日韓歴史論争

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イルボンは東北工程加担を反省汁!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/05/31 11:41 投稿番号: [2801 / 6952]
氏ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!

>注目すべきことは、最近、日本国内で「石碑を中国に返還してもよい」という微妙な空気が生じている点だ。

それは別に、宮内庁が公式に「返す」なんて言っているわけじゃないじゃないか。
どうせどこかの新聞だろ。

つうか、渤海をむりやり「韓国」史に含めたとしても(確かに『三国遺事』では、自分らの歴史として紹介しているから、そう思うのも無理は無いだろう)、もうその故地は「中共」領土なんだから、おまいらはカンケーねえの。

アナトリア地方の、ローマ時代の石碑がトルコに「返還」されるとしても、イタリアは何も文句言えんの。分かる?

ほんとーに、朝鮮人ってオツム弱いよな。

まあ、盗人猛々しい支那も似たようなもんだが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【記者手帳】中国の「東北工程」に日本も合流?



  「これは黙って見過ごせる問題ではありません。韓中日3国の歴史戦争の構図に大きな変化が生じる可能性もあります」

  29 日、ある高句麗史研究者が慌てた声で電話をかけてきた。現在、日本の皇居にある8世紀の石碑「鴻臚井碑(こうろせいひ)」について、返還を求める声が中国で出始めているという日本の新聞記事のためだった。713年に建立された鴻臚井碑は、日露戦争の際に旅順を占領した日本軍が1908年に略奪していったもの。中国がこの石碑に関心を持つ理由は、唐が渤海王を「渤海郡王」として冊封したという記録があるためだ。

  石碑に記された内容自体は新しいものではまったくない。唐が渤海王を「冊封」したという内容は、前近代東アジアの外交秩序である「朝貢・冊封制度」における通常の関係であり、学会では常識に属することだ。それなのに、「渤海が唐の地方政権であったことを立証する遺物」だと今さらのように詭弁(きべん)】をろうする中国側の意図は明らかだ。「東北工程」により、高句麗史とともに渤海史を中国史の一部に組み入れるのに都合がいいと見ているのだ。中国は来年までに渤海遺跡をユネスコ世界遺産に登録しようと】、渤海遺跡を中国式に復元する作業に熱中している。

  注目すべきことは、最近、日本国内で「石碑を中国に返還してもよい」という微妙な空気が生じている点だ。万が一、鴻臚井碑が中国に返還されたら、どうなるだろうか。

  中韓両国は歴史紛争を抱えながらも、日本との懸案については大筋で同じ立場を取ってきた。しかし、今や日本が中韓歴史紛争に深く関与し、一方に有利、または不利に作用し得る局面が展開されるのである。韓国としては時には日本、時には中国、場合によっては一度に両国を相手として戦わねばならない厳しい立場に置かれたのだ。

  「高句麗の次は渤海」と憂慮する声にも手をこまぬくだけであった韓国政府は、一体どのような対策を打ち出すのだろうか。

ユ・ソクジェ記者(文化部)

朝鮮日報

Re: 参拝する必要なし。

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/05/31 11:08 投稿番号: [2800 / 6952]
>靖国は先の戦争責任をとって消滅すべき

靖国の「戦争責任」とは?
靖国神社が「戦争指導」したとか?
靖国神社が「宣戦布告」したとか?
靖国神社が「国家総動員」体制を指導したとか?
靖国神社が「戦略立案」したとか?

靖国神社は、ただただ国難に殉じた方々の「御霊」を安んじる為だけの場所。
仮に君が日本人だとしても。
「お左さん」には理解できない?(目を向けたくない?)

>アジアの被害国

どこの事?

中華民国は当時「対等の」交戦国だったから、「除外」だよね。
インドシナ半島では、ヴィシー・フランス軍とは戦争末期、小競り合いがあったけど、それまでは「平和的進駐と、共同統治」で戦闘は無し。
タイは当時から日本の同盟国(末期、連合国側に寝返ったけどね)戦闘は無し。
インドネシアは、戦争序盤にオランダ軍との戦闘があったけど、それ以降はインドネシア人との間では比較的穏健な「進駐」体制。
戦闘は殆ど無し。
ミャンマー(旧ビルマ)では、英印軍との戦闘が、初期と末期にあったが。
戦闘はビルマ・インド国境付近と、アラカン山系。
現地住民の「殆ど居住『できない』」場所での戦闘だが。
パプア・ニューギニアは、ほぼ完全に「密林の中」相手は米軍と豪州軍。
1番「ご迷惑をおかけした」のはフィリピンだけど。
戦争初期の交戦は米軍相手。場所もクラークフィールドなどの米軍基地。
あと、バターン半島などの米軍「複合要塞群」
後期は、米軍がリンガエン湾上陸後は、マニラを「無防備都市宣言」して、日本軍は放棄しているしね。
その後は北部山岳地帯(密林地帯)に後退しているよ。

で?「アジアの被害国」って、どこ?(苦笑)

Re: 参拝する必要なし「アジアの被害国?」

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2006/05/31 10:40 投稿番号: [2799 / 6952]
>このような神社に参拝することはアジアの被害国に
>日本人はいまだに戦争の反省がないと取られる


「アジアの被害国」って、戦争当時のアジアの国は大日本帝国、満州国、中華民国(蒋介石・重慶)中華民国(汪兆銘・南京)、泰国しかありませんが、あなたが言う「被害国」とはどこですか?

