に手をつけず餓死していた兵士についても多く取り上げられていました。
日本人が忘れてしまった「美質」がそこにある…と。

先祖伝来の刀を腰につけているところがとてもかっこよかったです。


本間中将は周囲からの人望大変厚く、感動すれば人目を憚らず号泣し、
楽しい時は大声をあげて笑い、隣にいるものを恥ずかしがらせる。
そんな人物だったそうで、なんだか人間くさいところがとても魅力的に思いました。
奥様の著書を探して読んでみようと思います。

渡辺はま子さんの歌は知りません。
どのような歌でしょうか?

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/15 03:35 投稿番号: [67 / 1869]
isamu table1363様:
高砂族の義勇隊の戦果を読んでよかったですね。南方の在る地域では彼等の

援助行動なくして日本軍は勝てない場面が多かったですね。台湾軍の司令官

(総督であったかどうか不確か?)であった本間雅晴中将はその跡、比島

防衛の指揮で戦後連合軍裁判に掛けられて初めから有罪はわかった裁判で

おわりました。奥様が比島に来て世話をしました。最後の証人で奥様は

『今尚本間晴久の妻であるのを誇りとする。娘も亦本間の様な人に嫁がせ

たい。』と発言して、誰よりの証言よりも強かったそうです。満廷の人々を

感動せしめ、キング中将の副官も検事のリムも感動したそうです。立派な

文人であり武人であった本間雅晴中将と奥様の深い愛と妻の鏡を見た感動

ですね。「モンテンルパの夜は更けて』という渡辺はま子さんの歌をしって

いますか・

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/15 00:36 投稿番号: [66 / 1869]
台湾軍について調べれば調べるほど驚くことばかりです。
そして、おっしゃっていたように高砂族の大活躍が
大きくクローズアップされ称賛されていました。
涙なしに調べ続けることはできません。
生涯、敬意を表します。

台湾への興味は近代的部分、都市部に限っていたのですが
一気に山岳部へ移行しました。

結果的には、あの放送をみて良かったです。

折に触れ調べた歴代総督の面々にも親しみがわきました。
自分と同じ県出身の総督や、総督ではないけれど本間中将や…
私が思い描いていたよりもずっと人間味があり道徳的で
温かさもあるラストサムライ。武士道を生きた純粋素朴な大和の男。

国力以上の投資で植民地経営をしようとした誠実さだけは
認めてほしいと思ってしまいました。
「台湾を発展させなければ」その一心だった、
「台湾には特別な想いがあった」
と総督の子孫が総督の想いを語られていたりして
あの放送では見えてこなかった懸命さも感じました。

しかし戦後の賠償問題はやっぱりひどいです…。
高砂族の帰還兵が「帰るところがない」と泣いた、
の記事をみて私が泣きました。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/14 04:09 投稿番号: [65 / 1869]
isamu table1363様:補足ですが、高砂族の活躍は主に、ガナルカナル、
ラバウル、ニューギニヤ方面で内地出身の兵の3−4倍の活躍をしています。敗退する日本軍のシンガリを守りつつ、後方の敵と交戦する一番難しい
役目とか、斥候で高い椰子の木に登り、10キロ四方を一人で情勢をつかむ軽業は内地出身の兵には不可能であったのです。お米を担いで他の部隊に
輸送した高砂部員の一人は、50・Cの湿気の山岳を歩いた途中で力尽きて
餓鬼でたおれていました。だが肩に背負ったお米は一粒とも手つかずでありました。想像できますか?
給料を使う場所が無いと、半分は貯金、生命保険、国債購入、を保持して
いました。平均の貯金額はY1000-1200.でありました。御破算となりましたが、当時、台北市内で家一軒がY1000.で買えた時代です。現金で貰った半分の中から台湾の家族へ送金していた者が多いですね。戦後恩給が国籍喪失で
資格がなくなりました。内地出身の兵は全員恩給が待っていました。
私は米国に住んでいまして、此処20年は米国も苦しい経済ですが、日系
家族への抑留で違反となり、一人2万ドルを政府が払いました。南米の日系人が
強制で米国抑留所に連行された違反で1万ドルを各自にはらいました。永住権を与えました。戦時中、比島で抗日義勇軍で戦った、比島人戦士で米国滞在中の者に賠償金を払う直前です。カナダ政府も同じく賠償を日系カナダ人に払いました。国籍は関係ないのですが。紋きり型の
日本政府の出方はまだまだですね。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/13 13:13 投稿番号: [63 / 1869]
独自の言葉や伝統を持つであろう原住民が
そう簡単に改名に応じるはずがないではないか、と思い
また、あらぬ恐ろしい推測をたてていました。

