Re: NHKが引用した皇民化運動はいつだれが
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/05/13 11:09 投稿番号: [61 / 1869]
isamu table1363様:
私の小学校にも、公学校にも改正名をしない生徒が随分いました。国語
家庭は正式に許可を貰い、家の門に標識がぶさがりました。当然改姓名を
果たしていました。だが全体てきに70ー80%の改正であったのでは?
原住民の改正名は進んでいましたね。1944年までは台湾人には徴兵はありませんでした。内地人は否応梨にひっぱられました。でも昭和16年からは全国の台湾人若者は軍属、軍夫で志願していきました。競争で選ばれた優秀な若者でありました。前線に出て活躍して立派な日本人になろうとおもったり、家計の助けもあったでしょう。高砂族の天皇陛下崇拝は決まっていましたね。全員が改正していた高砂義勇部隊でありましたので、日本名の山岳
人は多いですね。軍人総督は政権に関わり無く任務を真っ当できました。
だが、日本の政党政治は実に不安定で直ぐ内閣辞職になり、総督も辞任となり安定していませんでした。遠大な開発がつずきませんでした。ヒットラーなんて程度の低い総督はいませんよ。最後の安東中将、総督は英国留学で、
英国詩人のワーズワースを好み、英語に達者でした。志願兵の奨励はあったでしょうが強制は無かったですね。強制兵はだめですね。志願兵は強いです。台湾軍の呼び南方での活躍は本を読んでください。天皇と祖国の為なら喜んで死んだのが台湾軍でありました。祖国は家族を含んでいますから。死ぬ瞬間は『お母さんとか妻の名前とか、天応陛下万歳もあったのです」・
兄貴が高雄港を出港したのが1944年初夏でありました。両親の前で、
帰還は無理であろう。是を渡しておきたいと髪の毛を結んで紙にまいてありました。何が最後の希望かときいたら、台北高商をでて、東京商大(今の
一ツ橋大学)でもう少し学びたかったと申してわかれました。南方では当時
硫黄島しか残っていませんでした。ところが米国潜水艦に追われて目的地変更になり本土防衛に回り生きてかえりました。兄は家族がなかったから、祖国、両親の防衛に順ずる覚悟であったのでしょう。日本国籍の、南方で凄い活躍を見せた台湾軍の、家族の戦後処置を日本はまちがいました。台湾人が
まさしく言いますのは日本は台湾を捨てたという不平がおおきいです。賠償、弁償、救援、恩給、貯金通帳、生命保険、国債など全部紙屑になりました。戦前と戦時中の不平はたいした被害ではなかった。不味い戦後処理が一番
不平の原因となりました。
これは メッセージ 59 (isamu_table1363 さん)への返信です.
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