まさか、大日本帝国の一部として連合国と対戦していた朝鮮半島は含まれませんよね。
当時の満州国、中華民国(南京)、泰国、インド臨時政府は日本の同盟国として連合国と戦争状態だったのですよ。

大日本帝国が戦ったのは中華民国(重慶)、英国、米国、和蘭、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどですよ。
フイリピンは米領の植民地、インドネシアは和蘭領の植民地、マレーシア、ビルマ、シンガポールも英領の植民地、ベトナムやカンボジアは仏蘭西領の植民地でドイツ占領下のビシー仏蘭西政府は対日協力国でした。

あなたが言う「アジアの被害国」ってどこですか????

Re: 馬鹿だな 俺は日本人

投稿者: justina_eto 投稿日時: 2006/05/31 09:39 投稿番号: [2798 / 6952]
また深夜にこそこそとピンポンダッシュ投稿していったようですね(笑)

>おれは日本人だが靖国は不要

貴方が日本人であれ   大和民族であれ   地球市民であれ   韓国生まれの韓国育ち韓国在住の韓国人であれ
靖国を不要と思ったってかまわないでしょう
それは人の好き勝手なので   誰も強要すべきものじゃありませんしね

不要と思うことをいけないと   誰も強要できないのと同じように
必要と思う人に反対を押しつける行為もいけませんね

ただそれだけのことでしょ?

問題なのは   何が根拠で不要・必要と思うか?   なので…

Re: 馬鹿だな 俺は日本人

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/05/31 09:31 投稿番号: [2797 / 6952]
>おれは日本人だが靖国は不要

日本人の精神性を否定する腐った日本人か、お前は。爆笑

馬鹿だな 俺は日本人

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/05/31 02:41 投稿番号: [2796 / 6952]
靖国否定すると朝鮮人だと思うのだね。
朝鮮人にも靖国奉られて感謝している人もいる。
おれは日本人だが靖国は不要

↓負け惜しみちょーせんじん♪

投稿者: quicksilver_pollution_2 投稿日時: 2006/05/31 02:31 投稿番号: [2795 / 6952]
憐れ

参拝する必要なし。

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/05/31 02:29 投稿番号: [2794 / 6952]
多くの国民を戦争に駆り立てた軍国主義の残骸
日本の戦争を正当化している神社などいく必要なし。
このような神社に参拝することはアジアの被害国に
日本人はいまだに戦争の反省がないと取られる
いくら謝罪しても日本は行動で示していないと受取られている。
靖国は先の戦争責任をとって消滅すべき

世界の要人の靖国参拝☆朝鮮人は見習え

投稿者: musasimasato 投稿日時: 2006/05/30 23:17 投稿番号: [2793 / 6952]
【ダライラマ】も正式に参拝しているぞ!

世界の要人らの靖国神社参拝
http://photo.jijisama.org/YasukuniY.html

世界の軍関係者の靖国神社参拝
http://photo.jijisama.org/YasukuniG.html

朝鮮半島の真実☆
http://tour2korea.k-free.net/

反日朝鮮人はマジで”真実”を知ってから喚けよ!

Re: 日韓歴史論争

投稿者: y229a214ninnin 投稿日時: 2006/05/28 00:58 投稿番号: [2792 / 6952]
それは自分にいってるの?w

Re: 日韓歴史論争

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/05/28 00:25 投稿番号: [2791 / 6952]
>韓国にとって歴史は民族的自尊心を満たすよりどころとなっているので、悪かったことは他者に、良かったことは自らに原因を置く傾向があり、歴史を歪曲している。

日本にとって歴史は民族的自尊心を満たすよりどころとなっているので
悪かったことは他者に、良かったことは自らに原因を置く傾向があり、歴史を歪曲している。

善政を行った朝鮮統治?
馬鹿馬鹿しい   無知ほど怖いものはないね。

Re: >朝日新聞 歴史と向き合うより

投稿者: anti_hijacker 投稿日時: 2006/05/27 13:20 投稿番号: [2790 / 6952]
その上、林彪事件を隠蔽しようとした。。(無駄だったけど)

クメールルージュの大虐殺も絶賛していた。


朝日なんてのは、シナの支配下なら即死刑!でしょうね。

Re:自由がないとは言えない。

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/26 18:33 投稿番号: [2789 / 6952]
>韓国には自由がないのだろうか
最近では韓国でも親日派の活動を評価する大学教授が現れている。
韓国内では強い批判を浴びているが発表は許されている。
このことから自由がないとは言えない。

自宅に住むのが困難になるくらい迫害されるんでしょ、

親日派のサイトは取り締まられるんでしょ、


韓国の自由って、命だけとりあえず生かされてたら自由ってことなのかしら?