ワーズワースを読み英語も話せる総督…。
そんな総督が!!   英国紳士風ですか!!
今、日本で急増中の「歴女」という歴史マニアになってしまいそうです。

台湾軍の活躍は最優先事項としていろいろ見てみます。
私の家の家譜に「台湾沖で戦死」と書かれているご先祖がいますので
ずっと気になっていて、一緒に調べたいと思います。

兄上様が無事帰還され本当によかったですね。
私は兄上様に心から感謝し尊敬します。

兄は戻りませんでした、といわれたらまた暗い日々をすごしてしまいますよ。
私の母方祖父は戦時中、軍艦「妙高」にのっていたと言っていました。
祖父は仏様のようにやさしく、不正に厳しく、「人こそ宝・人こそ財産」
というのが口癖で、祖父をきらう人は一人もいませんでした。
畑にいる姿しか見たことないほど働きものでした。
父方祖父は戦争に行っていません。
「非国民といわれようが戦争は悪だ、戦争は大嫌いだ
なぜ人間同士、互いに手を取り合わないのか、理解しあい、愛し合わないんだ…」
といって心から平和をいのっていました。「善」に生きる人、そのものでした。
本来の日本人の姿は祖父や祖母に見なければいけませんでした。
あの放送をみて「日本は、日本人はひどい。最悪だ、最低だ、みんなに怨まれ嫌われている」
そればかり考えていたのです。

戦後処理に関してはそれこそ何も知りませんでした。
台湾においての戦後処理問題は解決済み、とされているのでしょう。
もちろん韓国や中国についてはよく耳にします。
私の母は地方公務員なのですが職場の研修で、戦後問題について学ぶ
韓国視察に参加させられたりもありました。

Re: 宗教干渉の程度

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/13 11:45 投稿番号: [62 / 1869]
お互いの信仰を尊重…。

本当にあの放送はなんだったのだろう、と日に日に情けなくなります。

人々の心には天皇だけでなく「清朝の皇帝」という存在もあったのですね、
知れば知るほどいろんな台湾が見えてきました。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/13 11:09 投稿番号: [61 / 1869]
isamu table1363様:
私の小学校にも、公学校にも改正名をしない生徒が随分いました。国語
家庭は正式に許可を貰い、家の門に標識がぶさがりました。当然改姓名を
果たしていました。だが全体てきに70ー80%の改正であったのでは?
原住民の改正名は進んでいましたね。1944年までは台湾人には徴兵はありませんでした。内地人は否応梨にひっぱられました。でも昭和16年からは全国の台湾人若者は軍属、軍夫で志願していきました。競争で選ばれた優秀な若者でありました。前線に出て活躍して立派な日本人になろうとおもったり、家計の助けもあったでしょう。高砂族の天皇陛下崇拝は決まっていましたね。全員が改正していた高砂義勇部隊でありましたので、日本名の山岳
人は多いですね。軍人総督は政権に関わり無く任務を真っ当できました。
だが、日本の政党政治は実に不安定で直ぐ内閣辞職になり、総督も辞任となり安定していませんでした。遠大な開発がつずきませんでした。ヒットラーなんて程度の低い総督はいませんよ。最後の安東中将、総督は英国留学で、
英国詩人のワーズワースを好み、英語に達者でした。志願兵の奨励はあったでしょうが強制は無かったですね。強制兵はだめですね。志願兵は強いです。台湾軍の呼び南方での活躍は本を読んでください。天皇と祖国の為なら喜んで死んだのが台湾軍でありました。祖国は家族を含んでいますから。死ぬ瞬間は『お母さんとか妻の名前とか、天応陛下万歳もあったのです」・
兄貴が高雄港を出港したのが1944年初夏でありました。両親の前で、
帰還は無理であろう。是を渡しておきたいと髪の毛を結んで紙にまいてありました。何が最後の希望かときいたら、台北高商をでて、東京商大(今の
一ツ橋大学)でもう少し学びたかったと申してわかれました。南方では当時
硫黄島しか残っていませんでした。ところが米国潜水艦に追われて目的地変更になり本土防衛に回り生きてかえりました。兄は家族がなかったから、祖国、両親の防衛に順ずる覚悟であったのでしょう。日本国籍の、南方で凄い活躍を見せた台湾軍の、家族の戦後処置を日本はまちがいました。台湾人が
まさしく言いますのは日本は台湾を捨てたという不平がおおきいです。賠償、弁償、救援、恩給、貯金通帳、生命保険、国債など全部紙屑になりました。戦前と戦時中の不平はたいした被害ではなかった。不味い戦後処理が一番
不平の原因となりました。