>朝日新聞 歴史と向き合うより

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/26 18:28 投稿番号: [2788 / 6952]
北朝鮮を「北の楽園」と呼び、多くの朝鮮人や日本人妻を送ることを鼓舞し、

中国の「文化大革命」を絶賛した

この新聞自体、自分のやったことに向き合ってませんよ。

そんな朝日に言われましてもねーという感じ。

Re: 愛国心 Re: 「なんでも日本論」

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/05/26 15:07 投稿番号: [2787 / 6952]
相手の議論に真面目に対応せず、話題をすり替えて面白いのか。

>2種類の愛国心があり。(5月25日朝日新聞   歴史と向き合うより)
①正しかろうが悪かろうが祖国を愛するという態度
自分の国がやることは何でも正しいという考えです。

考え方や態度が愛国心?即物的というか薄っぺらな分析だこと。

だからサヨク朝Pは言葉遊びだけで読者に感銘を与えない。

君は子供がいるのか、いないのか。子供にしても良い所悪い所併せ持つ

恋人や伴侶しかり、でそれらを全て含んで愛するのであり

切り取ることは不可能。

>②自分の国をもっと良くしたいので、過去の失敗から学ぶという態度です。

これは国が対象だけではない。加え、良い所も学ぶ必要がある。



ま、これがサヨクの実に偏った言い分・・・・非常に心が貧しいと感じる。

Re: 愛国心 Re: 「なんでも日本論」

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/05/26 03:15 投稿番号: [2786 / 6952]
>①正しかろうが悪かろうが祖国を愛するという
自分の国がやることは何でも正しいという考えです。

へ?   悪いところも含めて祖国を愛するという態度と自分の国をもっと良くしたいので、過去の失敗から学ぶという態度は矛盾しないよ。「自分の国がやることは何でも正しいという考え」この部分は特亜人特有だから日本人には見かけないよ。

自虐史観≠あたらしい歴史教科書派タイプ    「なんでも間違いは正そう論」

自虐史観=朝P   日教組   「なんでも日本が悪い論」、だろ?

無茶苦茶だな・・・

Re: 愛国心 Re: 「なんでも日本論」

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/05/26 03:08 投稿番号: [2785 / 6952]
1.正しかろうが悪かろうが政府の為すことにはすべて反対するという態度
  自分たちのしていることだけが何でも正しいという態度です
2.自分たちをもっと良くしたいので   過去の失敗に学ぶという態度

今回の   あなたの拠り所の朝曰新聞は   1.の態度を堅持しています

愛国心 Re: 「なんでも日本論」

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/05/26 02:54 投稿番号: [2784 / 6952]
2種類の愛国心があり。(5月25日朝日新聞   歴史と向き合うより)
①正しかろうが悪かろうが祖国を愛するという態度
自分の国がやることは何でも正しいという考えです。
②自分の国をもっと良くしたいので、過去の失敗から学ぶという態度です。

①が「なんでも日本論」、自虐史観、あたらしい歴史教科書派タイプだろう

Re: 「なんでも日本論」Re: 日韓歴史論争

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/05/25 13:42 投稿番号: [2783 / 6952]
>韓国内では強い批判を浴びているが発表は許されている。

迫害を受けるって事は自由じゃないって事に、特定亜細亜人は気づかないようですね。   そんなこと言ったらビルマのアウンサン氏は自由に暮らしているのと同じだと思う。

Re: 「なんでも日本論」Re: 日韓歴史論争

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/25 11:29 投稿番号: [2782 / 6952]
なかなか力強い文章ですね。

>韓国には自由がないのだろうか
最近では韓国でも親日派の活動を評価する大学教授が現れている。
韓国内では強い批判を浴びているが発表は許されている。
このことから自由がないとは言えない。

で、その大学教授はどうなったでしょうか?批判だけではすまず社会的に攻撃されましたわな。そういった推移はご存知で?
法ではなく社会的な「空気」が批判を受け入れないばかりか、積極的に排除しようとする。
まぁ、こう言うと「日本でも右翼の個人攻撃がある」とか言われそうですが、そういった封殺に対する批判が広範にある日本社会とは比較にはならんです。

>戦後60年も経過すると勝手相手にもされなかった「なんでも日本論」
つまり近代化や教育など日本が努力し生活は向上、人口増加
自分ひとりでは生きることができなかった朝鮮を日本が大幅赤字の多額の投資までして朝鮮を助けたという「なんでも日本論」がネットで横行している。

前段とどう繋がりがあるのか不分明なのですがね。力強い分、文構成には留意されなかったのでしょうか。
それは置くとして、「なんでも日本」以外にどのような近代化の手段があったのでしょうか。そこらの考察は?

>残された資料をそのまま汲み取ってその証拠としているが、歴史はその資料がどのような目的をもって造られどのように実行
され朝鮮の人々にどのような影響を与えたか調査探求しその上で
「なんでも日本論」が当時の朝鮮の本当の状態を表しているか検討しなければならない。

わかりにくいですなぁ。資料と政策を混同されているのかな?政策がどのような目的でつくられ、どのように影響を与えたか、を調査探求するべし、という意味ですかな?
えっと、そういったものの痕跡が資料なわけですが。
資料に現れる政策意図や実施結果を読みこみ、余計な願望や思い込みを排除して、分析して論を構築する。これが「資料をそのまま汲み取る」ことではないのですか?