宗教干渉の程度

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/12 21:22 投稿番号: [60 / 1869]
isamu_table1363さん

> 宗教への干渉についてですが、寺廟が焼かれたり取り壊されて
  各地に神社が建てられたんですよね?
____________________

寺廟の破壊はありませんでした。ただお祭り日の行列の規模が制限されただけです。内地人(在台日本人)も台湾人の寺廟の境内では行動を慎み、台湾人も内地人の神社や寺では行動を慎みました。お互いの信仰を尊重しました。

台湾人家庭内にある神壇に対しては、heitotakaohonorさんが書かれたメッセージ57番の中の「各自の家庭で中央に伊勢神宮の大麻を置いて、位牌を脇に置かせたのですね。位牌を取り除いたのではありません・・・」のとおりです。

天皇に対しては、清朝の皇帝に対すると同じく、雲の上に恭しく奉っておきました。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/12 16:45 投稿番号: [59 / 1869]
ヘイトウタカオ様
日本名への改名は全土で、完璧に近い状態まで達成されたのでしょうか?

以前、ラジオから流れる歌声がとてもすてきで誰が歌っているのだろうと
ネットで調べたところ台湾の民族で「郭ひでお」という相当なご老人だとわかり
なぜひでお?台湾奥地の民族に「ひでお」???と不思議な思いをしたことがあったのでした。

また軍人総督と民間総督では決定的に大きな違いがあったのでしょうか?
思想的部分、政策から見えてくる人間性といった部分においてなのですが。
軍人総督の時代に近代化を進めたとおっしゃっていましたね。

歴代総督の中にヒトラーのような総督はいなかったようでよかったです。

台湾から志願兵があったのですか?
臣民なのだから、という理念なのでしょうか?
皆、強制されたのだろうとばかり思っていました。
日本のために戦う、というより台湾のために、という想いだったのでしょうか。
「天皇と祖国のためなら喜び勇んで死にに行きます」
という精神だけはどう考えても日本国内でのこととおもいますので。
難しい言葉でなんというのかわかりませんが、現代風にいうと
一種のトランス状態のようにもいわれますね…。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/12 15:21 投稿番号: [58 / 1869]
unhoo様

以前unhoo様に、他の方のトピ内で家譜に関する話を聞いていただきました。
本当にありがとうございました。

あの放送の中で私が「違和感と驚き」を感じたものがいくつかあり
特に皇民化政策がそれでした。

日本独特の天皇を敬い崇め奉る精神が、簡単に人々の心に根付くものなのか
という疑問と、腑に落ちない違和感です。
それでどうしても本音と実情をお聞きしたく、質問させてもらったのでした。

宗教への干渉についてですが、寺廟が焼かれたり取り壊されて
各地に神社が建てられたんですよね?
突然神社を建ててみても、それがすんなり人々にとって「意味を持つもの」
「ありがたいもの」に成り得たのでしょうか?
寺廟を奪われた怒りも大きかったと思いますし。

学校教育においては学力の急激な向上などあったのですか?
(私が心から尊敬している社長さん(70歳)は「若い頃とても優秀で台湾に留学していた」
というので正直驚いたのです。留学といえば普通はアメリカ・イギリス・ドイツを連想するので)

unhoo様のお話で小林躋造という人にとても興味を持ちました。
いつの時代にも、世界に目を向け一歩先の情勢を読む存在があるのですね。
85歳で大往生されたと知りほっとしました。
その時代の日本は何かと「才能ある人ほど潰された時代」でもあるので。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/12 04:15 投稿番号: [57 / 1869]
isamu table1363様:
戦時中の天皇陛下は精神面で何処に出てきたので、陛下の臣民になれば誰もが平等であると思いました。戦後は象徴天皇になり、側近たちが良いアイデアを出さずに偽、嘘情報で天皇を惑わした者だと徐々に解ってきました。
メデアは特に米国では人種の坩堝で無茶久茶のメデアが自分の社会に
都合よい情報で流しています。一つの事件でも解釈がかなりちがうのです。
ですから一つのメデアだけを頼るのも危険です。結局時間を割いて、できる範囲で分析してみるのです。飲み込みは危ないですね。日本人は先ず早とちり
をしてしまい、後で後悔する型が多いですね。聞き流す程度がいいですね。
unhooさんが申す小林総督(唯一の海軍中将の総督)が皇民化運動を邁進
したが、皇民化奉公会発足は長谷川清総督の1941年(昭和16年)のときであり、三つの主な運動の骨子はかなり進んでいました。安藤総督のときは運動事態が下火で熟成した日常的な生活の一部になりました。寺廟整理も
各自の家庭で中央に伊勢神宮の大麻を置いて、位牌を脇に置かせたのですね。位牌を取り除いたのではありません。運動の側面は大陸南部からの移民
がおおかったので、日本政府は日支事変を戦っていたので、台湾在住の漢人系の住人の
動向に心配していたので、より強い精神面の絆を作る必要があったのですね。台湾の住民は平捕族との融合族であるのに、心配しすぎた憂いはあります。もっと民族学的な研究も必要でありました。戦時中膨大な志願兵、軍属、軍夫、徴兵兵士が出征して言ったのをどう解釈したであろうか?