>「なんでも日本論」の底にあるのは蔑視と偏見に満ちたひとりよがりの歴史の見方である。

あなたがそう考える根拠を説明していただければ、実りある論争に発展するかもしれませんね。

>山辺健太朗著(岩波新書)「日韓併合史」を読めば「なんでも日本論」が
おかしいことにきずくであろう。
きづかないのであれば蔑視と偏見の洗脳にどっぷりとつかっているということである。

2回も繰りかえさなくていいですよぉ。
蓋世さんもおっしゃっていますが、1冊の本の演繹ですべてが解決するのなら苦労はしますまい。
『マンガ嫌韓流』1冊ですべてを知ったかのようにふるまう嫌韓厨を笑えませんな。

韓国の歴史

投稿者: korea_dame 投稿日時: 2006/05/25 11:00 投稿番号: [2781 / 6952]
韓国の歴史は他国への隷属の歴史のみ。

人に語れる歴史は無い。

今、韓国ではせっせと歴史を捏造中だ、後1000年もすれば立派な捏造歴史が世界に通るだろう。

まぁその頃、韓国が地球上に存在していればの話だが。

Re: 「なんでも日本論」Re: 日韓歴史論争

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/05/25 09:35 投稿番号: [2780 / 6952]
>近代化や教育など日本が努力し生活は向上、人口増加
自分ひとりでは生きることができなかった朝鮮を日本が大幅赤字の多額の投資までして朝鮮を助けたという「なんでも日本論」がネットで横行している。
はたしてそうであろうか。

はたしてそうであろうか。と思うならばその根拠を明確に。

ただの憶測では単なる当てこすりに過ぎず、君が馬鹿として全く相手にされないだけ。

Re: せっかく疑問を持ったなら

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/05/25 08:09 投稿番号: [2779 / 6952]
おや?   新手のお花畑さんでしょうかね?

いいですねぇ

自分で考える事・調べる事を放棄した人達は…

与えられた妄想の中だけで生きていけるんだから(笑)

せっかく疑問を持ったなら

投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2006/05/25 06:41 投稿番号: [2778 / 6952]
>山辺健太朗著(岩波新書)「日韓併合史」を読めば「なんでも日本論」が
おかしいことにきずくであろう。
>きづかないのであれば蔑視と偏見の洗脳にどっぷりとつかっているということである。


↑以外の本も熟読した方がいいなぁ
そーすれば一冊の本から演繹して偏見の洗脳にどっぷり浸からずに済む(おおわらい

「なんでも日本論」Re: 日韓歴史論争

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/05/25 04:49 投稿番号: [2777 / 6952]
韓国には自由がないのだろうか
最近では韓国でも親日派の活動を評価する大学教授が現れている。
韓国内では強い批判を浴びているが発表は許されている。
このことから自由がないとは言えない。
戦後60年も経過すると勝手相手にもされなかった「なんでも日本論」
つまり近代化や教育など日本が努力し生活は向上、人口増加
自分ひとりでは生きることができなかった朝鮮を日本が大幅赤字の多額の投資までして朝鮮を助けたという「なんでも日本論」がネットで横行している。
はたしてそうであろうか。残された資料をそのまま汲み取ってその証拠としているが、歴史はその資料がどのような目的をもって造られどのように実行
され朝鮮の人々にどのような影響を与えたか調査探求しその上で
「なんでも日本論」が当時の朝鮮の本当の状態を表しているか検討しなければならない。「なんでも日本論」は底が浅い   ただ残された資料をそのままとって嫌韓意識を日本人に植え付けようとしているだけである。
一度山辺健太朗著(岩波新書)「日韓併合史」を熟読することをおすすめする
戦前は朝鮮近代史の研究本は非常にすくなく日本統治時代は朝鮮の歴史はほとんど学校では教えなかった
だから朝鮮近代史の研究も戦後はじまり現在にいたっている。
「なんでも日本論」の底にあるのは蔑視と偏見に満ちたひとりよがりの歴史の見方である。

山辺健太朗著(岩波新書)「日韓併合史」を読めば「なんでも日本論」が
おかしいことにきずくであろう。
きづかないのであれば蔑視と偏見の洗脳にどっぷりとつかっているということである。

韓国式に言えば

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/05/23 23:05 投稿番号: [2775 / 6952]
韓国の

韓国歌謡、kポップ、映画、義務教育〜高等教育、近代的医療システム、灌漑水田農法、植林、上下水道、水力発電、火力発電、道路建設、橋梁建設、ビル建設、高炉による製鉄業、家電メーカー、電信電話、鉄道、造船業、自動車産業、二階建て民家、まだまだ有るけど、

これらは、全て日韓併合時代以降、戦後から現在に至るまで日本が教えてやったもので、日本起源だ。

と、言うようなものかなぁ。

北東アジアの正しい歴史ニダ!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/05/23 22:45 投稿番号: [2774 / 6952]
なんだ、様々な意見を集めるのじゃなく、テメエに都合のいい「論文」とやらを集めるだけか。

つまり、宗教でいう「異端の駆逐」みたいなのだな。

それにしても、テメエの国が今にもオッ潰れそうなのに、ヒマなことやるよなあ。(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

韓日間の歴史関連論文選集、大統領直属機関が発刊

2006/05/23 18:56


【ソウル23日聯合】大統領直属の「北東アジア平和のための正しい歴史定立企画団」は23日、乙巳条約(第2次日韓協約)の違法性など韓日間の法的な争点を体系的にまとめた「韓日歴史関連国際法論文選集」を発刊した。
  国内の学者による論文のほか、日本・竜谷大学の田中宏教授や早稲田大学の岡田正則教授がそれぞれ発表した日本の戦後保障に関する論文、乙巳条約の違法性を指摘したフランスの国際法学者フランシス・レイ氏の「大韓帝国の国際法的地位」など、海外論文も掲載されている。