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/11 22:46 投稿番号: [56 / 1869]
isamu_table1363 さん

横レスです。

皇民化政策の元祖は、第17代台湾総督 小林躋造(こばやし せいぞう)とされています。小林総督の在任期間は、1936年(昭和11年)9月2日 - 1940年(昭和15年)11月27日の約4年3ヵ月です。

彼の在任中、日本内地の政治家の間では、小林は熱心に皇民化政策をやって台湾人の反感を買っているから退職させろという声が上がっていたらしい。小林総督自身でも皇民化政策をやっているつもりだったらしい。当時旧制中学の生徒だったわしは、自分自身がすでに日本語を常用語にしているた人間だったから、いわゆる皇民化政策は平気でした。

今から考えると、当時は日本人全部が皇民化教育をされていたのであって、台湾人だけではありません。その時代の日本帝国の教育は、知識と一般道徳を教えるほかに、特に忠君愛国の精神を養うことが重視されました。その点は日本内地でも台湾でも同じだったのですが、台湾人に忠君愛国を教えるときだけは特に皇民化教育と言ったのです。

人民の宗教への干渉については、台湾には道教に起因する土着の宗教が歴史は永く、人心に深く食い込んでいたので、官憲の干渉は、かなり目立ちました。しかし日本内地でも、各種新興宗教に対する干渉はひどいものでした。ただ日本の新興宗教はまだ勢力が弱かったから、目立たなかっただけです。

小林総督自身でも「皇民化教育」という特殊教育をやったつもりだったらしいが、実は日本でやっていた教育にそれまでよりももっと近づけただけです。戦後生まれの日本人は、小林がやった皇民化教育とは、台湾人を差別した教育(たとえば程度の低い教育)だと思うかも知れないが、実は教育をますます日・台平等化したのです。

なお、小林躋造氏は海軍大将でした。昭和12年に、時の政府の内部紛争のために、小林氏には何の関係も責任もないのに退役させられました。しばらくしてから小林氏才能を惜しんだ人々の推薦で台湾総督に任命されました。彼は海軍軍人としては偉大な人物で、大正時代から世界の情勢を見抜い、一貫して対米英協調派でした。また、早くから飛行機の重要性に気がついて、海軍の中に航空隊を設立した人です。

彼は日本敗戦後の昭和37年に85歳で亡くなりました。彼の墓(故郷の広島県にある)には名前だけ刻んで、海軍大将とかの文字はないとのことです。わしの勝手な推察ですが、海軍軍人として国を救うことができなかった責任を感じて、名前のほかは何も刻むなと遺言したのではあるまいかと思います。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/11 16:33 投稿番号: [55 / 1869]
ヘイトウタカオ様

詳しく教えていただきありがとうございます。
インドやインドネシアは近代国家の指導者になれませんでしたが
英国やオランダがとった当時の政策としては成功だったのでしょうか?
資源や香辛料など輸入しほうだい、投資しないからお金はかからず、人材の流出などもないので
自分の国は痛くもかゆくもない、というか…。


ヘイトウタカオ様はアメリカでどのような経緯があり
メディアを信用しない、と決められたのですか?
私もメディアを信用はできません。
ましてNHKはドス黒い部分が多いイメージなのですが
それでもなぜか根強い信用と支持を受けています。
「NHKが言うのなら間違いない情報だろう」と無意識に思ってしまうような。
あの放送を見て以来、大好きな人の両親に嫌われ家を追い出されたような
大ケガと大失恋と葬式が全部一緒に来たような暗い気持ちになっていたのです。


当時、台湾の人々にとっての天皇という存在はどのようなものだったのでしょうか?
私は1977年生まれで、「現代っ子」とか「新種」とか「宇宙から来た」といわれる世代で
天皇や皇室についてもあまり特別な想いを抱かないところがあります。
(祖父母はもちろんテレビ画面に写る天皇の映像にも手を合わせて拝んでいましたが)


いろいろ質問ばかりして、本当に本当にすいません。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/11 04:02 投稿番号: [54 / 1869]
isamu_table1363様:
日本帝國議会は直接統治するか間接統治(総督府)にするかでもめました。
だがフランスの様に直接統治をやったアルジェリアやヴェトナムは失敗しました。インドやインドネシヤは英国とオランダから総督政治受けたが全くの
搾取政策でインフラや教育などへの投資は皆無でありました。ですからいまだに近代国家の指導者にはなれません。軍人総督よりも民間総督の方が当たり前とおもうのだが、概して軍人総督の時期に台湾は近代化を進めるのです。46県あった日本の全予算から台湾向けの予算は17%まで持って行ったので帝国議会はもう維持が出来ぬと仏に1億円で売却の話もでました。それほど、政府は始めての植民政策に力をいれました。清国から条約で割譲された台湾を治めるに何処でも多少差別、侮蔑、虐めがありますね。世界の隅々で起きる現象です。心の中の思いはわかりません。貴方はメデアを信用
しますか・私が米国で学んだ大事な事はメデアを先ず信用するなといいたいです。後で自分で情報を集めて分析してみましょう。私とちょっと上の国語世代は反日などはいません。日常の差別というより、虐めなのです。日本の学校には虐めがありませんか?同じ日本人同士でも自殺する被害者が多いですね。一番の問題はNHKという左翼メデアが偏向放映を平気ですることです。運営費はどこからきましたか?面接を受けた国語世代が怒るのは、話した
半分が削除されて編集され、特に日本人に悪い点は削除を要請しておいたのに、悪い面ばかり、採用して、よかった場面の話題は全部削除したことに怒りをぶつけています。60年ばかり前から営々として持続意してきたNHK幹部の左翼偏向の賜物です。放課後では台湾語を話し、新聞も漢文欄を1895年いらい1941年まで維持して、総督府政治は欧米の植民地政策よりは遥かに質の高い、良心的な、当時の日本財政では精一杯のインフラつくりでありました。youtubeで再度桜放送の面接に集まったか国語世代からの意見は
プラス、マイナスの両場面の政策がでています。そして結論は矢張り、日本の政策がよかったので、今の台湾が在るとの結論です。私は長谷川総督、本間中将台湾軍司令、安藤利吉中将の総督の時期に台湾で少年、青年時期をすごしました。NHKが歴史的な史実を研究せずに、意図的に偏向目的の映像は
天皇のイメージまで批評したのです。台湾は親日的な知日的な人たちが多い
島であります。のんびりで親切な人が多いですね。大規模の反日デモなどは見たことがありません。どこかの国では絶えず反日的で、少しでも親日的な
放言(?)をすると袋たたきにされる国とは全く、ちがうのです。従来通り
の貴方の親台湾気風がBestであります。

Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: isamu_table1363 投稿日時: 2009/05/11 01:26 投稿番号: [53 / 1869]
突然お邪魔いたします。どうかお許しください。

私は夏子と申します。ヘイトウタカオ様は、私の記憶違いでなければ
以前、別のトピで台湾のインフラに関する明治政府の政策などを
教えてくださった方ではないでしょうか!?

私はあのジャパンデビューを見て、なんと言えばいいのか
とにかく衝撃で、とにかく悲しくて、どうしようもなくて
1人で声をあげて泣きしました。

何も知らなかったのです。

ただ本当に純粋に「大好きな台湾」だったのです。

中国・韓国については歴史の授業で習い、テレビや書籍でもよく取り上げられますが
台湾の歴史については本当に無知でした。

以前読んだ本に「農業・漁業が主体で都市というものが存在しなかった台湾に
都市を建設し機能させたのは日本人の尽力によるところであり
台湾の人々からの感謝が…云々」とか
「もしあの時期、日本政府による大規模なインフラ整備が行われなかったら
こんにちほどの発展はおそらく…云々」と記されていて、非人道的行為や政策については
少しも触れていませんでした。

「半数以上が親日家」「人気の渡航先は日本」「日本語を勉強している若者が多い」

そんなことしか知らなかったのです。


教えて下さい。
長谷川清総督府は「台湾語保持・習慣支持」に理解があったという解釈で合っていますか?