  企画団によると、近く発足する北東アジア歴史財団が既存の事業を引き継ぎ、国内の学者に対し研究論文の支援事業を展開する計画だという。

(聯合ニュース)

Re: 中国との交易ルートにあっただけの朝鮮

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/05/23 22:13 投稿番号: [2773 / 6952]
文化を伝えたって言っても、中国文明というコップのジュースを飲むためのストローでしょう。
しかも6世紀には直接中国に使者を出していたしね。

そんなことしか自慢するものしかないくらい空っぽな国なんですよ。

中国との交易ルートにあっただけの朝鮮

投稿者: satoumtr314 投稿日時: 2006/05/23 22:01 投稿番号: [2772 / 6952]
朝鮮人は何度も何度も、昔日本に文化を伝えたという。
中国と日本とは、昔々から砂金等の特産品の交易を行っていたが、その交易ルートで交易のピンハネをやっていたのが、朝鮮でしょう。
ピンハネしていた朝鮮に文化を伝えたとか、恩着せがましいことは言わないで貰いたいな。

その後朝鮮のピンハネに嫌気がさして海の交易になりましたね。

このように考えればと

Re: ダヴィンチコードをパクって

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/05/23 20:31 投稿番号: [2771 / 6952]
アニメ化して、タイトルは「外道戦記」

Re: ダヴィンチコードをパクって

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/05/23 01:31 投稿番号: [2770 / 6952]
し〜〜〜〜〜〜〜〜っ

来年あたり、そのネタで、韓国で映画化されますよ!

Re: ダヴィンチコードをパクって

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/23 01:25 投稿番号: [2769 / 6952]
>無理矢理現代韓国語で読んで、天皇が朝鮮人である事を証明する万葉集コードでも、浮世絵から東洲斎写楽が朝鮮人である事を証明する写楽コードでも可。

んじゃ「檀君コード」はどないでっしゃやろ。

開城工業団地で韓国人歴史学者の死体が発見された。それは胃の中がほぼ空っぽにされており、そばにはニンニクとヨモギが置かれていた。そう、檀君伝説に出てくる熊と同じ状態なのだった。

この事件の調査に当たるキム刑事と在日朝鮮人のペク女史。彼らは次第におそるべきタブーを発見する。
箕子に国を譲って天に帰ったとされていた檀君は、実は物忌みをやりとおせず人間の女になれなかった虎と結婚して子孫を残していたのだ。しかも、その子孫は日本に渡ったという。

この事実を隠す韓国政府、なにかを企んで画策する日本政府、敵か味方か?暗躍する北朝鮮スパイ・・・

れ: ダヴィンチコードをパクって

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/05/20 02:09 投稿番号: [2768 / 6952]
>「万能壁画コード」って、映画を作れば良いのに。

日本には、あまり良い映画が上映されていませんが、「韓国映画」って馬鹿にできませんよ。
ハッキシ言って、「日本で人気の俳優出演作」ばかりが公開されるので、良い映画は埋もれています。

テレビドラマで十分です。映画と比較して、信じられないくらいレベル低いですから。

ダヴィンチコードをパクって

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/05/20 00:57 投稿番号: [2767 / 6952]
「万能壁画コード」って、映画を作れば良いのに。

無理矢理現代韓国語で読んで、天皇が朝鮮人である事を証明する万葉集コードでも、浮世絵から東洲斎写楽が朝鮮人である事を証明する写楽コードでも可。

みなさんは

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 22:34 投稿番号: [2766 / 6952]
ご多忙らしい。

リスポンス・ゼロだから、特注のHN を「ころします」。



じゃ。

そして宗教文化のちがい

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 21:04 投稿番号: [2765 / 6952]
宗教文化は、その社会の成熟度をはかる物差しになります。


中国人がいう「鬼神」とは、端的にいえば祖先霊です。
祖先を崇めるのは人類共通の現象です。
高句麗や韓人社会が「鬼神を祭る」とあるのは、そういう事例でしょう。

ところが倭国では「鬼道」をやっていたという。
これは、現代まで脈々と息づく道教の前身たる社会宗教であり、
森羅万象と漢方の医薬につながる、科学と非科学が混在した学問の集大成でもあります。
3世紀当時としては、鬼道は抜けて先進的な宗教文化です。

このあか抜けた宗教文化もまた、半島を通過して列島にあったようです。

かんじんなところ

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 19:59 投稿番号: [2764 / 6952]
▲倭国の国家体制
法制:罪状の程度に応じた厳しい刑罰があった。
訴訟:盗窃せず、訴訟ごとは少ない。(民事裁判も存在した様子)
税制:国民は年貢を納めていた。(ということは私田と公田が存在したようである)
軍政:各国には、防衛・管理・行政の官吏がいた。
流通:「国々に市あり」で各国に市場があった。(貨幣がなく物々交換だったようである)
市場監視:各国それぞれの市場には、大倭という中堅官吏がいて交易を監視していた。
住宅事情:屋室(高床式の住居か)がある。邸閣(邸宅・倉庫など)がある。
検閲査察:検閲・査察の一大卒という官吏がいた。 (実態は卑弥呼関連の文物検察だった)
外交事情:中国との朝献外交のほかに、三韓諸国とも交流していた。
宮城規模:1000人の侍女が働き・生活する規模である。
宮城概要:宮室、楼観、城柵がある。
警備体制:武器を所持した兵士が城柵の周囲で24時間警備をしていた。  