突然の割り込み、本当に失礼いたしました。

NHKが引用した皇民化運動はいつだれが

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/09 03:08 投稿番号: [52 / 1869]
Japan deviewでNHKが問題にした皇民化運動は誰がいつ台湾住民に
言い出したのでしょうか?最も日本の体制翼賛会運動の先頭に立って、
国民を誘導したのがNHKであり、朝日新聞であった。1936年までは、
この言葉は見ないし、聞いたことがない。この運動は精神運動であり、
台湾では『国語家庭』の普及、『寺廟整理』のじっち、『改姓名』運動と
連結した運動であった。皇民奉公会の結成からである。1941年4月19日
以降であった。初代会長は長谷川清総督府であり、この軍人総督ほど、
台湾人の台湾語保持、習慣支持、と旧弊と台湾独自の習慣の変革を
押さなかった人で、皮肉でもある。徐々に変化を進めたのだが、軍人総督
の連中は大きな発展、開発、投資などで手腕を発揮したのである。民間
総督の時期には、余り開発が進まないのが不思議でありました。上記3つの
運動は強制ではなかったのです。推薦はあったでしょうね。周囲に本島人名で過ごした家庭を無数知っています。

Re: 台湾独立へのアメリカの干渉

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/02 03:06 投稿番号: [51 / 1869]
natunokaze001様;
戦後中華民国政府が日本軍の降伏調印に極東司令部の命令前に飛び込んで

来て接収準備をして10月25日に「降伏調印」をやった。日本総督府は財産、

軍事施設、政府所有物など一切を譲渡しました。

然し領土帰属権は極東司令部の派遣したUSMG(米軍軍事政権)が

握っていたのです。52年の日華条約でサンフラン平和条約に出席しなかった

(招待されなかった)中華民国と日本はサンフラン平和条約の事後承諾を

やったに過ぎない。領土帰属権はUSMGがそのまま所有したと理解

します。世界の50ヶ国近い元連合軍国が署名したサンフラン平和条約でも

台湾の宗主の記名が全然ありませんでした。当然台湾が何処へ帰順して宗主

は今誰であるのかを問うのは当然です。この訴訟ケースが巡回裁判所から

最高裁判所に移ろうとしています。世界の台湾系の愛国者が押しているケース
です。米国が至急その返事を出すべき時期で余り時間がありません。もし

米国に帰属権が在るなら、沖縄県の歴史と同じ過程でRepublic of Formosa

の土台を作る運動が湧き上がるでしょう。民主の自由と独立が実現すれば

最高の幸せです。民主がなくなれば、独立もなくなるでしょう。此処は詳細に
後で書きたいですね。親日派は台湾では二十代が79%、三十代が77%、で

今まで親日派と思ってきた65歳以上の世代は56%で低いそうです。NHKの
放送した国語世代の難詰点は特に戦後の日本の台湾処分の貧困さを指摘して

います。是は賛成しますね。戦前での少年時代の不愉快さは何処でも経験

する虐めにもならぬ習慣の違いだけです。私も米国の会社の社宅で『たくあん
の漬物』のにおいが問題となり、私が部屋にごみをばら撒いたと大騒ぎに

なりました。現物を持って食堂で披露すると始めは嫌がっていましたが、その

内に食してみるヒスパニック系が出てきて、案外美味しいということになりました。
自分の国の文化をケチをつけらるとき。堂々と開陳して説明するべきですね。
それから時々食堂にもってこいよ、ということになりました。かなり人気

食品になりました。木可徳三さんの弁当のおかずの『豚の角煮』の不平談話

と同じ体験でした。

Re: 台湾独立へのアメリカの干渉

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/05/01 19:27 投稿番号: [50 / 1869]
areru.

Re: 台湾独立へのアメリカの干渉

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/04/27 18:46 投稿番号: [48 / 1869]
お返事ありがとうございます。

台湾独立の困難はおっしゃるとおりです。それは中共を「養大」した結果にもよりますが、、、今となっては大陸国内の反乱による以外は、もう望み無しでしょう。

が、だからといって、ただただ死を待つのではなく、いろいろな動作ができるはずです。
陳水辺は市長から、総統に至るまで、ずっと12年間、一貫の黄金期間がありました。知恵があれば、できることはたくさんあります。

台湾独立の、敏感な題材を省いて、蒋介石の屍を金門島に移すこともできるはずです。

それの一番、知恵に乏しいのは、政権が再び国民党の手に落ちることを、防げなかったことでした。

総統選挙の一年前、紅杉軍が暴れていた当時、私の傍の一人、浅緑が、次の選挙に民進党が政権を失ったら、陳水辺の「下場」は惨めなもんですよ。と、「予言」ならぬ、話をしていました。

ただの普通の一市民が、見えることを、総統の高い座に坐って、それが全目に尽きぬ、おろかさは、今がその値を出しているということになります。

ムスコ夫婦の台湾呼び返しも、私は大反対でした。が、案の定、陳一家は皆
袋のネズミになってしまってるのではないでしょうか?
台湾から抜け出すのは一人もないではないですか?