官僚体制のはしりともいえる官吏がいたり、法制国家らしい厳しい法規制があったり。規模の大小や時代の洗練度を度外視すれば、大和時代にみる体制基盤がすでに見えている。ここまで整うにはそれなりの時間が必要だろうから、邪馬台国時代からさらに帥升の倭国時代へ、さらに倭奴国時代へさかのぼれば、早期から中国と接触してその知識や文化を取り入れてきたことが推察できる。

▲東夷諸国の人口比較
1.夫余:その領域は約2000里。戸数は80000戸。
2.高句麗: その領域は約2000里。戸数は30000戸。  
3.東沃沮:領域は1000里ばかり。 5000戸。
4.ユウロウ:領域不明。戸数不明。
5.ワイ:領域不明。戸数は20000戸。
6.韓:全体の領域は4000里ばかり。  
  馬韓:合計で10万余戸。   
  辰韓と弁韓:。合計4〜50000戸。
7.倭:全体の領域は5000里ばかり。  
  対海国:領域は400里、1000余戸。  
  一大国:領域は300里ばかり、3000ばかりの家。  
  末盧国:4000余戸。  
  伊都国:1000余戸。  
  奴国:20000余戸。  
  不弥国:1000余の家。  
  投馬国:50000余戸。  
  邪馬壹国:70000余戸。  

3世紀中葉に魏の封爵使節団が目撃した倭国は、東夷諸国の中でもトップクラスの先進国で、国家体制の整い具合も東夷の諸国の中でトップクラスである。
この数字によれば、当時の倭国は東夷諸国の中でも有数の過密地域である。書かれている9カ国だけでも三韓の総人口を上回る。これに、その他の傍国と狗奴国の人口を加えると、倭国の総人口は何人だったろうか。 かなりの数の移民が来ていたらしく、弥生時代の推定人口を見直す必要があるかも知れない。



3世紀においてトップクラスだった国が、いつごろから・どうして後進国になる理屈なのか
あっちでどうにかできなくて逃げて来た集団に簡単に征服される理屈なのか。
私には不可解な論理でしかありません。です。はい。

東夷諸国の民族分類

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 19:56 投稿番号: [2763 / 6952]
▲烏丸・鮮卑:東胡と呼ばれた部族で、漢代のはじめに匈奴によって滅ぼされたとき、烏丸山にたてこもって生き残った部族集団を烏丸。 東胡と呼ばれた部族から分かれて、鮮卑山のもとに身を落ちついた部族集団を鮮卑と呼ぶ。 牧草や水場を求めて放牧を行ない、定住地はない。テントを住居とする。馬上から弓を射る騎射に巧みである。弓矢や鞍・轡をつくり、銅や鉄を鍛えて兵器をつくる。鳥獣を狩り、肉を食べて酪(ヨーグルト)を飲む。米はつねに中国からの供給に頼っている。
▲高句麗 :丸都山の麓に都をおく。山や谷の地形を利用して住居を構え、谷川の水を生活用水にする。田づくりをやるが良い田はなく、満足な収穫はない。食物を倹約して、宮城や住居を盛んに建てる。性格は荒々しく短気で、好んで侵入や略奪を働く。言葉など多くの点で夫余と同じだが、性格・気質と衣服に違いがある。膝まづいてお辞儀をするとき、片方の足を前に出すところも夫余とは異なる。
▲夫余 :定住していて、宮城、倉庫、牢獄などの建造物を持つ。土地は5穀を植えるのに適している。他国への侵入・略奪は行なわない。城や柵を円形につくる。家畜を飼うのが巧みで、名馬を産出する。 王家の倉庫 には玉璧、珪(いずれも天子、諸侯の宝玉品)など、幾代も前から王たちが使用してきたものがあって、代々宝として伝えられている。これは、王の祖先が中国から頂戴したものだという。同時に中国から頂戴した夫余王の印には、「ワイ王之印」と刻まれている。 もともとここはワイハクの土地であって、夫余は外部からやってきて住み着いたものである。
▲東沃沮:土地は肥沃で5穀が良く成長し、農耕に適している。山を背に海に向かって開け、大海の岸辺に住居を構えている。言葉は高句麗と大同小異である。住居、衣服、食事は高句麗と似たところがある。民の性格は質朴で飾り気がなく、勇敢である。 牛や馬が少ないことからも、矛を持って歩兵で戦うことを得意とする。
▲北沃沮・南沃沮 :風俗は、南北ともに変わらない。北沃沮は、ユウロウが船を使って盛んに侵略・略奪を行なうので、夏の間はけわしい山の深い洞窟の中で守りを固める。冬になって凍結して船を使えなくなると、山をおりて村落に戻って暮らす。
▲ユウロウ: 民の容貌は夫余に似ている。言語は夫余と高句麗に似ている。5穀、牛、馬、麻布を産出する。勇敢で力がある。弓に巧みである。 山林の間に穴居している。盛んに豚を飼い、その肉を食料とし、革を衣服とする。船を操るのが巧みで、船で近隣に侵入・略奪を働いて悩ませている。東夷諸国の中でも、最も無規律な種族である。
▲ワイ:質朴で廉恥を知って、自律の精神を持っている。言語はや風俗はおおむね高句麗と同じで、衣服に違いがある。 略奪や泥棒は少ない。珠玉を珍重しない。長さ三丈もの矛をつくり、これを数人で持って巧みに歩兵で戦う。果下馬(乗ったままで果樹の下を通れるというほどの小型の馬)を産出する。

陸続きで互いに境を接していて取ったり取られたりしながら、略奪・捕虜・戦後処理といった形で数千単位・万単位人間の移動が、膨大な時間中でくり返されてきた。そうしたこともあって、異なる民族や部族間にも類似点と相違点が混在しているし、民族の違いによる決定的な相違点もある。
ここで注目をお願いしたいのは以下のことである。
※3世紀時点での高句麗を民族的に区分すれば、烏丸・鮮卑よりも沃沮とユウロウにより近い事実が確認できること。
※高句麗も夫余も、厳密な民族区分でいえば烏丸・鮮卑とはまったく違っていて、遊牧・騎馬民族ではないこと。 中国・中原は、紀元前から騎馬文化国家だった。だが、これをして騎馬民族と呼んだ例はない。騎馬民族ではなかったものが、時代の経過とともに騎馬戦闘をマスターしていった。 平たくいえば、より強い戦法を導入して「騎馬文化民族」「騎馬活用民族」になったとみたほうが正しい。
※同じことが高句麗にも夫余にもいえる。とくに夫余の場合、中国からの亡命者だともいうし中国的な制度や習俗も確かに見えることなどから、 「夫余は高句麗の(同族の)別種」というよりも、「夫余は高句麗とは(まったくの)別種」だった可能性のほうが高い。

●朝鮮半島の倭

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 19:52 投稿番号: [2762 / 6952]
朝鮮半島最南部の沿岸部と島嶼部一帯には、紀元前の早くから水人(海人)が住みついていて、彼らの居住地帯を倭と呼んでいた。中国で広義にいう倭人とは、頭髪が短く刺青をしていて、猫背で腰をかがめて歩く水人のことを指していたらしい。(『馬の文化と船の文化』福永光司/人文書院)
こうした人たちが、長江河口を含む東シナ海沿岸部から朝鮮半島北部の沿岸地域まで広範囲に居住していて、漁労と水田耕作を営んでいたのだそうである。こうした水人の居住地帯とされた大陸沿岸から朝鮮半島、日本列島に至る沿岸部こそ、アサリの生息地とまったく重なっている。

「韓は帯方の南にあり。東西は海をもって限りをなし、南は倭と接す」。

「東西は海が韓の地の境界となり、南は倭と接している」。ということは、南は海が韓の領域境界になっているのではなく倭と接していて、その半島の倭の尽きたところが海になる。つまり、「南は倭と接す」という表現でもって、半島の南端に倭があったことを告げているのである。かくいう明確な論拠がある。
現実問題として、魏の調査官たちは半島から海を渡って列島に来ている。したがって、「半島の南も海をもって限りとなす」、この明確な事実を知らなかったはずはない。もちろん、1000里も海を隔てた対馬をして、「倭と接す」と書くはずもないのである。
この『韓伝』のいう倭こそが、中国歴代の歴史書が記録してきた「朝鮮半島の倭」であることは疑いようがない。ここでは『倭人伝』を収録した東夷伝の中の韓伝にすら、「倭」や「倭に近いところでは」といった、列島の倭とは別に、半島にも倭が登場することをしっかり認識しておきたい。

●なぜ『倭人伝』なのか
秦代から後漢代を通じて、中国人の感覚では陸地の終りは朝鮮半島で、ここが中国人のいう「東夷」でもあった。それまでは、中国人のいう倭人とは、半島沿岸に居住していた倭人の域を出ていない。
魏からやってきた調査団は、中国の歴史上はじめて列島の倭を確認した。中国にとっては、民族学的・地理学的大発見といってもおかしくはなかった。その調査記録を受けて東夷伝を編纂する側としては、朝鮮半島の倭と列島の倭に何らかの区別をつけなければならない。かといって、夫余や韓と同じように民族や土地の名をとって「倭伝」とすれば、それに先だって紹介してきた「半島の倭」と混同してしまう。そんな事情があって、東夷伝の中でも列島の倭に限って、異例にも「倭人」としたと推察できる。

かくして魏による諸国の調査が進むと、列島倭人の存在確認はもちろんのこと、半島の倭人たちは韓人とワイ人に混じって暮らしていて、かなり広範囲に進出していたこと。互いの人種が混住する地域では、ボーダーレス時代から根づいていた倭(倭人居住地域)があって、倭人文化が浸透していた様子などが、具体的に把握されることになる。
そこで、『三国志』韓伝の問題の記録。まだ、列島の存在が確認される以前の話ですが、間違われやすい部分なので整理しましょう。
 
「後漢末、献帝の建安年間のこと。遼東太守・公孫康が、屯有県から南を楽浪郡から分離して帯方郡を設置する。続いて韓とワイを攻略した。これによって、それまで楽浪郡に所属していた倭と韓も、帯方郡に所属することになった」   
「公孫氏が朝鮮半島に勢力を広げて帯方郡をおいたことで、半島の沿岸地帯にあった倭も帯方郡に所属した理屈になる。この歴史的経緯を述べた『東夷伝』韓伝の記録を、列島の倭国全体が帯方郡の支配下にあったように解釈する。その勢いのまま、「魏が公孫氏から帯方郡を奪還した時点で、三韓も列島の倭国も自動的に帯方郡の支配下におかれた」と、三段論法されてきた節があります。  
     