馬を含めての外省官僚はみな、家族をアメリカに移らせて、難を避けているのではないですか。これこそ、台湾で政治を操る、絶対の条件ですよ。

台湾と共存亡する構えは、政治をつかさどる、「正法」ではありません。

空高く飛んで、遠いところから、「遥控」するのが、「高招」です。タイ国の元首相をみれば、わかるように、、、

監獄の中のショクブツは、供給されて、初めて口にできるのですよ。
何を入れているかは、解らないはずです。出獄してまもなく他界した例を、数知れぬ見て育って来ました。

Re: 台湾独立へのアメリカの干渉

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/04/27 13:02 投稿番号: [47 / 1869]
unhoo様:
米国の条約の運営度合いとか行解釈論は時の党派と大統領の意見でちがってくる様です。台湾関係法を読むと、海峡の平和をうたい、破られると、米国が軍事行動で台湾をまもるとある。ところがこの法が国内法で作ったところに抜け道と中国への配慮が丸見えです。台米の両国の条約ではないのです。
この理論はまさに日米同盟にも適用されています。条約であるが、米国は
日本が攻撃を受けたときは、前線全部を把握できないし、能力も無い。
最近は北朝鮮のミサイルが発射される度に、日本人の為に緊張度をもたらす
いい刺激となっているといえば怒られるだろう。だが台湾は日本より軍事
配備を人口に比して所持し緊張感を持っています。以降米国の抑制力が
以前よりずっと減ったのはたしかです。でも11隻の空母を持つ海軍力は
まだ少しは影響するでしょう。自分は自分で守る意識が欲しい日本だが、台湾は日本よりはその意識が国益(?)に通じているでしょう。

台湾独立へのアメリカの干渉

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/27 12:00 投稿番号: [46 / 1869]
夏の風さん

李登輝氏が総統の地位にあったとき、ある日「台湾と大陸の関係は、国と国の関係である」という談話を発表したが、その日のうちに「特殊な国と国の関係である」と訂正しました、言わずと知れたアメリカの干渉によるものです。

陳水扁が2000年の総統選挙に出馬して、意外にも当選したとき、すぐさまアメリカ駐台代表の訪問を受けました。アメリカ駐台代表は陳水扁に「台湾が独立すると言い出したら、きっと中共が台湾へ出兵するだろう。そうなったらアメリカは自国兵士の血を流してまで台湾を守ることはしない」と言い渡したことは推定できます。その結果陳水扁は総統就任式では「私が総統の職に居る間は、台湾独立の話をしない」と言わなければならなかった。

李登輝総統や陳水扁総統の苦衷を台湾人は理解し、同情すべきです。台湾人が陳水扁を憎むのは、まさに高級外省人メディアの術中に陥ったものです。

2008年の総統選挙は台湾の再陥落でした。陳水扁が存在しなかったら、台湾は8年早く再陥落したことでしょう。

アメリカは台湾を中共に取られたくない。しかしアメリカ兵の血を流したくない。よって、台湾と中共の関係が現在のように曖昧な状態にあることをアメリカは希望しているのです。

Re: 彭明敏氏の政治手腕は不明

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/04/26 23:46 投稿番号: [45 / 1869]
「ホウメイビン」の漢字の入れ方を教えてくださり、ありがとうございます。なんだか難しいようですが、ゆっくりやってみます。

膨氏の歳では、もちろん、もう力の出しようが無いところまで来てしまったのだが、李登輝氏との接戦のときは、お互い歳も近く、見事な相手に出くわしたも同様な時でした。

もちろんそのときは、民進党も国民党に対抗できるまでに、育していなかったのも、論争の余地がなかったでしょう。

「時不予我」「回天訣術」「非戦之罪」。これは膨氏の運命といえよう。

陳水辺は台北市長にして、各区役所のカウンターを低くして、区民と役員の
目線を同一にしたのを、私は賛票を入れる。そして,勤務中の新聞読み、女職員の勤務時間の野菜をそろえる風習を禁止したことなど、早退して晩御飯の仕立てなどを厳禁したこと、、、
これによって役場の空気が一転したのは、いうまでも無いが、、、
羅文嘉の手助けで、公車、道路の真ん中を行く、これは台北市の交通状況を
てっきり改善したのは、無可争論のことである。

が、市長に適する人、必ずしも総統にてきすることは無いので有る。

市長任内にできるいくつかのチャンスをいつしてしまったことに、ただただ胸を痛めるだけです。

中正祈念堂の改名は市長任内にできるはずでした。それを12年も延ばして、結局は今、元ドウリに戻って、、、

李登輝氏が台湾かって、始めての民選総統に当選した、その機を利用して、
全市で提灯行列を敢行して、全世界に台湾人の志を示して見せるのができたはずでした。台北市でその日を台湾独立の日とすることもできたでしょう。