遼東郡は長城の東端に位置し、東夷と北方民族の動向監視と侵入を防ぐ要衝だった。そのために、周王朝期に燕が遼東郡を設置して以来、秦・前漢・後漢と引き継がれ、中原政府が任命した太守が着任してきた。238年。司馬懿の出征によって公孫氏から遼東、楽浪、帯方の三郡を奪還した魏は、247〜8年ごろ、楽浪と帯方二郡をあげて韓族を支配下に置こうとした。少なくともこの時点まで三韓は魏の支配下になかった。
倭国は、その遥か彼方。大海の中にある藩外の独立国ですから。

●当時、「倭」にいる「倭人」以外に、半島に「倭人」がいたわけだ。これは事実だ。
というわけで、事実です。はい。

お邪魔します

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 19:49 投稿番号: [2761 / 6952]
きのう。
キーワード検索してたらこちらのトピックにひっかかりました。
ROMしてみて、「どなたあてでもない」所感として書き込みします。
投稿に文字数制限があって、端折ったところはごかんべんを。


東アジアの歴史をより正しく把握するためには、朝鮮半島と日本列島とに関係の深かった中国の歴史を、中国の歴史書をもとに探るのが最良の方法です。かくいう理由は、中国における歴史書の原点にあります。
すなわち、史実を把握して記録することに時には記録史官が命を賭けたこと。そして、中国における歴史書は、王朝の文化事業の一環として、王朝の王朝たる証しとして、無数の人間が誇りと威信をもってかかわってきたこと。その手法は「文章伝世」といい、当代の特殊能力者ともいえる歴史家が、その考証眼で先著や記録官たちの記録をふるいにかけて、客観的にクールに史実を書き伝えてきたこと。こんなところです。

中でも日本列島の動向や歴史については、実際に文書交換や交流使節の通交などによる「トップ外交」を展開した時代の目撃記録(国家交流使節団は、偵察・査察・調査・通交・通商・交渉など、多様な使命を帯びているものですからね)は、尊重と信頼に値するものがあります。『三国志』魏書・東夷伝/倭人伝、『宋書』倭国伝、『隋書』倭国伝がそれに当たります。
主に先史だけを頼りに書かれたと思われる『後漢書』倭伝、『晋書』四夷伝・倭人、『梁書』諸夷伝・倭(こいつはハチャメチャ)などは、きちっとした批判選択のうで、信頼できる記録部分を採用するのが賢明です。(紀伝体で伝の末尾まで揃ってることが正史の条件だからして、中身よりも体裁優先で、形骸的に末尾の伝を書いてつけたと思われる節もあります)
以上のことを前提に、(参加されてる諸氏もご承知のことを含めて)各時代の「歴史」を整理・分類してみましょう。

●173頃……卑弥呼が親戚のいた新羅に使者を派遣し即位を伝える。
卑弥呼の死亡年はある程度明確です。248年ごろの死亡。そこから逆算すれば、卑弥呼が仮に13歳で女王にになったとしても、173年に女王としてあれば75歳まで生きた計算になります。この点でもすでに無理があります。何よりも、173年ごろの朝鮮半島東側南部は、まだまだ「辰韓」すら誕生しておらず、楽浪郡からの移動流民によって「辰国」と呼ばれていた時代です。古くから朝鮮半島南部に土着していた韓人社会が、この移動流民を受け入れて「仮住まい」させていたのが「辰国」です。楽浪郡からの移動流民は、古く秦代に(のちに楽浪郡が置かれるその土地に)中国からやってきた移動流民たちです。かと思えば、「男女とも文身(刺青)をしている」とあり、かなり習俗・民族が混在している節もあります。
馬韓・辰韓・弁韓の三韓が自立するのは魏建国の翌年の222年。のちに馬韓に百済、辰韓に新羅が興こるわけですが、新羅は辰国の後身だと考えることができます。

11〜12世紀に成立したとかいう『三国史記』に目を通したことはありませんが、
これだけを見ても、その記録の取捨は慎重にされるべきだと思います。

●体の大きい騎馬民族の韓民族が日本列島に多くの人間が渡った。
●韓民族は元々北方中国系の騎馬民族で骨格が大きい。
中国は騎馬民族ではないが、紀元前から騎馬技術をマスターした騎馬文化国家でした。
だが3世紀の韓人社会は、「牛馬に乗ることを知らない」「兵士は歩兵」です。
まだ、騎馬文化民族にもなってません。です。はい。


●江上説では、3世紀末に扶余系騎馬遊牧系民族が朝鮮半島に南下。
3世紀に書かれた、中国の歴史上初ともいえる東方調査記録の『三国志』東夷伝は、高句麗も夫余も遊牧騎馬民族とはしていません。人種観や民族眼がとくに厳しい中国人のこだから、何よりも信頼のおけるところです。しかも、夫余の伝承では、自分たちは中国からワイ貊にやってきて住み着いた移動民だという。『三国志』によると、高句麗も夫余はやっと騎馬文化を導入しはじめたころです。
江上説は実のところ、『三国志』魏書・東夷伝を最大の取材源に構築されているが、それでいて夫余や高句麗を「歴史のあとづけ」で騎馬民族に仕立てたところに、そもそも問題とせざるを得ないものがあります。

いま、江上説を有効に活用してるのは半島の一部の歴史マニアだけですか。
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