総統に受任した当時から、いくつかの大仕事ができると。私は思うので有る。蒋介石の屍を金門に移すこと、表は大陸に近く、故郷に帰るその念を
満たしてあげているという名目で、、、

蒋経国のは、馬祖へ移転。金門と馬祖の民意をそそのかして、それを完成させる。

栄民の家を、計画的に、金門、馬祖に転居させる、〔投票部隊の集中管理で有る〕選挙を有利に導くために、、、

これらは国際に関係がないので、中共の目障りにならない、、、
新築の工事は国民党の立法委員にまかせて、利益交換とする。

もう今では、後の祭りだ。私の見方では、政権は二度と帰らないでしょう。

彭明敏氏の政治手腕は不明

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/26 22:15 投稿番号: [44 / 1869]
彭明敏氏の学歴はすばらしいが、政治手腕は不明であり、86歳になった今では政界に登場することは考えられない。彭明敏氏は行動や思想に過激のところが多いので、政治家として適任かどうか疑問だとわしは思う。

陳水扁の台北市長としての業績は、歴代の台北市長のうちの最高です。高級外省人どもが侵占していた公用地を歴代の市長は放任するほかなかったが、陳水扁は遂に吐き出させて、公園の建設、道路の拓寛など本来の建設をを完成した。淡水線、木柵線などの捷運線は、前任市長が工事の90%を完成した功を認めなければならないが、陳水扁がその後を受け継いで、慎重に安全性を確認し、職員の運営演習を十分に行なわせた上で、運営開始の断を下した。今では運営開始十数年たったが、台湾で初めての事業であるにかかわらず、事故の発生を見ないのである。今では台湾にも捷運運営の熟練者が大勢いるから、新しい捷運線を開通するときの不安はなくなったが、最初に開通する時の不安は非常に大きかった。

彭という字を出すために(続き)

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/26 19:28 投稿番号: [43 / 1869]
IMEに手書きという入力法があるので、それでやることもできます。

彭という字を出すために

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/26 13:43 投稿番号: [42 / 1869]
彭という字はIMEに含まれているのだが、「ほう」と打ち込んで漢字に変換しようとしても、法、方、磅、報・・・・などが出てきて、なかなか彭が出ません。よって「単語/用例の登録」のなかに彭明敏を登録しておき、「ほうめいびん」と打ち込んで、漢字変換キーの一打ちで彭明敏が出るようにしておきます。そうすれば、たとえば彭美麗という人のことを書くときは、彭明敏から明敏を消して、その跡に美麗をを打ち込めばよろしい。また「単語/用例の登録」をするとき、「語句」の欄に書き込む「彭明敏」はわしのこのメッセージからコッピーすればよろしい。

Re: 台湾の2−28事件で暗殺された日系弁

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/04/25 22:36 投稿番号: [41 / 1869]
推理映画より、緊張ですね?

見事脱出できたのが、台湾人に大きな希望を与えましたよ。
膨(ボウコウトウ台南の西、海の中の島がこの字{サンズいへん省く}氏は
李登輝先生と対抗して総統選挙に立ったことがありました。惜しくも落ちました。何せ、副総統代表に選んだ人が許信良で、全然協力しなかったので、落選は当たり前のこととなってしまいました。

膨氏が落ちて、陳水辺が後から、総統に上がったのは、大きな皮肉ですよ。
全然格が違います。台湾人の不幸の始まりでした。

Re: 台湾の2−28事件で暗殺された日系弁

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/04/25 04:10 投稿番号: [40 / 1869]
natunokaze 001様:
宗像隆幸氏の数々の功績で一番大きなものは、台湾自救宣言をだして、

拘束され幸運にも一時釈放された、膨明敏氏の台湾脱出劇を企画、主導

したのが宗像さんでありました。『台湾青年』という雑誌の編集や発行に

尽力していたが、頼まれると直ぐやりましょうと返事をするのが、この

かたでした。デンマークから膨明敏さんが発した電報に『成功せりー

success]おあったそうです。1日本人がパスポートが紛失したと再発行

を申請されたのは間もなくでありました。膨には月編がつかない。

Re: 台湾の2−28事件で暗殺された日系弁

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2009/04/24 23:04 投稿番号: [39 / 1869]
初耳でしたが、尊敬の念が胸そこから、湧いてきます。

いつまでも、ご健康でありますように、心からご祈祝をいたします。
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